1 国境から首都へ
国境と言えば、パレスチナ自治区とイスラエルの国境ほどよく分からないものもないでしょう。
地図上では点線で示されていますが、実際には国境の検問もなく、旅人にとっては国境は存在しないに等しい状況です。
だから自治区の町に出かけても、何かイスラエルの町にいるように思えて仕方がありません。
そんなところに写真のような看板がいきなり姿を現すと、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなることがしょっちゅうです。
ちなみに、この看板はパレスチナ銀行のものです。
1997年の段階でこんなものまで出来ていたのですが、それから6年経ってもまだパレスチナ国家はできてはいません。
この国境を巡るイスラエルとパレスチナの紛争が激化する昨今の情勢に触れるにつれ、
あの国境の不可思議な感覚を思い出さずにはいられないのです。
2 モスクと宮殿
世界最大のイスラーム国家と言えば、普通はインドネシアがその答えになるでしょう。
それは、国内に抱えるイスラーム教徒人口が世界最大だからです。
でも、もっと違う答えがあってもいいと私は思います。
例えば、サウジアラビア。
イスラーム世界最高の聖地メッカを守護し、世界で最も厳格な戒律を国家規模で実行し、
かつその莫大なオイルマネーを世界中にばらまいて世界中の様々なイスラム勢力のパトロンとなっている国だから、
そういう意味では世界最大と言えるのではないでしょうか。
でも、上の写真のような紙幣を見ているともう一つ、答えが浮かんできます。
イランです。
そう、この紙幣はイラン・リアル(旧バージョン)なのです。
何やら人々が行進していますが、これはホメイニ師によるイラン・イスラーム革命の様子を描いたものだそうです。
こんな激しい絵柄の紙幣はあまり例を見ないんじゃないでしょうか。
この信仰に賭ける情熱の激しさから言えば、イランも間違いなくイスラーム世界の盟主の一つでしょう。
こうして見ると何やら混沌としてきますが、これがそのまま現在のイスラーム世界の姿だとも言えます。
つまりイスラーム世界全体をまとめるリーダーシップは存在せず、
求心力を失って政治的にバラバラな行動に出ている姿、そのもののように思えてなりません。
「大いなる多様性」と言えば聞こえはいいですが、イスラーム世界自身にすれば忸怩たる思いがあるのではないでしょうか。
3 ダマスカスという街
同時多発テロ以降、テロが多発するようになった現在では考えられないことかもしれませんが、
私が行った頃の中東は実に穏やかで、治安も良かったのです。
ダマスカスなどは日本人旅行者が夜一人で歩いていても何ともない位、治安の良い街でした。
イスラエル、ヨルダンなども同様で、わずかにエルサレムとベイルートの夜が不安に思えた他は
これといって身に危険を覚えるような経験はありませんでした。
一般にイスラーム信仰の盛んな所では、特別な政治的理由がない限り、
治安は欧米諸国よりもいい、というのが私の実感です。
欧米であれば犯罪予備軍となりそうな社会からの落伍者の発生を未然に防ぐような
共同体の網の目がまだ破れていない、という感じを受けます。
具体的に言えば、イスラームの相互扶助精神によって、
社会の弱者に対する救済がかなり自発的になされていると言えるようです。
写真は世界最古のモスクと言われる、ダマスカスのウマイヤド・モスクです。
中庭は鏡のようにピカピカに磨き上げられていて、イスラーム信仰の力を見る思いがします。
一般に好戦的なイメージを持たれがちなイスラームは、実際に接してみるとそうでもありません。
そのことを、他宗派の人々は早く知るべきだと思います。
4 生きている過去
写真は、ダマスカス市内にあるニュー・モスクと呼ばれるモスクです。
外は白く輝いてあまりにもきれいなので、あまり由緒がなさそうですが、
実はさにあらず、預言者ムハンマドのひ孫に当たる女性の廟を祭った権威あるモスクだそうです。
この廟に参る人々の中には1300年以上も前に死んだと言われる彼女の悲劇に想いを馳せ、声を上げて泣く人もいます。
そんな馬鹿な、と思われるでしょうが、私は実際にこの目で見たので間違いありません。
彼らにとって過去は過ぎ去ったものではなく、常に想起し、親しく日常において接するものなのです。
このように過去と共に生きる人々を、私は必ずしも消極的な存在とは考えません。
過去が現在に対してある一定の意味を持っている、と思うからです。
あなたはどう思いますか?
5 物以上の物
世界の主要な宗教の中で仏教ほど、戦闘性と無縁な宗教もないでしょう。
アフガニスタンのタリバーンによってバーミアンの大仏が破壊された時でも、
キリスト教やイスラームであれば必ず起こったであろう宗教的反発はあまり見られず、
かえって世界遺産としての学術的、芸術的な観点からなされた憂慮や非難の言説が主であったことは何とも面白い現象でした。
どうもそんな仏教徒に対しては一神教徒側も戦意がなえるのか、
仏教は他の宗派との大きな宗教戦争を経験していないように見受けられます。
そこで仏教徒はイスラーム世界においてもキリスト教世界においてもお客様のように扱われ、珍しがられてよく歓待されるようです。
私もイスラーム、キリスト教両方の人々から親切にされ、よく自宅に食事に誘われました。
で、上の写真のような具合になるのです。
宗教による紛争の絶えない中、私たち仏教徒の中立的なスタンスは大きな意味合いを持っています。
この幸運を神に感謝・・・、いや、仏教徒に神はいらなかったのでした。
そう、仏に感謝したいと思います。
6 旧市街の情景
写真は、ダマスカス旧市街の情景です。
ぶら下がっているのは、ラクダの首です。
口を上にしてぶら下がっているのが分かりますか?
たぶん食用に売られているんだと思いますが、このまま持って帰るのか、
それとも切り分けて売るのか、売り買いの場面を直接に見たわけではないので分かりませんが、
ラクダってどんな味がするんでしょうか?
一度食べてみたいものです。
ダマスカス旧市街の夕方は買い物客で賑わいますが、ほとんど男ばかりで女性の買い物客があまり見当たりません。
男性の家族サービスというよりも、女性の外出が控えられている結果だと思いますが、
一般にアラブ人男性は買い物や子供の世話などをまめにこなすのだそうです。
日本よりも父親としての権威が保たれている分、家族に対する気配りも怠らない点は立派だと思います。
それにしても、この人たちと私たちとでは四本足の獣に対する感覚が根本的に違うようです。
このラクダの首を前にした時、心底そう思いました。