第3部第5章1〜5の写真とコメント


1 ドミトリーの幸福



ドミトリーとは、多人数で宿泊する相部屋のことをいいます。
日本では相部屋の宿というのはあまり一般的ではありませんが、
海外での安宿にはこの形式のものがかなりあり、多くのバックパッカーたちがこうした部屋に泊まっています。
日本では考えられないことですが、見知らぬ男女が同じ部屋で同宿することもあります。
そればかりか、シャワー室が一つしかなく、男女が順番を待ちあって入浴する、などといったことも少なくありません。
パリで泊まったユースホステルなどは中庭のど真ん中にシャワー小屋が建っていて、
どこの部屋からも丸見え(もちろん中は見えませんが)、なんてのもありました。
私が扉の前で待っていると、バスローブ一枚を体にまとっただけの格好でうら若いブロンド美女が
「ハーイ、お待たせ。」などと言って出てくるのです。
欧米人はこういうことには本当に無頓着なようで、慣れぬ日本人はそのたびにドギマギしてしまいます。
入れ代わってシャワー室に入ると彼女の残り香が熱い湯気の中にプンプンしていて、ものすごく幸福な気分になるのです。
こうした幸福を知ってしまうと、もう高いホテルのシングル部屋など見向きもしなくなるのも当然です。
かくして、私はすっかりドミトリーの虜となってしまいました。
写真は、エルサレム旧市街の全景です。
様々な民族、宗教が同居するこの街は、さながら一神教徒たちのドミトリーと言えなくもありません。
彼らにも「ドミトリーの幸福」とも呼べる幸せな同居ができる日が来ることを、ドミトリー愛好派の私としては願わざるをえません。


2 湖畔の月影



夕食を500円位でとろうとすると、物価が高い国ではサンドイッチやホットドッグに牛乳、
などという朝食のようなメニューになってしまいます。
イスラエルは特に食費が高くつく国です。
あるスーパーマーケットでハンバーガーとジュースを一つずつ買っただけで840円も取られる位なんですから。
結局、私の予算ではイスラエルにいる間に満足できる夕食にはついに巡り会えませんでした。
写真は、ヨルダンのホステルでのバイキング形式の夕食の様子です。
実はこの隣にももう一つテーブルがあって、たんまりと食べ物が並べてあるのでした。
私のように限られた予算で夕食を食べる者にとっては、
物価の安いアラブ諸国の方がイスラエルよりいい食事ができるので居心地がいいのです。
アラブ人の人の良さもあいまって、旅人がアラブびいきになってしまうのも致し方ないことなのかもしれません。


3 聖書の舞台



その日の宿代は730円でしたが、昼食は840円もかかりました。
何もそんな大そうなご馳走を食べたわけではありません。
ハンバーガーとジュースを一つずつ、食べただけです。
イスラエルは何とも食費のかかる国なのです。
上の写真は、山上の垂訓の丘に建つ教会です。
「求めよ、さらば与えられん」や「狭き門より入れ」などのイエスの教えはここで説かれました。
まさに聖書の舞台です。
教会の周囲の自然は本当に美しく、まさに天国のように思えました。
パレスチナ紛争のニュースによる画一的な殺伐としたイメージだけが一人歩きしているようですが、
それはイスラエルにとっても私たちにとっても不幸なことだと思います。



4 心の風景



イスラエルはどちらかと言うとあまりくつろげる感じがしない国でしたが、ガリラヤ湖だけは例外でした。
ここに来れば、イスラエルのイメージが今までと違ったものになるでしょう。
私は1月に行きましたが、湖の周囲の丘には花々が咲き乱れ、それはそれはきれいでした。
イエス・キリストが宣教した土地と言うこともありますが、それだけではない土地自体が持つ癒しの力のようなものを感じました。
心に残る風景とはこういうものなのだろうなあ、と思いました。


5 矛盾からの創造



上の写真はナザレの受胎告知教会に展示されている「聖母子の絵」で、これは中国版です。
マリアが幼子イエスを抱いているのですが、国によってマリアとイエスの姿や格好が様々です。
マリアは処女のまま、イエスを身ごもりました。
そのことを天使がマリアに告げたのが「受胎告知」で、この教会の祭壇の下にその時の舞台となった洞窟があります。
この「処女のまま」というあたりがうさん臭いのですが、それでキリスト教という世界宗教が生まれたのですから、
これは「大いなる矛盾」と言ってもいいでしょう。
矛盾は時に大いなる創造の源になるという、実にいい例だと思います。