第2部第1章5〜8の写真


5 ラホールにて



私はこの街で、生まれて初めて乞食に食べ物を与えました。
「皇帝のモスク」であったバードシャーヒー・モスクが今は一般に開放されているのも、
ある意味で似たようなものなのかもしれません。「ある者の独占物を皆で共有する」
というモラルが果たす社会的役割を、この街は私に教えようとしていたのでしょうか。



6 寒き街



乗り合い馬車は値段の基準が曖昧で、その曖昧さを楽しめる人なら有意義な交通手段になるでしょう。
その点バスは堅実ですが面白みはちょっと・・・、と思うあなた。ぜひパキスタンのバスに乗ってみてください。
その豪快な陽気さは、この国のイメージを一変させるに足るものです。
もちろん、馬車の魅力も捨てがたいのですが。ともあれ、パキスタンは乗り物天国です。




7 ぜいたくな人生設計



社会のレールを外れてみれば、もうあくせくすることもできず、またその必要を感じなくもなります。
もっとも、何をもって「社会のレール」とするかは議論百出でしょうが。
私は古寺巡礼を始めてから、とにかく「生き急がない」ことを考えるようになりました。
もちろん、だからといってただノンビリしていていいわけではありませんが。
ともかく鈍行列車のように一歩一歩確実に前へ、そしてその途中で多くのものを見、
考える人生を生きたいなあ、と考えています。




8 旅人の流儀



峠一つ越えればアフガニスタン、というパキスタンの小駅でも、旅人に対する
温かな笑顔が絶えることはありません。この笑顔がある限り、彼は旅を続けます。
たとえそこが紛争地域であっても、自分の責任において行くと言う人があれば、行かせてあげるべきでしょう。
他人は最終的な責任をその当人に代わって引き受けることはできません。その限りにおいて、
当人は自己責任を全し、周囲は黙って彼を見守る。それがパッカーとしての在り方だと私は思います。