第2部第5章5〜8の写真



5 道の子の幸せ



チャマンの町中で、ナーンを焼いている人たちに出会いました。
これはおいしいです。ちょっと目には大きくて食べきれないように見えますが、柔らかくて何もつけなくても十分おいしいです。
日本で言えばご飯のようなものなので、値段は安いです。これをパキスタン人によくおごってもらいました。
イスラーム諸国では、旅人はわりと大事に扱われます。そうせよ、とコーランに書いてあるからです。
道の子(旅人)としては、与えられたもので満足していくことが求められます。
イスラーム諸国では数々の不便がありますが、それを補って余りある幸せが旅人に用意されています。
それで満足するかしないかは、もうその旅人の意思一つにかかっていると言えるでしょう。




6 砂の廻廊



日も暮れて腹もすいた頃、列車が停まりました。
駅には、ナベやポットを手にした人たちがたくさんいました。
彼らの手料理が、今夜の夕食です。
旅客列車は週に4本しか来ないけど、彼らの生活の中にこの鉄道がしっかりと解け込んでいる感があります。
これだけではありません。この鉄道は、この沿線に生きる人々の生活を如実に垣間見る機会をたくさん与えてくれます。
たとえば行商とか、密輸とか、その様子は様々ですが・・・。
この鉄道線はバルチスタン州の背骨、イランへ抜ける砂の廻廊なのです。
その後、ここでパキスタンの核実験が行われた時、とっさに私の頭には彼らの顔が浮かびました。
一度訪れた地は気になるもの。それは旅人の宝物であり、あるいはある種のくびきなのかもしれません。




7 古い歴史、新しい国



これは、モヘンジョダロ遺跡に残る沐浴場です。
ここが人々で賑わっていた頃、日本には町らしい町もありませんでした。
インダス文明を抱えるこの地域の歴史は、人類史の中でも最も古いものの一つです。
そう、この地域にははるか昔から人間が住んでいました。
今、その人たちはパキスタン人と呼ばれています。
でも、この地域の人たちがそう呼ばれるようになったのはごく最近のことです。
国と人間集団の名称が長期にわたって一致するのは、稀有にして幸福なことです。
ましてや、「世界の中で唯一日本だけが、一つの国で一つの文明を作っている」などと言われると、
日本人はつくづく孤独だなあ、などと思ってしまいます。
その孤独でさえ、民族と国家に翻弄された大陸の人々から見れば、羨望の的となるのでしょうか。
私にはよく分かりません。




8 優しき国境風景



ボクはお金をみんなドルにして持っていったから、ついドル換算してしまいます。
その上でパキスタンならインドと、インドならネパールと比べたりします。
日本とは比べません。頭がおかしくなるから。
厳密に言えば、物価はその国の平均給与などの収入の面から計っていかなくちゃならないんだろうけど、
さすがに旅行者としてはそこまではできない。
だから、見た目でだいたい同じレベルだと思った国同士で単純比較するしかない。
でも帰ってきて実際に経済統計にあたって調べてみると、これが千差万別で驚きました。
単純比較してた自分は何と無邪気だったんだろうか、と。
だけど、こんな何にもない大平原を一日中眺めてると、感覚が万事大まかになってくるんです。
そういうことをわりと簡単に許せちゃう。
大陸の人の生命力の強さはこんなところから生まれてくるのかなあ、なんて思っちゃいますね、つくづく。