映画「暗殺の森」や「地獄の黙示録」を撮ったヴィットリオ・ストラーロは「撮影とは、光で書くことだ」と言う。 また、タルコフスキーは「映画は光の彫刻だ」と言った。 越智 光彦。 カメラマン。日焼けした薄褐色の肌に憂いのある大きな目、濃いひげ面の顔には、メキシコのコロナ・ビールがよく似合う。実家はタバコ屋。嘘か真か、物心付いた頃から売り上げに協力をしていたとおどけて言う。 全裸のレノンがベッドの上で膝を折り曲げ、ヨーコに寄り添う有名なポートレート(この作品は、雑誌”ローリング・ストーン”のベストNO.1表紙に選ばれている。)を撮った女性写真家のアニー・リボヴィッツを尊敬する彼は、奥様相手に同じポーズで写真を撮影したり、科学的に(と言っても、最新の医療技術や薬を使った訳ではない。)長女を産み分けたという話などは腹を抱えて笑ってしまった。本当にこの話はおもしろく、彼に会ったらぜひ伺ってみるといい。 家族を撮った写真を照れながら私に見せた時、とても愛妻家で、子煩悩である彼の人柄が反映されて、どれもイイ写真だった。彼はまた、勤勉家である。常にノートを持ち歩き、メモすることを怠らない。 実際、私なども歳をとってくると物忘れはひどくなる、メモをしないとなかなか憶えられぬ事も多々ある。例えば、映画「トリコロール」を撮った監督のクシシュトフ・キェシロフスキや「灰とダイヤモンド」の主演男優のスビグニエフ・チブルスキーなど、早口言葉のような名は何度も何度も書いて覚えたものである。(余談) 以前、知人の写真展に足を運んだ時、バッタリ彼と会った。お互いビックリして軽くおしゃべりをして別れ、次に私は別の場所で催されていた”ブラッサイ展”に向かった。感動を覚えながら一通り観覧し、帰ろうとした時、何やら熱心にメモを取る彼の姿が、ここにもあったのを記憶している。 もうすぐ「空気」と題した写真展を仲間三人で開く。今回は、最近個人的によく撮っている”石像”を中心に出展すると言う。「とうとう、土門 拳さんの域まできましたか?」と尋ねると、「めっそうもないですよっ!」とすかさず真顔で謙遜をする。しかし、この男、何かしでかしそうな気もしないではない。 この世に生を受け、命名された時から、ずっと”光”と一身同体で育っているのだから。
作品展「空気」3/23(木)〜28(火) ”Gallery Anfangen ”世田谷区喜多見 9−2−18 B1
06.04(改訂) (け) |