ボスニア・ヘルツェゴヴィナの章扉と1〜4の写真とコメント

私たちの国へようこそ!



そんな感じのとびっきりの笑顔で彼らは迎えてくれました。
がれきの山に覆われたこの国にも、
新しい未来を担う若い芽は確実に芽生えているのですね。

今日から、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの旅が始まります。
そんなに怖がらないでいいですよ。
もう、内戦は終わったのですから・・・。



泊まれなかったホテル



これはサラエボ一のホテル、ホリデー・インです。
とても私の予算では泊まれない高級ホテルです。
ここには内戦中、世界各国からの報道関係者が泊り込んで、ここから全世界へ内戦の生々しい様子を伝えていました。
内戦が終わった今も、外壁がごっそりと落ちていたりして、何となくそれっぽい感じを漂わせています。
この街では、ホテル自体も観光名所となってしまうようです。


あまりにも有名な橋



この橋は、第1次世界大戦のきっかけとなったことで有名です。
この橋の上でオーストリア皇太子が暗殺され、
それがオーストリアのセルビアに対する宣戦布告を呼び、
ひいては世界大戦へと拡大してしまったのです。
橋自体は優雅なカーブを描く、古風なセンスにあふれるいい橋です。


あまりにも有名なビル



これが有名なツイン・ビルです。
内戦中に砲撃を受けて、火を噴きました。
左側のビルなど、壁や窓などが吹き飛んで、各階の土台しか残っていません。
右側のビルにはこの当時、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のオフィスが入っていました。
その姿は廃墟というにはあまりにも堂々としていて、圧倒されました。
たぶん、取り壊すことも、修築することもできないんでしょう。
ともあれ、日本ではありえない光景です。


がれきの塔



市内から路面電車に乗って郊外に行くと、こんなビルがありました。
すさまじい破壊のされ方で、くずれたがれきが今もそのままに残っています。
このビルはこの街では有名らしく、絵葉書の図柄にもなっていました。
ある意味、サラエボ内戦の象徴とも言えるこのビルは一見の価値ありでしょう。