「菊香」

 

白菊様より拝領

 

部屋に入った途端に香る菊の香りに、土方は眉を顰める。

百合のように強い訳でもあるまいに、どうにも気になる。

 

池田屋で倒れて以来、沖田は時々嫌な咳をする。

『夏風邪をこじらせた』と本人は言うが、家族の幾人かを肺の病で亡くした土方には、それは捨て置けない『音』であった。そして、この『香り』。

 

眉を顰めたままの土方を、沖田は見上げ、微笑む。

 

「良い香りでしょう。斉藤さんが持って来てくれたんです」

 

「斉藤が」

 

菊とはいえ、花には無縁の男に思える。

 

「ええ」

そう答えて、何かを思い出したかのように沖田はふふ、と笑った。

「子供にね、もらったんですって」

 

「子供に?

 

花どころか、ますます無縁の産物だ。

 

「どうして斉藤が」

「知り合いなんだそうですよ、私の」

 

「解らんなぁ」

 

沖田は土方を困らせたいように、微妙な言い回しをする。

 

「降参だ」

 

沖田が珍しく、口元だけで笑う。

 

「お小夜坊が、私にって斉藤さんにくれたのだそうです」

「そのお小夜坊というのがお前ぇの知り合いなのか」

「ええ、壬生寺で時々遊んでました」

 

そういえば、沖田は鬼ごっこだの隠れんぼだの、良く子供等と遊んでいたものだ。もう、ずっと昔から変わらぬ光景のように見えて、何も気にしていなかった。しかし、改めて考えてみれば、『壬生浪』とも言われた余所者を、よくも子供等は受け入れたものだ。沖田に限らず、(いや、沖田のお陰か)新選組の強面を怖がらぬ壬生の子供等はなかなか度胸がある。それにしても、よりによって無愛想な斉藤を選ぶとは・・。

 

 

「斉藤さんはね、子供達とはちょっと顔見知りなんです」

「何でまた」

「私がね、斉藤さんが通り掛ったので声を掛けて、側に行ったら、子供達まで付いて来て」

「で、一緒になって遊んだのか」

 

どうにも絵が思い浮かばない。

 

「いやだな」

とうとう沖田がけらけらと笑い出し、咳き込んだ。

 

身体を内側に丸めた沖田の背中を、土方が摩ってやる。

「喋りすぎだし、笑いすぎだ。良い、続きは斉藤から聞いてやる」

咳をしながらも、沖田は首を振る。そしてようやく治まると、一呼吸する。

 

 

 

「かくれんぼ・・」

 

?

心配そうな土方の顔を覗き込むと、すました顔で続ける。

 

「お小夜坊は、小さいので、隠れたまんま寝てしまって・・それを見つけたのが斉藤さん」

土方は、まだ喋るのかと思いながらも、沖田の話に耳を傾けてやる。

「それで・・蚊に食われたら可哀相だ、って。斉藤さんが、抱えて来たんです」

 

「ほほう」

あの斉藤が。

 

「その後、私に預けようとしたけれど、お小夜坊がしっかり袖を握っていたので・・そのまま家まで連れて行ってもらいました」

 

 

 

子供達が先導し、沖田と、小さな童女を抱えた斉藤。

不思議な隊列が村の路地を行く。

斉藤は困った顔を幾分かしながらも、子供の体温の確かさと優しさに、穏やかな心を久しぶりに味わったのかもしれない。

 

 

 

「だが、それは」

 

そこまで言って土方は口をつぐむ。

 

 

 

池田屋という事件は、長州の敵役という役どころを決定的なものにしてしまった。

侍とて老中から果ては浪士まで、位も違えば意地も違う。どんな事をしても、という者がこのすぐ側まで迫って来ても不思議はない。

腕の立つ新選組の隊士ではなく、それに繋がる者に眼をつける・・そんな事もするだろう。

 

 

 

そんな事を考えるのは自分ばかりのような気はする。

そして、殊更、沖田に言わずとも良いようにも思える。

 

 

しかし、隊士の中には、同じように感じている者もあっても不思議ではない。

 

 

 

 

 

気付けば、白い菊の花は少し散り、折れている。

 

それは、斉藤と童女との、花のやり取りの名残りではないか。

 

 

余計な事をするなと投げ捨てる。

斉藤は、子供が泣いて帰った後にそっと拾う。

 

散ったが故に、折れたが故に強く香る。

 

 

それを胸に感じて、沖田が軽い咳をする・・。

 

 

 

 

 

「辛くねぇか?

 

「いいえ」

 

沖田は短く答え、疲れたので、と布団に横になる。

 

「無理はするな」

 

 

 

 

沖田も斉藤もまだ若い。

もっと浮かれ立っても良い年頃だというのに、人の気持ちを読む。

 

僅かに出ている指先に触れてやりたいと思う。が、替わりに、布団の丸みを撫でてやる。撫でながら、その仄かに伝わる体温にほっとする。

 

 

 

 

 

沖田の部屋を出て、後ろ手に障子を閉める。

見上げれば、丸い月が冴え冴えとして美しい。

 

我ながら、随分と可愛らしい妄想をするものだと苦笑して、それもこれも、あまりに月が美しいからだ、とこじつける。

 

雲でもあれば絵になるものを、今夜の月夜にはおぼろにもない。

しかし雲がまた掛かれば、せっかくの月が、と思いもするのだろう・・。

 

 

 

だいぶ冷たくなった空気に、土方がくしゃみをする。

 

部屋の中の沖田が、くすりと笑ったような気がした。

 

 

 

                         終

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『月野原』、白菊様より頂戴致しました。
御邸の5000HIT記念の「お題募集」にて、自分じゃ決して書かないであろう、
『翳る月』と出題した所、ビターチョコのような大人テイストの素敵なお話を書いて頂きました(^^)
武士(もののふ)らしい、ビシッとした総ちゃん、斎藤さん、土方さん、素敵です(≧▽≦)
白菊様、本当にありがとうございましたvv
これからも、宜しくお付き合い下さいませ(^^)
『月野原』様は、残念ながら閉鎖されました。

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