1 気のいい人たち
だいたいアラブの人たちはあまり小さなことを気にしない人が多いです。
店の入口にどっかと腰を下ろしていても、「商売の邪魔だ! どいてくれ!」などと言われた記憶もありません。
逆に向こうからニコニコしながらやってきて話し込んでしまう、なんていうことも決して珍しくもないのです。
彼らの宗教に対して敬意を払ってさえいれば、まず間違いはありません。
中東問題に関して旅行者たちの大半がアラブびいきなのも、このアラブ人たちの人の良さと決して無縁ではないのです。
とにかくアラブ人に関する限り、一見は百聞をはるかにしのぎます。
遠くで見ていた時の印象と実際に接してみた印象とでは全く違うことがきっと分かることでしょう。
私は今年の初詣で三輪神社に行った時、シェワルマ・サンドイッチを売るエジプト人と会い、話が弾みました。
でも周りの人たちは彼らから声をかけられても何の反応も示さず、サンドイッチを買うとそそくさと立ち去ってしまいます。
彼らはそのことを残念に思っているようでした。
アラブ人は話し好きなのです。
彼らを見かけたら、ぜひ話相手になってあげてください。
日本に来るアラブ人はたぶん英語を話せると思いますので・・・。
2 シリア青年との出会い
今回は写真はありません。プライバシー保護というやつですね。
彼とはバスの中で会いました。
といっても、わざわざ席を替わって話しかけてきたのは彼の方でした。
それからデリゾールの街に着くまで、ずっと二人で話していました。
彼は大学生でした。
学生は好奇心が強く、まだ自分の世界を作れるほど自分というものが堅固にはできていないのでくせがなく、
話題も簡単に見つけられ、またこちらの話にも素直に反応してくれることが多いので、
話し相手としては楽しい存在だと言えるでしょう。
年をとるほど、人間は守るべき生活や自分の世界が多くなってきて防衛的になってきますから、
やはり旅先で出会う相手も、若い方が気兼ねなく楽しめるような気がします。
もっとも、精神的に若いお年寄りはその限りではありませんが。
3 家庭の味
平凡なものの偉大さを特に感じるのは、料理ですね。
外食は数回ならまだしも、それを毎日というわけにはいきません。
必ず飽きが来ます。
でもご飯に味噌汁、お漬物は毎日食べても苦にはなりません。
やはり「家庭の味」に優るものはないのでしょう。
こうしたことは料理に限りません。
特に旅人は家庭や日常の世界から飛び出している存在なので、
そうした一時的に失われている世界には敏感になる傾向があるのでしょう。
写真は下校中の小学生ですが、まったくの日常の中にいる彼らの姿が時にまぶしく見えたりするものです。
旅人は非日常の世界に身を置きつつも、母親の体とへその緒一本で結ばれている胎児のように、
心のどこかで日常との絆を求めているのかもしれません。
4 賑やかな夜歩き
ラマダーンの断食中はイスラーム教徒たちは心なしか、元気がありません。
水も飲めない、などと聞くと、それも仕方ないなあ、と思ってしまいます。
写真はヨルダンのワディ・ラムで乗ったラクダですが、彼は真昼間にもかかわらず、堂々と水をたらふく飲んでいました。
ラクダ使いの彼がイスラーム教徒かどうかは知りませんが、もしそうだとしたら、さぞかしうらやましい思いでいたんでしょうね。
でも日が暮れると、人間たちの世界は活気立ちます。
ラマダーン中の食事は、いつもよりメニューが豪華なのだそうです。
また私がデリゾールにいた頃はちょうどラマダーンの断食明けの頃だったようですが、
夜になるとたくさんの夜店が出て、それはそれは賑やかでした。
光なき夜をも征服した人間の面目躍如たる光景でした。
人間は動物がしないでもいい苦労を作り出し、その代わりに動物が体験できない喜びをも創り出す生き物なのだということを、
この時ひしひしと感じました。
5 ユーフラテスの恵み
私がホームステイした家は祖母、父母、3人兄弟に4姉妹、長女の夫と息子、おばとその娘の14人家族でした。
一般にイスラーム教徒は大家族で暮らすと言われますが、その実例を見る思いがしました。
私が行った時には、家の中に4人もの未婚の若い女性がいました。
だいたいイスラーム圏では街中で若い女性をあまり見かけません。
また見かけたとしても、話をするなどということはまず考えられません。
しかしいったん家の客人として迎え入れられると、彼女たちの態度は一変します。
何とも親しげに、また興味深げに近づいてくるのです。
こうした家の内と外での女性をめぐる状況の落差はイスラーム圏に特有のものであり、
この地域を旅する楽しみの一つでもあるのです。
なお今回もプライバシー保護のため、写真掲載は見送ることにします。
6 アラビア文字書きの封筒
私を自分の家に招いてくれた大学生は、別れ際に数通の封筒を手渡してくれました。
見ると、封筒の表書きがアラビア文字で書かれています。
「僕の住所と名前を書き込んでおいたよ。
シリアの郵便配達員はローマ字が読めないからね。
日本に帰ったら、これで手紙を出してくれ。」
と彼は言います。
今でも彼と一緒にユーフラテス川へ遊びに行った時のことを、ふと思い出したりします。