☆追悼・加藤大治郎 速く、そして早過ぎた
天才。天才ライダー。そんな言葉では、まだ届かない。
加藤大治郎は、勇気を必要とせぬほど周到に速度をきわめ、ほかの誰とも違う
方法で、あたかも大胆なようにレースを支配してきた。
今月6日、鈴鹿での世界選手権(WGP)今季開幕戦、モトGPクラス、4番手争い
の3周目、信じられず、信じたくもない事故は起きた。
ホンダの加藤大治郎、シケイン手前でコースアウト、クラッシュ、駆け寄る担架、
近づくヘリコプターの影、関係者の悲痛な表情…。意識不明の重体、祈り、行き場の
ない怒り、そして悲報。
20日午前0時42分、三重県四日市の病院で死去、26歳、妻と2歳の長男、誕生間も
ない長女が残された。
原因は不明だ。瞬間の映像はない。二輪ロードレース、この先端技術と人間味の
からまるスポーツを愛する人々は「なぜ」から逃れられない。将来、物理的に何かが
判明しても「どうして」の疑問はつきまとうだろう。
なぜ、どうして、最高の反射神経と技巧、それにコースとマシンへの深い理解を抱く
実力者は、いきなり走路をそれて、細身の身体を防護壁へ打ちつけたのか。
3歳でポケットバイクにまたがり、5歳にしてレースへ出場、1994年、18歳で国際A級
ライダーへ昇格、97年に全日本GP制覇、2000年からWGP250ccクラスへフル参加、
翌年には16戦11勝の最多勝記録で文句なしの総合優勝。昨季からは最高峰のモト
GP(旧500cc)クラスへ参戦、年間タイトル獲得の実力をうたわれていた。
ダイジロー・カトーは、この国の誇る、また数少ない、広く興業の成立するスポーツに
おける世界最高水準のプロ競技者である。
日本のメーカーの威光に頼らず「東洋からやってきた小さな男」といった異国情緒と
も無縁に、ただ美しいフォームと結果で存在を示した。世界戦転戦随行のイタリア、
スペイン、フランス記者団の重要な取材対象だった。
「旗、重いで」
00年の鈴鹿、250ccクラスに優勝、加藤大治郎は、日の丸を渡されて照れた。
海外の一部メディアは、参戦初年度の活躍を「センセーション」と書いた。しかし、
鈴鹿のファンは少しも驚かなかった。「ダイちゃん」の童顔が、もっと幼かったころ、
すでに目撃していたのだ。金属のマシンを子供の骨格で自在に操る未来の王様を。
その鈴鹿で、天才で秀才、科学者にして冒険家は、あるはずのない事態に襲われた。
ファンの数だけ「なぜ」を残して。
加藤大治郎は、イタリアで、スペインで、道を歩けば声のかかる人気者だった。なのに
東京では、ゆっくりと食事を楽しめた。さして顔を知られてないからだ。
オートバイ=不良、かつての印象もあって、日本の選手が光を放つ競技は日本で
広く人気を得られない。奇妙なほどの不均衡である。
本稿筆者も、失われた未来と失われぬ実績を、いまさら思うばかりだ。
せめて想像しよう。切れ長の目の若者は世界を唸らせた。ナカタが蹴り、イチローが
打った時代、ダイジローは勝利のシャンパンを浴びていた。エンジン音の対極みたいな
口調で喜びを語り、ほんの少しだけ笑って。☆