2002年1月〜3月バックページ



第5番  佐保川上流から奈良坂へ



皆の衆、新年おめでとう。もう地元じゃ身元がバレちょるみたいじゃから、言っちまってもいいじゃろて。
唐古荘は奈良盆地のど真ん中、磯城郡にあるのじゃ。ここは盆地内でも最も標高が低いから、盆地内を流れる諸河川はみんな、
ここいらに流れ込んできよる。前に話した郡山市額田部郷付近で大和川から分かれ、北東へ盆地を貫流するのが佐保川じゃ。
今日は、こいつに沿って遡って行ってみようぞ。
西名阪自動車道の下をくぐると川は北向きになって郡山市街の東をかすめ、やがて奈良市に入り、
奈良そごうの東側を通って東向きになり、次第に盆地の東北端に分け入っていくんじゃ。
この川の右手に見える若草山のふもとに広がるのが、東大寺じゃ。写真の大仏殿など、これについては説明は不要じゃろ。
小さい頃から何度も来とるが、来るたびに味わいがあっていい寺じゃ。
余談じゃが、この寺には墓がないそうじゃて。じゃあ、ここの坊さんの墓はどこにあるのかというと、正倉院の北側に
空海寺という小さな寺がある。ここに葬られるのだそうじゃ。東大寺に行った時には忘れずに、ここにも参ってやってくれ。




東大寺の西端、転害門の前を走る国道369号線を北へ進み、今在家の交差点を直進すると旧道に入る。
この道は、平城京から山城国木津へ向かう京街道じゃ。別名を奈良坂とも言うんじゃ。東大寺建立の際には大量の木材が
木津で陸揚げされ、この奈良坂を越えて運ばれたそうじゃ。都が平安京になってからは、奈良の社寺に詣でる人々で
ずいぶん賑わったそうじゃ。この道の途中にあるのが、般若寺じゃ。
ここは花の寺としてつとに有名での、秋にはコスモスが咲き乱れて、それは見事じゃ。
この十三重石塔は、京都府宇治市の浮島にあるものとともに鎌倉時代を代表する石塔として国の重文にも指定されとるほど、
価値あるものだそうじゃ。この寺は特に女性に人気があっての、よい目の保養になること請け合いじゃて。
何? エロジジイじゃと? フン、余計なお世話じゃ。男は色気を失ったら、お終いじゃて。
余談じゃが、この般若寺のすぐ近所に奈良少年刑務所があるんじゃが、そのすぐ西には鴻ノ池運動公園と奈良ドリームランド
ちゅう遊園地があるんじゃ。何も刑務所のスグ横にそないなもん作らんでもええのに、とわしゃ思うんじゃがな。
般若寺も含め華やかなこの一帯の中で、この刑務所の存在がノドに刺さった小骨のように気になるんじゃ。
もっと静かな場所に移してやった方が、心穏やかに更生できるんじゃなかろうか。何とかならんかの。

帰りはまたこの川に沿っていけば、家へ帰れるんじゃ。ホンに奈良盆地は道が分かりやすい。
大和は老人に優しい国じゃ。
では、さらばじゃ。

                         第5番行脚終了  奈良市雑司町および般若寺町より
                                                 平成14年1月6日



第6番 松尾、小泉



安堵町と斑鳩町の境目辺りで大和川に流れ込むのが富雄川で、それをさかのぼっていくと郡山市に入る。
そこから西側に横たわるのが矢田丘陵で、その東麓にいくつか寺があるが、その一つが松尾寺じゃ。
この寺はかなり高い所にあるから、富雄川の辺りからエッチラオッチラと上っていかにゃいかん。
その途中で撮ったのが、この写真じゃ。
彼岸花がこんな風に群生しているのも、大和路の秋の光景じゃな。
こんな花を愛でながら、ゆっくりと大和路を走るのも一興じゃて。



さて松尾寺を参拝し終えて一気に坂道を下ってくると、そこは小泉の里じゃ。
小泉には江戸時代には小泉藩があっての、片桐且元の甥で茶人としても有名な片桐石州が藩主じゃッた。
その石州が建てた寺がある。慈光院じゃ。
ここは門や書院などがみんな茅葺(かやぶき)での、ちーと風情があるんじゃ。
書院の前には枯山水の庭園があるが、これは国の史跡ちゅうから立派なもんじゃ。
ツツジの刈り込みもきれいで、矢田丘陵から見下ろす奈良盆地が借景となっとる。
かの岡本太郎先生も、その著書の中でこの庭園を絶賛しとるほどじゃ。
それほどに素晴らしいものなんじゃそうじゃが、その割りにはあまり有名じゃないな。
奈良にはそうした寺が実に多くて歯がゆい気がするんじゃが、なまじ京都の寺のように観光寺院になりすぎても
今度は情趣に欠けてしまうし、まあ、これ位に寂れとった方が古寺らしくっていいかもしれんの。
で、上の写真は何じゃと? 
これは富雄川畔から撮った小泉の夕景じゃ。
この辺りは観光コースには入っておらんが、ありきたりの奈良の風景では満足できん人は
ここいら辺りをぶらついてみるのもいいかもしれんな。
ほんじゃ、またな。


                             第6番行脚終了  大和郡山市山田町および小泉町より
                                         平成14年2月3日



第7番 高畑、高円山西麓



東大寺の背後にそびえる若草山と春日山の南に、高円山ちゅう山がある。
500メートルにも満たない低い山じゃが、ここからの眺めが結構いいんじゃ。
ワシも学生時代には、この山へよく登ったもんじゃ。
この辺りの山はやけに格式が高くての、三笠宮様や高円宮様など皇族方のお名前にもなっとるほどじゃ。
その春日山と高円山の稜線の合間に広がるのが、高畑の町じゃ。
ここいら辺りは奈良の町中から比べるとかなり標高が高くての、バス通りからエッチラオッチラと登っていかねばならん。
道も細くて、昔の佇まいが残っておる。そんな一角に新薬師寺があるんじゃ。
ここの本堂に安置してある十二神将立像は見物じゃ。
ここはそんなに大きくはないがの、その他にも数多くの宝物を持っておる。
地味じゃがいい寺じゃから、ぜひ御覧あれ。
新薬師寺の周辺は県庁所在地とは思えぬほどにのどかでの、写真のようなコスモスが咲いておったりするわけじゃ。
自転車で走り抜けるのがもったいのうて、ワシもここから百毫寺へは自転車を降りて歩いていったほどじゃ。



百毫寺辺りまで来るとさすがに人通りも少のうなって、「奈良の奥座敷」といった感じになるのー。
この寺は高円山の西麓に位置しちょるから、境内からはホレこの通り、西に開けた奈良盆地がよく見えるんじゃ。
西方の生駒山との間に広がった起伏に富む奈良盆地北部の在り様が手に取るように分かるのじゃ。
奈良盆地は周囲を山に囲まれちょるから、このように東西南北いろんな所から眺めることができるんじゃ。
それぞれに見え方が違うから、なかなか面白いんじゃよ。
奈良盆地の真ん中から自転車こいでやってきた日にゃ、山の空気もうまくて気分もいいもんじゃ。
春日山と高円山の間から流れ出し、この百毫寺とさっきの新薬師寺との間を流れておる川が能登川じゃ。
この川は大安寺の南辺りで岩井川に合流し、やがて佐保川にまで流れていくんじゃ。
奈良盆地の川はこうして盆地の中央へ向けて東西南北から流れ来て、大和川にそそぐようにできとる。
川を中心にして奈良を見てみるのも、また一興じゃて。

さて、最後は万葉集で締めようかの。

能登川の水底さへに照るまでに三笠の山は咲きにけるかも
 (『万葉集』巻20)

  

風流の極みじゃて。ほじゃ、またな。
  

 
                         第7番行脚終了  奈良市高畑町および白毫寺町より
                                              平成14年2月17日 
 



第8番 三郷



以前にポックリ寺の吉田寺について触れたことがあったじゃろう。
そう、法隆寺の近くの寺じゃ。
その吉田寺の南側を東西に走る道を西へ行くと、やがて国道24号との交差点に出るから、
それをまっすぐに進み、斑鳩町から三郷町に入る。
やがて近鉄生駒線の能勢北口駅の踏切を渡って、王寺方面へちょっと戻った線路沿いにある寺が平隆寺じゃ。
聖徳太子が作った寺とも、古代大和の平群氏の氏寺とも言われとる。
平群の平を法隆寺に掛け合わせたような感じで、どっちの説にも頷きたくなるような名前じゃな。
古代にはかなり大きな寺じゃったそうで、その寺域が県の史跡となっておる。
しかしワシが訪ねた時には訪れる人もなく、寂しい限りじゃった。
さっき通ってきた能勢北口駅の踏切がある道は、奈良県側から信貴山へ登る時のメインルートになっておって、
けっこう交通量も多いのじゃが、そのうちでこの寺へと向かう者は1パーセントもおらんじゃろう。
もっとも寺へ行こうとしても、寺へ向かう道は狭くての、とても車では行けんと思うがの。




能勢北口から生駒線で王寺方面へ一駅行った信貴山下の駅からバス道をたどり、
これまた狭い道へと分け入って、そう遠くない所に観音寺があるんじゃ。
ここの地蔵菩薩立像は真っ黒に煤けていてちょっと汚らしいが、
何でも刑場で絞首刑に処せられた罪人たちの菩提を弔うために立っておったそうな。
これでも国の重文の仏像で藤原初期の作というから、奈良は恐ろしい所じゃ。
こんな小さな寺にも、何気なく国の重文指定の仏像があるんじゃからな。
文化の堆積度が、他の地域に比べると異常なほどに深く感じられるわい。奈良はそういう土地なんじゃ。
今回訪ねた寺は、どちらも融通念仏宗の寺じゃ。
融通念仏宗は浄土系の宗派で、大阪・平野の大念仏寺が総本山となっておる。
主に近畿地方に信者が多い宗派じゃから他地域の人には馴染みがなかろうが、奈良ではかなり寺の数も多いようじゃ。
どちらの寺も鉄道駅からは徒歩圏内にあって、車で行くのが難しい所じゃから、
駅からゆっくり歩くか、自転車にでも乗って行くのがよかろうて。
地味ではあるがの、こういう地味な渋い行脚を重ねておると、
一般に流布されておるきらびやかな奈良とは違った、もう一つの奈良の顔に出会えるじゃろうて。
まあ、気長に付き合ってくれろ。ほじゃ、またな。

     
                              第8番行脚終了  生駒郡三郷町勢野東および立野北より
                                                   平成14年3月3日