add 9th 列伝

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…add 9th に集う人々をご紹介する連載企画…

  「add 9th 列伝 十二」

映画「暗殺の森」や「地獄の黙示録」を撮ったヴィットリオ・ストラーロは「撮影とは、光で書くことだ」と言う。
また、タルコフスキーは「映画は光の彫刻だ」と言った。
 越智 光彦。 カメラマン。日焼けした薄褐色の肌に憂いのある大きな目、濃いひげ面の顔には、メキシコのコロナ・ビールがよく似合う。実家はタバコ屋。嘘か真か、物心付いた頃から売り上げに協力をしていたとおどけて言う。
全裸のレノンがベッドの上で膝を折り曲げ、ヨーコに寄り添う有名なポートレート(この作品は、雑誌”ローリング・ストーン”のベストNO.1表紙に選ばれている。)を撮った女性写真家のアニー・リボヴィッツを尊敬する彼は、奥様相手に同じポーズで写真を撮影したり、科学的に(と言っても、最新の医療技術や薬を使った訳ではない。)長女を産み分けたという話などは腹を抱えて笑ってしまった。本当にこの話はおもしろく、彼に会ったらぜひ伺ってみるといい。
家族を撮った写真を照れながら私に見せた時、とても愛妻家で、子煩悩である彼の人柄が反映されて、どれもイイ写真だった。彼はまた、勤勉家である。常にノートを持ち歩き、メモすることを怠らない。
実際、私なども歳をとってくると物忘れはひどくなる、メモをしないとなかなか憶えられぬ事も多々ある。例えば、映画「トリコロール」を撮った監督のクシシュトフ・キェシロフスキや「灰とダイヤモンド」の主演男優のスビグニエフ・チブルスキーなど、早口言葉のような名は何度も何度も書いて覚えたものである。(余談) 
以前、知人の写真展に足を運んだ時、バッタリ彼と会った。お互いビックリして軽くおしゃべりをして別れ、次に私は別の場所で催されていた”ブラッサイ展”に向かった。感動を覚えながら一通り観覧し、帰ろうとした時、何やら熱心にメモを取る彼の姿が、ここにもあったのを記憶している。
 もうすぐ「空気」と題した写真展を仲間三人で開く。今回は、最近個人的によく撮っている”石像”を中心に出展すると言う。「とうとう、土門 拳さんの域まできましたか?」と尋ねると、「めっそうもないですよっ!」とすかさず真顔で謙遜をする。しかし、この男、何かしでかしそうな気もしないではない。
この世に生を受け、命名された時から、ずっと”光”と一身同体で育っているのだから。 

 作品展「空気」3/23(木)〜28(火) ”Gallery Anfangen ”世田谷区喜多見 9−2−18 B1

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 15:44


  「add 9th 列伝 十一」

私は携帯電話を持っていない。街に公衆電話が減りつつある昨今、多少の不便を感じるが、よほどの緊急時以外、特に必要はない。一分一秒を争う仕事をしている訳でもなし、常に誰かとコミュニケーションを取っていないと不安になるような性質でもなし・・・。何と言おうか、「雨が降れば雨宿り、風が吹けば一休み。」
せわしない事、興味のない事、物に対してはとことん欲が湧かないのである。但し、必要な事、物に対してはとことん貪欲なところは、きっと、この男もそうであろう。
 永田 直之。シンガーソングライター兼ピアニスト。好みの煙草は”エコー”。帽子と一体化した独特のファッションセンス。携帯電話は持っていない。ハリのあるよく響く声を聴いていると、黒人の役者の吹き替えが出来そうだ。
そんな彼はよく、「三位一体」という言葉を口にする。「演奏者、お客、店側が共に楽しく、その場を共有しないと意味がない」とも言う。つまり、その為には日々しっかり練習に励み、より多くの人に来て頂く努力も惜しまず、いらした方が喜んでくれるライヴを展開し、そして店側にも潤ってほしいという事なのだろう。
実際、彼のライヴはとても楽しく、聴いている者を魅了する。そして、盛況である。
以前、地元、名古屋でライヴ・ハウスを経営していた経験があり、また誰よりも大変さを知っているからこその言葉である。特別ライヴ告知もせず、お客の入りは店まかせ、おまけにモチベーションの低い演奏をダラダラとなさるヤカラ共には、彼の爪の垢でも飲ませてやりたくなる。
また、彼はマメによく足を運んでくれる。そういう人間には私も弱い。空きがあると、つい「ライヴ演りましょうよ」と声をかけてしまう。それを知ってか知らぬか判らぬが、その時点で大方、次のライヴの構想がすでに彼の中で練られている。ソツの無い、しっかり者である。それだけに、こういう人間と共同作業をする時、実に煩わしさが無い。基本的にとても真面目で堅実な方なのだろう。そういえば彼の両手の親指と人差し指の間には、練習のし過ぎでボコッと筋肉が盛り上がって付いているのを観た事がある。
先日いらした時、おもしろい事を言っていた。「青山でも、六本木でも金を出せば、いつでもライヴは出来るんだよ。だけど、アドナインスは金を出しても出来ない奴は出来ない場所なんだぜ!」と。 
”プレッシャーを”自信”に換える術をこの人は持っているのかもしれない。
次回のライヴが楽しみだ。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 15:42


  「add 9th 列伝 十」

能登石川には以前、私がまだ声優をしていた頃、映像作家であり、総合プロデューサーの 長谷川 章氏が主宰するコプメ企画の”ラピュタピア・スタジオ”に、十日に一度は足を運んでいた。
CMのナレーション録りが主であったが、仕事の後、決まって美味なる海のサチと大吟醸をたらふくご相伴に預かった大変光栄な懐かしい思い出がある。
 中山 智之。石川県生まれ。兄と双子の姉がいる。十九歳でミュージシャンを目指し上京。
まもなくうちの店に初めて顔をだす。姿勢が良く、広い肩幅に直線的な眼差しが負けず嫌いの性格を物語っていた。
くせっ毛のせいか、リーゼントの髪型は横から見ると、まるで航空母艦の滑走路の様でとてもおかしかったが、笑顔はすこぶる好かった。ちょうど当時の従業員が学業の方で忙しくなり、店を辞める話をしていた頃で、私はこの青年に「お前さん、うちでアルバイトやんないか?」と尋ねてみた。彼は即座に「ハイッ」と気持ちよく答えてくれ、以後約七年に渡り店を、私をおおいに助けていただいた。縁とはこういうものなのかも知れない。
調理師免許を持っており、バーテンダーの経験も有った彼に、店のシステム以外、私は何も教えることは無かった。
混んだ時でも焦ることなく、表は二人で充分にこなせた。とりわけ氷をステアーする時の彼の指は、とても美しい。
お客にもミュージシャンにもウケが良く、皆なにかわいがられていたその彼も、今はもう居ない。
「本格的に音楽家を目指す」と、昨年の三月末でおしまれつつも店を後にした。今でも時々顔を出してくれるが、相変わらずのイイ笑顔で礼儀正しく、素直さも失っていない。良きご両親に育てられたのは勿論、「美味しいものを、いっぱい食べてきやがったな」っと一瞬、微笑ましい嫉妬心が湧いた。
この男に”危うさ”が加わった時、大物になれる気がする。
「夢にわがままに」 ガンバレ・ナカヤマ、そして、今まで「ありがとう」。
 その後、今年の三月吉日に彼はご結婚なされ、素敵な奥さんと幸せに暮らしている。
 
06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 15:40


  「add 9th 列伝 九」

1980年。私は通っていた セツ・モード・セミナーの美術科を無事卒業し、研究科に進んでいた。
やっとの思いで取り付けたダイヤル式の黒電話と、友人に貰った14インチの白黒テレビ、寄せ集めのコンポにフォーク・ギター。それと少しばかりの画材道具に、クレイジーだけど憎めない友人に囲まれ、夢に向かって生きていた。
勿論、金は無い。せっせとアルバイトもしたが、生活費と、ほとんどが二本立ての映画鑑賞費と古本代に消えた。
ちなみにこの年のアカデミー作品賞は、ロバート・レッドフォード監督、「普通の人々」。
ライ・クーダーの乾いたBGMが流れ、ウォーレン・オーツが登場するパイオニア ”ロンサム・カーボーイ”のCMが懐かしい・・・。
 サラリーマン・ 河田 竜太郎。通称”竜ちゃん”。この年に産声をあげる。
まだあどけなさの残る若い頃のキース・リチャーズを彷彿させるマスクに、均整のとれた細身の体形。
映画に詳しく、読書家でもある。ことスポーツに関しては評論家並みの知識を持つ。
凝り性のところがあり、”もんじゃ焼き”が食べたくなると一週間通い続ける。住まいを今の所に引っ越す前は、ウチの店にも毎日のように来てくれた。 品の良いスーツに趣味の良いネクタイ。酒がまわってくると、上着を脱ぎ、タイを緩め、袖をまくる。その後また少し乱暴にタイを抜き、シャツの釦をいやらしくない程度に外す。まるでおまじないでもあるかのように同じパターンのしぐさをいつも目にする。その姿は映画「サムライ」の孤独な殺し屋”ジェフ”が外出する際、必ず目深に被ったソフトのフチに手をやり微妙な手つきで形を直すしぐさに通ずるものがあるかも知れない。
そういえば彼も自らを多く語らない。店が混んできてもマイペースで静かに何処か遠くを見つめる眼差しで酒を飲んでいる。自分の世界を持つ男特有の生活感の無い匂いがする。
以前、プロの写真家と二人で南仏を旅した事もあると懐かしく語る。「一眼レフ、買おうかな」とボソッと呟く言葉の
裏には、また新しい自分を発見しようとしているのかも知れない。
何年か後の彼の面変わりが楽しみである。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 15:39


  「add 9th 列伝 八」

初めて会ったのは、冷たい木枯らしの吹く、新宿は西口交番前。
音楽雑誌を通じて、私が出したバンドのメンバー募集の記事に、早速連絡をくれたのが、今回登場のこの男。
 加藤 則和。人は皆、彼のことを「寅」と呼ぶ。
彼の唄には独特の”あじ”が有り、ギターも上手かった。何より飾らぬ人柄と少しの照れが入った素朴さに惹かれた。
初練習もそこそこに引き上げ、暖を取ろうと安酒場の暖簾をくぐった。この時、音楽の話もさることながら、坂口安吾や中上 健次、壇 一雄など文学の話で盛り上がったのを鮮明に記憶している。
明治の山岳部で鍛えた体躯とは裏腹に、彼は無類の文学青年であった。
その後、ブルーズ・ハープを加え都内のライブハウスでけっこう活動をした。練習はもっぱらビルの谷間や公園。雨の日は知り合いの酒屋の倉庫だった。電気を必要としない構成だったので、スタジオに費やす金は酒に、そして気分がのってくると、そのまま街中に出て街頭ライブを行った。鉄道公安員からおまわりさん、酔っ払いおやじに浮浪者ラリパッパ、恐いお兄さんなどから文句を言われ脅されながらも、その日の飲み代はしっかり稼いでいたものだった。
ある日、演奏をしていると、いかにもスケベそうなハゲたおやじと若い女性のアベックが興味を持ってか、何曲か聴いてくれた。そして「あんちゃん、いいねぇー」と言って壱万円札をギターケースに入れてくれた事があった。
我々はビックリして、おもわず演奏を止め、立ち上がって「ありがとうございます!」と言った憶えもある。
勿論、その日はありがたく贅沢に飲ませて頂いた。
いつぞや何故そうなったか憶えていないが、「代々木公園で練習をしよう」ということになり、原宿駅で待ち合わせをした。私が先に着き奴を待っていると白ランニングにカーキの短パン、首には手ぬぐいを無造作に巻き、素足に草履、そしてギターを担いで、彼がシャレたいでたちの多い人込みを掻き分け歩いて来た。
その光景はまるで場所を間違えた、”カールおじさん”か、又は”山下 清”のようだった。奴のすばらしいところは、他人の眼や、他人に対しての詮索、噂に一切興味がないことだ。これは、実にすばらしい事である。
永遠の片恋男、”寅”にとっては、そんなことより新しい出会いを求めて生きる方が、生に在っているのかもしれない。突然またブラっとお店に現れる日も近いような気がする。「寅?!、久し振り、何してた?」 「俺かあ、恋をしてい
たのよ」なんて。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 15:37


  「add 9th 列伝 七」

「教養は教育ではなく、好奇心の賜物である。」必要なものには貪欲に、そして、探求し続ける男がいる。
 稲津 好太郎。 51歳。青山「TASTEVIN」の料理長を務める。
心の師匠は、秋山 徳三。「料理はロマンたい!」と熊本なまりで言い切る。
彼のラッキーカラーは”赤”だそうで、「今日の下着も赤や」と、にそっと笑う。最近ギターに凝っている彼は、為になる音源があると必ず手に入れ、コピーをしまくる。観たいLIVEには仕事場からスッ飛んで来る。
身を乗り出して、喰いいるように真剣に見つめる姿は、田沼 武能の写真で、紙芝居の「黄金バット」を目の前にした純真な子供達の顔とダブル。唄うことも好きで、もっぱらコインランドリーと、自転車をこぐ時に大声を出して練習をする。現にその姿を目撃した者も少なくない。話しに熱が入ると必ず立ち上がり、共感することがあると、「イェース」と言ってポンと机を叩く。新札が出た時、樋口 一葉を見て、「この人、誰?何する人?」と真面目に尋ねられたこともあった。実に素直で正直な男である。忙しい中、足を使い、己の舌にも投資し、新しい料理を考え、めいっぱい好きなことにも取り組む。「ギターを始めて、料理にも幅が出た。」と言う。
真剣に仕事をし、真剣に遊ぶことにより、今までには無かった”かくし味”を覚えたのだろう。 
運命は時に皮肉である。その昔、「お前には料理の才能は無い!」と叱られた彼が、今や一流の料理人として地位を確立しているのだ。常に前向きに、好奇心旺盛の彼だからこそ、なし得た結果であろう。
この男の居る周りには、明るい”陽の気”が充満している。司馬 遼太郎氏の言葉を借りれば、魅力ある”人たらし”であることはまちがいない。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 15:35


  「add 9th 列伝 六」

納豆に包丁を突きつけると、嘘か真か、人間と同じように冷や汗がたくさん出て、よく糸を引くと聞いたことがある。
落語に出てくるような咄だが、一方、噺家は背中にだけ汗をかく訓練をするという。暑くとも、話がすべったとしても、泰然自若と一流はオチまでもってゆく。確かに艶笑ものなど汗をかきかきやられては妙に気持ちが悪い。
 加納 亮平。 照明家。また”名仁遊亭萬念”という高座名も持つ。
由比 正雪ばりの長髪をまるで風車のように後ろでクルリとたばね、両切りの煙草を葉っぱが舌に絡まぬよう口をすぼめて上手く燻らす。自らを「灯火(あかり)屋」と称するその横顔に、ビジネスの成功に勝る喜びをいくつも知っている、職人として生きる意志の強さを感じた。豪快な飲みっぷりと二の腕の太さから、失礼ながら武骨な性格を当初想像したが、彼の事務所、兼住居は意外や、きちんと整理され、本棚には藤沢 周平の書がぎっしり、きれいに並んでいた。
そういえば、どんなに酔っ払ってもこの人は、帰り際に「ごっつぁん」と言い、さりげなく身の周りを片づけて席を立つ男である。
若い頃は、名脇役、”潮 健児”を師とする東映の役者。唐 十郎率いる状況劇場の舞台に立ったこともあると言う。
極貧時代の話や酒の席での失敗談、数々の武勇伝を身ぶり手振りを交えておもしろく話す。まさに自分を含む人間の滑稽さをうまく語れる人だ。豊富な経験といく度かの挫折を味わった者がなせる”粋”な技である。
初めから”粋”というのは、ニセ者で、苦労したり、汗をかいたり、ヒィーヒィー言ってから、その上に出てくるのが本物という気がする。ある種の”上澄み”であろう。
この男も見えないところで、いっぱい汗をかいてきたに違いない、と、ふと思った。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 01:00


  「add 9th 列伝 五」

年を取ることは老いることではない。人はポール・ニザンの嘆きではないが、20歳で早くも老いてしまうこともある。何よりも、この狛江市と音楽を愛し、サイド・カー付きのBMWを転がし風と戯れ、最近では夫人と共に世界一周の船旅を満喫して来た、中村 哲夫氏は77歳。
狛江市音楽連盟顧問。イズミ・スウィング・オーケストラのオーナーでもある。
狛江市の文化的発展は、氏の存在なくしては語ることは出来ない。「音楽のあふれる街」を合言葉に、イベント・ホールの設立や、音楽会の催しの為、いく度も市や一軒一軒の家に頭を下げ協力を請いに足を運ぶ男である。
先日、氏の喜寿のパーティーに招かれ出席した。その昔、満州から引き揚げて来られて現在までの歴史を、滑稽に、また時にしみじみと話す姿に苦労を苦労ともせず、逞しく生きぬいて来た男の姿があった。
「キャッ、キャッ、キャッ」と甲高い笑い声に屈託のない笑顔。ベレーを被りスカーフを巻いても、チェ・ゲバラや
「第三の男」のキャロウェイ少佐の様ではなく、どこかボーイスカウトを引率するオジサンOBを連想させてしまうところに、氏の飾らない人柄と温かさを感じた。
 向田 邦子の言葉を借りれば、 歌は3分間のドラマである。上手下手よりも、唄う人の生き様、大げさにいえば全人格がわかるのではないだろうか。洒落たレストランでお見合いをするよりも、何か一曲、唄ってもらうほうが、その人のすべてが判る。中村氏の「マイ ウェイ」を聴いていると、不思議とそんな気になった。はた目には、優雅に、そして ドン・キホーテの如く、見果てぬ壮大な夢を描いて突進し続ける彼もきっと、白鳥のように海面下では、必死に水を掻いてきたのだろう。「あたしゃーね、コレ止めませんよ、キャッ、キャッ、キャッ」とグラス片手にパイプをくわえる氏であった。

現在、氏は闘病中である。一日も早く良くなる事を願うのみだ。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 00:58


  「add 9th 列伝 四」

磯谷 智彦。 add9th bandのベーシスト。
かれこれ10年来の付き合いになるが、怒ったところを観た記憶が無い。
名作「カッコーの巣のうえで」のダニー・デ・ビトー演じるマルティニの様に、常にニコニコと微笑み、周りの空気を
緩和させ、なごませる。「論外の外」などと云う表現がもしあれば、「大の大酒飲み」。練習スタジオの冷蔵庫の酒が 空になるや、何処へともなく出ていったかと思うと、「おっ待ちー」と言ってビール1ケースを担いで帰って来たり、
ライヴ前日、酔っ払って商売道具の楽器を何処かに忘れ、当日朝から捜しまわりに奔走したり・・・。
ある野外ライヴの途中休憩で中華屋に入った時、軽い食事を摂りながら各々中生を2〜3杯流しこんだ後、紹興酒を4本空けたことがあった。会場に戻る際、後ろを振り向くと、この”磯やん”とドラムの”くら”が、まだ飲み足りないのか?!それぞれ手に酒瓶を持って歩いて来るではないか!!ちなみにこの時のライヴ・ビデオは凄まじい!不気味な程、
皆な眼は据わり、この世の物とは思えぬ妙な動きをしている。中でも”磯やん”は何やら奇声を発し、この上無い妖怪的動きであった。
翌日、彼から電話が入った。「俺、2ステージめ居たか?!」と・・・。演奏どうのでは無く、その場に居たかどうかも憶えていないのである・・・。ベース界の巨匠、櫻井 郁雄氏がまじまじと、私に言った事があった。「あのベースは凄いねー、圧巻だよ。あんな奴、観たことないよ!」と。
櫻井氏をも唸らせるこの”磯やん”、とてつもない男である。
真面目に”B”を”C♭”などとぬかす男。弾きずらいからとヴォーカル無視に勝手にキーを変える男。屋台の肉まんを布きんと勘違いし手を拭く男・・・。
「大物」とはこんな男を言うのかもしれない。そんな”磯やん”を皆な大好き!

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 00:56


  「add 9th 列伝 三」

伝説のバンド「クリーム」の名ドラマー、ジンジャー・ベイカーを初めて観た時、「渋い顔とは、こんな面構えを
云うのだろう」と子供ながらに思った記憶がある。
まだ20代半ばであろうに、額には無数の横皺、窪んだ鋭い眼光に削げ落ちた頬、それにヒゲを蓄えた尖った顎・・・。彼が歳をとったら、おそらくこんな風貌であろうと思わせる男が居た。
 吉村さん。昭和ひとけた生まれ。葉巻がよく似合う。180cm、60kgのスリムな体形に長い手足。
某有名大学卒、有名企業入社。学生時代はバスケットボールの選手。蔵書は裕に5000冊を超えると言う。
生まれも育ちも悪くなさそうである。誰とでもそつなく会話も出来るが、難無く意思を貫く、しなやかなしたたかさを
持つこの翁、ただ黙ってレールの上を走るタイプでは無い。
海外赴任先では、酒と麻雀、社交ダンスに明け暮れ、帰国後も上司とケンカをして退社。
今までの酒量をお金に換算すると、「二軒は家が建っている」と言う。以前、ライヴの最中に連れの方と大声で政治に
ついて論争され、「今日は大声コンテストか何かですか?」と嗜めたことがあった。
翌日、菓子折りを持って「昨日は悪かったなぁ」と謝りにみえた。以来、私のことを「大将」と呼び、仲良くなった。
ジャック・ダニエルのWを片手に「おっ、もうこんな時間かぁ、早く帰んなきゃー母ちゃんに叱られるなぁ」と氏。
悪童のままの彼を飼いならしている、夫人に会ってみたいと思った。

06.04(改訂) (け)

2006/04/17(Mon) 00:51


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