第2部第4章7〜11の写真


7 アナログな旅



青い服を着た人が右手に持っているのは、大きなナイフです。でも、別に私に襲いかかろうと言うわけではありません。
彼は肉屋なのです。だから、そのナイフは肉に対して使うにすぎません。
こういう風に事情が分かっていれば、一見怖ろしそうな場面でも別に怖がる必要はなくなります。
知らない人の車に乗るのにしたって、相手から誘われたのではなく、
自分から誘いかけたのであれば、その他人との関係の安全性は高いと言えます。
「知らない土地においては、人との関係は自分から作り出した方が安全性は高い」
というのはかなり妥当な法則と言えるのではないでしょうか。
それしてもこの写真、クエッタで撮ったんですが、やはり事情を知らない人が見れば怖いんでしょうね。
でも彼らはとてもおとなしく、親しみのある人たちでしたよ。
この国の人たちを見かけだけで判断すると、旅人としての大きな幸福を失うことになるでしょう。



8 不条理な人気




どこへ行っても人に囲まれ、大歓迎される。そんな経験はありますか? 
私はここ、モヘンジョダロでそういう目に遭いました。だけど、近寄ってくるのは子どもや男たちばっかり。
写真はやっと出会った娘さんたち。でもカメラを向けると一人の子を除いて、みんな逃げて行ってしまいました。
ここで追っかけては、ダメなのです。それだけで、イスラーム国では立派な犯罪になります。何とも不条理なのです。
男の一人旅に、こういう光景はかえって毒かもしれません。
話しかけられないのなら、いっそ会わない方が後に尾を引かなくていいのです。
パキスタンは旅人に多くの幸福を与えてくれますが、ちょっぴりの寂しさにも付き合う必要があるのです。



9 定量空間文明の意義



こうしてモヘンジョダロの遺跡を見ていると、文明というものはいつもこうした残骸を残していくのだということをしみじみ感じます。
だから、人間の歴史はゴミの歴史とも言える。まさにその通りだと思います。
文明というものは、利用できる処女地を目指して休むこともできぬ宿命にあるのかもしれません。
少なくとも現代文明と言われるものには、そうした脅迫観念が常に付きまとっているようにも思えます。
でも、地球上にはそんな文明しかないのでしょうか?
それを考える時、日本の江戸時代というものががぜん光を帯びてきます。
実際、風呂敷や畳って、スゴイものだと思いますよ。
そこには、文明のパラダイムの変換についての貴重なメッセージが込められているんですから。
日本という国は、なかなかあなどれないです。いろんな意味で。

あなたはどう思いますか?



10 移りゆく乗り物



バス停は橋のたもとにありました。
橋の下には、滔々とインダス川から引かれた水が流れていました。
沈んだ夕日の照り返しが水面に映って、水を朱色に薄く染めていました。
バスがやってきました。
屋根の上にも人を満載しています。私はどこに乗ればいいのでしょう?
 でも、心配はありません。運転手は、とびっきりの指定席を私に用意していました。
なんと、私は運転手の前に座ることになったのです。

続きは、旅行記の本文をどうぞ!



11 鉄路の子守歌



駅に着きました。
朝に会った青年が待っていました。
ミルトンというその青年は、キリスト教徒でした。
中国語と日本語の違いを、私は彼に英語で説明しました。
たどたどしい私の英語を、ミルトンは食い入るような目で私を見つめながら、熱心に聞き入るのでした。
彼は私の中に何を見ていたのでしょうか?
今となっては、知るよしもありません。