1 宗教国家の洗礼
イランという国は、移動派の旅人には天国のような国です。
何せ、長距離バスに200キロ近く乗っても、バス賃は100円で十分おつりが来るんですから。
値段的には、パキスタンのだいたい三分の一という感じですね。
それでいて、バスは空調完備のベンツ車だったりする。
道もご覧の通りキレイに舗装されていて、おまけに車が少ないからビュンビュン飛ばす。
一番前に座ってこんなパノラマでも眺めれば、気分はいいというもの。
でも、そうそういいことばかりは続かない。イヤなこともある。
そう、検問です。
パキスタン国境付近は検問の嵐で、そのつど荷物を持って下車し、
列に並んで身体検査と荷物の点検、ひたすらそれの繰り返しです。
さらには、車内スピーカーから流れるイスラム信者たちの雄たけび。あれはキツかった・・・。
でもそれらをガマンすれば、安いし、速いし、まあまあ快適で、頼りがいのある旅の相棒といった感じでした。
2 商売の流儀
この辺りでは、公共交通機関以外のほとんどの値段が交渉によって決まる。
だからタクシーも乗る前にお互いに交渉して合意した値段で乗るし、宿だって腕次第でいくらでも安くなる。
ちなみに、この宿は一ベッド5000リアル(約120円)。その気になれば、イランの旅はかなり安くあがる。
この手の交渉に慣れてくると、これがおもしろくなるんだな。
誰が買っても同じ値段の日本での買い物が、何だかつまらなく思えてくる。
だって、日本じゃ値段は売る方だけに決定権があって、買う方はその作業の蚊帳の外に置かれてるわけでしょ?
ここでは、買い手も売り手との値段形成の共同作業に参加できる。
ある意味、消費者にも平等にチャンスが与えられているわけ。
あとは買い手の腕次第。
ここには、平等主義と競争原理がいい意味で共存してるんだ。
自分で値段を決めれるなんて、楽しいと思わない?
バーゲンセールを待つ必要はさらさらないんです。
だって毎日がバーゲンの連続で、しかも値下げ幅は自分の腕次第でかぎりなく広がるんだから。
日本でもこんな買い物できたらなあ・・・。
3 生きている宗教
こんな遺跡を眺めていると、こんな町を作った力なんていうものをつい考えてしまう。
しかもここはイランだから、宗教を無碍にできない気にもなる。
宗教ていうのは権威ですね、だいたい昔から。
権力は権威がないと政治ができないから、だいたい宗教とタッグを組んだり、認めてもらったり、支配下に置いたりするわけです。
宗教というのは、だから一個人の救済にとどまらず、政治権力のあり方、社会の秩序、もっと根本的には
文明の性格まで決めちゃうものなわけで、考えてみればこれほど恐ろしいものもない気がします。
それでも、少なくとも今後十数年は、宗教が世界にとって必要不可欠な要素であり続けることは確実でしょう。
それならば、世紀も変わったことですし、ここいら辺りで宗教と社会、政治、教育、経済、福祉などの
関係を整理しておくのも決して無駄なことではないと私は思うのですが。
日本は諸外国に比べて、特に宗教に対する偏見のない理解が今ひとつ弱いように思えます。
そこが、心配と言えば心配です。
4 国策商品の悲哀
ザムザム・コーラの味は、写真では表せません。よって、今回は写真は掲載いたしません。
国策商品としてのコーラはインドや中国でも作られたと聞きますが、それらは健闘むなしく、みなコカ・コーラの軍門に下りました。
ちなみにコカ・コーラはかな書きから変換してもすぐにカタカナとなって出てくるのに対し、
ザムザム・コーラをひらがなで書いて変換すると、「ザ無寒・コーラ」となってしまいました。
固有名詞として認知されているか否かで、両者の明暗がはっきりと分かれているのです。
それにしても、「ザ無寒」はないですよね。何か貧相で、寒々とした感じがしちゃいます。
皆さんもイランへ行ったら、ぜひザムザム・コーラを飲んでみてください。ただし、店に置いてあればの話ですが・・・。
5 変化する色世界
数字っていえば、普通は1、2、3というアラビア数字なわけで、日本にはそれ以外にも一、二、三という漢数字があります。
私たち日本人はだいたいこれらの数字で物を数えたり計ったりするわけですが、
ここイランではそれとはまた違ったペルシア数字なるものがあります。
ここに書いてみたいのですが、それはまず無理でしょう。日本語用パソコンには、それらは入っていないでしょうから。
また書いたところで、皆さんも私もまず読めないでしょう。
ところがその数字が切符の上で大活躍している国、それがイランです。
乗車日時、発車時刻、座席の番号から料金に至るまで、みなその不可解な数字で書かれていて、
最初に見たときには正直ビビリました。
外国旅行と言っても、だいたいどこでもアルファベットか漢字、それに数字に頼って何とかやっていけるものなんですが、
ここではそれらのどれも使えない。そりゃあ、ビビリもしますよ。
筆談も発音もできないんですから。
でも、それも覚えるまでのこと。一定の法則さえ覚えてしまえば、同じ人間が使っているものなんです。
私たちにだって、使えないことはない。
そしてその切符を持って、こんなステキなバスの乗客となるわけです。
異文化体験として、イランのバスに乗ることはかなりオススメです。
ただし自分で切符を買って、自分でバスに乗り込むこと。
その過程にこそ、旅のアナログな楽しさがいっぱい詰まっているんですから。