1 中東空中遊覧
ドバイから、エミレイツ航空便に乗りました。
その時までアメリカ系や西欧系のキャリアに乗ったことがなかった私は、主にアジア系の航空会社にしか縁がありませんでした。
エミレイツ航空もやはりアジア系ではありましたが、さすがは金持ちの産油国キャリア(?)、
ちょっと普通のアジア系キャリアとは違うのです。
快適の一言に尽きます。お酒もおいしかったです。
それにこの飛行機、国際線なのになぜか地上がはっきりと見えるのです。
まさか有視界飛行ではないと思いますが、途中の国々であるカタール、サウジアラビア、ヨルダン、
シリア、レバノン、キプロスなどをこどごとく上空から眺めることができました。
アラビア湾、砂漠、山脈、地中海、島、雪景色など実に変化に富んでいて、退屈するヒマがありませんでした。
湾岸キャリアが日本にまで来ていないことが残念でなりません。
2 欧亜の狭間で
トルコって、不思議な国ですよね。
地理的にヨーロッパとアジアにまたがってる国なんて、ロシアとトルコ位なものだもの。
イスタンブールなんて、街がアジア側とヨーロッパ側に二分されてて、何だか妙な感じです。
街中を歩いててもどこか街並みがヨーロッパ的で、歩いてる人たちなんかも顔立ちがヨーロッパ人とそんなには変わらない。
だから、本当にトルコはアジアの一員なのかなあ、なんて思ってしまいます。
事実トルコはNATOの一員だし、EUの準加盟国にもなっています。
だから、国としてのトルコの顔が随分ヨーロッパ寄りなのは否めません。
でも、もともとイスラーム国であるトルコがいくら西欧志向だからといっても、ヨーロッパの一員になれるんだろうか疑問です。
イスタンブールは、そんなトルコの今を感じるにはいい場所だと思います。
3 騒がない正月
大晦日にイスタンブールにいた時、年が明けるのを今か今かと待っていました。
トルコは西洋暦を使うから、てっきり「ハッピー ニューイヤー!」なんて騒ぎ出すかと思ったのです。
でも、全然当てが外れました。これがほとんど騒がないんです。
ソワソワしているのは外国人観光客だけで、当のイスタンブール市民たちは
いつもの一日と変わらないように淡々と歩いています。
やっぱりイスラーム教徒にとっては、正月よりもラマダーンの断食明けの日の方が感激するんでしょうね。
国としては西洋暦を使ってるけれども、やはり庶民生活レベルではイスラーム暦(ヒジュラ暦)の方が大切なのかもしれません。
トルコ人に知り合いがいるわけではないので、詳しいことは分かりませんが。
でも、たまにはこんな静かな正月もいいもんです。
お正月に日本から脱出して海外へと向かう人たちも案外、日本の騒がしい正月に嫌気が差しているのかもしれません。
日本の正月テレビほど、退屈なものはありませんから。
4 ブルーモスクの人込み
大晦日の次の日は当然、元旦です。
さて日本人としては初詣へ行きたいわけですが、イスタンブールに神社があるという話は聞いたことがありません。
この街の寺院といえば、イスラームの礼拝所、すなわちモスク位しか見当たりません。
私も有名なブルーモスクに行きましたが、モスクの中には神への祈りを捧げる信者たちが大勢いました。
といっても、別に彼らは初詣に来ているわけではなくして、単に毎日やっているお祈りを今日もしているだけです。
それは日々繰り返される日常風景のワンカットにすぎないのです。
してみれば、年に一度しか行かない初詣とはいったい何なのだろう、という疑問に襲われました。
祈りというものを日常的に行なう人たちを前にして、普段は仏壇にも手を合わせない私はやはり考え込まざるをえなかったのです。
モスクから宿に帰ると、私はザックの中に眠っていた日本のお守りを取り出しました。
なぜか、その日はお守りに手を合わせたくなったのです。
それが私の初詣となりました。
5 観光業の周辺
航空券って航空会社や買う店によって値段が違っていて、なかなか難しい買い物ですよね
私もイスタンブールで航空券を買いましたが、見事にだまされてしまいました。
5000円近くも損したのです。
だまされた私の方が悪いことは明らかでして、それだけに悔しかった。
でも考えてみれば、航空券に限らず、旅行者ってのはその土地の事情にうぶな人間だから、
商売する方も何かとズルをしやすくなる。
地元の人とまったく変わらない条件を得続ける、などということはほとんど不可能なことです。
まるでスーパーに買い物に行って偽装牛肉を見分けるほどに困難なことでしょう。
だから、「どの程度までなら許せるか」という線引きが旅行者各自の課題として常に付きまとってきます。
これに完全を期そうとすると、旅そのものの楽しみなど吹き飛んでしまいます。
しょせん、旅人はどこへ行ってもよそ者です。
小さな悪を許す寛容さが求められるところではないでしょうか?
6 他人事でない街
ソルトレーク・オリンピックも終わり、次はいよいよワールドカップですが、
ワールドカップの本戦へ出るには各大陸での予選を勝ち抜かなければなりません。
トルコはアジアの国ですから、当然アジア予選に出ているのかと思いきや、
なんとトルコはヨーロッパ予選の方に出ているではありませんか。
もっともトルコは強いですから、レベルが下がるアジアに回れば
毎回の本戦出場はまず間違いないところでしょうが。
それでもヨーロッパ予選に出ているトルコ人は、そんなにヨーロッパ人になりたいのでしょうか?
でもヨーロッパってのは一応、キリスト教文化圏のことを指すのでしょう?
だから地理的には完全にヨーロッパ大陸に属しているアルバニアなども、国民の大半がイスラーム教徒だから、
西欧諸国は決してアルバニアを自分たちの仲間だとは思っていないでしょう。
アルバニアでさえそうなのだから、イスラーム教徒の国でしかも国土の97パーセントがアジアにあるトルコが
ヨーロッパの仲間入りをするのはかなり難しいと思うのですが・・・。
トルコはいったいどこへ行くのでしょう?
7 武士の国、日本
なぜトルコなのにサムライなんぞ出てくるのか、と思うでしょうが、
前回の題名にヒントがあります。
そう、イスタンブールは日本人である私にとって「他人事でない街」なのであり、
この街の風景を見ていると、どうしても日本の過去のことを考えたくなるのです。
これ以上書いてしまうとリンクページでなくなってしまうので、詳しいことはまもなくして
出来上がる予定の旅行記「イスラームのざわめき」に譲ります。
ともかく、日本を日本たらしめているのは何といっても700年近くに及ぶ武家統治の歴史であり、
その遺産は未だ現代日本の中に厳然としてあるのです。
目に見える形でのサムライは100年以上前に姿を消したけれども、その精神規範の一部は明治維新、
さらには終戦をも乗り越え、今に生き続けています。
それがこれからの日本にとってプラス要因となるのか、はたまたマイナス要因となるのか、
そこのところの見極めをしっかりと付けておく必要があると思います。
どこの国においても、健全な過去の消化なしには未来への地図は正しくは描けません。
特に冷戦期のイデオロギーという対立軸がなくなった今、
世界のすべての国々において、この過去との対話が始まっています。
日本において言うならば、武士という存在を無視してそれを行うことは不可能だと思います。
8 「武士の時代」の功罪
どうなっていたのでしょう。
もし朝廷による貴族支配が続いていれば、
今「日本の伝統」と言われているものはほとんどはなかったかもしれません。
尚武の精神と小中華思想の欠如は、
この国の独立すら覚束なくさせていたかもしれません。
今より貧しくても、もっとノンビリとした社会になっていたかもしれません。
戦争を起こすのではなく、戦争に巻き込まれる国になっていたかもしれません。
建前など捨てて、本音で生きていけたかもしれません。
もっと普通のアジアの国になっていたかもしれません。
しかし、これらはみなifなのです。
現実には、私たち日本人は武家社会の子孫です。
その歴史からは逃れることはできません。
生かそうが殺そうが、それぞれの民族には過去があります。
そこを起点にするなり、また消化しきるまでは、
未来への座標軸はブレ続けることでしょう。
9 融合の果実、幕府制
幕府制は純粋に日本的なものと一般には受け取られていますが、
その成立の事情を探っていくと外国の制度と切り離せないのが明白です。
幕府制の創始者源頼朝の東国における支配権の認知も、彼の征夷大将軍への就任も、
いずれも朝廷によりなされたものです。
その朝廷の支配は律令制度によっていますが、
この律令制度は中国北方地域から生まれ出た支配システムなのです。
それが7〜8世紀を通じて日本へと移植され、
日本の政治風土に合うように長い時間をかけて改変されました。
幕府制は、その律令改変の動きの中から生まれました。
つまり出自的な面から言えば、
それは大陸の制度と日本の政治風土との融合から生まれた果実であり、
その実りの恵みは以後700年近くにわたって続く武家政治の展開となって結実しました。
最も日本古来の伝統と言えそうなものにさえ、外国の血は流れています。
ですから、この日本という国をこの日本列島内だけで捉えようとすれば、
その実像から遠ざかることになるでしょう。
日本は私たちが思う以上に広く、多様で、多彩な地域のエッセンスを煮詰めた融合の果実としてあるということを、
幕府の成立事情が物語っているように思えます。
10 揺れる振り子
アジアは主な世界宗教の発生地であり、今もなお多くの国が自らの言葉と文字を持っています。
その点でアフリカやラテンアメリカ、オセアニアとは決定的に違っています。
近代ヨーロッパでさえも、その発展のための要素の多くをアジアに依存していました。
この点、欧米文明に対する位置取りはアジアの場合、
他の非欧米文明圏とは違った土台に恵まれていると言っていいでしょう。
今もなお存在する土着の民族的要素と欧米文明的な要素を折衷し、
新たな文明の地平線に立たんとする現代アジアにとって、
近代日本の歴史は無視しえないでしょう。
内と外の文明要素を折衷させ、多くの文明史家から独自の文明圏として認知されるにまで至った日本は、
同じく内と外の文明の狭間で苦闘を続ける現代アジアの生き写しです。
つまり、内と外の間で揺れ続ける二元的存在であるところに、日本と現代アジアの文明的な接点があります。
そして、その振り子の揺れは今もなお収まることなく、アジアを揺らし続けているのです。
11 冬の雲
イスタンブールは厳密に言えば、アジアとヨーロッパにまたがった街ですが、
ここでは便宜上アジアの街としておきましょう。
この街の冬は、それはそれは陰気です。
空にはどんよりと灰色の雲が厚くたれこめ、気温は低く、雪が降ることさえあります。
アジアというと、たいがいイメージ的には南国で寒さ知らず、といった感じが強いですが、
この街はそうした先入観をあっさりと裏切ってしまうところがあります。
アジアの街にしてはかなりヨーロッパ的な色合いを強く感じさせるところに、
東西文明の十字路としてのイスタンブールの魅力があるのでしょう。
ヨーロッパ人にはアジアの、アジア人にはヨーロッパの、
そうした双方の幻影を両立させてしまうところに、この街の懐の深さをしみじみ感じます。