後宴
柚木様より拝領
「祭り?」斎藤は僅かに眉を顰めて枕元の小さな顔を睨み付けた。
それは話の内容よりも無造作に夜具から手を出している想い人に向けられたも
のだった。
ほっそりとした手を出して斎藤の袖を引いて話すさまは愛しいとは思うが、熱
のある身を思えばあまり感心できたことではない。
あっさりと手をつかんで掛け布団の下に押し込めば不満そうな顔で見返して来る。
「熱があるんだからおとなしく寝てろ」
「してますよ。ねえ、それよりも祭りの場所知ってますか?」
「……おまえな」
喜怒哀楽の乏しい斎藤が、希にしか見せない怒りをあらわにしても無邪気に話
しかけてくるのだからたまらない。
斎藤はあきらめようにため息をついた。
「知らない」
「すぐ近くに小さな社があるんです。小さいけれど、とても綺麗に手入れされている」
そう言って方向を示すために出された腕を再び斎藤が拘束した。
「出すなと言っている」
「……すみません」
びくりと身体を震わせた総司は少しばかり悄気た様子で謝った。
「――それで、その祭りがどうした?」
我ながら己の甘さにうんざりしながら、斎藤は話を戻してやった。
途端に総司は華が零れるように笑う。
「今夜なんですよ、お祭り」
途端に斎藤は眉間に皺を寄せた。
「だめだぞ」
低く呟いて、額の手拭いを取り上げた。すぐに温まってしまうそれを、冷たい水
につけて固く絞る。斎藤は先程から飽く事なくその動作を繰り返している。
こんな時、いつも総司の世話をする土方は近藤の御供で朝からいない。井上も昼
の巡回でいないので自然斎藤が世話をすることになった。
そもそも熱があることに気付いたのは本人よりも斎藤の方が先だった。
縁側で刀の手入れを念入りにしていた斎藤に、やはり非番で暇を持て余していた
総司が外にでかけましょうと誘ってきたのだ。
いやにはしゃいだふうな総司を不審に思った斎藤は、すぐさまそれが熱のためと
思い立った。
有無を言わせず額の熱を測ればそれ以上会話する必要はない。
引きずるように自室に戻し、強制的に床につかせた。
それから一気に上がった熱は、今もこうして下がらぬままにある。
「でも、今夜だけなんですよ」
「だめと言ったらだめだ」
己の意思に反して惰弱な身体を持て余している本人は、至って気にするふうもな
く頓着なく動こうとする。加えていつものうるさいお目付け役がいないとあっては、
落ち着かないのも無理はない。
斎藤はいくら総司が祭りだと駄々をこねようと、許すつもりは更々なかった。
手強い相手と見たのか、総司は考え込むようにしばし黙り込んだ。
「だめなものはだめだ」
斎藤のにべも無い態度に総司は唸る。
「…でも、まだ外は暖かいし」
「冷える」
「ちょっとだけなら大丈夫だと思うんだけど…」
「だめだ」
「斎藤さん、ってば」
小さく頬を膨らませて抗議されても、斎藤の表情はぴくりとも動かない。
「少しは黙ってろ」
やれやれとため息をついて額に手をやれば、先ほどよりも確実に高くなっている
熱に斎藤の表情が僅かに動いた。
「……上がったな」
総司は首を振って、小さな抵抗を試みるが斎藤にそれは効かない。
「副長が帰ってくるのは…明日の昼だが」
ため息と共に吐き出したそれを、総司は不思議そうに聞いている。
「それまでに下がれば、熱が上がったことを黙ってやってもいいぞ」
「本当ですか?」
途端に笑顔を浮かべるさまに斎藤は苦笑する。
熱があると知ったら、あの男のことだ。
まずは不機嫌な顔でねちねちと説教が始まるのだろう。
――昨日薄着をしていただろう?
――髪を乾かさないでうろうろしているからだ。
――飯をちゃんと食っていないな?
――好き嫌いをしているから、身体がまいっちまうんだ。
思いつくだけのことを上げてみて、まさにその通りだと斎藤は納得してしまう。
その沈黙をどう受け取ったのか、疑わしげな目で総司は斎藤を見る。
「斎藤さん…本当に言わない?」
「あたりまえだ。俺は、嘘は言わない。面倒だからな」
「斎藤さんらしい」
総司は笑った。
「だったら、本当にうれしいけど…」
「けど?」
「……熱、下がるかなあ」
その声が少し小さい。
めずらしくもらす心細さの欠片を宥めるように、斎藤は笑んだ。
「下がるさ。大人しくしていればな」
斎藤は新しく絞った手拭を置いてやって、肩を軽く叩いた。
そのまま返す腕を組んで「しかし」と斎藤は内心唸った。
普段、無理なわがままなど決して口にしないのに、己の身体に関することにな
ると、無茶とも言えるほどに総司は駄々を捏ねる。
それは昔から変わらない。
恐らくは己の惰弱な身体を認めたくない心根がそうさせているのであろうが、
最近その頻度が増えてきているように思う。
それだけ床に就くことが多くなっているということであり、また当人の焦りが
強くなってきているということでもあるのだ――それを思うと斎藤の表情も曇る。
「どうしたんですか? なんだか難しい顔して」
その気配を機敏に察し、総司は不安そうな顔を向けてきた。
斎藤は小さく笑って、思っていたことと別のことを口に出す。
「――昔を思い出してた」
「……昔?」
「試衛館に俺が初めて尋ねた時、やっぱりあんたはこんなふうに熱を出していた
だろう?」
一瞬の間の後、総司は膨れた。
「そうでもない」
「嘘つけ」
「嘘じゃない」
「あの時も確か祭りがあって、行きたがっていたな。熱なんかないって駄々こねて」
「……よく覚えてますね」
「俺は記憶力がいい」
斎藤はしれっと言い放つ。
「随分昔のことに思えるが…」
「昔ですよ」
「それにしてはあんたはあまりかわってないように思うが?」
「……斎藤さんも昔から意地が悪かった」
「それは認めてやる」
斎藤は重々しく頷いた。
「――総司」
薬のせいでまどろんだ顔の総司は、斎藤の呼びかけに重たい瞼をふいとあげた。
「少し眠ってろ。目が覚める頃にはきっと熱も下がってる」
「…はい」
答える声は半ば眠りに浸かっており、斎藤が瞼に手をかざしてやると引き込ま
れるように眠りに落ちた。
(変わってない…)
その瞼も唇も、あの頃となにひとつ変わってなどいない。
斎藤はため息をついて、外の音に耳を傾けた。
今日はもう稽古も終わり、これといって病人の眠りを妨げるものはないだろう。
聞こえてくるとすれば、それは巡察から戻るものの音と、酒を飲んであげる笑
い声くらいなものだ。
それなのに、不思議と斎藤の耳には聞こえるはずもない祭りの賑やかな声が聞
こえてくるようだった。
華やかなあの音が、ひどく寂しくせつない音に聞こえる。
(行けない祭りほど、あの音が耳障りなことはあるまい……)
せめてその音がこの小さな耳にまで届かぬようにと斎藤は願った。
どうしてこの男はこう、気配をなくして近づくのか。斎藤は小さくため息をついて、戸を開けたまま苦い顔をしている男に目で挨拶
をする。
盛大に顰められた顔も、端整な顔にはなんら影響をおよばさないようで、斎藤
は妙な感心をしながら立ち上がった。
「おかえりですか」
「今し方な」
低い声に籠められたおもいがなんなのか、斎藤はふむと頷いて気付かないふり
をした。
黙っていると約束した総司には気の毒だが、予定より早く帰ってきてしまった
のだ――致し方あるまい。
「どうぞ」
土方は黙って頷き、音も立てずに足を踏み入れた。
「随分早いお帰りですが」
「くだらない手順を無視したからな」
「どうりで」
苦労したであろう近藤を思い、斎藤は気の毒に思った。
「――どうなんだ」
「なにが、ですか」
「斎藤」
土方は苦い顔をする。
何を聞かれているかわかっていて、意地悪く聞き返していることに、この頭の
いい男はとうに気付いている。
ついついこの男が相手だと、自分も子供じみた態度を取る傾向がある――斎藤
は内心苦笑した。
「沖田さんの様子ですか?」
「聞くな、いちいち」
斎藤は澄ました顔のまま「失礼しました」と呟く。
「――で?」
「昼頃からあがりました」
「熱か」
斎藤は静かに頷いた。
「だいぶ下がったようですので、朝には落ち着くかと」
「ならばいい」
安堵の息をつく土方はふいと立ち上がった。
「――どこへ?」
「部屋に戻る」
「いいのですか?」
斎藤はらしくもなく声を上げて驚いた。
そもそもこの男は、例え医者に大丈夫だと言われようが、自分の手で確認しな
いと納得しない質(たち)なのだ。
それが自分の言葉ひとつで、あっさりと自室に戻ろうとするなど常ならば考え
られぬ。
土方は唇を歪ませて笑んだ。
「おまえが言うならば大丈夫なのだろう?」
「――っ」
完全な不意打ちだった。
詰まったまま答えられない斎藤に、土方は涼しい顔のまま「じゃあな」と軽く
手を上げた。
「――副長!」
「静かにしろよ。総司が、目え覚ますだろうが」
土方はそこでようやく小さく笑って、じゃあな、ともう一度手を上げて背を向
けた。
カタン、と閉じられた戸の向こうの、すっきりと伸ばされた背を思い、斎藤は
唸った。
上げられた手に、やたら派手な飴菓子が握られていたのを、斎藤は確かに見た。
(……やられた)
斎藤は長いこと低く唸って、座り込んだ。
恐らくは早く仕事を切り上げて、しかも祭りの菓子まで土産に持参したあの男
の、なにもかも見透かしたような笑みに斎藤は顔を顰める。
すっかり遊ばれた形に大いに気分を害して、目の前の何も知らずに眠る想い人
をねめつけた。
(こいつに関わるとろくなことがない…)
滅多に表さぬ感情の大部分を、もしかしたら自分はここで費やしてしまうので
はないかと、近頃斎藤は思う。
長生きする気なぞ毛頭ないが、もし生きているとしたら、きっと自分は晩年無
口になる。
「それもこれも…」
おまえのせいだ、と毒づいて斎藤は眠り続ける想い人の布団の端を叩いた。
「総司」
眉を顰めて、しかしすぐさま斎藤は思いついたように手を伸ばした。
細い首筋は未だ熱を持っていて、斎藤の掌に伝わる鼓動も早い。
斎藤は宥めるように触れ、導かれるようにその色づいた首筋に口付けを落とし
た。
「――総司」
なぜか甘い香りのするそれは、熱の為かしっとりしていて離れがたい心地よさ
がある。
斎藤は、酔いしれたように顎まで辿り、時間をかけて丹念に吸い上げた。
首筋に戻って再度きつく吸い上げたそれは、小さいけれど確かに己のつけた印
だった。
「……ん」
眠っていても、強いそれは痛むのか、総司は僅かに身じろいだ。
「――っ」
途端にふわりと香る甘さに斎藤は我に返り、慌てて唇を離した。
――斎藤さん、祭りに行きましょうよ。
そんなふうに強請った仕草を思い出して、斎藤はゆるゆると吐き出せるだけの息を吐き出した。
痛む胸に、どうしようもない苛立ちが加わる。
(――これこそ、後の祭りってやつだな)
斎藤は痛いぐらいに唇を噛み締めて、静かに息を吐き出した。
――あるいはそれは、吐き出す事のできない想いだったのかもしれない。
了
―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ―― ――
『ゆずりんごの木』、柚木様より頂戴致しました。
御邸のキリ番の1つ前を踏み、涙ながらに愚痴を零した所、快く(推定)書いて頂きました(^^)v
総ちゃんの病弱ぶりも良い仕事なら、斎藤さん、土方さんの溢れる愛にも撃沈です!!
土方さんの、『美味しい所攫いっぷり』は、見事としか言いようがありません(≧▽≦)
柚木様、本当にありがとうございましたvv
これからも、宜しくお付き合い下さいませ(^^)
『ゆずりんごの木』様は此方から
宝石箱へ