5001キリ番・ももの木ちい様へ。


『甘辛』―あまから―



「チビちゃん。たんと喰いな」

「・・・・」

豪快に盛られた菓子を前に、宗次郎は、全身で警戒している。

目前に座す医師は、満面の笑みで、その様子を眺めている。

巨体をゆったりと寛がせ、優しく見つめる坊主頭に、小さな躰は、少しも緊張の糸を緩めない。

朔日(ついたち)の、道庵の診療所である。


午(ひる)迄の診察が済み、人気の無くなった診療所は、寺子屋帰りに貌を出す宗次郎にとって、逃げ出す口実が一つ減る事となる。

何処も悪くは無いのに、決められた日に通わねばならぬ約束が、どうにも納得出来ない宗次郎である。

その上に、人気が無いのが災いし、丁寧な診察の後、必ず道庵から足止めを受ける。

前は、散々に嫌いを訊かれ、今日は、目の前に菓子が置かれた。

見た目、白玉のそれは、宗次郎が今迄に嗅いだ事の無い、不審な匂いが漂っている。

良く見れば、その不自然な白さにも不審は募る。

菓子を置いた小者の徳治が、ほんの一瞬見せた、申し訳無さそうな表情(かお)も、薄闇色の瞳は見逃さなかった。


宗次郎は、不審の目で道庵を見上げる。

「・・・源さんが作ってくれるのと、色が違います」

大きな熊は、にこやかに応える。

「白玉なんてのはな、家によって拵え方は違うものさ」

それにしても、やけに白い。

「・・あのね、道庵先生」

「何だい?」

道庵は、ご機嫌だ。

夏の往診で、すっかり陽に焼けた坊主頭は、艶やかで血色も良く、お天道様のように輝いている。触ればきっと、お天道様のように暖かだろう。

宗次郎は、上目遣いで道庵を見つめる。


「欲しく・・ないです」

道庵は、大仰に驚いて見せる。

「白玉は、好きだって言ったろう?」

宗次郎は、頭(かぶり)を振った。

「・・・食べたくない、です」

「遠慮せずに、喰ってみな。甘くて美味いぞ?」

薄闇色の瞳は、警戒の色を解かない。

「いらない」

「どうしてだい?」

「・・・あまり、お腹空いてない・・・」

道庵は、小さな面を覗き込む。

「寺子屋帰りじゃあ、昼餉もまだだろう?腹は減っている筈だぜ?」

小さな面は、露骨に貌を顰めた。


「食べたら・・・昼餉が、食べられなくなるから・・・いらない」

腰を浮かせた宗次郎を、慌てて引き止める。

「なら、持って帰ってお八つにしな」

宗次郎は、大きく頭(かぶり)を振った。

「お八つは、源さんが作ってくれるから、いらないっ」

奥の部屋に引っ込んでいた徳治が、こっそりと二人の様子を見つめている。

宗次郎は、徳治に視線を流し、やや思案顔になった。


「・・歳三さんはね、商いに行っています」

話の意図が知れぬまま、道庵は腕組する。

「・・あいつは、今は薬屋か?」

「はい」

小さな指が、いくつか折られた。

「もう少しで、帰って来ます」

「そうかい」

道庵は、気の無い応えをする。まだ、話は見えない。

「歳三さんはね、いつもお土産を呉れるのです」

「土産?マメな奴だねぇ」

宗次郎が、嬉しそうに頷く。


「この前はね、金平糖。綺麗で、美味しかったよ」

「うん」

「だからね」

チラリと、白玉を見る。

「まだ、金平糖があるので、これは要りません」

バッサリ袈裟懸けすると、小さな躰が、ぴょんと立ち上がった。

「道庵先生、診察ありがとうございました」

折り目正しく挨拶すると、宗次郎は深々と頭を下げた。

くるりと背を向けた小さな躰を、道庵は慌てて引き止める。


「待ちな、チビちゃん。金平糖は、干菓子だ」

振り向いた薄闇色の瞳が、警戒している。

「干菓子はな、急いで喰わなくても大丈夫だ。今日は、これを喰いな」

菓子鉢を手に、ゆっくりと近付く道庵に、宗次郎はジリジリと後退る。

誘導されるように、部屋奥へ逃げ込んでしまい、逃げ場が無くなった。

背に当たる壁伝いに、小さな躰がせり上がるように爪先立つ。

「道庵先生・・あのね、それ・・・白過ぎて変だよ?」

「白玉は、白いもんだろ?」

にじり寄る道庵に、宗次郎は、必死に頭(かぶり)を振った。

「それ、変な匂いがするから、いや」

「匂いなんざ、喰っちまえば気にならねぇよ」

「やっ」

その光景は、誰がどう見ても、熊に捕食される小動物にしか見えぬ。

「先生・・」

徳治の渋い声に、道庵が気を逸らした刹那、宗次郎は、脱兎の如く道庵の横をすり抜けた。

主従が、目を見張る程に俊敏な動きである。


宗次郎は、草履を引っ掛けるように表に飛び出した。

通りに出た途端、襟元を掴まれ、勢い躰が浮き上がる。

「やぁーっ」

固く目を瞑ったまま、必死にもがく宗次郎の耳に、良く知る低音が届く。

「こらっ、急に飛び出すと危ねぇぞ」

行商姿の土方が、小さな弟弟子を掴み上げていた。

「歳三さんっ」

抱き上げた腕の主に、宗次郎はしがみついた。

その、必死の様子に、土方は眉根を寄せる。


「チビちゃん、待ちなっ」

診療所から、菓子鉢を持った道庵が飛び出してきた。

門前に立つ土方を見て、ピタリと動きを止める。

小さな躰は、いつもの腕に収まっていた。

「熊。・・・てめえは一体、どんな診察をしてやがる」

「土方・・・」

「チビが、震え上がっているじゃねぇか」

「それは・・」

土方は、相も変わらず、憎らしい程の男振りである。

首にしがみついた宗次郎は、傍目にも分る程に震え上がっている。その背を、宥めるように撫でながら、土方は、菓子鉢の中身を一瞥した。


「・・一体、何の混ぜ物をした?」

道庵が黙ったのを見て、冷たく笑う。

「また、チビの嫌いを増やす気か?」

「怪しい物なんぞ、混ぜちゃいねぇぞ」

「それにしちゃ、妙な匂いだぜ?」

「・・薬は、混ぜちゃいねぇよ」

土方は、鼻で笑う。

「チビに、薬食いの真似事なんぞ無理な話だ。程々にして貰いてぇもんだな」

土方は、腕の宗次郎に視線を落とした。

「宗次郎、昼餉はまだだろう?」

宗次郎は、端整な貌を見上げる。

「源さんがね、握り飯を拵えてくれるの。歳三さんに半分あげるね」

「俺は、済ませてきたよ」

土方は、甘やかな笑顔を見せる。宗次郎に、と言うよりも、明らかに道庵に見せつけている。


「お八つに、団子を買って来たぞ」

「本当?甘いの?」

「醤油の。好きだろう?」

土方の首に、両の手を回した宗次郎が、大きな瞳を輝かせる。

「醤油のも、好きだよ」

「ただし、昼餉を残さず喰うんだぞ?」

「はいっ」

土方は、再び道庵を一瞥し、ニヤリと笑う。

「先生。せいぜい早く、嫌いを直してやってくれよ」



「あいつら・・・鼻が良いな」

門前で、二人の背を見つめながら、しみじみと言う道庵に、徳治が思いっきり嫌な貌をする。

「何言ってるんですかい、鼻風邪引いた爺さんだって、この匂いはわかりますよ」

道庵は、暫し老爺を見つめる。

「次は、匂いを押さえた物にするか」

「・・・あたしは、そう言う事を言っている訳じゃあ、ありませんよ」

徳治の嫌味も効をなさず、道庵は、別の考えに捕われている。

「匂いか・・・」

「兎も角、そんな物を拵えるのは、金輪際御免ですからねっ」

「おい・・徳さん?」

徳治は、小柄な躰を深々と折り曲げた。


「あたしは、手を引きますよ。あたしまで、宗次郎ちゃんに嫌われちゃぁ、堪りませんからね」

道庵は、困ったように老爺を見つめた。

「これは、滋養があるんだぜ?」

徳治は、毅然とした貌で言い放つ。

「滋養なら、三度の飯で摂れますよ」

「チビちゃん、嫌いが多いだろう?」

「嫌いと言っても、刺身が駄目でも、煮魚も焼魚も平気なんだ。それでいいじゃないですか」

「獣肉も、喰えねぇじゃねぇか・・・」

徳治は、主をキッと見上げた。

「獣肉を嫌う奴なんざ、この御府内にはゴロゴロ居ますよっ」

「・・滋養のあるものに、嫌いが多いだろうよ」

徳治は、引かない。

「あたしの卵焼きは、喜んで食べてくれましたよ」

「他にも嫌いが多いじゃねぇか・・・」

道庵の声が、小さくなった。


「まだ九つなんですよ。大人になりゃぁ自然治りますよっ」

味方が、減った。徳治は、ぷんぷん怒っている。

「大体、牛の乳など、飲めなくったって何の不自由もありゃしませんよっ。それを白玉に混ぜるなんてっ」

「そうすりゃあ、喰い易いだろう?」

「失敗したじゃ、ないですか?」

「うんと、甘くしたのになぁ・・・」

呟く道庵に、徳治は冷たい視線を向けた。

「醤油の団子も、好物のようでしたね」

「・・うん。味噌や醤油の類いは、訊かなかったからなぁ」

精一杯の徳治の嫌味にも、道庵は何処吹く風だ。


「牛の乳が入った菓子・・長崎で、見たんだがなぁ」

徳治は、歯を喰いしばった。此処で頑張らねば、小さな患者は守れない。

「それは、確かに白玉だったんですかい?」

「そんな感じだったぜ?」

徳治は、小柄な躰を大きく膨らませた。

主は、鯛の骨さえ平気で噛み砕くような大男である。あの、可愛いお人形さんを、同じように捉えられては、堪ったものでは無い。此処は、何としても、考え直して貰わねばならぬ。

「作り方もわからないものを、曖昧に作って、それこそ、宗次郎ちゃんの嫌いが増えますよっ」

くどくどと説教を受け、大きな熊が、ややしょげ返った。

道庵は、菓子鉢の中身を一つつまんで、口に放り込む。

「味は、悪くはないんだがなぁ」

懲りていない。


「・・白玉じゃなくて、団子に混ぜれば良かったかな?」

「何を仰います」

「醤油の団子なら、分らなかったかも知れんなぁ」

「先生・・・」

「チビちゃん。甘いものばかりが好きな訳でもないんだな」

道庵は、ポンと手を叩く。

「・・・鰻を粉にして、それを饅頭の餡に入れるってのは、どうかな?」

「・・・」

「それとも、南蛮菓子の方がチビちゃんの口に合うかも知れねぇ。指南本が手に入りゃ、徳さんも作れるよな?」

思案に夢中の主を見つめ、徳治は、諦めの溜息を吐く。

門前に佇んだままの主を捨て置き、診療所へ戻る徳治の背に、道庵の重低音が響く。

「あいつは薬屋でも、俺は医者なんだ。先に嫌いを直してやるぜ」

主旨が、変わっている。

「・・・一体、何を張り合っているんだか」

徳治は、再び、深々と溜息を吐いた。



試衛館への帰り道、土方の腕に収まったまま、宗次郎が端整な貌を見上げる。

「歳三さん、重くない?」

土方は、小さく笑った。

「その台詞は、俺が両腕で抱くようになってから言え」

宗次郎は、土方の空いた方の腕を見つめる。暫くは、使われる事も無さそうだ。

「・・暑くない?」

土方は、小さな面を覗き込んだ。抱いている事が暑いのかと思ったが、宗次郎は平然としている。

首に回された、小さな両の手も、別段熱を帯びてはいない。

「夏は、暑いものだろう?」

薄闇色の瞳が、悪戯気な色を帯びた。


「あのね。道庵先生は暑がりなんだって」

判じかねるまま、土方は仏頂面になる。

「あれだけデカけりゃぁ、暑いだろうさ」

小さな手が、土方の襟元を撫でる。

「着物だけじゃなくてね、肉も脱いで、骨だけになって涼みたいんだって。面白いねぇ」

くすくす笑う。

「つまらねぇ事を言う奴だ」

「歳三さん」

「・・何だ?」

宗次郎は、土方を見上げる。

「あれ、食べた方が良かったのかなぁ?」

「お前は、嫌だと思ったんだろう?勘は、信じていいぞ」

再び、くすくす笑う。


「すごーく、変な匂いだったね」

土方は、眉根を寄せた。

「大方、牛の乳でも混ぜたんだろうさ」

宗次郎は、吃驚した。

「牛ぃ?」

「多分な」

薄闇色の瞳が、目一杯見開かれた。土方は、苦笑する。

「チビ助。目が零れ落ちるぞ」

「歳三さん・・・」

「何だ?」

再び、首にまわした両の手に力を込め、おずおずと訊ねる。

「そんなの食べたら、牛になっちゃうよね?道庵先生は、だから牛みたいなのかなぁ?」

土方は、吹き出してしまった。

「あれは、牛ってより熊だろう?」

宗次郎は、益々深刻な貌をする。

「・・・熊、食べたのかなぁ?」

土方は、声を立てて笑い出した。




陽射しのきつい、午後であった。

遠慮なく降り注ぐ蝉しぐれの中、台所の井上に、遠慮がちな声が掛かった。

「・・源三郎さん、此方から失礼致します」

振り向くと、診療所の老爺が、畏まって立っていた。額に、玉の汗を浮かべている。


「徳治さん、お出ででしたか。すみません、裏まで廻って頂いて」

井上は、にっこりと笑った。

「これを、道庵先生から託(ことづか)って参りました」

徳治は、薬袋と紙包みを差し出した。

「宗次郎ちゃんの、急な熱の時の薬です。それと、これは讃岐の上白糖です。どうぞお使い下さい」

井上は、驚いた。

「上物じゃぁ、ありませんか」

徳治は、にこやかに笑う。

「道庵先生の、母方の御実家は薬種問屋なのです。薬種と一緒に分けて貰えるんですよ」

それに、と、口籠もるように付け加える。

「・・・余計な物があると、また変な考えを起こしますからね」

井上は、笑い出した。


「歳さんに聞きましたよ。白玉の話」

徳治は、真っ赤になって縮こまる。

「本当に、申し訳ない事です」

「宗次郎は、牛にされるんじゃないかと恐がっていますよ」

徳治は、貌をくしゃくしゃに歪めた。

「・・滋養など、他の物でも摂れるって言ってるんですがね」

「でも、宗次郎の事を考えて下さって、有難いですよ」

徳治は、慌てて両の手と首を振った。

「源三郎さんっ。そんな事、決して先生には言わないで下さいまし」

「どうしてですか?」

徳治は、深々と溜息を吐く。


「先生、今は南蛮菓子を調べています。あれは、宗次郎ちゃんの嫌いを直すと言うより・・・」

「直すと言うより?」

首を傾げた井上を見上げ、また溜息を吐く。

「・・・土方さんと、張り合っているだけです」

井上は、吹き出した。

「それは、歳さんも同じですよ。似た者同士、ですからね」

「・・・似ていますかねぇ?」

徳治は、難しい貌で首を傾げた。

「それにしても・・・」

井上は、薬袋を見つめる。

「・・・出来たら、薬がもう少し飲み易いと良いのですがね。あの子には、少し苦いようで・・・」

「苦い薬は、先生の信条なんですよ」

井上が、意外そうな貌をした。あの道庵なら、飲み易い薬を工夫しそうなものだが。


「薬は、苦くて不味い、さらりとは飲めない。だからこそ、躰に気を付けて元気に暮らそうと思うものだ。・・・そう、仰るんですがね・・・」

徳治は、自分が薬を飲み込んだような、苦い貌をした。

「子供の薬まで、容赦無しで、困ったものですよ」

「なるほど」

と、井上が笑った。

「そもそも、変なお八つを拵えるんなら、飲み易い薬を調合した方が、余程宗次郎ちゃんの為になるでしょうにねぇ」

井上が淹れたお茶で、二人は暫し話し込む。



「・・そろそろ、八つ刻かな?」

井上は、廊下へ向かって大声を出した。

「宗次郎っ、起きたかい?お八つだよっ」

「・・・宗次郎ちゃんは、昼寝ですか?」

井上は、微笑んだ。

「夏の間は、昼寝をさせています。・・・いつもは嫌がるんですが、歳さんが一緒だと大人しく寝ますよ」

「へえ・・・」

「最も・・・」

井上は、笑いを堪える。

「歳さんの方は、昼寝に付き合わされて、機嫌が悪くなりますがね」

二人が、笑っていると、軽い足音が聞こえてきた。


井上は、徳治に背を向け、何やら取り出している。

そこへ、小さな少年が貌を出した。

「あ、徳治さん。こんにちは」

「こんにちは、宗次郎ちゃん。昼寝していたのかい?」

「はい。・・・歳三さんは、まだ寝てます」

可愛いお人形さんは、いつものように屈託が無い。

どうやら、恐れられたのは主だけのようだ。徳治は、心裡で胸を撫で下ろした。


井上が、懐紙に包んで差し出した物を、小さな手が受け取った。

「良く噛んで、食べるんだよ」

「はい」

徳治は、目を丸くした。

「源さん。歳三さんの部屋で、食べてもいい?」

「歳さんは、まだ寝ているんだろう?」

宗次郎は、くすりと笑う。

「あのね、唸っていたから、きっと起きるよ」

「じゃあ、歳さんにもお八つだ」

「歳三さんも、お八つ?」

悪戯気に笑む井上を見上げ、宗次郎は、薄闇色の瞳をくるりとまわした。

「そうだよ。少し多めに持っておいで。白湯か麦湯が欲しければ、後で取りにおいで」

「はいっ。源さん、ありがとう」

増やされた懐紙の中身を大事そうに抱えると、宗次郎は徳治に頭を下げ、元気良く駈け去って行った。


「・・・源三郎さん・・・あれは・・・」

呆然とした風の徳治に、井上は笑った。

「たたみいわしです。甘い物ばかりじゃぁ、躰に悪いし、食の細い分、滋養を摂らないとね」

正論である。

「たまには・・あんなお八つもいいですね」

井上は、笑った。

「ウチのお八つなんて、いつもあんな物ですよ。たまに、若先生や歳さんが、菓子を買ってくる位で」

徳治の脳裡に、大きな主が浮かぶ。今は、南蛮菓子の調べに夢中である。

見てはならぬものを、見てしまった心持ちである。



甲良屋敷の坂の下、徳治は、往診帰りの道庵と行き合った。

「徳さん、届け物ご苦労だったな」

陽に焼けた坊主頭は、艶やかに輝いている。

徳治は、先程見た光景を、そっと心裡に仕舞い込む。

「・・源三郎さんが、先生にくれぐれも宜しくと仰っていましたよ」

「そうかい?」

道庵は、ご機嫌だ。


強い陽射しの中、二人は、ゆっくりと診療所へ戻る。

「あのな、徳さん。一つ思い出したんだが」

「何ですかい?」

汗を拭きながら、徳治が応える。

「長崎に居た頃、喰ったんだがな」

老爺が、ギクリと立ち止まった。道庵は、気付かずに歩を進める。

「黄色くて、平べったい餅菓子のような物があるんだよ。名前がわからないんで、調べようがないんだが、あれなら、きっとチビちゃんの気に入ると思うんだがな」

「先生・・・」

徳治の、泣き出しそうな声も、道庵の耳には届かない。


「うんと甘く拵えてもいいし、何なら出来たてに、醤油を塗っても美味いと思うんだよ」

「・・・・」

「今度こそ、出来合いの菓子なんぞに負けねぇぞ」

勢い良く薬箱を振る大きな主に、徳治はそっと毒づいた。

「・・・何で、土方さんと張り合うんですかい。勝ち目など無いでしょうに・・・」

道庵は、笑顔で振り向いた。

「どうだい?徳さん」

徳治は、渋面のまま頷いた。

「・・甘くも、辛くもなる平べったい餅菓子なら、幾らでも拵えますよ」

「本当かい?」

大きな熊が、喜んだ。


「・・・煎餅で宜しいんなら、何枚でも、焼いて差し上げますよ」





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