タカシのガラクタ部屋                      2004年8月28日開設             唐古荘管理人 黙認ページ            毎月第4土曜日更新


みなさん、こんにちわ。
僕は唐古望(からこ のぞむ)、敬おじさんの何っ子になるのかな?
僕の父さんと敬おじさんが従兄弟(いとこ)なんだ。
伸じいさんから見れば、二人とも孫で、僕はひ孫になるわけ。
そんな関係で、ここにはよく遊びに来るんだ。
みんなのように、僕も何かしてみたいなあ、って思って、敬おじさんに相談してみたら、
「今、6号室が空いてるから、そこを使って僕の持ってるおみやげコレクションを紹介してくれないか?
僕はとてもそこまで手が回らないから。」
と言ってくれました。
そこで敬おじさんに代わって、僕がこのコーナーを担当することになりました。
まだ子どもだから、多少のミスは大目に見てね。
どうぞ、よろしく。



No2 水軍酒盃 
               (日本 広島県因島市)



これはおじさんが8年前に広島県の因島で買ってきた水軍酒盃だよ。
とっくりと盃に書かれた「〇に上」は瀬戸内水軍の村上家の家門なんだって。
おじさんからのメッセージを紹介するね。
「これは因島焼で作られたもので、水軍時代に船上で使われた酒盃を再現したものです。
底に穴が開いていますが、これは揺れる船の上で穴を指でふさぎ、
こぼれないうちに飲み干すように考えられたものとされています。
村上水軍は因島村上、能島村上、来島村上のいわゆる三島村上家からなっていて、
瀬戸内海の海上交通を一手に握っていました。
江戸時代になると、海賊行為ができなくなったので水軍は姿を消しましたが、
このうち来島村上家の子孫が久留島氏として豊後森藩の藩主となり、明治維新まで残りました。
芸予諸島へお出かけの際には、ぜひおみやげにどうぞ。」
とのことでした。
おじさんは5年前にも因島に行ってるんだけど、
その日はちょうど本四連絡橋尾道〜今治ルート、通称「瀬戸しまなみ海道」の全線開通の日(1999年5月1日)だったそうな。
自転車で尾道から向島、因島大橋を渡って因島、生口橋を渡って生口島まで行って、瀬戸田から船で三原に戻ってきたんだって。
島々の間の橋には歩道があって、格安で自転車も通行できるんだけど、
橋が地面よりかなり高いので、そのたびにアップダウンがあるのがしんどかった、
とおじさんは嘆いていました。
8年前はまだ大島から今治への橋がかかっていなかったので、船で行ったらしいんですが、
狭い来島海峡の潮の流れが速いため、船は潮が流れてくる方へ船首を傾けて斜めに走っていたそうです。
それでちょうどまっすぐに走れるだって。
ホントかな〜?
「海賊の旅情に浸るには、やっぱり橋より船の方がいいでしょうね。
この船は今でもあるので、ぜひ乗ってみてください。」
とはおじさんの弁です。
片道たったの280円っていうから、僕にだって乗れそうだね。
でも、問題はそこまで行く旅費なんだけどね・・・。

                                               2004年10月23日


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