1 溶解する氷
この店は何屋か、一目ですぐ分かるだろう? 店の扉と看板にこんなに大きく、しかも5つも歯
(ご丁寧に歯ぐきまで付いてる)の絵が描いてありゃ、誰だって分かるってもんだ。
この分かりやすさ、これは文字の分からない異邦人にとっちゃ、うれしいもんだよ。
この国は万事こんな感じで、外国人に優しいんだ。列車だって、外国人っていうだけで割り引いてくれるんだから。
まったくホスピタリティにあふれた国なんだ。
これを思うと、日本でのパキスタンのイメージの悪さはヒドすぎるよ。何とかならないものかな。
2 南への旅
列車が止まった駅に降りて、ホームの上で礼拝するようだよ。
オイラが乗った列車でもオイラ以外のみんなが列車から降りちまったもんだから、最初は面食らったよ。
律儀に1日に何回も礼拝するなんて、スゴイよね。でも彼らに言わせれば、屈伸運動みたいで身も心も
スッキリするんだそうな。そういえば、イスラームの礼拝は体全体を使うから健康にもいいのかもしれない。
イスラームには結構、合理的な面もあるんだね。
3 親しき他人
町中をのし歩く牛たち。向こうから車が来てもまったく動じず、ずんずん進んでいくんだ。
この牛たちほどではないけど、パキスタン人たちはけっこう積極的に他人にアプローチをかけてくる。
そのせいか、それまでけっこう内気だったオイラの性格も、この国にいるあたりからちょっとズーズーしくなってきたほどだ。
「興味のある人にはどんどん接触してみよう、ダメもとだ。」
そんな感じで体当たりしてくる彼らには、他人に対する親しさがあふれてる。健康的な外向性って感じだな。
オイラはそういうの、好きだよ。
(ただし、この感覚を日本にそのまま持ち込んだら、ヒンシュクを買うのは目に見えてるよ。オイラもそれで苦労した口さ。)
4 不毛なケンカ
大人が子どもとマジになってケンカするほど、不毛なことはないよ。
だって、自分が子どもと同じレベルだ、ってことを証明するようなもんだからね。
でも、このサッカルバレージを背にしてのケンカにはこっちもマジにならざるをえなかった。
なんせ、奴らは多人数で石を投げてくるんだから。命の危険さえ感じたよ。
子どもがマジになると手心を加えないだけに、本当にコワイ。結局オイラは逃げたんだけど、それで正解だったと今でも思うよ。
まあ、これは本当に小さな「戦争」だったけど、印パ紛争はケンカする者同士が図体がお互いにデカイだけに始末が悪いね。
せめて紛争が避けられないなら、分別のある大人のケンカで収めて欲しいもんだよ、まったく。
5 寄生木の知恵
これは、モヘンジョダロ遺跡内の民家跡に残るダストシュートだよ。
家の中から外の道路脇を走る溝に向けて、ゴミを投げ捨てる仕掛けだね。
人間は何千年も前からゴミを出していたんだ。人間の歴史は、ゴミの歴史と言い換えてもよさそうだね。
自然に生きる動物たちの出すゴミはちゃんと自然の役に立ってるのに、
ひとり人間の出すゴミだけが地球を汚してるなんて変なことだよ。
そういう意味では、人間は地球の最大の落第生なのかもしれないね。
間違っても、最優等生なんて思わないことだよ。
地球を汚さずに他の生き物たちと手をつないで生きていけるようになって初めて、
人間は落第生の烙印から逃れられるんじゃないかな。
6 宗教のある風景
パキスタンにはこんな聖者廟がたくさんあって、そこに人々がたくさん参詣するんだ。
モスクでのアラーに対する集団礼拝には女性は参加できないけど、聖者廟には女性も参詣できるんだ。
でも、どっちもイスラームの宗教風景であることには変わりはない。
神社や寺が併存する日本の宗教風景を、彼らはどんな思いで見ているんだろう? 一度聞いてみたいよ。
(ラホールのダーター・ガンジバフシュ)