第3部第5章6〜10の写真とコメント


6 港町の人々



上の写真はヨルダンのアカバ港の夕暮れを撮ったものですが、
どこの国でも港町は開放感があっていいものです。
イスラエルではアッコという港町に泊まりました。
4000年ほどの歴史を刻む旧市街の南端に小さな漁港があり、人々が網で魚を取っていました。
イスラエルにもこうした穏やかな日常があると思うとホッとしますが、
実はこの旧市街にはアラブ系住民が住み、ユダヤ系住民は新市街に住んでいて、
両者の間には複雑な感情があるらしく、やはりここもパレスチ紛争の影響から逃れてはいられないのでした。
そうした厳しい現実を生きつつも、そんな悲しみさえ飲み込んで、
明るく屈託のない日常風景を日々生み出し続けている港町の人々に、
私は頭が下がる思いがしたものです。


7 心の富者



富は普通、物質的財貨と考えられていますが、
それだけなら金や物を多く持てば持つほど人は幸せになるかというと、実際にはそうではありません。
それは、富のもう一つの存在の仕方を見落としているからです。
そして、そうした富の方が他者から決して奪われることのない唯一確実な財産であることを、つい人は忘れがちです。
それは体の外に存在しないものなので、奪いようがないのです。
そうした富こそが幸せにより近い位置にあるのです。
こうした数値化できない富を最も意識しているのが、宗教です。
上の写真は、ナザレの受胎告知教会の祭壇の下にある洞窟です。
ここは天使によるマリアへの受胎告知がなされた舞台として世界中のキリスト教徒にとっての聖地ですが、
見たところ、古く煤けた穴ぐらがあるだけです。
しかし、これこそが世界中の十何億人の人々の幸せを保証していることを思う時、
数値化できない富の力を目の当たりにする思いがします。
物質的な富は幸福の必要条件ではありますが、決して十分条件にはなりえないのです。


8 理不尽なラストパンチ



イスラエルを出国する時に、出国税として97、7NIS(ニュー・イスラエル・シェケル)、日本円にして約3570円も取られました。
ヨルダン出国時にも出国税を取られましたが、こちらは4JD(ヨルダン・ディナール)、日本円で約670円に過ぎませんでした。
国から出て行くのに金を取られる、と言うのはあまり気持ちのいいものではありません。
それなら、30ドル相当の入国ビザを課された方がまだマシです。
ビザ無し入国で喜んでいたのに、最後になって手のひらを返されるようで腹が立つのです。
海外からイスラエルにやってくる旅行者は扱いようによっては親イスラエル派になるのですが、
こんなことをしていると世界の中でイスラエルに味方する人たちはいなくなってしまうのではないか、と心配にさえなります。
もともとユダヤ人は愛想がないですから、ますますアラブ諸国の方に点数が行ってしまいます。
ともかく国を出て行くんですから、お土産をくれ、とまでは言わないにしても、気持ちよく旅立たせてほしいものです。


9 恐怖のビザ



写真はヨルダンのワディ・ラムのラクダでの遊覧の際に見つけた、この地の先住民のものと思われる文字です。
岩に刻まれている糸ミミズのようなものがそれです。
何て書いてあるか、分かりませんよね。
これはかなり昔のものだから分からなくて当たり前だけど、
まさか現代の世で、しかも役所が公的に外国人に対して出すものの中にもこれと似たようなものがあるとは思いませんでした。
それは、レバノンのビザです。
私はそれをヨルダンの首都アンマンで取ったのですが、ビザを見てビックリ。
なんと一文字も読めないのです。
意味不明、発音不可能。
数字さえもアラビア独特のものですから、本当に一文字も読めません。
すべてアラビア語なので、アラブ人には好評でしょうが、
アラビア語の分からない大多数の外国人には極めて不親切極まりない代物です。
私はビザの内容を大使館職員に直接問いただして事なきを得ましたが、
この国際化時代にあってこんなものがまだ大手を振って残っているところが妙でもあり、また面白くもあります。
さすがに出入国印にはアルファベット表記が入ってましたが・・・。


10 パズルな旅



写真の上1枚はエジプトのポンド紙幣、下2枚がイスラエルのニュー・シェケル紙幣です。
これはアンマンで撮った写真だけど、どうしてこんなものを写真に撮るのかというと、
この後シリアに行くのですが、シリアでイスラエルの紙幣が見つかると御用、御用となる恐れがあるために持っていけず、
ここでお別れの記念撮影をしているところなのです。
イスラエルの旅にはこの手のことが多く、全く厄介なのです。
この後、この2枚のシェケル紙幣を周辺アラブ諸国通貨に両替したのですが、
今になって考えるに、どうしてこのヨルダンから日本へ郵便で送らなかったのでしょうか。
というのも、私はアンマンからそれまでに廻った国々の紙幣
(イラン、UAE、トルコ、エジプト、ヨルダン、それにイラク!)を郵便で日本に送ったのです。
その中にこのシェケル紙幣も一緒に入れておけばよかったんです。
でも結局、これらの紙幣は日本には届きませんでした。
今回の旅行で私が日本へ送った郵便物の中で唯一、日本に届かなかったものがこれでした。
だから、写真に写ってただけ幸運だったのかもしれません。
それにしても、イラク・ディナールは惜しいことをしました。
何と言っても、かのサダム・フセインの肖像画がでかでかと印刷されていたんですから。
あれも写真に撮っておけばよかった・・・。
(ちなみに、私はイラクには行っていません。どうか誤解のないように)。