警察車両の赤色灯が、崩れた廃寺を、ひっきりなしに赤く浮かび上がらせる。

捜索に入った隊士達が床板を踏み抜く音も、ひっきりなしに聞こえてくる。

その都度聞こえるどぎつい悪態には、彼等の焦りが色濃く滲んでいた。

GPSがふっつりと途絶えたポイントに建つ廃寺(ここ)は、二、三番隊が駆け付けた時は、予想した通り、もぬけの殻だった。

パトカーを背に立つ二人の隊長は、無言のまま、前方の廃寺を睨み付けていた。

車中の無線から流れる情報に神経を尖らせるが、捗々しいものは何一つ無い。

これから雨になるのか、蒸し暑くなった空気が息苦しく身に纏い付く。


永倉は、携帯に目を落した。

屯所からの連絡も、今の所入らない。

屯所も、各所に散った隊も、真選組の誰もが焦燥と混乱の渦中にいた。

「・・・斉藤。屯所に一報が入ったのは――」

「47分前」

「廃寺(ここ)に到着したのが」

「23分前」

「事件発生推定時刻は」

「・・・1時間から1時間半前」

永倉は、不機嫌な舌打ちをした。

「気に食わねえ。気持ち悪ィ」

「・・・何が?」

低い声で問う斉藤の目は、廃寺を睨んで動かない。


「敵さん・・・、現場(げんじょう)に、山ほど物証を残す迂闊さを演出しちゃあいるが、ここまで、まるで時間を計ったように動いてやがる。・・・なぶられている気分だぜ」

「・・・・・・」

「副長が、屯所に張り付いて非常線を張ってるから、大丈夫だろうとは思うがな」

「・・・ああ」

永倉は、携帯をポケットに捩じ込んだ。

「営利もしくは罪人との人質交換なら3時間もしねえで繋ぎがあるだろうし、報復目当てなら24時間、・・・・・・最悪の事態なら48時間で結論が出る」

「最悪の事態・・・?」

斉藤は前方を睨んだまま、低く問う。

営利、人質交換の線は、原田・山崎を置き去った時点で消えている。

報復、すなわち見せしめに総悟を殺めるなら、24時間以内に、残酷な私刑を受けた遺体が、屯所に放り込まれるか、江戸湾にでも浮ぶだろう。

それ以上に、最悪な事などあるだろうか。

「沖田狙い」

「――!」

「・・・洒落にならねえが、な」

斉藤は、ギリリと奥歯を噛み締めた。


無言のまま、全身から怒りを放出させる姿に、永倉は溜息を漏らした。

「終(しゅう)くーん。無言で怒るの止めてくれない? お兄さん、居た堪れないんだけど」

斉藤は、横の永倉に目を向けた。

軽口を叩く永倉の顔にも、強い焦燥が浮んでいるのを見て、深く息を吐き出し俯いた。

「・・・・・・チクショウ・・・」

「はい?」

「チクショウッ!! 大体・・・っ、大体、何でアイツはもう復帰してるんだ!退院したばっかりだろ。局長が、暫く療養させると言ってたのはどうなったんだよ!? 道場の稽古は具合悪いとか言いやがってサボったくせに、俺との手合わせより仕事かよ、バカヤローがっ!!」

ガンッとパトカーのドアを蹴る斉藤に、永倉は再び溜息を吐く。

「物に当たるのも止めてくれない? 器物破損の現行犯でしょっぴくよ」

その時、闇を裂くような声が響いた。

「永倉隊長、斉藤隊長、来て下さい!裏庭の奥です! 真選組(うち)の隊服が燃やされています!!」




(ぎん)(しゅ)(こち)(ょう) ―― 蘇芳(すおう)の章 ―― 02






「でー? 何でィそりゃ」

「おっさんくさい言い方せんで下さい、『D』ですよ。ディー」

「たいして変わんねえだろィ」

「変わりますって・・・」

山崎は、苦笑した。

目前に座った総悟は、熱心に愛用の銃器(バズーカ)を弄っている。

夕方からの捕り物に、出動命令の下った一番隊、十番隊は活気付いていた。

特に一番隊は、暫くは屯所で療養すると聞かされていた隊長の復帰に沸き返っている。


「新しい麻薬って、『転生郷(てんせいきょう)』と『でー』は違うのかィ?」

「はい。全くの別物なんですけどね。今回のは、形状は分からないんですが、飲用タイプらしいです」

「麻薬を飲むのかィ?・・・ぞっとしねえな」

「吸うのも打つのも、ぞっとしませんがね」

「大体、ちょっとばかり格好良く聞こえる名前だからって安易に飛びつくなんざ、最近の若いもんには全く困ったもんだぜィ」

「イヤ、被害者は沖田さんと同世代か、下手すりゃ年上ですけどね」

山崎は、手帳を捲った。

「被害状況から考えると、『DEATH()』の『D』かと言われてるんですけどね。それじゃ流石に売れないだろうし、まあ、調査中です」

「ふーん」
「てか、副長室に呼ばれたのは、この話じゃなかったんですか?」

「違ぇーよ。・・・ヤボ用でィ」

「ヤボ用って、掴み合いでもしたんですか?」

「え?」

「スカーフ、曲がってますよ」

淡い瞳をきょとんと丸くした後、慌てて直そうとするが、手にはバズーカを握っている。

一瞬、全ての動きを止めてしまった総悟に笑いかけながら、山崎は片膝を付いた。

「俺がやりますよ。じっとして下さい」


スカーフの乱れを直してやりながら、山崎は顔を曇らせた。

元々が白い肌なのに、少し長くなった入院生活のせいで、透けるように青みがかかっている。

淡い色の瞳には力強い光が宿っているが、体の線は明らかに細まっている。

(大丈夫かなァ・・・)

出動を許した局長の甘さも時と場合によりけりだが、かと言って総悟の「おねだり」に抗える者は誰も居ない。

「・・・本当に、今日は小規模な捕り物ですから、休んでいていいんですよ?」

「出るって言ってるだろィ」

そっぽを向いた総悟の耳がほんのり赤く染まっているのは、不意に見せてしまった無防備な顔に照れているのだろう。


「――ともかく、その『D』が渋谷に出回ったのが先月下旬のたった3日。その3日で、死者30名、意識不明の重体が16名、意識混濁で入院した者が27名と、合わせて73名の被害者が出たんです」

「・・・たった3日でかィ」

「すぐに回収したって事は、天人にとっても計算外の効き目だったんでしょうが、改良が済めば、また出回るのは必定ですよ。 他にも、『DREAM()』、『DISAPPEAR(消失)』、『DARK()』、『DAWN(夜明け)』・・・、色々言われてるんですけど、あまり良い名前でも、ありがたい薬でもありません」

「あとは調査次第か、早い報告待ってるぜィ」

「はい、頑張ります!」


総悟は、バズーカを肩に担ぎ、満足そうに大きな瞳を細めた。

「良い手入れだ」

「一番隊の連中、掃除当番はサボっても、銃器の手入れは力入れてましたからね」

「そうかィ」

総悟は、嬉しげに目を和ませた。

部下を誇る顔に、山崎は羨望を覚えた。

一番隊の連中を、心底羨ましいと思うのはこんな時だ。

破天荒な行動の目立つ総悟だが、連中との絆は、時に局長、副長のそれよりも強い。

自分は監察として役立つ事をして誇って貰う。それが山崎のささやかな願望である。




ふわふわした感覚に包まれ、目の前の場面が暗転し、山崎は夕暮れの中にいた。

江戸、ターミナル近くの裏通り。通りの奥、急に開けた空き地は浪士を捕縛した場所で、総悟、原田と共に立っている。

真横から射す陽が眩しく目を奪い、蝉が煩く耳を奪った。

「・・・なんでィ、手応えがねえな」

連行される十数名の攘夷志士を横目に嘯いた総悟に、原田と山崎は、苦笑しながら近づいた。

総悟が肩に担いでいたバズーカは、一番隊の隊士が受け取ってパトカーへと持って行く。

「だから言ったでしょ。沖田隊長が出張る程じゃないって」

「十番隊共々、俺が面倒見るって言ったのによ」

両手をポケットに突っ込んだ総悟は、後ろの二人を睨んだ。

「一番隊の出動に、俺が出ねえでどうするんでィ」

「だって、まだ療養中だった筈でしょ?」

「真選組は、退院してのんびり出来る程、気楽なトコじゃねーだろィ」

「局長に我侭言って退院したくせに、なあ?」

「今日の出動は、副長だって渋ってたんスよ。掴み合いの喧嘩したっぽいですもん」

「え、そーなの?」

「うるせィ!」

顔を寄せ合い、コソコソと話す二人に総悟の蹴りが入る。


「それにしても・・・、まだまだ暑いとは言え、少し日が短くなりましたね。日暮れが早えや」

三人を照らす大きな夕陽は傾きかけている。

原田は、襟元を緩めた。

「しかし暑いな。屯所に戻ったらすぐ風呂だ」

「あ、俺が一番風呂ね。療養中だから貸切で使うぜィ」

「何で急に病人?」

声を合わせたツッコミに、総悟は明るく笑った。

その笑顔の向こう、赫い夕陽の中に、一瞬、硬質な光が煌めいた。

「危ねえっ」

原田の叫びと、体に衝撃を受けたのは殆ど同時だった。



―――それにしても、やっぱり沖田さんはすげえや。

バズーカ使うには華奢だし体重が足りねえし、いつも吹っ飛ばされてるけど、その反動すらも計算に入れて狙いは外さない。

天才は、何をやっても天才と言う事か。

飄々とした性格に隠れがちな強い正義感も冴えた剣技も、傍に居て、心臓を鷲掴まれるような高揚感を覚える。

局長、副長もだけど、この人と一緒に仕事が出来るのは嬉しいや――・・・。


「山崎っ!」

誰かが両肩を掴み、叫んでいる。

山崎は、ぼんやりと目を開けたが、視界は眩むように白くて何も見えない。

デカイ夕陽の中に立ったまま、思考が飛んでいたらしい。

蝉の声は、まだわんわんと頭に響く。

「しっかりしてくれ!総悟は、総悟はどうしたんだ?」

ガクガクと揺さぶられるせいで、目の前の沖田さんの笑顔が二重、三重にブレた。

代わりに、泣いているような鬼の形相をした近藤が現れた。

――アレ、局長・・・?

赤鬼のような顔をしているのに、何故だか青鬼にも見える不思議な表情で、必死に何かを叫んでいる。

――沖田隊長なら、今スカーフを直してあげた所です。あ、仕事も無事に完了しました。てか・・・、少し静かにしてくれないと、沖田隊長の声が聞こえないですよ――・・・。

「山崎っ!!」

朦朧とした中、自分がちゃんと返事をしたのか分からぬまま、山崎は意識を闇に沈めた。





2008.02.29

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