第7章8〜10の写真とコメント


1000年の同居



大聖堂のドームから眺めたドナウ川の流れです。
川の対岸はスロバキア領です。
昔はここに橋が架かっていて行き来ができたそうですが、今は橋の残骸が残るのみです。
川の中に橋脚が4つ、それに川べりに残骸があるのが写真からも見て取れるでしょう?
スロバキアは長い間、ハンガリー領だったこともあり、
韓国人が日本に対して抱く以上に複雑な感情を持って、この風景を見るのでしょうね。
だって、スロバキアは実に1000年にわたってハンガリー領だったわけですから。
そんなことも知らずにノンビリと風に吹かれていた私は、お気楽な極楽トンボというものです。
せめて対馬海峡ほどに川が広ければ、お互いが見えなくていいのでしょうが、こうも近いとねえ。
多くの民族が密集しているヨーロッパらしい風景、と言えるのかもしれませんね。


至福の一時間



ペーチへ出かけました。
泊まるつもりで行ったのですが、宿が満杯でとれず、
結局、お昼の列車でブダペストに戻ることにしました。
インターシティ特急があったのですが、
行きがけに乗ってつまらないことが分かっていたので、
その後の遅い急行にしました。
その列車に乗っていたのが写真の彼女です。
彼女の降りる駅が来るまで、一時間ほどの間、
ノートを使って筆談したり、あやとりをしたりして遊びました。
こういう時、コンパートメントというのはうれしいものです。
何たって、個室に二人っきりですから。
この一時間があっただけでも、ペーチへ出かけてよかった、
と本気で思ってしまった私は相当めでたい人間です。


テレサの宿



ブダペストでの宿は、知る人ぞ知る「テレサの宿」です。
今はどうか分かりませんが、当時は旧東欧地域における唯一の日本人宿でした。
一泊800フォリント(約490円)でした。
部屋は二部屋あって、奥が西欧人、手前が日本人の部屋ですが、
たまにあぶれた西欧人が日本人の部屋に来ることもあります。
写真の彼女たちもイギリス人です。
ここでは、男も女も一緒くたになって寝ます。
ベッドが足らなくなると、ベッドの間の床にも寝ます。
左の日本人の彼も、今夜は床でおやすみです。
ここでは日本人とも欧米人ともたくさん友達になれるので、とても楽しい滞在となりました。
皆さんも、ブタペストを訪れた際にはぜひこの宿を覗いてみてください。
でも、あまり覗いてると、気難しいテレサおばさんに叱られてしまいますから、ほどほどにね。

今回をもって、第5部「バルカン・シンドローム」は終了いたします。
さ来週からは第6部「真昼の蜃気楼」(中欧編)を開始する予定です。
お楽しみに。