2002年1月〜3月のバックナンバー
2011M 国際空港へのアクセスについて 1996年7月 大阪環状線大阪駅
関西には、日本第二の国際空港である関西国際空港があります。
この関空へは、京都・大阪から特急「はるか」が一日30往復、大阪都心部から関空快速が日中毎時3往復走っています。
東京都心部から成田空港へは特急「成田エキスプレス」が一日23往復、快速が毎時1往復
走っているのに比べると、その利便性は関西の方が上回っています。
私鉄も加えれば、この差はますます拡大します。
すなわち京成電鉄のスカイライナーが平日1日40本運行するのに比べ、
南海電鉄のラピートは平日1日60本運行されているのです。
需要の多い首都圏の国際空港アクセスが鉄道面で関西よりかなり劣っているのは、ちょっと不思議な感じがします。
それに「成田エキスプレス」はどうして普通車が四人がけのクロスシートなのでしょうか。
関西では関空快速でさえ、二人がけの転換クロスシートなのに・・・。
国際空港へのアクセス移動の快適性に関しては、圧倒的に関西の方が優れていると結論付けてもいいと思います。
それにしても、東京の人は何と恐ろしい劣悪な移動環境に耐えているのでしょうか。同情を禁じえません。
(データはすべて2002年1月現在)
2002年1月13日 第6便 大阪環状線大阪発
2021M 北陸と言う文化圏 1996年7月 東海道本線大阪駅
今では考えられないことですが、江戸時代までは日本海側が日本の
表玄関でした。
しかし明治維新以降は太平洋側が表となって、日本海側は今では裏日本と呼ばれるようになってしまいました。
華やかな太平洋ベルト地帯に比べると、やはり裏日本の寂しさは隠しようもありませんが、
その中にあって北陸地方だけはなぜかそんなに寂れては見えません。
そのことは、鉄道にも見て取れます。
山陰本線や羽越本線、奥羽本線に比べると、北陸本線や信越本線(直江津以北)は全線複線電化であり、
特に北陸本線は現在、日本でも最大と言っていいほどの特急街道となっています。
首都圏からは越後湯沢乗換えで「はくたか」が10往復、米原乗換えで「加越」が7往復運行しています。
中京圏からは「しらさぎ」が8往復来ています。
関西圏からは「サンダーバード」「雷鳥」が計25往復も運転されています。
さらに新潟から「北越」が5往復あります。
こうして見ると、北陸地方は中央日本の主要な地域と満遍なくアクセスが整備されていることが分かります。
こうしたバランスのいい位置取りは、他の地方文化圏にはまず見られません。
文化圏としての北陸の強みは、こんな所にも見られるのです。
折りしも、今年のNHK大河ドラマは金沢の前田家が主役です。
だから言うのではありませんが、北陸地方にとっての前田家の存在はやはり大きいでしょう。
金沢103万石、富山10万石、大聖寺7万石計120万石が紡ぎあげた近世文化の伝統が、
北陸の底力として今なおあり続けているように思えてなりません。
今年あたり、写真の「サンダーバード」に乗って金沢にでも行ってみようかなあ・・・。
2002年2月10日 第7便 東海道本線大阪発
2022M がんばれ、こだま 1996年7月 東海道新幹線新大阪駅
この頃、やけに「のぞみ」の話題は聞くけど、他はなんか放っておかれてるような感じがします。
特に「こだま」に至っては、そんなのもあったっけ
、ってな感じです。
上の写真は6年ほど前に撮った写真ですが、今は懐かしい0系ですね。
やけにとんがってる最近の車両を見ていると、この前頭部の優しい丸みが懐かしくなってしまいます。
そんな気がするのは私だけでしょうか?
これは山陽新幹線の「こだま」で6両編成ですが、最近では4両編成のものも出てきて、
苦労してるんだなあなどと同情してしまいます。
この頃乗ってないので分かりませんが、さすがに今ではもう転換クロスシートなんかないんでしょうなあ。
背ずりを手で引っくり返して座席の方向を逆にする、などと説明しないと最近の若い人には分からないでしょうか。
ともかく、このスピード全盛の時代にあって冷遇されつつも、「こだま」はなお新たな使命を担いつつ健気に奮闘しています。
皆さんもたまにはゆっくりと「こだま」で旅してみませんか?
いつも見落としてたものが見えてくるかもしれませんよ。
2002年2月24日 第8便 東海道新幹線新大阪発
2031M のぞみの時代 1996年7月 東海道新幹線新大阪駅
これは6年ほど前に撮った300系の写真ですが、
この頃には300系が来ると思わず目を向けてしまうような珍しさというか、希少価値がまだありました。
でも、いまや300系は「のぞみ」用車両というに及ばず、
大半の「ひかり」にも充当されるようになって、全然珍しくもなくなってしまいました。
代わって、今目を引くのは二階建て車両の100系ですね。
100系の「ひかり」は、もう定期列車では絶滅間近といった感じです。
「のぞみ」の代名詞であった300系も「ひかり」用に格下げされ、
時代は今や500系や700系へと移り変わってしまいました。
時の流れとは、げに恐ろしいものです。
新幹線を見ていると、つくづくそう思います。
今や、「のぞみ」の時代なのです。
あと4日で登場以来、満10年を迎える「のぞみ」は、
考えてみれば、バブル崩壊とともに現れ、「失われた10年」の大部分を経験してきました。
その名前に込められた意味とは裏腹に、日本は沈む一方です。
「のぞみ」の時代、それは苦しい閉塞の時代であり、
今もその時代状況に大きな変化はありません。
低迷日本の顔とも言える存在、それが「のぞみ」なのかもしれません。
2002年3月10日 第9便 東海道新幹線新大阪発