座敷の賑やかさを遠くに聞きながら、宗次郎は、心地良い眠りについていた。明るい騒ぎの中には、数部屋先からの、井上の大鼾も調子良く混ざっている。
試衛館を塒(ねぐら)と定めた食客連中は、どれも皆、酒豪揃いである。
年明けの朝から始まった酒盛りは、日付が変わった二日の今日も続き、夜を迎えて益々盛んである。
酒に強くは無い宗次郎と、泥酔した井上は早々に部屋に引き取ったが、この様子だと、酒宴はまだまだ続くだろう。
ヒヤリと、冷たい空気が微かに頬を撫でたと感じた瞬間、宗次郎は、大きな掌に口を塞がれた。「・・・・・・っ」
無言のまま布団に覆いかぶさった掌の主は、力の限り振り上げた細腕を難無く掴み取った。
宗次郎は、華奢な身を鋭く硬直させながら、必死の思いで闇に目を凝らしたが、その力の強さや、布団越しに感じる体躯で漸(ようよ)う男と知れるばかりで、物言わぬその容貌は、はきとしない。
必死にもがく耳元に、
「・・・俺だ」
聞き慣れた低音が、優しく響いた。
闇の朧に、見慣れた端正な貌が浮かぶ。強張りを解いた口元から、覆っていた掌が、ゆっくりと外され頬を包む。
「宗次郎・・・、俺だ」
宗次郎は、肩を喘がせながら大きく息を吐いた。
「・・・ひ・・・じかたさん」
闇の気配が、静かに笑った。
「お前が、気配に目覚めぬとは、珍しいな」
熱でもあるのかと、頬を包んでいた手が額に当てられる。
まだ震えの止まらぬ額に、暖かな大きな手が、次いで額が、最後に唇がそっと当てられた。
「熱はないな。酒でも呑んだのか?」
「お屠蘇を、少しだけ・・・」
「屠蘇に、酔ったか」
土方は、苦笑した。
奥からは、賑やかな声と、豪快な鼾が聞こえる。「連中、正月を良い事に、呑みっ放しなんだろう?」
「・・・はい」
宗次郎は、笑った。
「源さんと私は解放されましたが、若先生は、まだご一緒です」
「近藤さんも、物好きだな」
宗次郎は、首を傾げた。座敷の賑やかさに、土方の来訪を驚く声は無かった。
疑問をぶつけられた土方は、事も無げに応えた。
「庭から直接ここへ入った」
「直接・・・?」
雨戸を繰る音は、聞こえなかった。
古い廊下の軋む音も、障子を開ける音もしなかった。
「当たり前だ」
土方は、笑った。
「夜這うに、音など立てて気付かれちゃ、意味がねぇだろ?」
「夜這う・・・」
「今日は二日だ」
「・・・・・・?」
宗次郎の耳元に、甘い声が響いた。
「姫始め」
宗次郎は、絶句した。いくら初心な宗次郎でも、『姫始め』の意味くらい分かる。
「お前とこうなって、初めての事だからな」
「土方さん・・・」
「いやか?」
訊いた時には、帯に手を掛けている。
宗次郎は、戸惑った。
いやではない。
いやと言えば、土方が何もしない事も分かっている。
しかし、師走の中頃に日野へ帰り、それきり、年の明けた今日まで戻らなかった土方である。酒宴に付き合う近藤は、酒に強い訳では無い。
賑やかなのを楽しんで、酔わずにしっかりしているはずである。
「若先生に、会わなくていいのですか?」
「挨拶は、明日すればいい」
「でも・・・」
「お前に、一番に会いたかった」
闇に光を放つような白い貌が、淡く染まった。
「・・・いやか?」
応えを待たずに、夜着を剥(は)ぐ。
「待って下さい」上擦った声に、今にも喰らいつきそうなのを、何とか堪える。
「・・・何だ?」
土方の首に、細い手がまわされた。
ふわりと、優しい匂いが土方を包み、腕の愛しい気配が、照れたように言祝(ことほ)いだ。
「明けまして、おめでとうございます」
了
2007. 1.2
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