22222キリ番・りょう様へ。


『甘々』



風の強い一日だった。

木立も、すっかり色付いた葉を落としてしまった。

道庵が試衛館道場を訪ねたのは、冬の星が、瞬き始めた頃だった。

幾日か小春日和が続いたかと思えば、衣を幾つ重ねても、堪えきれぬような寒さも続く。

そんな天の気まぐれに、体調を崩す者が増え、道庵は忙しい日々を送っていた。


試衛館に住まう小さな少年も、多分に洩れず風邪を拗らせた。

出迎えた井上を留め、勝手知ったる廊下を進む。

目当ての部屋の小さな灯りに、中の人影が映し出されている。

道庵は、部屋前で足を止めた。

障子に映った大きな影が、小さな影を抱き上げた。


「チビ、おでこ」

小さな影は、大きな影に額をくっつける。

「・・歳三さん、お熱まだある?」

「下がったな。・・喉は痛むか?」

「大丈夫」

「・・本当か?」

「はい」

「たまには、違う事を言いやがれ」

「平気だよ?」

「判で押したように応えるな」

微笑ましい遣り取りに、道庵は小さく笑んだ。


「入るぜ」

カラリと障子を開ければ、仏頂面の土方と目が合った。

その両の肩に小さな手を掛けた宗次郎は、伸び上がるようにして、土方と額を合わせていた。

数日寝込んだ為、髪は結ってはいない。

体躯の良い土方と並ぶと、華奢な少年は、益々人形然として見える。

(生まれ間違ったんじゃねぇか?)

道庵は、可笑しくなった。

「熊。何笑ってやがる」

「いや、何でもない」

「なら笑うな。気味の悪い」

「本当に、無礼な奴だな」

そっぽを向いた土方は、小さな躰を膝上に抱えた。


「さっさと閉めろ。部屋が冷える」

先程の、会話の主とは思えぬ程の愛想の無さに、道庵は苦笑した。

「チビちゃん、少しは元気になったな」

「はい」

土方の膝上で、にこりと笑う。

「夕餉は喰えたかい?」

「はい」

「喰えるようになれば、具合も良くなる」

道庵は、土方の横に腰をおろした。

「・・夕餉は、何を喰った?」

「粥を半膳と、味噌汁を少し」

土方の応えに、道庵は、貌を顰めた。

「それだけかよ?」

「チビにしちゃ、喰ったほうだ」

小さな手が、土方の袖を引いた。


「歳三さん。たくあんも食べたよ?」

見上げる宗次郎を、土方は睨み付けた。

「一口齧(かじ)っただけだろうが。喰った内に入るか」

道庵は、呆れ返った。

「もっと喰わせろよ」

「無理に喰わせれば、具合が悪くなる」

土方の応えに、道庵は、大きな溜息を吐いた。

「このお人形さんは、一体、何の滋養で動いているんだ?」

土方は、ジロリと睨む。


「好き勝手呼ぶな。こいつには、宗次郎って名前があるっ」

「おめえだって、チビって呼んでいるじゃねぇか」

道庵の応戦に、端整な貌をこれ以上無い程に顰める。

「俺は身内だ。てめえは他人だろうがっ」

「俺だって身内みてえなもんだ?なあ、チビちゃん?」

「身内?」

首を傾げる宗次郎に、道庵は大きく頷いてみせた。

「身内ってのは、仲良しって事だよ」

「熊っ、嘘を教えるなっ」

「嘘ではなかろう?」

「無駄話をしに来たんじゃねぇだろうが、早くチビを診ろっ」

「おう、忘れる処だったぜ」

「だからてめえは、藪だってんだ」

膝上に抱かれた宗次郎は、面白そうに二人を見上げている。


「背中から診る。そのまま抱いてろ」

道庵は、小さな肩から着物を落とし、背中に耳を当てる。

「・・チビちゃん、辛い処はあるかい?」

「大丈夫です」

小さな躰は、表に返された。

そのまま目元を見て、耳の後ろに手を当てる。

「・・腫れは、引いたな」

道庵は、胃の腑の辺りに指先を当てた。

「此処は?痛くは無いか?」

「はい」

それから、胸に耳を当てた。

「よし、大きく口を開けな」

暫し覗き込んだままの道庵を、土方は睨むように見つめる。


貌を上げた道庵は、一つ息を吐いた。

「チビちゃん、明日も布団だ」

「どうして?」

驚く宗次郎から、土方へと視線を移す。

「まだ、喉奥の腫れが酷い」

「喉の腫れ?」

「今夜も、熱が出そうだな」

薬箱を探り始めた道庵を横目に、土方は、膝上の宗次郎を覗き込んだ。

「チビ助。喉は痛くねぇのか?」

「大丈夫」

土方は、大きな薄闇色の瞳を睨み付けた。

「たまには、違う事を言いやがれ」

「平気だよ?」

道庵は、苦笑した。

「痛むと言うよりは、喉奥に何かが張り付いたような感じだろう。少し気持ちが悪いんじゃねぇか?」

「どうだ?」

宗次郎は、首を傾げる。

「平気」

元気な応えに、二人揃って嘆息した。


土方に、薬袋を渡す。

「夕餉の後、薬は飲ませたか?」

「ああ」

「熱が出たら、これを飲ませろ」

「わかった」

「あとな」

道庵は、渋面のまま土方を見つめる。

「もう少し喰わせろ。喰えなきゃ、長引くぞ」

「わかっている」

土方は、小さな躰を抱え直した。



道庵が部屋を出てすぐに、腕の宗次郎が土方を見上げた。

「歳三さん」

「どうした?何処か辛いか?」

土方は、小さな面を覗き込んだ。

「平気だよ」

「・・辛い時は、ちゃんと言えよ?」

「はい」

土方は、溜息混じりに両の腕に力を込めた。

「すっかり、拗らせちまったな」

「あのね、歳三さん」

「何だ?」

宗次郎は、じっと見上げる。

「・・稽古も駄目?」

「駄目。もう寝ろ」

小さな躰を横たえた。

布団を引き上げる土方に、おずおずと声を掛ける。

「歳三さん・・」

「どうした?」

「明日は、石田村に帰るの?」

薄闇色の大きな瞳が、ひたと土方を見つめた。


土方は、小さな手をそっと握った。

「いつか、連れていってやる」

「本当?」

土方は、笑みながら頷いた。

「一番上の兄は、きっとお前と気が合う」

「歳三さんの兄上?」

「そうだ。だから、早く治せ」

「はい」

嬉しそうに頷いた宗次郎は、ゆっくりと瞼を閉じる。

小さな手は、少し熱い。

「明日も、布団か・・」

土方の呟きに、薄く目を開く。


「・・井戸に、鳥来たかなぁ・・」

「何?」

言葉の意味を判じかね、土方は眉根を寄せた。

「チビ?」

握った手が、ピクリと動く。

「柿の実、食べに来た?」

「井戸端の、柿の木の事か?」

宗次郎は、小さく頷く。

「あれは渋柿だ。鳥は喰わねぇよ」

「渋柿・・?」

土方は、頷いた。

「源さんが、干柿を作ってくれる。楽しみにしていろ」

「渋いの?」

「うんと甘くなるさ」

宗次郎は、少し笑んで眠りに落ちた。


廊下をそろそろと近付く音がして、近藤が貌を出した。

「歳、代わるぞ。夕餉を喰ってこい」

土方は、首を振った。

「もう少し、看ている」

「明日は早いだろう?」

「出掛けねぇ」

近藤は、驚いた。

「何言ってる、もう日延べは出来ないだろう?戻るのは、一昨日の筈だったんだ」

土方は、宗次郎に視線を落とした。

「また熱が出そうだ」

「俺が看る。源さんだって居るんだ。心配するな」

近藤は、親友の背を叩く。


普段はやんちゃな宗次郎だが、季節の変わり目に、幼い躰がついてゆかない。

所詮は無骨な男所帯、どう気を付けても、心配りには限界がある。

宗次郎の寝顔を見つめながら、どちらともなく溜息が洩れる。

「・・光さんなら、ここまで悪くはしないだろうな」

近藤の沈んだ声に、土方も鬱々となる。

「帰りたくもねぇ実家だが、戻ると聞けば切ないだろう」

「そうだな」


「勝っちゃん。今年は、帰さねぇつもりなのか?」

土方の問いに、近藤は表情を曇らせた。

「内弟子に入ってから、一度も帰ってねぇだろう?」

「養父上(ちちうえ)がお決めになる事だが・・・、多分な」

「理由(わけ)は、何だ?」

「里心が付く、と・・」

土方は、貌を顰めた。

「こいつを幾つだと思ってる?まだ九つだ。里心が付いたって構わねぇだろうよ」

吐き捨てる土方に、近藤は俯いた。

「可哀想だが、こればかりは仕方がない」

土方は、宗次郎の赤い頬をそっと撫でた。

「帰りたいと言わねぇから、余計辛いな」

「そうだな」

土方は、ゆっくりと腰を上げた。

「・・・早めに戻る」

「商いは、いいのか?」

「俺一人動かなくとも、困りゃしねぇよ」

土方は、笑った。



「・・・徳さん。何だい、これは?」

「夕餉ですよ」

道庵は、まじまじと膳を見つめる。

膳は二つ。一つには手の込んだ夕餉が並び、もう一つには、大皿に、何やら黒い塊が積まれている。

「・・この、消し炭みたいなのは一体何だい?」

「南蛮菓子ですよ」

「南蛮菓子?この消し炭が?」

「例の、平べったい餅菓子ですよ」

「これがかい?」

徳治は、不機嫌に主を見上げた。

「先生の仰る通りに拵えましたが、牛の乳ってのは、どうにもすぐ焦げます。鍋を変えてもみましたが、どれでも焦げますよ」

よくよく見れば、丸やら四角やら、様々な形の消し炭がある。

「それにしても・・・」

道庵が箸で摘み上げたそれは、パラパラと皿に落ちた。

とても喰える代物ではない。


道庵は、面白げに老爺を見つめた。

「煎餅は、あれ程器用に焼いたのに、南蛮菓子は苦手かい?」

徳治は、そっぽを向いた。

「見た事も無い物を、作れますかい」

「そんなものかねぇ」

消し炭を口にした道庵は、貌を顰めた。

「こりゃ、犬も喰わねぇな」

「全部召し上がって下さいよ。食い物を粗末にしちゃ、バチが当ります」

「随分と冷たいな」

「端(はな)から反対していたんです。当たり前でしょう?」

冷たく言い放つ徳治に、道庵は肩を竦めた。


「徳さん。これなら、牛の乳も使わないぜ?」

徳治の目の前に、派手な色合いの本が広げられた。

細かな文字は判じかね、徳治は、腰を反るようにして本から貌を遠ざけた。

「今度は何ですかい?」

「南蛮菓子の指南本だよ」

「・・何の、指南です?」

徳治の声が、低まった。

「『かすていら』だよ。『ぼうろ』も旨いんだが、あれは難しそうだ。どうだい?徳さん」

徳治は、目を真ん丸にした。

「かすていら?あたしが拵えるんですかい?」

「他に、誰が居る?」

さらりと応える道庵に、徳治は溜息を吐く。

「何で、南蛮菓子なんですかい?」

道庵は、真面目な貌をした。


「チビちゃんだがな、今夜辺り、また熱が出そうだ」

「・・可哀想に」

愁眉を寄せる徳治に、ゆっくり頷いた。

「あの食の細さじゃ、滋養が摂れねぇんだよ。南蛮菓子ってのは、滋養の塊みてえなものだからな。朔日(ついたち)の診察の時に、喰わせてぇんだ」

「あたしが思うに、宗次郎ちゃんは、此処で物を喰う事は無いですよ」

「・・どうしてだい?」

「あのように躾の行き届いた子は、余所で物など喰いやしませんよ」

徳治の言葉に、道庵は目を丸くした。

「確かに、此処で食べ物を口にした事はねぇな。・・嫌いが勝(まさ)っている為じゃねぇのか?」

「違いますね。里の躾ですよ」

断言する老爺に、暫し考え込む。

「なら、見舞いに持ってゆけば良い」

徳治は、大きく溜息を付く。


「この御本、須田町の御実家の物でしょう?」

「そうだよ」

徳治は、上目遣いで主を見つめる。

「御実家の伝手を辿れば、かすていら位、簡単に手に入るでしょうに」

「マメに喰わせてぇんだよ。作った方が早いだろう?」

指南本を広げ、材料を読み上げる道庵に、徳治は渋い貌をした。

「拵えようにも、砂糖はありませんよ」

道庵は、目を丸くした。

「無いって・・、本町の問屋から、三斤持って帰ったばかりだろう?あれはどうした?」

「あれなら、源三郎さんに渡しましたよ」

「源三郎?試衛館じゃねぇか。甘味屋でも始める気か?」

徳治は、そっぽを向く。


「宗次郎ちゃんの咳が酷い時に、使って貰おうと思いましてね」

「咳がひどけりゃ、俺が居るだろ?」

「急な咳の時ですよ」

「・・喉には良いが、歯には悪いだろう」

「なら、かすていらだって歯には悪いでしょうよ。小麦粉を使うなら、饂飩(うどん)でも拵えてあげた方が、余程いいんじゃないんですかい?」

噛み付く徳治に、道庵は、腕組みした。

「饂飩も良いな」

徳治は、呆れた様に主を見つめる。

「男手だらけの道場ですよ?饂飩作りなら、向うの方が上手いでしょうよ」

「徳さん、チビちゃんの為だぜ?」

これには、徳治も弱い。


徳治は、渋々口を開く。

「・・明日、本町に行って参ります。先生、一筆お書き下さい」

「ご苦労だな」

道庵は、屈託無く笑う。

「でも・・」

と、汁椀を口にした道庵を見つめた。

「しくじったら、残さず食べて下さいよ」

道庵は、汁を吹き出した。




五日後の、試衛館道場。

床上げしたばかりの宗次郎は、髪を解いたままだった。

両脇に座した近藤と井上は、困った貌をしている。

目の前に置かれた焦げ茶の塊に、宗次郎は全身で警戒している。

それは、今迄に嗅いだ事の無い匂いがする。

薄闇色の瞳が、にこやかな道庵と、その横で縮こまる徳治を、交互に見つめた。

徳治の沈んだ表情(かお)に、宗次郎の警戒は深まる。

「見掛けは悪いが、甘くて美味いぞ。喰ってみな」


宗次郎は、おずおずと道庵を見上げた。

「あのね、道庵先生」

「何だい?」

「欲しくないです」

「どうしてだい?」

「昼餉をね、食べたばかりです」

近藤、井上も、ぎこちなく同意する。

「じゃあ、少しだけ喰ってみな」

宗次郎は、頭が落ちそうな程に首を振った。

「お腹空いていないよ?」

「一口だけ」

薄闇色の瞳は、益々警戒する。


近付く廊下の足音に、小さな躰が反応した。

大人達が貌を上げた時は、宗次郎は、廊下へ飛び出していた。

「歳三さんっ」

「チビ、元気になったか?」

「はいっ」

行商姿の土方は、飛びつく宗次郎を軽々と抱き上げた。

「チビ、おでこ」

そっと額を合わせる。

「・・大丈夫だな?」

「はいっ。お帰りなさい」

元気な応えに、土方は優しく笑んだ。


「土産だ」

懐から取り出したものを、薄闇色の瞳が興味深げに見つめる。

「なあに?」

「干柿。此処のが出来るのは、もう少し先だからな」

宗次郎は、目を丸くした。

「・・渋いの?」

「甘いの。口開けろ」

小さく千切ると、躊躇無く開かれた口に、放り込む。

「甘い・・」

「だろ?喉にも良いんだぜ」

土方の腕に収まった宗次郎を、四人が共に、無言で見つめた。



徳治は、目前の微笑ましい光景に、にこにこと笑う。

この五日、苦労に苦労を重ねた徳治だったが、決して本意な出来では無かった。

此度ばかりは、土方に感謝し、ほっと胸を撫で下ろす。

(どうせ拵えるなら、宗次郎ちゃんの喜ぶ物を拵えたいや)

これから幾らも精進して、美味しい菓子を食べさせてやりたい。


「・・何でだ?」

呆然と呟く道庵に、徳治は、やれやれと溜息を吐いた。

「ですから、土方さんと張り合っても、敵いやしないと言ってますでしょうに」





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