『短夜』――みじかよ――
「・・・もう、喰えないか?」床の上に、行儀良く座った宗次郎は、コクリと頷いた。
茶碗の粥は、殆ど減っていない。
土方は、困ったような貌をしたが、黙って匙を置いた。
大して進まなかった膳を下げ、廊下に出た処で、井上とぶつかりそうになった。
井上は、湯の入った手盥を持っている。
「減っていないね」
「昼よりは、喰ったがな」
「・・・困ったなぁ」
膳と手盥を交換しながら、井上は、深い溜息を吐いた。
部屋へ戻った土方は、湯気を立てる手盥を脇に置き、どっかりと座り込む。その膝に、小さな両の手が乗せられた。
「・・・としぞうさ・・」
掠れがちの声が、土方を呼ぶ。
上手く出せない声に焦れるように、宗次郎は貌を仰のかせた。
「と・・し・・・」
再び、小さく開いた唇に、そっと指を押し当てた。
「黙っていろ。また、咳が出るぞ?」
土方は、小さな躰をそっと抱き寄せた。「チビ、おでこ」
額を合わせようと、少し屈んだ土方に、膝立ちになった宗次郎は背を伸ばす。
それでも届かぬ小さな躰を、土方は膝上に乗せた。
数日寝付いた為に、小さな躰は、少し軽くなってしまった。
その重みに、心裡で嘆息する。
食の細い宗次郎が、夏痩せなどせぬよう、近藤、井上と共に苦心したのが、この数日で水泡に帰してしまった。
合わせた額からは、常よりも、少し高い熱が伝わる。暫し動かぬ土方に、小さな手が、安定を求めて、広い胸元に寄せられた。
「お熱、ある?」
宗次郎は、秘密を訊ねるように、小声で問う。
「少しだけな」
土方の声に、宗次郎はにこりと笑んだ。
「困ったな?」
「うん・・・?」
土方は、眉根を寄せた。
宗次郎は、時々判じかねる事を言う。
「何が、困ったんだ?」
胸元の小さな手が、土方の額に当てられた。
「源さんがね、お熱を測る時に、いつも言うよ?」
掠れた声が、たどたどしく紡いだ言葉に、土方は苦笑した。
確かに、井上の口癖になっている。
「熱は少し下がった。困っちゃいねぇよ」土方は、笑った。
「発作みてぇな咳が治まれば、大分楽になるんだがな」
結い上げていない髪は、背で、軽く纏められている。
その、柔らかな感触を確かめるように撫でれば、黒絹の如き髪が、さらさらと土方の指から零れ落ちる。
普段は見える小さな耳や細い項は、黒髪がすっかり隠してしまっている。
こうなると、最高の匠に細工を施された、古式ゆかしい極上の人形のようである。
土方は、脇に置いた手盥に手拭を入れ、固く絞った。「躰を拭くからな、帯を緩めるぞ」
帯に手を掛けた大きな手に、小さな手がそっと触れた。
「としぞうさ・・ん」
宗次郎は、漸(ようよ)う声を出す。
「お風呂は、だめ?」
「まだ駄目だ。もう少し、辛抱しろ」
「井戸は?」
「もっと駄目だ」
「もう・・、平気だよ?」
華奢な背を拭いながら、土方は貌を顰めた。
「平気かどうかは、俺が決める」
手拭を濯ぎ、ぎゅっと絞る。
「ちゃんと熱が下がって、飯を喰えるようになってからだ」
宗次郎が、自信なさげに俯くのを見て、土方は笑った。
「ちゃんと熱が下がったら、一緒に入ろうな」
熱のある身を慮り、手早く清め、仰臥させた。そのまま、布団の横に肘枕し、空いた手で、宗次郎の喉元を温める。
横になると、どうしても止まらぬ咳が、悩みの種である。
「・・・歳三さん」
「何だ?」
「そのまま寝たら、風邪を引くよ?」
土方は、吹き出しそうになった。
宗次郎は、薄闇色の大きな瞳で、じっと土方を見上げる。
「お前が眠ったら、部屋に戻るさ」
「本当?」
「本当だ」
宗次郎は、安心したように、瞳を閉じた。
程無く聞え始めた小さな寝息に、土方は口元を笑ませた。
他人への気遣いが優先する宗次郎だ。
このまま張り番をすると言えば、中々眠らないだろう。
土方は、床に流れる黒髪に、長い指を絡ませた。
結い上げぬ姿も可愛らしいが、やはり、元気に駈け回る、やんちゃな姿を早く見たい。
「歳さん」障子の向こうから、井上の小声が聞えた。
そっと障子を開き、遠慮がちに貌を覗かせる。
「宗次郎は、眠ったかい?」
土方は、無言で頷いた。
部屋に入り、手盥を引き取りながら、井上が問う。
「この処、寝ずの番ばかりだ。今夜は代わるよ」
「大丈夫だ。熱も大分下がったし、それに・・・」
土方は、苦笑した。
その視線を追った井上も、思わず口元を綻ばせた。
小さな手が、しっかりと土方の袖を握り締めている。
傍に居て欲しいと、これこそが宗次郎の本音(ほんとう)だろう。
「これで、部屋に戻れと言いやがる」
「おやおや」
二人、声を殺して笑った。
「上掛けを持ってくるよ」「悪いな、源さん」
井上は、身動き出来ぬ土方に、上掛けをそっと被せて、部屋を出て行った。
土方は、袖を握ったままの手を、掌に包み込んだ。
小さな手は、まだ熱っぽい。
久しぶりに、眠りの深い宗次郎を見て、少し肩の力が抜けた。
土方は、まろやかな頬を、そっと撫でた。
「早く、元気になれ」
明けの早い短夜も、今宵ばかりは長くと祈る――。
了
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拝領した錦絵の、あまりの可愛らしさ愛くるしさに作文致しましたが、
見事に、錦絵(宝)の持ちぐされとなりました(−−;)
幣帛様、ご容赦を! そして、素敵な錦絵をありがとうございました(^^)vv