第3部第2章5〜8の写真とコメント


5 気怠い昼



ワディ・ラムを後にアカバへ帰ろうとすると、道へ出て待ってろと言われ、
シリア人行商人たちと一緒に道端に座り込んで待つことにしました。
道にはバス停の標識もなく、行商人たちは荷物のズダ袋の上に座り込んでいました。
私もザックを道に放り投げ、その上に座ってバスを待つこと2時間半以上、
やっとバスが来て乗り込むと、乗客は私以外はみなアラブ人でした。
彼らはカフィーヤを頭に巻いたこの奇妙な東洋人を何の遠慮もなく、ジロジロと見つめてきます。
このバスの中にあっては、異邦人である私そのものが彼らの「観光」の対象にされてしまっているようでした。
観光という行為を旅行者だけに許される狭い意味にとらえずにより広い意味に解釈すれば、
旅人は時に地元の人々の観光対象になることもあるのです。
田舎の国、田舎の地域に行けば行くほど、そうした状況に出会う可能性は高くなるでしょう。
旅人は周りの風景を自らが見る客体として自分と区別しますが、実は他人から見る時、
自分がその風景の一部となって他人にとっての客体になっていることにはなかなか思いが及びません。
すべての人は周りを「観光」しますが、それと同時に周りから「観光」されているのです。
この意味において、人はそのいかなる属性の相違にもかかわらず、まったく平等なのです。
「観光」は、旅人だけに与えられた特権ではないのです。



6 したたかな旅人



写真は、ヨルダン国営ジェットバスの観光バスです。
ジェットバスには、路線バスもあります。
この観光バスほどに立派なバスを使用しているのか分かりませんが
(というのも、私はジェットバスの路線バスに乗ったことがないのです)、
普通の路線バスよりも運賃が高いので、たぶんいいバスを使っているのでしょう。
このジェットバスはたぶん値切れないと思いますが、普通の長距離バスなら値切ることもできます。
だから行き先が一緒でも、車内に乗っている客みんなが同じ値段で乗っているとは限りません。
乗り込む前の運転手との交渉で決まった値段は、人によってそれぞれ違うからです。
こうした料金が交渉制になっているバスはたぶん、みな個人経営のバスなのでしょう。
だから、決まった運賃など初めからないのです。
乗る前に交渉しなければならないなんてちょっとシンドイ感じもしますが、こうした異文化体験もたまにはいいものです。
それに高級なジェットバスと違って、そうした個人経営のバスでは観光客の姿などはあまり見かけないし、
道から外れて村の中まで入って行ったりして、移動そのものが十分旅に値する体験となったりします。
みなさんもヨルダンに行ったら、ぜひ個人経営のバスに乗ってみてください。
ヨルダン人の気質に触れるいい機会にきっと恵まれることでしょう。


7 サバイバル・ゲーム



ぺトラ遺跡の目玉は何と言ってもエル・ハズネ(写真)ですが、これはいきなりやってきます。
遺跡地区へと通ずる岩山の間を走る細い道が両側の崖から解放された瞬間、目の前にドーンと出てくるのです。
それはそれで感動はしますが、何もいきなりはないだろう、という感じもします。
最初にハイライトを見てしまった後のドラマを見るのと同じで、
その後に続く遺跡たちには悪いですけど、何かテンションが下がってしまった心持ちで見てしまいます。
エル・ハズネと比べれば、どれも若干の見劣りが感じられるのは致し方ありません。
何とか遺跡地帯の一番奥まった所にあるエド・ディルがその存在感でもって救ってくれていますが、
これとて小高い岩山を登ったところにあるので、見落とされる可能性もあります。
ですが、ぺトラに行ったら、ぜひともエド・ディルまで足を運んで見てくることをお勧めします。
最初と最後にハイライトがあって、その中間にちょっとたるんだ感じが漂うこの遺跡はなかなか鑑賞が難しい遺跡ですが、
入場料が高いので、一日ゆっくりと時間をとってじっくりと味わうことをお勧めします。
そうすれば、私が「たるんだ」と形容してしまった中間の遺跡群の地味な味わいもじっとりと身に沁みてくることでしょう。
そうなれば、ぺトラはもうしっかりとあなたの中に息づいていることでしょう。
一日の入場料が何千円もするんですから、せめてその元だけはとって帰りたいものですよね。


8 それぞれのぺトラ



ぺトラ遺跡の近くの村で、イラクから逃げてきた人に出会いました。
彼は、「サダム・フセインがいる間はイラクには帰りたくない」と言っていました。
今、世界は対イラク攻撃を巡って大騒動していますが、私はイラクそのものよりも、
むしろイラク攻撃がイラク周辺の中東地域全体の不安定化につながることの方が気になります。
特にヨルダンは国民の60パーセント以上がパレスチナ人であるにもかかわらず、ヨルダンの政権は親米政権なのです。
したがって、対イラク攻撃とそれに伴って起こるであろうイスラエルのパレスチナ攻撃という
二つの軍事行動の影響をもろに受けることになるでしょう。
もし国民がイラクとパレスチナを支持し、それに対して政府がアメリカ寄りの姿勢を取り続ければ、
そこから政治的な突発的事件が発生する可能性があります。
サウジアラビアや湾岸の首長国とて、例外ではありません。
これらアラブ穏健派の国々の政権が軒並み倒れるようなことになると、大変です。
アラブの人たちの穏やかな優しさを知る者にとって、このたびのイラク攻撃はできれば平和的に解決できないものかと思います。
アラブは政権レベルではそれぞれ主権国家として分立していますが、
民衆レベルでは同じアラブ民族としての連帯感を国境を越えて共有しています。
その伏流水のような底流における意識の広がりを、アメリカは軽視してはならないと私は思います。