2001年11月〜12月バックナンバー集


第1番 岡本の里



奈良には、佐保川と初瀬川という川がある。佐保川は東大寺の裏手から、初瀬川は長谷寺の辺りから流れてきおって、この辺りで合流するのじゃ。
 ここはどこだ?じゃと。ここは大和郡山市の額田部南町じゃ。坂東というバス停のすぐ南側が合流点となっておる。額田部は「ぬかたべ」と呼ぶんじゃ。あの額田王(ぬかたのおおきみ)との関係が取りざたされる所じゃ。郡山も広かろう? 金魚だけじゃないのじゃ。
 ここから自転車に乗ってバス道を行き、関西線の下をくぐり、富雄川を渡って突き当たりを右へ、そこから国道25号線を東へ戻り、県道34号線を北へ道なりに進むと岡本の里じゃ。ここに、日本で最大最古の三重塔を持つ法起寺がある。別名岡本寺というのも岡本にあるからじゃな。その写真がコレじゃ。
 何? どこが寺だか分からんじゃと? 小さく三重塔が写っとるじゃろ。飛鳥白鳳時代に建てられた国宝の塔じゃ。仏像と同じで、ありがたいものは遠くから目を細めて眺めるもんじゃ。これで我慢せい。
 手前のコスモスがきれいじゃろ。奈良は秋になると、このコスモスが至るところに咲いておるのじゃ。ちょっと数が多すぎてジャングルみたいになっとるが、まあ、それも一興じゃろ。
 さ、拙者はもう帰るぞ。お前さんはバスにでも乗るか、電車の駅まで歩くんじゃな。年寄りをこき使うと、今に罰が下るぞ。では、さらばじゃ。

                         第1回行脚終了 生駒郡斑鳩町岡本より
                                     平成13年11月4日



第2番 安堵から斑鳩へ



この前言った額田部南町から額田部北町に入り、バイパス道路から西へ向かうバス道に入って岡崎川を渡り、西名阪自動車道の下をくぐって左へ別れる小路をたどると、そこに極楽寺があるのじゃ。ここは安堵町東安堵というとこじゃ。人間はホッと安堵してあの世へ行けたらさぞ極楽じゃろう。安堵ちゅう名の町に極楽ちゅう寺があるちゅうのも何か出来過ぎとるようじゃが、ホンマの話じゃよ、これは。
 ここにもコスモスが咲いちょったわい。こんな花でも愛でながらポックリと死にたいものじゃ。おっと、ポックリと言えば、あそこがあったのう。近いから、そこへも参ろうか。まあ、付いてきなされ。
 



 安堵町の隣が斑鳩町じゃ。この前行った岡本の里もこの町じゃったな。何? 法隆寺に行きたいじゃと? そう焦らんでもいつか連れてってやる。なーに、すぐ近所じゃ。いつでも行けるわい。
 法隆寺と竜田川に挟まれた所に龍田神社ちゅうのがある。これは大和三神の一つで「火の神」を祀っとる所じゃ。そこから国道25号を下って南へ行くと、小吉田ちゅう所に吉田寺があるのじゃ。「よしだでら」ではないぞ。「きちでんじ」と読むんじゃ。ここのご本尊の前で祈祷を受けた腹巻を身に着けると、あーら不思議、腰下の世話にならずにあの世へ行ける、ゆうてな。えらい人気があるんじゃ。だから別名「ぽっくり寺」とか「ぽっくり往生の寺」とか呼ばれて、その道では有名な寺なんじゃ。
 ま、若いあんたらにはピンとこないじゃろうが、わしら位になると切実な問題でな。いずれお世話になるんじゃ。今から知っといても損はなかろうて。お互いポックリ逝きたいもんじゃな。
 さ、ワシは帰るぞ。おまえはここでポックリさせてもらえ。何を怒っとる。冗談じゃて。冗談も通じんようじゃと、ポックリとは死ねんぞ。では、さらばじゃ。

                第2回行脚終了 生駒郡安堵町東安堵、斑鳩町小吉田より
                                         平成13年11月18日



第3番 帯解



皆さん、元気じゃったかな? ワシはちーと頭が痛い。
昨日から帯解寺へ行っとってな。帯解寺ちゅうのは奈良からじゃと国道169号線を
南へ行き、JR桜井線帯解駅方面へ曲がると、駅のすぐそばにある寺じゃ。
帯解は「おびとけ」と読むんじゃ。男にはたまらん語感があるのー。
何? ジジイのくせに色気づくな、じゃと?ほっとけ。男は色気のあるうちが花じゃ。
この寺はただの寺じゃないのじゃ。何でも皇室の方々がご出産される時には
ここへ安産祈願に訪れるというから、大した寺なのじゃ。
折りしも皇太子妃雅子様がご出産近し、ということで、ワシもこの寺へやってきて
安産を祈っとったちゅうわけじゃ。熱心に祈った甲斐もあり、無事に宮さまをご出産されたと聞いて、
あとはドンチャンドンチャンお祭り騒ぎじゃ。この頃いいニュースがなかったからのー。
気がついたら、今日になっとった。今、部屋に帰ってきたとこじゃ。
うー、まだ酒が残っとるわい。今日はもう勘弁してくれ。わしゃ、もう寝るのじゃ。
誰か玉子酒でも作ってくれんかのー。


                         第3回行脚終了 奈良市今市町より
                                        平成13年12月2日



第4番  菅原



しばらくじゃったな。今日は菅原の里にでも出かけようか。
郡山市街の北を南北に走る県道9号線を北へ向かい、国道308号線で左折、そこから右へ分かれる道をたどると
阪奈道路に出る。ここはもう菅原の里じゃ。その名の通り、ここはあの菅原道真の菅原氏の在住地じゃった。
奈良にはこうした古代氏族の故郷が山のようにあって面白いのじゃ。
ここに喜光寺ちゅう寺があっての、奈良時代からある由緒ある寺なのじゃ。ここの金堂は東大寺大仏殿のモデルとなったそうで、
そのため当時から「試みの大仏殿」と呼ばれとったそうじゃ。この寺を巡幸した聖武天皇が本尊を拝した時、
本尊の顔が輝いたので天皇は大いに喜ばれ、ほんでもって喜光寺と命名されたそうな。確かにここの金堂は阪奈道路の車中からでも
見えるが、何となく寺の規模の割には堂々としておったが、やはりただものではなかったわけじゃ。ただし今の金堂は二代目じゃ。
ここへは、近鉄橿原線尼ヶ辻駅からも歩いていけるわい。西大寺から一つ目じゃというのに、寺にはほとんど見物客もおらん。
完全に奈良の観光ルートからは外れておる。みなも一度は見に行ってやってくれ。交通至便な所にあるだけに、
その侘しさがいやが上にも目立ってのう。何だか泣けてくるわい。



この寺の北隣には、菅原神社ちゅうのもあっての。ここが菅原氏とゆかりが深いことが分かるじゃろ。
菅原氏は天応元年(781年)に朝臣姓を賜り、それから約100年で右大臣道真公を輩出したわけじゃ。
その菅原氏上昇期の頃には、あの喜光寺も菅原寺と呼ばれておったそうな。
その後の歴史は皆も知っての通りじゃ。菅原氏とともに栄えた寺は、その没落とともに落ちぶれていくわけじゃ。
道真といえば天神さまじゃが、この奈良の菅原の里のことも忘れんでやってくれ。何事もルーツは大事にせねばの。
今回は歴史の講義になってもうたわい。慣れんことして、肩がこったわい。早う帰って、寝よ。
では、また来年に会おうぞ。いい正月をの。

                   第4番行脚終了  奈良市菅原町より
                                       平成13年12月16日