6 異教徒の巡礼
写真は、ガリラヤ湖畔にある「パンの奇跡の教会」の床に残されたモザイク画です。
こういったものを見る時、聖書の知識があるのとないのとではその見聞の有り様は大きく違ってきます。
というより、イスラエルの観光はほとんど聖書にちなんだものなので、聖書を読んでいればたいへん面白い国なのです。
逆に言えば、聖書の知識がない非キリスト教徒にとってはあまりおもしろい国とはいえない、ということでもあります。
これに対し、イスラーム諸国はコーランの知識がなくともある程度は楽しめます。
何せ、あまりにもその生活風景が日本とは違いすぎるからです。
異国情緒にあふれているということです。
しかし、イスラエルは表向きは西側先進国とそれほど変わったところはありません。
ユダヤ教の戒律も、ユダヤ人の生活に深く関わるのでなければそれほど目立ちません。
だから、手ぶらで気軽に異国情緒を楽しみに行くという国ではないことは確かなようです。
このあたりに日本人観光客の姿が少ないことの理由があるのかもしれません。
物価も高いですし、特に今は治安もあまりよくないですし。
このように国全体が聖地と言っていいこの国は訪れる旅人に対して高いハードルを課しますが、
しかしそれを乗り越え進みいく人に対しては実りある成果を用意してもいるのです。
日本に帰って世界のニュースを見る時に、きっとそのことを実感できることでしょう。
7 観念的国家の苦しみ
イスラエルは、世界中からのユダヤ人移民が集まって作った国です。
彼らは二千年の間世界中のいろいろな国に同化して生きてきましたので、人種も言葉も様々です。
そんな彼らを結び付けているのは、ユダヤ教の信仰とユダヤ民族としての過去の苦難に満ちた歴史です。
この信仰と歴史に対する純粋さが、彼らをこのパレスチナの地へと導いてきました。
民族としての統一を確固としたものにするため、彼らは半ば死語と化していたヘブライ語を復活させ、
二千年の空白の歴史を埋めようとするかのごとく、新しい国を作り、守ってきました。
しかし、ここにはその二千年の間に住み着いていたアラブ人たち、いわゆるパレスチナ人たちがいました。
彼らはある者はヨルダンへと逃れ、またある者はイスラエルに残り、またはある者は難民となりました。
結局、イスラエルは主にヨーロッパにおいて自らに加えられた迫害を、この地上においてパレスチナ人を相手に再現してしまったのです。
アラブ人たちは、かつてユダヤ人たちを宗教的な意味で迫害したことはありません。
迫害したのは、ヨーロッパのキリスト教徒たちです。
キリスト教徒たちはヨーロッパにおけるユダヤ人との共生に失敗し、
ユダヤ人たちをパレスチナの地に戻すことで、自分たちのしたことの尻拭いをアラブ人たちに押し付けたのです。
ユダヤ人への迫害はドイツのみならず、イギリス、フランスを中心としたヨーロッパ内部の問題として、
本来であれば処理されるべき性格の問題であったはずです。
パレスチナ紛争において対立し合うユダヤ人とアラブ人は、両者とも相手にすべき存在を取り違えているように私には思えます。
両者はともに同じ意味において被害者であり、本来であれば共闘関係にさえ立てるはずなのです。
イラク問題を含めた中東における紛争の原因の多くは、アメリカを含めたヨーロッパ列強によって作り出されたものなのです。
そうした歴史的経緯を忘れた短視眼的な視野が中東の分裂と不安定につながっていることを、中東各国は認識すべきではないでしょうか。
(写真は、アラファト議長とパレスチナ国旗をかたどったポスターです。
パレスチナ暫定自治区ヨルダン川西岸地区領エリコにて、撮影。)
8 メジャーの源
エルサレムは世界三大一神教徒の街であるだけに、いくつもの安息日(休日)があります。
イスラーム教徒は金曜日が休みであり、ユダヤ教徒は金曜日の午後から土曜日の午後までにかけてが安息日(シャバット)となり、
キリスト教徒は日曜日に休みを取るのです。
同じ街に住んでいながら、みなそれぞれの生活リズムは厳格に守っているのです。
安息日には商店も飲食店も閉まってしまいますから、エルサレムでは金曜日の旧市街のムスリム地区、
日曜日の同じく旧市街のクリスチャン地区、そして金曜の午後から土曜の午後にかけての旧市街ユダヤ人地区と
新市街地区は火が消えたように静かになってしまいます。
彼らの生活は宗教を軸にして、展開されているのです。
これにアルメニア人も加わるわけですから、エルサレム、特にその旧市街は本当にモザイク都市の観があります。
多様な要素の混沌とした共存、それこそがエルサレムという街の魅力の一つのように私には思えます。
写真は、金曜日に行われるヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の行進の様子です。
悲しみの道というのはイエスが十字架を担いで歩いた道のことで、これはそれにちなんだ行進なのです。
写真では道の右側をイスラーム教徒たちが、左側を行進に加わるキリスト教徒たちが歩いていますが、別に何も騒動は起こりません。
こうした雑然とした混沌こそが、エルサレムの日常風景なのです。
9 ユダヤ人の二面性
ユダヤ人が最も多く住む国はイスラエルではなく、アメリカ合衆国です。
またイスラエル国民のすべてがユダヤ人なのではなく、その20パーセント弱はアラブ系です。
つまり、イスラエルは純粋なユダヤ人国家ではありません。
ただ、世界で唯一、ユダヤ人が最大多数を占める国なのです。
だから国内にはモスクが今もあり、中で礼拝が行われている所もあります。
パレスチナ難民だけでなく、これらイスラエル国内で生活を続けるパレスチナ人たちに対しても関心を持つことができれば、
イスラエルという国の姿がより正確にとらえられるようになるのではないかと思います。
10 混血児としての価値観
民族の定義は一般には同じ言語を話し、同じ文化を共有する人々の集団を意味すると思いますが、
ユダヤ人には黒人もいれば白人もいるし、話す言語も住んでいる国によって様々ではありますが、やはりみなユダヤ人です。
ユダヤ人の場合は、「ユダヤ教徒である」という一点においてみなが結ばれているという感じです。
ユダヤ人はかなり特殊な例ですが、民族の定義を厳密に突き詰めていけば、
完全な分類というものはまず不可能なのではないか、と思えてきます。
例えば、アメリカ人の分類などどうするのでしょう。
彼らは人種も言語も宗教もさまざまで、みなが以前に住んでいた国の文化を容易には捨て切れていません。
そして同じ民族同士で固まって、小さなコミュニティをそれぞれに作っています。
こうなると、アメリカ人というのは「アメリカ国籍を持っている者」という意味合いしか持たないことになり、
純粋な意味で「民族」とは呼べないシロモノになってきます。
こうしたきわめて曖昧な定義しかできない民族というものに突き動かされている現代世界が不安定なのは、当然だと言えるでしょう。
民族の中に民族があり、また民族の外にも民族があったりするのです。
こうした民族定義を巡るゴタゴタが世界の紛争の原因となり、時にはそうした状況が故意に作り出されてさえいる現状は、
国民国家概念の再検討を提議する大きなうねりとなって、世界を今日も揺るがしています。