「・・よう、総司」

道庵は、軽く片手を上げ、微笑んだ。

「今日は上天気になったな」

そのまま、ドカリと座り込む。

空は、どこまでも青く高く、澄み渡っていた。

木立の奥から聞こえる小鳥の囀(さえず)りが、時折、静寂を打ち破る。


「昨日、上石原に行ってきた」

持ち込んだ風呂敷包みを開きながら、道庵は笑った。

「・・安心しな。ツネさんも、瓊ちゃんも元気だったよ」

大きな重箱から、出来立ての大福を、二つ三つ取り出す。

「徳さんのお手製だ。良い小豆が手に入ったとかで、張り切って作っていたぜ」

大福を並べながら、小さく笑う。

「・・すっかり腕を上げちまって、菓子屋顔負けだよ」

竹筒に入れた茶を、小さな茶碗に注ぐ。

「大福なら、やっぱり茶だろうと、言いやがってな」

苦笑した道庵の頬を、優しい風が撫でた。


暫し、他愛も無い話をする。

ついつい、昔話に花が咲くのは、戻る事の出来ぬ、感傷ゆえか――。

「・・さて、そろそろ行くよ」

道庵は腰を上げた。

空はまだ青いが、棚引く細雲が、ほんのりと茜に染まり始めている。

白色に、茜を抱く青空の妙に、道庵は目を細めた。

あの日、あの刻も、似たような景色だった。


ゆっくりと視線を下げた。

「・・漸く手配がついた。明日、出立する」

道庵は、静かに笑った。

「お前さんのこった、どうせ、何の『知らせ』もしちゃあ、いねぇんだろ?」

まだ新しい、小さな墓石を、大きな手がそっと撫でる。

「俺と一緒に来い」

触れた手を軽く握り締め、そっと胸元に押し当てた。

「少しばかり遠い道のりだからな・・・、道草喰わずに、付いて来いよ?」



墓所を抜けた所で、墨染めの住持に行き逢った。

「これは道庵先生」

二人、深々と辞儀をする。

「いつも、世話を掛けます」

「なんの、これも拙僧の勤めゆえ」

微笑む老僧に、道庵は、件の風呂敷包みを差し出した。

「うちの徳治が拵えました。大福です」

「これは有難い。徳治さんの拵えものは絶品ですからな」

口元を綻ばせた和尚は、手を合わせてから風呂敷包みを受け取った。

「茶を進ぜましょう。どうぞ中へ・・」

「折角ですが」

道庵は、申し訳なさそうな貌をした。

「明日、旅に出ますので、支度に戻らねばなりません」

「左様で御座いますか。・・どちらまで?」

道庵は、口元を薄く引いた。

「蝦夷へ」

一瞬、息を飲んだ和尚もまた、すぐに微笑を取り戻した。


「・・江戸も、東京(とうけい)なぞと、つまらぬ名になりましたな」

伝法な和尚の口に、道庵も、笑って頷いた。

「錦切(きんぎ)れの、野暮の極みですな」

「まことに」

和尚は、真摯な目を向けた。

「・・どうか、お気を付けて」

道庵は、ゆっくりと頭を下げた。

「次の月命日までには戻ります。宜しくお願い致します」

和尚は、黙って顎を引き、そっと手を合わせた。



早足で進む道庵は、両の拳を、固く握り締めた。

転戦に継ぐ転戦で、とうとう蝦夷に渡ったと聞いたのは、晩秋――。

向こうは疾うに、雪が降り始めているだろう。

道庵は、一つ溜息を吐いた。

――報せは、届いているだろう。

立場上、感情を露にする事を堪えたであろう、あの男は、一体何処で、喪った者への悲しみを吐き出したのか――。

それを承知で、敢えて告げに行くのは、心の中の俤(おもかげ)を、再び喪わせる事となる。


「俺も、野暮だな」

道庵は、呟いた。

しかし、どうしても伝えねばならぬ。

あの、清らかな魂の持ち主が、あまりにも短い晩年を、どう過ごしたか。

最期の刻を、どう迎えたか――。

「・・なあ、総司?」

拳の力を緩め、胸元に寄せる。

「野暮でも何でも、俺が行かなきゃ、仕方ねえだろ?」

揺らぐ視界に、慌てて目を瞬かせ、それから、ドンと胸を叩いた。

「蝦夷は海の向こうだ。ちゃんと付いてくるんだぜ?」


――明治元年十月三十日、夕刻、東京――




2005.5.30


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