―― 夏の雲 ――
「屯所に帰りてぇ・・・」聞き逃すふりで済ませるには、あまりに弱々しい声音に、窓の外に広がる夏の青空を見ていた近藤は思わず顔を引き戻した。
病床の総悟は、天井を見つめてぼやいている。
「食堂のおばちゃんの飯が喰いてぇ・・・」
「総悟・・・」
青空に馴れた近藤の目には、その姿がひどく儚く見えた。
今回、伊東の企てた周到な謀略は、真選組を根底から大きく揺るがせた。最期は、伊東を「仲間」として送る事で決着を見たが、その才を信じたが故に窮地に落ちた近藤と、妖刀に魂を侵された土方の分も、総悟の働きは多大なものだった。
しかし、元々が無理のきかぬ体を抱えた総悟は、事件解決の後に倒れ、即入院となった。
未だ予断の許さぬ状態ではあるが、とりあえず、生来の負けず嫌いは戻ったようだ。
――近藤さん。アンタの悪い所は、人が良すぎるとこですぜ。己の持つ甘さまでをも、「そんなアンタだからこそ命を張れる。護れる」と笑った総悟や、真選組の仲間達には、感謝してもしきれない。
「・・・すまんな、総悟」
思わず零れ出た、色々な感情が綯い交ぜになった詫びに、総悟は天井の視線を近藤に向けた。
「近藤さん・・・?」
淡い色の瞳に、困惑と不安が宿るのを見て、近藤は慌てて笑顔を見せた。
他人(ひと)の、と言うよりも近藤の感情に敏感に反応する少年を、これ以上刺激する訳には行かない。
「・・・いや。病院(ここ)の飯が喰えるようになって、容態が安定したら、すぐに連れて帰るから、もう少し我慢、な?」
「・・・つまんねぇの」
「そう言うな。窮屈だろうが、休養だと思ってくれ」
「・・・へい」
総悟は、素直に頷くと、視線を天井に戻した。
白色ばかりの病室でも、総悟の肌の白さは際立っている。たいしてベッドに沈まぬ軽い身も、細い腕の点滴も、何もかもが痛々しい。
嫌でも思い出すのは、大切な友人であった総悟の姉ミツバの事。近藤の脳裡に鮮明に残る佳人の面影が、今の総悟にリンクして、どうにも心をザワつかせる。
近藤は、その思いを打ち払うように、やや乱暴に総悟の頭を撫でた。
「じゃ、また夕方に来るからな」
「無理せんで下せぇ」
近藤は、ニカリと笑った。
「馬鹿言うな、お前の事が無理なものか」
総悟の白い顔に、ほんの僅か赤味がさした。
「いいか、ここの飯もちゃんと喰えよ?」
ドアの向こうに笑顔が消えてから、総悟は小さく笑った。
「敵わねぇなァ・・・」
近藤と言う男は、気持ちが頑なになる前に、苦も無くそれを解(ほぐ)してしまう。
「――ゴリさんは、一日に二回も来てるのか?」万事屋を営む、銀髪くせっ毛の男が、近藤と入れ替るように、ひょっこりと病室に現れた。
「旦那・・・、どうしてここに?」
「ゴリさんに聞いた」
銀時は、ベッドの縁に腰掛け、総悟の顔を覗き込んだ。
心地良い夏の匂いが、総悟を包み込む。
「・・・少しは顔色が良くなったな」
「え?」
「沖田君が眠ってる時も、実は、銀さんマメに来てたんだよ。意識が戻って良かった」
「そーでしたかィ・・・」
チラリと腕の点滴を見、近藤と同じように、しかし優しく頭を撫でた。
「飯喰えてるの?栄養は、口から摂らないとダメだよ?」
「そうは言っても、寝ていちゃ腹も減りませんや」
「その台詞、ウチの神楽に聞かせたいよ」
銀時は、ベッド脇の冷蔵庫の前にしゃがみ込んだ。「お、冷蔵庫の中が甘味祭りになってんぞ」
無邪気にはしゃぐ背中に、総悟は微かに笑った。
「近藤さんと山崎が、見舞いの度に持って来るんでさァ」
「山崎って、アイツもう復帰したの?串刺しにされたって聞いたけど」
「詳しいですね」
「ゴリさんに聞いた」
プリンを手にした銀時は、再びベッドの縁に腰を下ろした。
「今回の件に関わる事は、隊に差し障りの無い程度には、律儀に教えてくれてさ」
「へえ・・・」
それもまた、近藤らしい。
「これさー、トッシーからの見舞いも混ざってるんじゃねーのか?」「さあ。・・・アイツなら、一度も見舞いに来ちゃいませんや」
総悟は、薄く笑った。
「見舞いに来たら、焼きそばパンを買いに行かせようと思ってるんですがね。・・・病人見るのが恐いのも、ヘタレな証拠でさァ」
「ふーん。ま、サボってた分、仕事も山積みだろうし、忙しーんじゃね?」
銀時は、いそいそとプリンを食べ始めた。
「あ、これ旨っ」
「旦那。入れたままじゃ無駄にしちまうんで、良かったら、持って帰って下せぇ」
「残念ながら、ウチの冷蔵庫も一杯だよ。今、ウチの家計は、お陰様で潤ってるからね」
銀時は、掬ったプリンを総悟の口元に運んだ。
「そんな訳で、見舞いついでに毎日ここで喰わせて貰うんで、一緒に喰おう?」
有無を言わせぬ様子の銀時に、総悟は渋々口を開けた。
口中にふわりと広がる味で、興味の無かった菓子が、自分の気に入りのものだと気付く。
「どうせ病院食は喰えてないんでしょ?せめてこれ位食べないとダメだよ?」
「・・・これは、いつもの口説きですかィ?」
銀時は、ニカッと笑った。
「弱ってる時につけ込むのも恋愛の手だけどね。今回の件での、万事屋のアフターケアって事にしといて」
二口目を食べさせながら、銀時はニヤリと笑った。「・・・なあ? こんなおしゃれ菓子を持って来るのは、一人だけじゃね?」
総悟は、そっぽを向いた。
「ヘタレなオタクから、冷蔵庫にこっそり物詰める変質者に転身したんじゃ、笑えねーや。やっぱり、近藤さんの隣は俺だけでさァ」
「ゴリさんは、ホント男にだけはモテるねぇ・・・」
銀時は、苦笑した。
「旦那・・・」
「ん?」
総悟は、自由な方の手を伸ばして、銀時の左肩にそっと触れた。
「怪我させちまってすみませんでした。・・・まだ、痛みますかィ?」
「いや、もう何ともねーよ」
総悟は、ニッと笑った。
「隊服姿、恰好良かったですぜィ」
「・・・惚れた?」
「さァ?」
「つれないねぇ」
銀時は、次々と菓子に取り掛かる。この男の甘味好きは、筋金入りである。
大人しく世話を受ける総悟も、――本人も意外だったのか、銀時に引っ張られるように食が進んだ。
「元気になったら、またデートしような?」
「また・・・?」
「いつも、駄菓子屋の前で会ってるでしょ?」
「アレ、デートだったんですかィ?」
「立派なデートです」
「・・・知りやせんでした」
「あ、知ったからって、フラないでね?銀さん傷付くから」
絶妙の間合いで菓子と笑顔をくれる銀時に、総悟の表情も和んでゆく。
「それと、今はアフターケア中だから、伝言も承るよ?」
総悟は、銀時を見つめた。
伝言の宛が誰と、噛み付く気も失せるような大人の笑みを湛えている。
総悟は、息を吐いた。
「・・・優しすぎやしませんか?」
「これは、俺に惚れて貰う為の作戦」
「旦那、作戦バラしていいんですかィ?」
「いいんだよ。万事屋のアフターケア込みだからね」
総悟は、クスリと笑った。
「・・・今度は、桃缶持って来いって伝えて下せぇ」
総悟が眠りについた後、銀時はベッドを離れた。そのまま院内にある喫煙所を覗けば、奥の方で不機嫌そうな男が煙草をふかしていた。
腰には、見覚えのある妖刀を落し差しにしている。
「おーい、聞いてたんだろ?」
土方は、紫煙を吐き出した。
「・・・何の事だ?」
「沖田君、次の見舞い品は、桃缶とメロンが欲しいってさ」
「メロンは言ってねーだろーよ、てめー」
銀時は、笑った。
「ドアの前に突っ立ってる位なら、顔見せればいいじゃねーか」
「アイツの顔なら、毎日見てる」
「あのさ、見舞いってのは、病人の顔見る事じゃなくて、病人に顔を見せる事だろ? 大体、冷蔵庫にコソコソ菓子を入れるのは、見舞いとは言わねー、ストーカーと言う。お父さんどころか、お母さんまでストーカーじゃ、沖田君が可哀想だよ」
「誰がお母さんだっ!」
銀時は、壁に凭れた。「沖田君が、副長職にこだわるのって、ゴリさんの隣にいたいからなんだろうね。可愛いじゃねーか」
「何言ってやがる。アイツは、とっくに近藤さんに一番近い場所にいるんだよ。てか、近藤さんの隣は、右も左も両方ある。副長と一番隊隊長じゃ、立ち位置が右か左の違い程度で、役職なんざ関係ねえ」
「書類の上でも、「特別」になりたいんでしょ?」
「アイツは、近藤さんにとっちゃ最初(はな)っから特別だよ」
「・・・それさぁ、まさか俺から沖田君に伝えろってんじゃねーよな?」
「あ?」
「恋敵に塩を送るような真似はしねーって言ってんの。あ、お前のプリンは食べたけどね」
土方は、呆れるような顔で銀時を見た。
「・・・おめえ、まだ諦めてねーのか?」
「アレ、諦めるなんて言った事あった? 今は地道にレベルアップ作戦中だから、お前は好きなだけヘタレててくれ」
ぶつかり合った視線から火花が散る。
泣く子も黙る真選組の鬼の副長の眼力をものともせず、
「・・・次のレベルアップは、「沖田君」から「総悟」って呼ぶ事かな?」
銀時は、挑むように笑った。
「ま、「総悟」なんて呼んだら、気持ちが溢れちゃうけどね」
土方は、ゆっくりと目を細めた。
「おめえ・・・」
「今の所は、大親友ってポジションで良しとしてるけど、コレ、一応宣戦布告ね」
「付き合ってられねー」
土方は、乱暴に煙草を消した。
立ち去る土方の背を、のんびりした声が追う。「病室に入れない呪いでもかかってるならともかく、焼きそばパン買う覚悟つけて、ちゃんと見舞ってやんなさいよ。今更カッコつけてもムダだから、トッシー」
「誰がトッシーだ、コラッ」
背中を向けたまま怒鳴り返した土方は、病棟の方へ消えて行った。
「――あ。今は寝てたな・・・」銀時は、ガリガリと頭を掻いた。
土方の、あのヘタレた姿にも動じなかった総悟を思えば、心変わりするとも思えないが、そうは言っても、諦めてしまうには「恋心」が育ちすぎた。
触れられた肩は、まだ、ひどく熱い。
手を伸ばせば、思ったよりもずっと近い距離にいたのも、実は苦しくて嬉しい。
まるでガキの初恋のような心情に、「仕方ねぇなあ・・・」と苦笑を浮かべた。
「障害が多いと、燃えちまうモンだしなァ・・・」
窓の外は、青い青い空。沸き立つような夏雲が、溶けるような暑さも想いもひっくるめ、嵐の中へ攫ってゆく――。
了
2007.07.08
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