1 公定レートと実感レート
写真はぺトラ遺跡ですが、ここの1日の入場料は20ヨルダン・ディナール(約3300円)です。
しかし首都のホテルに相部屋で泊まると、1人当たり2ディナール(約330円)しかしません。
つまり、ここの入場料は宿代の10倍もすることになります。
日本ではホテルで相部屋というのはあまりないですので、最も安いカプセルホテルで考えてみると
だいたい2500円ほどですから、日本で言えば、ここの入場料は実に25000円に相当することになります。
私はこういう風に外国の物価を日本円に換算した絶対額で計るのではなく、
その国の諸物価の中での相対的な水準比較によって物価を計ることにしています。
日本は世界で最も物価の高い国ですから、それと比べると外国の物価が何でも安くなるのは当然なのです。
最初のうちはそれはそれで楽しいことですが、半年も旅をしているとそうそう能天気に喜んでいるばかりでは何か空しくなってきます。
周囲のアラブ諸国と比べるなりして、その地域に即した物価感覚を身に着ける方が楽しいのです。
そうして世界各地の複数の物価感覚を身につけると、それだけ自分の価値観が豊かになる気がします。
でも旅を終えて日本に帰ってくると、日本の物価を素直に受け入れられず、すぐに途上国のそれと比較してしまって
極端に支出に敏感になり、苦労するはめになります。こういうのをバックパッカー病とでも言うんでしょうか。
外の世界に少しでも触れた人間は、日本と言う国の心地よさに疑問を持ち始めた瞬間、がぜんこの国で生きづらくなります。
これもバックパッカー族の宿命なのかもしれません。
2 風景と自分
遺跡は一人で散策するのがいいですね。
一人でじっと遺跡を見つめていると、遺跡の方から何か語りかけてくるような、そんな気がします。
その語りかけは、人によって様々に異なることでしょう。
遺跡は、その人の心の世界とあまりにもかけ離れたことは話題にはしません。
その人がその時、そこで考えていることに即して話題を提供してくるでしょうから。
だから遺跡と対話するには、見るこちら側の心中にも何らかの蓄積が求められます。
遺跡だって、何も心の中に持っていない人と話したってつまらないでしょうから。
そういう意味では、遺跡と対する時、人は自らの内的な充実度を計られることになるとも言えます。
その挑戦を受けて立ち、緊張感に満ちた主観的な対話を続けるためにも、
遺跡を見に行くにはやはり一人であることが望ましいと思います。
遺跡との間にスリリングな関係を持ちたいと願う人はぜひ一人で遺跡に立ち向かい、言葉なき対話を経験してほしいと思います。
(写真は、ジェラシュのゼウス神殿)
3 静かな午後
オランダ人を英語でthe Dutchと言い、また割り勘にすることを go Dutchと言うらしい。
それ故、オランダ人というと何となくケチなイメージを持ってしまうのですけど、私がオランダ人のカップルと
タクシーに乗り合わせた時、彼らは私の分まで払ってくれて、決して割り勘にしようとはしなかったのです。
私が相当貧しく見えたのかもしれません。
ただ、割り勘というのは単にケチなのではなく、合理的な決済方法ということなのかもしれません。
それなら、英語の用例も理解できなくもありません。
何せオランダは合理的ということで、薬局店での麻薬の販売を合法化したり、風俗産業を国有化したりしている国なのです。
そうした超合理的な精神が割り勘というものを生んだのかもしれません。
でも、私は彼らの割り勘の対象にはならなかった。
何か半人前扱いされているようで、釈然としない感じです。
そういうことなので、今回の写真掲載はご勘弁下さい。
4 特別な町
ガイドブックに「ここはこの国最大の見所」と書いてあっても、それがその人にとっての最大の見所であることはまれでしょう。
あえて、ここでそう言い切ってしまいましょう。
なぜなら、私の経験から言ってもそういうことは本当にまれだったからです。
旅人には観光名所が目的である旅を続けられる人とそうでない人がいるようで、どうやら私は後者の部類に属するようです。
私の場合、観光名所は人との出会いを取り持つ手段にすぎません。
そこにあるから出かけていく、その出かける口実にすぎないということです。
そこへ行く途中で、またはその場所で、あるいはそこからの帰り道で数多くの出会いに遭遇するのです。
こうした計算できない偶然の喜びが長い旅を支える原動力になっていたように思います。
旅先で自分に向けられる他人の優しい笑顔が、一人旅の孤独にまみれた寂しい心を癒してくれる。
心にいつまでも残って消えない人々との出会いのあった町こそ、私にとっての「特別な町」なのです。
みなさんの「特別な町」はどこですか?
きっと、人それぞれに違うことでしょう。
そこにこそ、旅の神様の粋な計らいがあるように思います。
5 丘からの眺め
私がヨルダンに行った時、ちょうどラマダーンの断食中でした。
イスラーム暦のラマダーン月(第九月)に、イスラーム教徒は一ヶ月間にわたって日が昇っている間断食するのです。
その代わり、日が沈んでいる間はいつもより品数を多くして豪勢な食事を取るそうです。
この断食は異教徒には関係ないのですが、
街中の食堂の営業や飲食物の売買もかなり制限されますから、影響を受けないわけにはいきません。
まあ、ホテルの中なら外国人向けのレストランなり売店があるので困りはしませんが。
一度田舎へ行った時、パンを売っているのを見かけたので買いました。
探せば、昼間でもパンくらいは売ってるようです。
でもおおっぴらに食べるわけにもいかず、バスに乗って後ろの席に隠れてコソコソと食べました。
断食に耐えてる人たちを前にしてモシャモシャ、というわけにもいきませんからね。
というわけで、私はラマダーンの断食に付き合ったことはありません。
そして、そのことでとがめだてする人に一人も出会いませんでした。
イスラームは異教徒には本来、寛容な性格を持っているのです。
ユダヤ人差別はキリスト教徒が行ったのであり、オスマン・トルコ時代のパレスチナではユダヤ人もキリスト教徒も
信仰の自由と居住権を侵害されることなく、イスラーム教徒と共存していました。
歴史をちょっとでも遡ってみるならば、イスラームの本質が分かります。
過激派テロリストたちの所業だけでイスラームを即断することなく、
大多数の穏健派のイスラーム教徒たちの声に世界はもっと耳を傾けるべきだ、と私は思います。