1 西方世界への入口
写真は、マサダの丘の上から見た死海です。
ヨルダン川はこの死海に流れ込む川で、ヨルダンの地を東西に分けています。
この川より東側がトランスヨルダンと呼ばれヨルダン領に、西側がシスヨルダンと呼ばれヨルダン川西岸地区になっています。
現在紛糾しているパレスチナ紛争は、ガザ地区とともに、このヨルダン川西岸地区をめぐって起こっています。
アンマンからエルサレムへ向かうにはこのヨルダン川を越えていくのですが、
有名な割りにはその流れは小さく、あっという間にバスは橋を渡ってしまいました。
このバスは、ヨルダン側の国境検問所とイスラエル側の国境検問所の間を走っています。
けっこう距離がありますが、ハイデッカータイプの豪華バスなので快適です。
こんなバスに乗りながらヨルダン川を眺められるなんて、いい時代になったものだとつくづく思いました。
今でもこの国境はあの当時のように穏やかなんでしょうか。
パレスチナとイラクの双方がきな臭い今、そんなことがふと気になったりするのです。
2 「世界の基礎石」
写真は岩のドームです。
神殿の丘の上に建つこのドームの黄金の屋根は、エルサレムのシンボルともいえる存在です。
このドームの中には、この名の由来ともなった岩があります。
この岩は、ユダヤ教が世界が創造された際の「基礎石」として世界の中心ともみなす重要な岩です。
それだけにこの岩にまつわる伝説は多く、アブラハム、ダビデ、ソロモン、イエス、
大天使ガブリエル、マホメットなどに関わる逸話が今に伝えられています。
これらはユダヤ教やキリスト教、イスラームなどの一神教に関わる人たちです。
このドームは世界の主要な一神教のすべてが重要視する、世界でも最大級の聖地なのです。
それでは、普通の日本人にとっての聖地とはどこになるのでしょうか。
日本神道で言えば、伊勢神宮でしょうか。
仏教としては、ブッダ・ガヤーなどが挙げられるでしょう。
しかし、日本人の間では「聖地巡礼」という行為はあまりメジャーなものとしては受け取られていないようです。
しかし信仰に重きを置く一神教徒たちにとってのエルサレム、特にこの神殿の丘の重要性を考えるならば、
パレスチナ問題がここまで紛糾する理由もよく理解できるのではないでしょうか。
ちなみに、奈良県桜井市に鎮座する大神神社はその昔大和国の一宮とされ、さらにさかのぼると天皇家よりもその歴史は古く、
大和の土地神としての崇敬を受けており、天皇家はこの土地神の祭祀を務めることで大和入りが許されたという説もある位、
由緒のある神社ですが、そこのご祭神は一つの岩だそうです。
天皇家を中心とする大和朝廷の権力が拡大していくことを通じて形成された日本という国にもし基礎石があるとしたら、
この大神神社のご祭神である岩こそがそうなのかもしれません。
ただ、これはそうかもしれないというだけで、確定しているわけではないのですが、
そのような重大なことがあいまいなままにされていても誰も何とも思わないのが、日本という国の幸せなのかもしれません。
3 ゴルゴダの丘の日本人
写真は、エルサレムの聖墳墓教会の夕方のミサです。
私はキリスト教徒ではありませんから、生まれて初めて見るミサでした。
それが聖墳墓教会のものというのも、我ながら大変なぜいたくをしたものだと思います。
写真で左側の一番手前に写っている人が、日本の方でした。
何でも、ローマ・カトリックから派遣された方だそうです。
このミサが終わった後、この方に聖墳墓教会を案内していただきました。
これもまた、大変ぜいたくなことではあります。
何せ、この教会はゴルゴダの丘の上に建ち、イエスの墓を守る教会なのです。
世界中のキリスト教徒が一生に一度は訪れたいと願う、キリスト教世界最大の聖地といっても過言ではありません。
私はローマのバチカン宮殿やサン・ピエトロ寺院を見たことはありませんが、写真などで見る限り、大変壮麗な印象を受けます。
それに比べるとこの聖墳墓教会はこじんまりとしていて、比較的質素な印象を受けます。
しかし、バチカン法王庁はカトリック世界の総本山にすぎません。
それに対して、この聖墳墓教会はカトリックのみならず、東方正教会、
プロテスタントなど、世界に存在するあらゆるキリスト教の会派の聖地です。
キリスト教発祥の地なのです。
何せ、ローマのサン・ピエトロ寺院はキリストの弟子の一人である聖ペトロの聖地にすぎません。
格の違いから言えば、断然、聖墳墓教会の方が上なのです。
言わば、弟子筋が出世して本家が没落したような感じですが、
これは京都の大寺社の本家筋の多くが奈良の古社寺であることをよく知る私にとってはたいへん親近感を覚える状況です。
キリスト教においては何かカトリックやプロテスタントだけのように思っている人が多そうですが、
キリストの教えに最も忠実に伝統を守り続けている東方正教会に対する理解があまり進んでいないことは残念なことです。
キリスト教を理解するには、古代キリスト教の理解を避けては通れません。
ヨーロッパの壮麗な寺院もいいですが、
それと同時にイスラエルの聖地をも巡り、キリスト教の原風景に触れることも必要なのではないか。
特に日本人の姿を見かけることの少ないエルサレムにいると、そう考えざるをえません。
ヨーロッパの本質に触れようとするならば、ヨーロッパのみならず、ぜひともこのイスラエルの地を訪れてほしいと思います。
4 白人天国
一口にバックパッカーといってもその出身国は様々ですが、だいたいは日本を含む先進国の人々が中心です。
彼らは日本人を除くとだいたい欧米諸国民ですから、白人ツーリストが主体になるのは当然です。
ただし私たち日本人から見ると、彼ら欧米系白人の国籍を一目見ただけでは断定できませんから、
どこの国のパッカーが一番多いかということはさっぱり分かりません。
ですから、「日本人と欧米人の数」という非常に大雑把な比較しかできないわけです。
東南アジアや中国などの東アジアでは日本人が優勢でしょう。
イスラーム諸国でも日本人は健闘しています。
しかし、イスラエルにおいては完全に欧米系パッカーに圧倒されています。
さすがはキリスト教発祥の地ですね。
この国では、日本人は本当に肩身の狭い思いをすることになります。
その反動もあってか、日本人パッカーの多くはイスラエルよりもイスラーム諸国に親近感を覚える人が多いようです。
日本のマスコミも、ユダヤ人よりはアラブ人寄りの報道をします。
私自身、ユダヤ人にはあまり親近感が湧きません。
日本人の中東問題に対する感覚が欧米人のそれとはちょっと違うという国民感情の問題は、
バックパッカーにも等しく当てはめることができるようです。
写真は、シリアのパルミラ遺跡で撮ったものです。
たぶん欧米系の旅人たちだと思いますが、男一人に女五人のハーレム状態で、何ともうらやましい思いがしたものです。
エジプトやトルコ辺りには日本人の女の子も多いのですが、シリアやヨルダン、イスラエルとなるとその数は激減します。
その代わり、根性の入った女性が多くて話をするには面白いですけど。
この地域が日本人にとってメジャーな観光地になるのは、まだまだ先のことのようです。
5 歴史のカン詰め
現在のイスラエルはユダヤ人が主導する国なのでユダヤ一色の国のように思われがちですが、
実際にこの国を訪れてみるとその歴史の多様さには目を見張るものがあります。
エルサレムの旧市街は四つの地区に分けられ、イスラーム教徒とキリスト教徒、ユダヤ教徒とアルメニア人がそれぞれ共生しています。
三大一神教徒の他になぜアルメニア人の地区があるのか、などと疑問を覚えた方は、
ぜひアルメニア人地区にあるマルディジャン博物館を訪れてみてください。
アルメニア人という小さな民族が世界史上においていかに特異な地位を占めているか、
ということに思いをはせるのも無駄なことではないでしょう。
エルサレムに限らず、イスラエルが建国される以前のこの地はパレスチナと呼ばれ、様々な国家の支配を受け、
様々な宗教、民族の集団が行き交い、また共存してきました。
ビザンチン帝国、サラセン帝国、十字軍、モンゴル帝国、オスマントルコ帝国などによって様々な歴史がこの地を舞台に織り成され、
その痕跡を今も留めるイスラエル(パレスチナ)の地は、
我々仏教モンスーン圏に住む人間にとってはもう一つの世界とも言える西方世界を見る上で偏りのない視座を与えてくれることでしょう。
ちなみに、写真は北部ガリラヤ湖畔の町ティベリアに残る十字軍の城壁です。
イスラエルは、まさに歴史の宝庫なのです。