第3部第7章7〜11の写真とコメント


7 信仰と連帯



私を家に泊めてくれた家族はとてもみな朗らかで、仲が良い印象を受けました。
客の私をそれほど意識するでもなく、実に自然に寄り添って生きていました。
そこには、やはり宗教的な共同体意識のようなものが強く作用しているような感じがします。
そうした空間の中にあっては、親や兄弟は家族であるとともに、アラーの前ではみな平等にイスラーム信徒となります。
そこでは複数の絆によって、人々が結び付けられているのです。
昔の日本人の周りには、地縁的な絆(近所付き合い)や血縁的な絆(大家族制)が取り巻いていました。
確かにそうしたものは一見したところわずらわしいものですが、そこから得るものもあったはずです。
そうしたものを、私はその家族の中に見るような思いがしました。
宗教を遠ざけ、近所付き合いがなくなり、核家族化した現代日本の家族は
何をもってお互いの連帯感を育んでいこうとしているのでしょうか。
写真は、ユーフラテス川にかかるデリゾール橋です。
連帯感とは言うなれば、人と人との間にかかる橋のようなものです。
私たちはこれから何をもって、この橋に当てようとするのでしょうか。
デリゾールにかかる橋は、私にそんな感慨を抱かせたのでした。


8 カミシュールの夜



カミシュールというのはシリアの北東部辺境の町ですが、
そこにバスで着いた時、トラックが近づいてきたのでそれに乗って宿を探しました。
トラックの運転手はその時、自分のトラックを使ってタクシー業をしていたのです。
しかしメーターはないですし、乗る前の交渉もありません。
こういうところはさすがに素人です。
結局降りた後で値段交渉となり、私の言い分を渋々飲む結果となりました。
タクシーはこうしたわずらわしさがつきまとう乗り物ですが、その点鉄道は値段がきっちりと決まっていて安心して乗れます。
鉄道の運賃が交渉によって決まる、などということは聞いたことがありません。
どの国でも鉄道員の社会的な信用性が高いのは、こうした鉄道のきっちりとした性格によるのかもしれません。
鉄道は自営業ではできませんからね。
(写真は、イスラエル国鉄の特急列車です。)


9 奇妙な同行人



カミシュールからはクルド人の村へ行ったのですが、その時1人の青年に尾行されました。
といっても私に話しかけてきたり、一緒に軽トラックに乗ったり、と何とも大らかな尾行ではありましたが。
私がクルド人の村で良からぬことをしでかさないか、見張っているようでした。
砂漠では身を隠す所もないので尾行するのは大変だろうなあ、などと脈絡もないことを考えてしまいました。
写真は、ヨルダンのワディ・ラムのラクダです。
砂漠でのパトロールに今でもラクダが使われている所もあるそうです。
ちょっと現代離れしてるようなその感覚が、私は好きです。


10 心のフィルム

クルド人の村へ行く道の上でカメラが故障してしまいました。
そこでクルド人の村の写真は1枚も撮れなかったのですが、
そのことでかえってその村の様子は今でもよく覚えています。
写真のように何から何にいたるまで全ての情景を正確に、というわけにはいかないけれど、
印象の強かった部分を中心に全体的な村の雰囲気といったようなイメージが心の中で今も息づいているのです。
その後カメラを手に入れた私はまた写真を撮り始めましたが、
今でも写真を撮らない旅をしてみたいと思うことがあります。
でも、いつも旅に出る時はカメラを持っていってしまうんですけどね。


11 辺境の春



カミシュールに戻るのに乗り合いタクシーに乗ったのですが、
そこで隣り合わせた人が家に来ないかと言うので泊めてもらいました。
言葉は通じなかったのですが、そういうことになってしまうこの不思議な感覚は何と言えばいいのでしょう。
国籍や言葉を超えた何かが人間には共通してあるのかもしれない、と思わせられます。
列車やバス、船などの公共交通機関は単なる移動手段であるにとどまらず、
パブリック・スペースとしての出会いの場でもあります。
そこでの出会いをどう生かすかによって、旅の様相はまるで変わってくるのです。
このことは、公共交通に乗ることだけを目的に旅を始めた私にとっては重要な命題なのです。
(写真は、イスラエルの特急列車の車内です。)