6 警察署でのアシスト
警察署へビザの延長申請に行ったのですが、いつの間にか警官の頼みごとを聞くはめになってしまいました。
彼は空手の有段者でその証明書を持っているのですが、その証明者というのが日本の松涛館(しょうとうかん)なのです。
まあ、空手は日本のものだから当然と言えば当然ですが、その証明書というのが日本語で書かれているのです。
日本語を読めない外国人に渡すにしては、何とも不親切です。
それで彼は読むに読まれず、困っていたそうです。
私が日本人だというのでその翻訳をお願いしたい、と言うのが彼の頼みでした。
彼は英語が分かるので、英語を介して日本語をアラビア語に翻訳できたのですが、
この証明書もその人の国の言葉とまではいかなくとも、せめて英語で書く位のことはできないのでしょうか。
空手ほど国際化が進んだ分野においても、実情はこの程度のようです。
その警官は自分の頼みごとを聞いてくれたからというのではないのでしょうが、3ヶ月滞在を無料で許可してくれました。
思い出に写真でもと思ったのですが、警察署内では写真撮影はできないとのことで、断わられてしまいました。
だから、今回の写真はありません。
職務柄、なかなかその素顔に触れることの少ない人たちですが、その人間味あふれる言動に少しホッとした気がしました。
7 新旧の混在
長い旅をすると撮影済みのフィルムがたまってきますので、私は現地で写真にしてしまいます。
国によって写真の仕上がりに差があったり、値段にばらつきがあったりして、
そういうところからいろいろな国々の技術水準や物価などを推し量ることができるというメリットがあります。
ヨルダンで作った写真はかなり高品質で(なんでも、印画紙にゴールドペーパーを使っているとか)
良かったのですが、値段はかなりしました。
日本でプリントすれば世界最高水準の出来栄えになるのは分かっていますが、
途上国で作った写真もそんなに悪い出来ではありません。
ただし国の物価水準はそれぞれ千差万別なのに、写真の値段は不思議とそれに比例しないで
どの国でもだいたい同じ値段なのに気づきました。
だから物価が安い国に行くほど、写真の値段は相対的に割高な感じがするわけです。
一般の生活必需品とは違って、普通のアジアの国々では写真はまだぜいたく品の部類に入るのか、
その国の物価メカニズムからかけ離れて存在している感は否めません。
みなさんも外国で写真を作ってみてはどうですか?
1枚の写真がきっとあなたにいろんなことを教えてくれることでしょう。
8 通貨に隠れた叡知
上の写真は上1枚がエジプト・ポンド、下2枚がイラン・リアルです。
現在国連の経済制裁下にあるイラクのお金イラク・ディナールはなかなか手に入れにくいですが、
隣国のヨルダンの首都アンマンで入手ができました。1997年2月の段階です。
そこから日本へ向けて郵送で送りましたが、結局、届きませんでした。
中身に勘付かれてしまったのかもしれません。
というわけで、写真でお見せできないのが残念です。
イラク・ディナール紙幣は大判で、表にはサダム・フセインの肖像が刷られていました。
私が手に入れたのは250ディナール紙幣で、これは当時のレートで約120円に当たります。
つまり、約1ドルに相当するわけです。
今持っていれば、かなりのプレミアがついたであろうことは確かでしょう。
このイラク・ディナール同様、写真のイラン・リアルも海外に一歩出るととたんに通用性がなくなってしまうシロモノでした。
西側世界の論理で動いている世界経済界においては、西側からの評価が通貨の通用性にダイレクトに影響するわけです。
このように旅人という身であっても、通貨という限られたものからでも世界経済の仕組みを垣間見ることができます。
そうした観察者にとって、ヨルダンの首都アンマンの両替屋は貴重な存在です。
ここでは西側主要通貨はもちろんのこと、湾岸通貨や中東の主な通貨、
特にニュー・イスラエル・シェケルやイラク・ディナールを入手できるからです。
中東各国が特に神経質になるイスラエルとイラクに独自の外交的パイプを持つヨルダンならではの現象、と言えます。
このアラブの小国が中東世界において、その国力からすれば過大とも思えるほどの影響力を発揮している背景には、
こうしたヨルダン外交のしたたかさがあるわけです。
この国に様々な通貨が集まってくるのは、そうしたヨルダン外交の叡知の表れでもあるのです。
9 国境への道
普通、ある国に入国する時にはパスポートに入国印が、また出国するときには出国印が捺されるわけですが、
国によってはそれがない場合もあります。
一番一般的なのは、西ヨーロッパ諸国同士の間を行き来する時です。
西ヨーロッパ諸国間においては、シェンゲン条約という条約によって、ヨーロッパ市民権保持者であれ、外国人であれ、
加盟国間同士を行き来する人間に対しては出入国検査を行わないことになっているのです。
ヨーロッパ市民権を持たない外国人の場合、ヨーロッパへ最初に入った国と最後に出発する国の出入国印しか捺されません。
例えば、日本人がフランスからヨーロッパ周遊を始めドイツから日本へ帰るとなると、
何カ国の国を廻っても、パスポートにはフランスの入国印とドイツの出国印しか残りません。
厳密に言えば例外があって、そう単純には言い切れないのですが、原理的に大雑把に言えばそうなります。
あと、イスラエルはヨルダンとの間を指定された出入国地点で出入りする限りにおいては出入国印を捺しません。
ただしこれを確認したのは1997年1月のことで、今はどうなっているのかは分かりません。
というのも、こうしたことはその当事国の外交関係如何によってどうにでも変わっていくものだからです。
あと、旧ユーゴスラビア諸国間、およびその周辺諸国との間の行き来においても印を捺したり捺さなかったりしていました(1997年)。
こうした状況はめまぐるしく変わりますが、そのことが現代の国際情勢の変化の激しさを物語っています。
ともあれ、昔の旅人にとって、国境とは写真のごとくそそりたつ岩山に挟まれた細道のように通り抜けるに険しい難関でしたが、
今はだんだんとその険しさもなくなりつつあります。
そうして旅が容易になったことがいいことなのか、それとも旅の醍醐味を無くさせてしまっているのか、評価が分かれるところですが、
国境でのこうした不可解な現象は今もある者を悩ませ、またある者を喜ばせもしているのです。