監 修 ・ プロデューサー



円谷英二(監修)


特撮の神様。
映画が最高の娯楽だった時代、東宝には二人の天皇がいた。クロサワとツブラヤである。
1937年、東宝砧撮影所特殊技術課長に就任、以後の半生を特撮に捧げた。
1942年「南海の花束」(阿部豊監督)で初めて特撮シーンを演出。同年「ハワイ・マレー沖海戦」で特技監督を務めて、ほとんど資料のない状況から真珠湾攻撃を再現した。以来、まるで見てきたような画づくりが、最大の持ち味である。そのために、特撮を実物の代用品ではなく、現実のデフォルメと位置づけ、アニメーション的手法も積極的に取り入れている。東宝時代に、有川貞昌、中野昭慶、川上景司らを育て、円谷プロでも、高野宏一、大木淳、佐川和夫ら有能な若手スタッフを一本立ちさせた。円谷プロ内での呼称は「オヤジさん」。若いスタッフが多かった円谷プロにおいては、本当の父親以上の「オヤジさん」だった。
ライスカレーが好物、これさえあれば何にもいらない、といったとか?
大阪万博の三菱館への参加を最後に、1970年1月25日急逝した。享年68歳。





三輪俊道(プロデューサー、TBS)

「ウルトラQ」を怪獣路線に変更させて怪獣ブームを生み出し、「ウルトラマン」で勧善懲悪スタイルの正統派ヒーローエンターティメントを確立したTBSのかこいたかしプロデューサーの後任。かこい路線の継承者。



橋本洋二(プロデューサー、TBS)

三輪プロデューサーの後任。
理論化肌で、特撮番組にも強烈なテーマ性の導入を求めた。シノシプスの段階から積極的に脚本家と交わり、これまでの円谷プロの脚本作りを一変させた。
「帰ってきたウルトラマン」に始まる、第二次怪獣ブームの立役者のひとりであるが、「帰マン」の体育会系ド根性スタイルや「シルバー仮面」のどうすることもできない暗さは、橋本氏のカラーが前面に現われた結果といえる。



末安昌美(プロデューサー、円谷プロ)

もともと技術系の円谷プロでは、中核を為すのは若い特撮スタッフたちであった。彼らは職人気質の円谷英二氏の薫陶により育ったため、氏と同様に金銭感覚に乏しかった。このため、ウルトラマンの中盤から、番組がどんなにあたっても赤字が嵩み、作れば作るほど雪だるま式に赤字が増えつづけた。そこで、金庫番として、前任の市川氏から続いて大株主の東宝から送り込まれたのが、末安氏であった。氏の節約路線は、灰皿円盤が飛んだり、線香花火のスパークやシャボン玉が画面いっぱいに舞ったり、東宝のお古怪獣で成田亨氏のやる気をそいだり、怪獣を出さない副産物として名作が産まれたりしたが、赤字はさして減らなかった。























音 楽



冬木透


満州出身で、幼少時からクラシック音楽に親しんだ。
エリザベート音楽短大で作曲を専攻し、56年にTBSに入社。音響効果に従事する一方で、国立音大で作曲の勉学も平行して、やがて作曲家として独立した。TBSに在籍していた縁で、テレビ映画の劇伴曲を数多く手がけていた。
ウルトラセブンは、成田亨氏の美術設定やデザインもさることながら、冬木透氏の音楽なくしては、成立し得ない世界である。つまり、ダブル・トオルの仕事が、作品世界のかなりの部分を占めているのである。























脚 本



金城哲夫


玉川大学在学中よりシナリオライターを目指して、円谷英二氏の知己を得る。英二氏の紹介で、ゴジラシリーズ脚本家の関沢新一氏に弟子入りした英二氏の秘蔵っ子。大学卒業後、円谷特技研究所を経て、円谷プロダクションの創立から参加。企画室長、文芸部長を歴任し、ウルトラシリーズの企画・構成を手がけた。業務分担があいまいだった円谷プロにおいて、実質的なプロダクション・プロデューサーの役割を果たした。
セブン終了の翌1969年2月、突然、円谷プロを退職して沖縄へ帰郷してしまった。以後、活動の場を沖縄に移し、ラジオ沖縄のパーソナリティや沖縄海洋博オープニングセレモニーの演出などを務める。しかし、1976年2月26日自宅の2階から墜落、逝去。享年37歳。

単独作品14本。
#1「姿なき挑戦者」
#2「緑の恐怖」
#3「湖のひみつ」
#7「宇宙囚人303」
#8「狙われた街」
#11「魔の山へ飛べ」
#14「ウルトラ警備隊西へ」(前篇)
#15「ウルトラ警備隊西へ」(後篇)
#18「空間X脱出」
#25「零下140度の対決」
#34「蒸発都市」
#42「ノンマルトの使者」
#48「史上最大の侵略」(前篇)
#49「史上最大の侵略」(後篇)

共同作品1本。
#4「マックス号応答せよ」山田正弘共同



山田正弘

「鏡子の家」(原作:三島由紀夫)、「子連れ狼」「大都会PARTU」など、あらゆるジャンルに多数の作品を残す名脚本家。特に、NHK「中学生日記」の脚本家として知られる。

共同作品2本。
#4「マックス号応答せよ」金城哲夫共同
#32「散歩する惑星」上原正三共同



藤川桂介

円谷作品には、「快獣ブースカ」から参加した。以後の円谷作品では、「ミラーマン」に執筆している。また、氏はアニメ全般に活躍の場を拡げ、「マジンガーZ」「がんばれロボコン」などに脚本を提供した。代表作は「宇宙戦艦ヤマト」「さらば宇宙戦艦ヤマト〜愛の戦士たち」。現在は、作家として執筆活動を続けている。

単独作品5本。
#16「闇に光る目」
#27「サイボーグ作戦」
#30「栄光は誰れのために」
#39「セブン暗殺計画」(前篇)
#40「セブン暗殺計画」(後篇)



菅野昭彦

データなし。

単独作品1本。
#5「消された時間」



若槻文三

山田正弘氏、藤川桂介氏らとともに、TBSドラマ「月曜日の男」の脚本家グループから円谷作品にシフトしてきた。若手ライターが多いセブン脚本家陣のなかではベテランの部類で、硬派な作風で社会派のテーマを寓話的に扱った傑作を生んだ。その反面、改稿の繰り返しからか、どうすることものできない駄作も提供している。

単独作品5本。
#6「ダーク・ゾーン」
#10「怪しい隣人」
#20「地震源Xを倒せ」
#26「超兵器R1号」
#41「水中からの挑戦」



上原正三

中央大学を卒業後、一旦帰郷したが、同郷の金城哲夫を頼って再び上京して、金城のアシスタントとして円谷プロに参加。1966年「ウルトラQ」でデビューした。一般に上原氏の持ち味といわれる、ペシミスティックな作風や人間の深部に踏み込むようなシリアスな描写は、セブンよりもメインライターとして活躍した、後期ウルトラシリーズの「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンA」などに色濃い。

単独作品5本。
#9「アンドロイドゼロ指令」
#17「地底GO!GO!GO!」
#28「700キロを突っ走れ」
#31「悪魔の住む花」
#33「侵略する死者たち」
#47「あなたはだあれ」

共同作品6本。
#23「明日を探せ」南川龍共同
#32「散歩する惑星」山田正弘共同
#43「第四惑星の悪魔」川崎高共同
#44「恐怖の超猿人」市川森一共同
#45「円盤が来た」川崎高共同
#46「ダン対セブンの決闘」市川森一共同



佐々木守

「七人の刑事」「赤い迷路」「おくさまは18歳」など、守備範囲の広い早筆の脚本家。雑誌編集者から大島渚監督の主宰する創造社へ参加。脚本家として60年代松竹ヌーベルヴァーグの旗手として名を挙げた。
ウルトラシリーズには、実相寺昭雄監督の指名で「ウルトラマン」から参加した。実相寺・佐々木コンビは、「ウルトラマン」において、独特の持ち味を発揮して、金城哲夫氏の正統派ウルトラの世界観と対極をなす、裏ウルトラワールドを構築した。このコンビによる6本の「ウルトラマン」は、1980年に4本がセレクトされて映画として公開された。
以後の円谷作品には、「シルバー仮面」「アイアンキング」のメインライターとして起用されたが、直球投手がいなかった「シルバー仮面」では、実相寺昭雄監督とのメイン・タッグで、救いようのない暗さをお茶の間に提供し、また、昨今のウルトラシリーズにまで、ネガティブアプローチの悪癖を残す結果となってしまった。
←もっとも実力もなく上っ面ばかりマネる輩が悪い…。

単独作品2本。
#12「遊星より愛をこめて」(欠番)
#38「勇気ある戦い」



南川龍

野長瀬三摩地監督のペンネーム。

単独作品1本。
#19「プロジェクト・ブルー」

共同作品1本。
#23「明日を捜せ」



赤井鬼介

円谷プロ文芸部第三の男、宮崎英明氏のペンネーム。
元東宝砧撮影所特殊技術課で円谷英二氏のチーフ助監督を務めた。後に円谷プロに参加して、金城哲夫氏の右腕として活躍した。CX系「戦え!マイティジャック」(68年7〜9月)では、プロデューサーも務めた。

単独作品1本。
#21「海底基地を追え」



山浦弘靖

「七人の刑事」「ザ・ガードマン」から「伝説巨人イデオン」「ゴジラ対メカゴジラ」まで、円谷作品では、「ウルトラQ」から「ジャンボーグA」まで、多品種多作の名脚本家。

単独作品2本。
#22「人間牧場」
#36「必殺の0.1秒」



市川森一

上原正三氏と知り合って「快獣ブースカ」で脚本家デビューした、元はかま満千緒の座付作家。
宇宙ステーションV3のクラタ隊長というセブン屈指の名脇役のキャラクターを作り上げ、幻想、憂鬱、青春のせつない感情をファンタジーの衣に包み込んだ市川流ファンタジーを構築した。
現在は、こだわりのコメンテーターとして、「スーパーモーニング」(テレビ朝日系)に出演中。

単独作品5本。
#13「V3から来た男」
#24「北へ還れ!」
#29「ひとりぽっちの地球人」
#35「月世界の戦慄」
#37「盗まれたウルトラアイ」

共同作品2本。
#44「恐怖の超猿人」上原正三共同
#46「ダン対セブンの決闘」上原正三共同



川崎高

実相寺昭雄監督のペンネーム。

共同作品2本。
#43「第四惑星の悪夢」上原正三共同
#45「円盤が来た」上原正三共同



虎見邦男(原案)

詩人。
「ウルトラQ」では脚本執筆。

提供作品1本。
#32「散歩する惑星」























監 督



円谷一


特撮の神様の長男。
1963年、芸術祭文部大臣賞を受賞したTBSテレビ演出部気鋭の演出家。
1965年、TBSが円谷英二氏から肩代わり購入したオックス・ベリー社の最新鋭オプティカル・プリンターの一件から、「ウルトラQ」の企画・制作を担当することになった。以後、TBSディレクターとの二足の草鞋を続けたが、父英二氏の急逝からTBSを退社して、円谷プロダクション二代目社長に就任する。
1971年「帰ってきたウルトラマン」でウルトラシリーズを復活させ、第2次怪獣ブームを創出した。
また、東京一(ひがしけいいち)の筆名で、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「帰ってきたウルトラマン」の主題歌作詞も手がけた。
1973年2月9日、脳溢血で急逝。享年41歳。

担当作品6本。
#1「姿なき挑戦者」
#5「消された時間」
#17「地底GO!GO!GO!」
#18「空間X脱出」
#33「侵略する死者たち」
#34「蒸発都市」



野長瀬三摩地

東宝で長年、黒澤組や今井組の助監督として演出の腕を磨いた本格派。
南川龍の筆名で脚本も手がける。ウルトラシリーズ3作では、円谷一監督の21本を1本上回る、最多の演出本数を誇り、正統的演出をウルトラに植え付けた。円谷一監督とともに「ウルトラの礎をつくった男」といえる。
1996年5月23日逝去。享年71歳。

担当作品7本。
#2「緑の恐怖」
#3「湖のひみつ」
#19「プロジェクト・ブルー」
#20「地震源Xを倒せ」
#23「明日を捜せ」
#32「散歩する惑星」
#36「必殺の0.1秒」



満田かずほ

TBSのADから円谷一氏に引っ張られて円谷プロへ参加した。「ウルトラQ」で監督デビューを果し、「ウルトラマン」を経て、セブンでは同僚の鈴木俊継氏とともにメイン監督を務めた。最終回の別離告白シーンをはじめ、数々の名シーンを演出した満田氏だが、反面お茶目な「満っちゃんセブン」の世界も創出し、セブンワールドに拡がりを与えた。以後、円谷プロ一筋。現在、円谷プロ専務。

担当作品14本。
#4「マックス号応答せよ」
#6「ダーク・ゾーン」
#9「アンドロイドゼロ指令」
#11「魔の山へ飛べ」
#14「ウルトラ警備隊西へ」(前篇)
#15「ウルトラ警備隊西へ」(後篇)
#24「北へ還れ!」
#25「零下140度の対決」
#28「700キロを突っ走れ!」
#29「ひとりぼっちの地球人」
#41「水中からの挑戦」
#42「ノンマルトの使者」
#48「史上最大の侵略」(前篇)
#49「史上最大の侵略」(後篇)



鈴木俊継

東宝の俳優から転進して円谷英二氏に師事、「ウルトラQ」の特撮助監督として円谷プロに参加した。「ウルトラマン」で本編監督としてデビュー。セブンでは、満田氏とともにメイン監督としてメガホンをとった。お茶目な満っちゃん路線とは裏腹に質実剛健な演出をみせたが、時には実相寺監督張りの実験的手法を取り入れ、映像演出に拡がりを与えた。とはいえ鈴木氏の演出作法は、脚本の忠実な映像化にあったので、脚本の出来不出来に左右された感も否めない。また、新人社員監督という弱い立場では、外部招聘監督が予算を使いすぎたしわ寄せをこうむることも多かったそうだ。
以後も円谷プロに在籍して、「ミラーマン」「ファイヤーマン」「トリプルファイター」などで監督を務めた。夫人はウルトラシリーズのスクリプター宍倉徳子氏(現:円谷映像プロデューサー)。残念ながら鈴木俊継氏は既に、鬼籍に入られている。

担当作品14本。
#7「宇宙囚人303」
#10「怪しい隣人」
#13「V3から来た男」
#16「闇に光る目」
#21「海底基地を追え」
#22「人間牧場」
#26「超兵器R1号」
#27「サイボーグ作戦」
#30「栄光は誰れのために」
#31「悪魔の住む花」
#35「月世界の戦慄」
#37「盗まれたウルトラ・アイ」
#44「恐怖の超猿人」
#46「ダン対セブンの決闘」



実相寺昭雄

TBS演出部で干されていたところを先輩円谷一氏に拾われる形で円谷プロに出向。ウルトラシリーズには「ウルトラQ」から参加し、「ウルトラマン」で監督となった。監督自らのルートで連れてきた佐々木守氏とのコンビによる、自称「変化球の演出」は、ハヤタのスプーン変身や畳に座るメトロン星人を代表として、今も尚語り継がれる記憶に残る名シーンである。
現在では、「ウルトラマンに夢見た男たち」「星の林に月の舟」といったウルトラ関連の書籍・小説などの執筆作品が多数あり、ウルトラシリーズのスポークスマン的役割も果たしている。

担当作品
#8「狙われた街」
#12「遊星より愛をこめて」(欠番)
#43「第四惑星の悪夢」
#45「円盤が来た」



飯島敏宏

円谷一氏、中川晴之助氏(画家:中川一政の子息にして女優:中川安奈の父君)とともにTBS映画部から円谷プロに出向し、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の監督を務めた。また、千束北男のペンネームで脚本も手がけている。ペンネームの由来は、新婚当時、大田区北千束に居を構えた事により、北千束の夫という意で「千束北夫」と命名したが、台本を印刷する段になって金城哲夫が誤って「北男」としたことによる。
「ウルトラQ」放映第1話「ゴメスを倒せ」の脚本提供、そして「ウルトラマン」制作第1話「侵略者を撃て」(バルタン星人登場)の脚本・監督を担当して、アメリカンタッチ、スピード感、乾いた情感、喜劇的要素などを組み入れた演出で、シリーズの骨子を確立するとともに、スペシウム光線の十字アクションを創案するなどウルトラ創世期に縦横無尽の活躍をした。この功績から、金城哲夫氏と並んで、「ウルトラマンを創った男」と呼ばれる。セブンの時期はTBSの意向で、実相寺昭雄氏とともに京都に出向していたが、最終クールのテコ入れとして復帰してメガホンをとった。
後年、木下恵介プロダクションに出向し、金妻シリーズをプロデュース。TBS退職後、同プロの取締役を経て、現在代表取締役社長。
また、2001年夏公開のウルトラマン映画最新作「ウルトラマンコスモス」を脚本・監督。スクリーンに、脚本 千束北男のクレジットがのった。

担当作品3本。
#38「勇気ある戦い」
#39「セブン暗殺計画」(前篇)
#40「セブン暗殺計画」(後篇)



安藤達己

円谷プロの本編助監督から監督に昇格。
担当作品1本。
#47「あなたはだぁれ?」




















特殊技術



高野宏一

円谷プロの前身、円谷特殊技術研究所に参加していた円谷英二氏の秘蔵っ子。「ウルトラQ」を皮切りに、ウルトラシリーズをはじめ、円谷特撮のほぼ全てに関わった。セブンでは半数以上の作品を担当しており、テレビ特撮のスタンダードをつくった男といっても過言ではない。特技監督の佐川和夫氏、光学撮影の中野稔氏らは研究所時代からの仲間。現在、円谷プロの専務を務める。

担当作品27本。
#1「消された時間」
#2「緑の恐怖」
#3「湖のひみつ」
#5「消された時間」
#13「V3から来た男」
#14「ウルトラ警備隊西へ」(前篇)
#15「ウルトラ警備隊西へ」(後篇)
#16「闇に光る目」
#24「北へ還れ!」
#25「零下140度の対決」
#28「700キロを突っ走れ!」
#29「ひとりぼっちの地球人」
#32「散歩する惑星」
#33「侵略する死者たち」
#34「蒸発都市」
#35「月世界の戦慄」
#36「必殺の0.1秒」
#37「盗まれたウルトラ・アイ」
#38「勇気ある戦い」
#39「セブン暗殺計画」(前篇)
#40「セブン暗殺計画」(後篇)
#41「水中からの挑戦」
#42「ノンマルトの使者」
#43「第四惑星の悪夢」
#45「円盤が来た」
#48「史上最大の侵略」(前篇)
#49「史上最大の侵略」(後篇)



有川貞昌

長く、円谷英二氏の下で特撮助監督を務めた直系の弟子。セブンでの担当は2本にとどまったが、両作品とも宇宙空間の爆破シーンが見もの。円谷英二氏の死去を契機に東宝特技課が解散された以降は、国際放映に移籍して、「レインボーマン」などの特撮に関わる。78年には香港映画「北京原人逆襲」の特撮も手がけた。

担当作品2本。
#4「マックス号応答せよ」
#6「ダーク・ゾーン」



的場徹

戦後の大映特撮を支えた大ベテランで、円谷英二氏の招きで円谷作品に参加した。大映時代の代表作は、日本初の70oスペクタクル映画「釈迦」や大型海洋スペクタクル映画「鯨神」などで、スケールの大きさと緻密さが同居した特撮がウリであった。セブンでも、#7のホーク1号分割シーンや#26の戦闘シーン、#31の体内シーンなどの名シーンを演出した。

担当作品12本。
#7「宇宙囚人303」
#9「アンドロイドゼロ指令」
#10「怪しい隣人」
#11「魔の山へ飛べ」
#19「プロジェクト・ブルー」
#20「地震源Xを倒せ」
#23「明日を捜せ」
#26「超兵器R1号」
#27「サイボーグ作戦」
#30「栄光は誰れのために」
#31「悪魔の住む花」
#47「あなたはだぁれ?」



大木淳

セブン当時は28歳の新鋭だった。「ウルトラQ」「ウルトラマン」の特撮助監督を経て一本立ち。そのデビューがあのメトロン星人の回。夕陽の大木の異名の基となるデビュー作である。若さゆえの大胆なアイデアと熱意は特撮パートに新風を呼び込んだ。セブン後半は「マイティジャック」の比重が高まったため担当は減ってしまった。
以後も「帰ってきたウルトラマン」「ミラーマン」「ジャンボーグA」「ウルトラマンタロウ」など、円谷プロ作品の特撮に関わったが、同時に実相寺昭雄氏らとともに「コダイ」の設立にも尽力した。
平成8年逝去。享年57歳。本名:大木淳吉。

担当作品8本。
#8「狙われた街」
#12「遊星より愛をこめて」(欠番)
#17「地底GO!GO!GO!」
#18「空間X脱出」
#21「海底基地を追え」
#22「人間牧場」
#44「恐怖の超猿人」
#46「ダン対セブンの決闘」



















本編スタッフ




永井仙吉(撮影)

元東宝の撮影技師で、セブンには契約撮影マンとして参加。セブン本編の主カメラマンである。



松本好正(録音)

大映の録音部で市川崑監督作品を担当していたが、キヌタラボラトリの録音課創設とともに移籍した。セブンの選曲は基本的に冬木氏が監修したが、音楽編集などの実務面は松本氏に一任されていた。



逢沢譲(撮影)
新井盛(照明)
岩崎致身弓(美術)
山本正孝(助監督)
安藤達己(助監督)
高山篤(制作主任)
後藤信義(衣装)
田口世里子(結髪)
成田民(結髪)
小谷春男(小道具)
畠山勝信(小道具)
関根ヨシ子(記録)
木村佳代(記録)
柳川義博(編集)
西本定正(効果)
和久長五郎(効果)
泉典彦(効果)
新野悟(制作デスク)
伊藤敏行(制作進行)
上村宏(制作進行)
塚原正弘(制作担当)















特撮スタッフ




鈴木清(撮影)

円谷特技研究所を経て、特殊撮影一筋。
現在も円谷プロダクションに籍を置く。



佐川和夫(撮影)

日大芸術学部在学中から円谷特技研究所に参加していた根っからの特撮マン。セブンでは特撮のカメラマンを担当したが、以後、特撮監督として一本立ちし、「帰ってきたウルトラマン」「ウルトラマンエース」「ウロトラマンタロウ」では100本以上の作品に関わった。



成田亨(美術)


武蔵野美大を卒業後、前衛彫刻家として将来を有望されていた芸術家。成田氏が食うために特撮美術を手がけたことからウルトラシリーズが成功したといっても過言ではない。SF作品における美術設定は、その作品世界を決定するほどのパワーがあるからだ。
65年「ウルトラQ」の怪獣路線変更を機に円谷プロに参加して、「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」のヒーロー、怪獣、宇宙人、兵器、セットデザイン、衣装デザイン…等々を手がけた美術総監督。特に、着ぐるみ造形の高山良策氏とのコラボレーションによる怪獣たちは、今もその輝きを失ってはいない。



池谷仙克(美術)

武蔵野美大で成田氏の後輩にあたる。もともと成田氏が助手として円谷作品に参加させた。その前職はデパートのディスプレイ屋さんだった。「ウルトラセブン」#30で円谷プロを退社した成田氏を引き継いで、美術全般に携わった。



中野稔(光学撮影)

日大芸術学部での同級生佐川和夫氏とともに円谷特技研究所に参加した生粋の光学撮影技師。光学撮影とは、ひと言でいうと合成のことだが、当時世界でも数台というオックスベリー社の最新鋭オプチカル・プリンター(合成用特殊カメラ)を駆使して、新たな映像づくりにいそしんだ。


円谷アキラ(助監督)

円谷英二氏の三男坊。
セブン当時は、特撮班チーフ助監督。助監督といえば聞こえはいいが、要は監督の雑用係兼パシリ…。実相寺昭雄氏は、アキラお坊っちゃまが、高級アメ車に乗っていたので、『お前は乗るヒマがないだろうから俺が代わりに乗ってやる』といって乗り回していたが、あまりの燃費の悪さに閉口して返却したそうである。カプセル怪獣アギラは、円谷アキラ氏からの命名。



小林哲也(照明)
小林和夫(照明)

深田達郎(美術)
東条昭平(助監督)
熊谷健(制作主任)
房前義勝(制作主任)
松井和彦(美術造形)
右川弘(美術造形)
佐藤功(美術造形)
倉方茂雄(機電)
宮武洋文(機電)
渡辺晃二(機電)
宇根本工(制作進行)
中島徹郎(操演)
沼里貞重(操演)
平鍋功(操演)
大沢哲三(操演)
太田勝美(操演)
田中敦子(記録)
安藤昌江(記録)
鈴木徳子(記録)
高野和恵(記録)
浦島邦江(記録)















その他


大伴昌司(怪獣評論家)

雑誌プランナー、映画評論、SF作家など、多彩な顔を持つ超一流の才人。
円谷プロには、「ウルトラQ」の前身「アンバランス」の企画・原案に参画し、以来文芸部に出入りした。その関わりから「怪獣画報」「怪獣解剖図鑑」などを刊行し、折からの怪獣ブームを確固たるものとして定着させた功績は図りしれない。しかし、怪獣に対する認識の違いから、円谷英二の大逆鱗に触れ、円谷プロへは出入り禁止となってしまった。
誰もが一度は、見たことがある「怪獣図鑑」。怪獣や宇宙人の身長・体重はもとより、特徴やその性格まで、その一切の個性は、怪獣おじさん大伴氏が生み出したものだった。
1973年1月27日逝去。享年36歳。




あなたたちの汗と涙が伝説を産んだ
スタッフ紳士録
監 修 ・ プロデューサー


音 楽


脚 本


監 督


特殊技術


本編スタッフ


特撮スタッフ


その他