<性についての掲示板の書き込み記録>
 
テーマ「専業主婦」3

No.1 くるみ 投稿日時: 2001年7月5日 10時48分

 一生このまま専業主婦をするつもりの人、復職する予定の人、意思に反して近い将来働くことになる人など、様々だと思います。私は子供の様子をみながら復職するつもりの「ただいま専業主婦」です。夫とは同じ職業で、夜昼ありません。子供は3歳と0歳なので、もっと外で自分の社会を持てる年齢になるまでは、という気持ちで様子をうかがっているので、主婦と言うか「子育て専念中」という意識が強いです。
 文中の「妻は夫に依存している」というところと、「役割分担している」という部分が多少矛盾しているような気がするのですが、どうでしょうか?
「経済的に」という部分において依存している、という意味でしょうか?
「役割分業をした、ということに覚悟を持つ」ということも、どういう意味ですか?
役割分業するということと「自分の仕事をお金に換算すれば結構なものになる」という考えは矛盾するのでしょうか?
うーん、私の頭が固くて理解できないのでしょうか?ごめんなさい、かずみさんのおっしゃるニュアンスを教えてください。

 早く復職したくて、ベビーシッター、ハウスクリーニング、外食、既製品の食品、と、考えてみるとかなり高額が必要になります。
(仕事を本格的にはじめると、ほとんど家には帰れませんから。もちろん仕事も家事もできればいいのでしょうが、それは物理的に無理を認めなくてはなりません)そのときつくづく思ったのですが、確かに専業主婦にお金を払う人はいませんが、もしその代わりに買おうとすればかなりのお金は必要になります。
買わないということは、その分目に見えないプラスではないけれど、マイナスにしていない分、結果的にはプラスにしているわけですよね?当たり前ですが。
 うちのことをある程度安心できるようにして、外へ出るためにはお金がかかる上、我が子との短い幼児期を過ごせないことが加わると、もうしばらくこのまま、と思っているところです。お金のこと以上に。この状態が、イコール、夫への依存、といわれると、どうしてもしっくりこないのです。ほかの方も様々だと思いますが、私はそういう感覚です。
 ただ、お互いが働いているときも、家事をしている妻にも、あるいは夫にも、外で働いている夫にも、あるいは妻にも、労いと感謝の気持ちを持つのは当然大切なことだと思います。依存していると思うのも、ほかの形で依存されるのも私はあまりしっくり来ません。頼られるの嫌どころか、好きな方です。
つまり「労いと感謝」が基本の関係だから、かずみさんの会報の最後の「お互い、一緒にいられて楽しいんなら、どっちがどっちだって許せるんだ。」に通ずるのですが、結局。
「依存」というのは、どことなく一方的な感じがするからなのかな?この私の中のこだわりは…。あとは、大部分が男性の世界(仕事)に長くいて、男性的になっている部分があるのに、出産や育児など、あからさまに改めて自分の女を思わされて特に戸惑った経験があるからかもしれません。
No.2 かずみ  投稿日時: 2001年7月5日 19時49分
くるみさん、いつも書き込み、ありがとうございます。
そして、今回は、率直なご意見と質問、うれしく思います。
会報第44号の「専業主婦」もお読みいただき、ありがとうございます。
第44号は、ちょっとキツイ言い方をしたかな、と、自分でも思っておりますが、専業主婦自身の私が言ってるってことで、お許しいただいちゃおうかな、と思って、思い切って、思ってる通りを書かせていただきました。
専業主婦の方で、あれを読んでカチンときた方には、申し訳なく思います。
私の夫は、自分のYシャツやパジャマやパンツを自分で洗いませんし、御飯の支度だって、気が向いたときに急にすることはあっても、毎日の食事の用意は私がいしています。そういう意味で、夫は、生活的自立をしていません。夫は私に生活的自立の面では依存しています。
> 一生このまま専業主婦をするつもりの人、復職する予定の人、意思に反して
> 近い将来働くことになる人など、様々だと思います。

まさしく、そうでしょうね。十人十色の状況があることでしょう。
>私は子供の様子をみながら復職するつもりの「ただいま専業主婦」です。・・・主婦と言うか「子育て専念中」という意識が強いです。
とってもよくわかります。
でも、経済的自立は取り敢えず、今はしていなくて、経済的には”夫に依存中”です。今までの貯金とかがあるかもしれませんが、今、収入がないという事実を隠すことはできません。(その点にとってもシツコイ管理人かずみでありました。)で、それがいいとか悪いとか言っているのはありません。「事実がそうだ」と言っているのです。
私は「経済的自立をしていないのがダメだから、専業主婦なんかやめて早く働け」なんて全く思っていません。私は、思う存分、今、自分が専業主婦であるからこそ経験できる人生の貴重な体験をさせていただこうと思っています。
> 「役割分業をした、ということに覚悟を持つ」ということも、どういう意味ですか?
「役割分業を受け入れた」の意味ですね。
私の夫は、毎日、午後10時ごろ帰ってきます。くたくたになって帰ってきた夫に「皿を洗うくらいのことはしなさいよ。」
とは、言えない。と、いうことです。
「自分が汚したパンツでしょ。自分で洗いなさいよ。」
って、言えないな。ってことです。
もちろん、夫と同じ年で一人暮らしをしている男性がいたとして、彼は、妻がいないから、自分で皿を洗い、自分でパンツを洗っているかもしれません。
でも、私は、専業主婦という立場を選び、男女役割分業を受け入れたし、一緒に暮らしているのだから、夫の御飯くらい作ってあげたいな、皿くらい私が洗っちゃうよ、あなたのパンツが1枚増えたからって、どうってことないよ、一緒に洗っとくね、って、ことです。
わかっていただけるでしょうか。
> 役割分業するということと「自分の仕事をお金に換算すれば結構なものになる」という考えは矛盾するのでしょうか??
「家の中のことをして、いくらいくらになるから、私は夫に匹敵するだけの仕事をしている」そう考えたい方は、そうお考えになってよろしいのではないかと思います。でも、私は、そうは思っていません。家の中にことをしてもお金は出ません。
マルクス的にいうと、”仕事には給料が支払われるが、労働には給料が支払われない”んだそうです。家の中のことをするのは”労働”なんだそうです。同じことでも、それを他人の家でしたら、自分の家族や自分のためにしたことではないので、それは”仕事”になります。
私は、この発想と聞いたとき、「私だって、いくらいくらの働きをしている」と考えるのをやめました。だって、マルクス的に言ったら、私は、いくらいくらの仕事をしていないんだもの。私がしていることは”労働”であって”仕事”ではないんだもの。
この言葉を聞いて、給料がもらえない今の状況に不平不満を言ったり、言い訳したくなったりして悶々としていた私が、きっぱり諦めた、というか、自分の立場をわきまえたというか、「私は専業主婦だ」ときちんと認識した、というか、そんな気分にそのとき、なったのです。
でも、これは、単に私がそう思っているというだけの話です。
別の発想の考え方をお持ちの方もたくさんおられるでしょう。
別の考えがあれば、ぜひ伺いたいです。

私は、”ギブ&テイク”という言葉が嫌いです。
私は、自分が「与えた」ことに対して、なにかが「戻ってきてほしい」と思っていません。「今、いいことをしていれば、いつか自分にいいことが戻ってくる」という御利益的な発想が苦手です。そういう発想していると疲れてしまいます。
専業主婦の労働をお金に換算するという発想は、限りなく”ギブ&テイク”的です。
「あなたは、これこれだけ給料を運んできた。私は、これこれだけ、家の中のことをした。それを賃金でいただくとすれば、このくらいなので、私は、あなたに食わせてもらってるわけじゃない。食わせてもらってる分だけ私はちゃんとあなたにお返ししているでしょ。」
そういう発想をなさる方がいらっしゃるかどうかはわかりませんが、(上記の発言は私が想像で書いたことです)もし、この発想で、ものを考えていくと、SEXに関しても「売春代」をいただかなければならなくなったりするわけで・・・
分業をしているということは、今、できる人ができることをしているということであって、決して仕事の価値を交換”ギブ&テイク”しているとわけではないと思うのですが、違うでしょうか。

本当は、専業主婦になるか、働きつづけるか、真に自由に選べる社会であったら、いいのです。私は、3年間育児休暇がもらえる職場だったら、仕事はやめなかったと思います。人から「あなた、3歳児神話を信じているの?」とバカにされても、私は、子どもを自分で育てたかった。そして、幸運にも、私は、仕事をやめても大丈夫なくらいの給料を一人で稼いでくれる夫がいた。

産休や育休が充実していて、パートタイムで働くのが普通の社会だったら、男と女が二人で上手に時間をずらして、職場に行って、同じように仕事をし、同じように家事労働ができるのに、と思います。世の男性諸君は企業に死ぬほどこき使われています。そして、専業主婦は、家事や育児に追われてイライラしています。
どちらも同じくらいの分量、同じくらいのことができたら、どんなにいいだろうと思います。

全く、うまく言えません。
言いたい思いは山ほどあります。
でも、今回は、このくらいが、私に今言える全部の言葉です。
どのくらいお伝えできたか、心配です。でも、一生懸命考えて書きました。
No.3 くるみ 投稿日時: 2001年7月5日 15時14分
 精神的な依存は、お金ほどはっきり数字で表せない分曖昧ですよね?
 経済的な依存以上の大きい場合もあると思うのですが、それは数量化できないです。事実だとしても。

 (経済的に依存していることを)自覚するのはいいとして、それで心理的に苦しくないのかな?と思ったのです。しおらしくていいなあ、とも思いますが、それで心理的にも実際の行動も縛られるのでは、かずみさんだけでなく女性が(専業主婦に特定したほうがいいでしょうか)困らないでしょうか? 
 私の友人に、経済的に自立していないから、という理由で、いつも窮屈でコンプレックスに縛られて苦しそうな人がいました。子育てや素敵な家事の仕事振りも肯定できずに、いつも自分を認められずにいて、見ていてもなんだか辛かったです。(そのとき私は独身でしたが)今*彼女は働いていますがだからといって急に傲慢な妻になったわけも無く、結局気持ちの問題なのでしょうね。
 かずみさんのおっしゃることは分かりますし、かずみさんは彼女のように心理的に不自由ではないのかもしれませんが、彼女のような人が少なからず居るならば、同じ女性がことさら経済的な自立をしていないと強調することは、そういう意味で確かに抵抗があります。
 将来、私が夫と同じ収入を得るようになったとしても、やはり夫への尊敬も変らないだろうし、感謝も労いもすると思うのですが…。そのときのことを想像すると、やっぱり今よりそういう面ではなんだか楽しそうかなあ。。。
No.4 かずみ  投稿日時: 2001年7月6日 15時33分

「精神的依存」の面で、くるみさんのご夫婦の場合、かなり、ご主人様がくるみさんに依存されておられるようですね。このスレッドのはじめのレスでも「大いに男性とは依存心、甘えが大きいもののような気がして仕方ないのですが…。仲が深まり、安心するとそんな気がしますが?女性という以上に、「母」を求めるとか。そういうことなのかなあ。特に日本の男性は、妻に母を求めると言うし…。」と、くるみさんがおっしゃっていました。
で、経済的自立は目に見えるけれど、目に見えない精神的自立の面で、妻として、かなりの負担を感じている、ということでしょうか?
だとしたら、ご主人さまには、ぜひとも精神的自立を果たしてほしいものですね。
経済的自立は、オレに任せてくれ。そのかわり、精神的には、君に頼るよってのは、ちょっと違うかな・・・と思うのですが・・・そこんとこはお互いに自立したほうがいいと思います。
>  抵抗や誤解と言うか、自覚するのはいいとして、それで心理的に苦しくないのかな?と思ったのです。しおらしくていいなあ、とも思いますが、それで心理的にも実際の行動も縛られるのでは、かずみさんだけでなく女性が(専業主婦に特定したほうがいいでしょうか)困らないでしょうか?
「経済的自立をしていない」と自覚することによって、心理的に苦しくならないか?という質問ととらえていいでしょうか?
経済的自立をしていないことを自覚すると、どうして心理的に苦しくなるのでしょうか。そこんとこを、きっぱり、認めていないから、苦しいんじゃないのでしょうか。
私は、経済的自立していなくて不便だなと思うことはあります。どんなときかというと、家出したくても家出する金もないっつうことです。夫が稼いだお金で家出したって、ちょっと話にならんって感じしません?
でも、経済的自立していないことを恥たり、卑下したりはしていません。
それは、私が専業主婦になるとき「ボクの給料の半分は君の給料だよ」と、夫が言ってくれたからだと思います。「国や会社に変わって、ボクが君の給料をもらってくるからね。」って。「でも、私は稼いでない」って思いましたけどね。
「誰のおかげで食わせてもらってると思ってるんだ」と言うようなダンナを持ってしまっていたら、きっと、仕事やめてないでしょうね。
> 私の友人に、経済的に自立していないから、という理由で、いつも窮屈でコンプレックスに縛られて苦しそうな人がいました。子育てや素敵な家事の仕事振りも肯定できずに、いつも自分を認められずにいて、見ていてもなんだか辛かったです。
で、その方は今ではお仕事におつきになっているとのこと。よかったですね。
専業主婦をしながら、それを心から楽しめない方は、早く働いた方が、精神的安定につながると思います。そういう場合は、多少、お金はかかっても、お子さんをどこかにお預けになって働くことをおすすめします。
私は、専業主婦になったことを後悔していません。むしろ、仕事をやめてよかったと心から思っています。無理や強がりで言っているのではありません。本当にそう思っています。仕事をやめていなかったら、きっと、私の人生一生あのままだったろうと思います。あのままとは、「職場」と「家」の往復。子どもが生まれたら、かろうじてそれに「保育所」への往復が加わるのでしょうか。たぶん、HP「愛し合ってるかい」も書いていないことでしょう。くるみさんとの出会いもなかったというわけです。
私は、新しい場に来ると、その新しい場にすぐなじむというすごい特技をもっています。専業主婦になったために、私はシュタイナー教育と出会いました。そこで出会った人々はみんなすてきです。先生はもちろんですが、それを学ぶお母さんたちもみんなみんなすてきです。私は、心から、地域に生きることの有り難さと楽しさを満喫しています。これは、専業主婦をさせていただいているおかげです。働いていたらいたで、また別の人生を満喫していたでしょうが、今は、今で、後悔なんかするどころか、楽しくてたまらないので、専業主婦をやっていても許される時間内は、充分この状態を満喫したいと思っています。
そう思えないまま専業主婦をなさっておられる方には、専業主婦は向かないと思いますので、さっきも申しましたとおり、早く別の道を歩まれることをオススメします。
戦後は、「良妻賢母、専業主婦こそ女の花道」だったでしょう。でも、時代が変わって、今じゃあ、世間様に批判されたり、イヤミを言われたりすることもあります。でも、私は、そういう方たち(専業主婦に対して目くじら立てる方々)に出会ったときに、戦いたくないのです。世間様の言う専業主婦批判は、行き着くところ、「お金を稼いでないでしょ、アンタたち」ってとこなのです。だから、私は、その人たちに言いたい。「そうだよ。稼いでないんだ、アタシたち。それで?」って。で、それだけ。それ以上のなにか言い訳めいたこと、言いたくないんです。だって、カッコわるいじゃん。ホントにお金稼いでないのに、あれもしてるこれもしてるって言い訳するのって恥ずかしいじゃん。そう思いませんか?
No.5 くるみ 投稿日時: 2001年7月5日 22時51分

かずみさん、こんばんは。
> どのくらいお伝えできたか、心配です。でも、一生懸命考えて書きました。
こんなお気持ちでレスをお書きくださって光栄です。ありがとうございました。
このレスに限らず、かずみさんがいつも同じような思いで文章を書かれているのは、会報を拝見すれば伝わってきます。そうでなければああいう内容の文章を、あの量なかなか書けないものだと思います。かずみさんもそうであるように、私もここでいろいろ思ったことを書くことは、愉しくも結構エネルギーも使います^^;
真剣に書かせて頂いているつもりなので、真摯なお返事を頂くと嬉しいです。
まだ後日書かせていただきたいと思っていますが(パワーを貯めて?!)、かずみさんのレスを拝見して、私の思うこととかずみさんの思いは、案外近いところに収束してゆくような気もします。少し反応する部分が違うけれど、感じ方が近いというか。では、また。。。!
No.6 くるみ 投稿日時: 2001年7月8日 19時01分

かずみさん、こんにちは!
> あくまで、私が言いたいのは「経済的依存」のことです。
 「経済的に自立していないことを自覚した方がいい」
 自覚していない人はあまりいないと思うのですが、自覚した結果、どうなることが必要だということなのでしょうか?
> 私は「経済的自立をしていないのがダメだから、専業主婦なんかやめて早く働け」なんて全く思っていません。
 かずみさんが、そのように思っては居られないだろうなあ、とは分かります。でも、だからあまり大きな顔をするもんじゃない、とか、分かったような文句を言わず(家事をお金に換算するといくらになるんだから*云々など)おとなしく弱い身分を認めなさい、という風に聞えてしまうのですが。もちろん、そのように聞こえるのは私側の問題でもあると思います。でも、まず自覚しなさい、と言われて思うことはそのようなことです。
> 「家の中のことをして、いくらいくらになるから、私は夫に匹敵するだけの仕事をしている」そう考えたい方は、そうお考えになってよろしいのではないかと思います。
私が思うに「家事労働の換算」という考えは、売り言葉に買い言葉だと思います。「お前はお金を稼いでもいないんだから(言うこと聞けとか、そんな大きな顔するなとかが後に続く)」と、専業主婦が言われる場面があるから、じゃあ言わせてもらうけど、という発想だと思います。昔から夫や、最近では同じ女性からも、ここでのかずみさんのご発言も然り(意図は違うかもしれませんが)ですが、言われて来たからだからって何もしていないわけじゃない、と言いたくなるのは私は分かります。何も言われない状況で、そんなことを言い出すことは無かったのではないでしょうか?そういう発想があること自体、やっぱり肩身の狭い見られ方をしてきたのだと言うことが分かると思います。
私は専業主婦になる前から、特に自分が昼夜なく、食事も抜くか買うかという生活の中で、専業主婦の存在意義について思いました。彼女達は、家庭の中での存在意義はもちろん、ギスギスと目に見えないものを犠牲にして働き詰めの人間だらけだったら世の中救われない、彼女達の存在を思うとなんだかほっとしていたというか、潤いだよなあ…って思っていました。お金は稼いでいないけどニュアンスでしかいえないのですが、手をかけ時間をかけ人間が人間らしく暮らしてゆくことから漂う空気を産出しているように思いました。 実際自分が専業主婦になってしまったので、あまり大きな声で言っていたら変ですが、今でも些事を大切に生活している主婦を見かけると嬉しくなります。GNPには直接協力していないんだけど、世の中のために産み出しているものは侮れないです。芸術家とはまた違いますが、ま、ちょっとだけ存在意義としては似ていなくも思ったり。いなくても生きてはいかれるかもしれないけど、いればより良く生きられるというような。 でも、やはり、自分の衣食住を夫に出させるということを、臆面もなく受け入れて生活しているのが、信じられないという気持ちも正直ありました。彼女達は自分たちの中で、どう折り合いをつけているのか?と。
> 給料がもらえない今の状況に不平不満を言ったり、言い訳したくなったりして悶々としていた私が、きっぱり諦めた、というか、自分の立場をわきまえたというか、「私は専業主婦だ」ときちんと認識した、というか、そんな気分にそのとき、なったのです。 
一度自分で経済的に自立することを経験して結婚する、昨今の多くの女性達は、自分の収入が無い状況に罪悪感を覚えたり、苛立ちや不自由さを感じたりすることは結構あるのではないでしょうか? かずみさんの場合は、だんな様が「半分は妻の働き」とおっしゃることでかずみさんご自身、受け入れられているということですが、私の場合は母が(母は専門職を持っていますが、子育て時代は7年間専業主婦でした。)「彼のお金で自分の服は買えないと思う」という私に同じことを言っていました。それもすぐには理解できませんでしたが、そうでも思わないと納得できないなあという気持ちはあります。
> 私は、”ギブ&テイク”という言葉が嫌いです。
> 専業主婦の労働をお金に換算するという発想は、限りなく”ギブ&テイク”的です。

ええ、これだったら、夫が働いているうちは私も家のことするけど、倒れたり退職して収入が無くなったらやらないわよ、ということになってしますよね。病気で倒れたときこそ、様々な形でフォローするのが家族だと思うし。ギブ&テイクを本気で割り切ってやっている家族がいたら、末期的な気もしますが。繰り返しになりますが、家事労働の換算は、言われるからじゃあと主婦だって、という抵抗なんじゃないでしょうか。
> そういう発想をなさる方がいらっしゃるかどうかはわかりませんが、(上記の発言は私が想像で書いたことです)もし、この発想で、ものを考えていくと、SEXに関しても「売春代」をいただかなければならなくなったりするわけで・・・ 
私はかずみさんのおっしゃる「収入が無いことを自覚して」多少本位でないことも稼ぎ手に対しては逆らえない、というある種の主従関係が心理的にあると、「売春」になるんじゃないか?という発想を逆にしてしまっていましたが。
> 本当は、専業主婦になるか、働きつづけるか、真に自由に選べる社会であったら、いいのです。<中略>男と女が二人で上手に時間をずらして、職場に行って、同じように仕事をし、同じように家事労働ができるのに、と思います。
 こういう理想もありますよね。これがなかなか実現できない現在に子育てをはじめた私は、人生を色んな時期に自分の中で思い切り区切って生きてゆこうと思っています。子供とも思い切り過ごした、仕事もあるとき死に物狂いでした、主婦業も自分なりに工夫したり楽しんだり働いた、全体としてはそれぞれ充実した、としたいと思っています。 「…その時期にしかできないことを楽しもうと思う」という、かずみさんがおっしゃることと同じですか?なんだか、言葉の上ではすれ違っているようでも、どうも同じような思いで暮らしているように思えて仕方が無いのですが。
 最後に、夫の家庭内での家事、育児参加ですが、あまりしている方ではありませんが(本人はしているつもりかもしれません)何より子供に対する愛情と敬意と興味の深さはすごいので、それだけで十分育児参加してもらっていますし、家事は私がやった方が早いです。夫の教育もするべきとの声もありますが、ま、これは私が働き始めて私が苦しくなって窮したらそのとき始めます^^;遅すぎるんだろうなあ〜。じゃあ、子供をしつけます。 100%専業主婦の母親に育てられた夫は、やはりときどき私の家事に不満があると「そういうことにも俺はお前に払っているんだから、きっちりやってくれ」と言うことがあります。あれほど、悪いけど仕事は休んで子育てに専念してくれ、と言っていたにもかかわらず、そんな言葉が出てくるのは本当に嫌なものです。でも、その言葉を見つめて暮らしていては、人生もったいないので、将来の展望を自分なりに持ったり、いやいやそれは違うでしょう、と自覚しながら流しています。夫婦でもすっかりわかりあい融合できない部分もあるということを受け入れているつもりです。言えば言うほど、すれ違うどころか遠ざかるばかりだったので。暮らしてゆく中で、自然にお互いが納得していける自信もすこしあるからかもしれません。
理路整然とお話できなくてすみません。できるだけ、心のそのままを言葉にしようとすると、混沌としてしまいますが、読んでいただけて幸いです。
No.7 かずみ 投稿日時: 2001年7月10日 06時11分

くるみさん、こんにちは。
くるみさんのご意見は、私の不明瞭で混沌とした脳みそをどんどん刺激してくだり、自分で感じていたのに見えなかった部分をはっきりさせてくれるので、いつも喜んで読ませていただいております。ありがとうございます。
> 「経済的に自立していないことを自覚した方がいい」自覚していない人はあまりいないと思うのですが、自覚した結果、どうなることが必要だということなのでしょうか?
私たちは、今、男社会に生きています。
国会中継をみれば一目瞭然です。あの男達が、女の生きる道まで決めてきたのかと思うとぞっとします。くるみさんは、そう思いませんか?
女の意見や女の思いが私たちの社会にどのくらい反映されていると思いますか?
私は、会報で、「専業主婦は”経済的自立をしていない”に身をおき、”男女役割分業を受け入れたんだ”ということを覚悟したほうがいい」という内容のことを述べました。
”男女役割分業を受け入れた”とは、どういうことか?
”男社会に呑み込まれた”ということです。
「戦後の専業主婦のはじまり」を勉強していくと、「専業主婦」は国によって作られた大きな国家政策の一部であることがすぐわかります。
(国民の間で専業主婦が一般化したのは、戦後です。税金の問題をはじめ、専業主婦を優遇することで、国民がみんな専業主婦になることを国は期待しました。男は企業戦士になりました。戦前の専業主婦は、一部の裕福な家の女性に限られたものだったようです。)
一人の女性が一人の力で専業主婦から逃れることは不可能に近いくらい国家的に作られた女性の地位なのです。
私は、この国家政策に腹が立っています。男女不平等な役割を男女におしつけ、男女がともにその中で苦しんでいます。
話が長くなりましたが、経済的自立してないことを意識した結果、女性たちが「自分自身が男社会に呑み込まれた」立場に立たざるをえなくなったことに気づいていただきたいという願いはあります。
> でも、だからあまり大きな顔をするもんじゃない、とか、分かったような文句を
> 言わず(家事をお金に換算するといくらになるんだから*云々など)おとなしく
> 弱い身分を認めなさい、という風に聞えてしまうのですが。

私は「弱い身分を認めなさい」とは思っていません。が、「専業主婦になった」ということは、社会的に「弱い立場」に立たされたということです。
繰り返しますが、私が「専業主婦には人権がない」とか「発言権がない」とか「大きな顔をするな」と思ってるのではありませんよ。社会的に弱い立場に立たされていると、くるみさんは感じませんか?
「誰のおかげでメシが食えると思ってるんだ」
「昼間昼寝してるくせに大きなツラしてものを言うな」
など、信じられない言葉をダンナに言われて泣いている女性を私はたくさん知っています。
専業主婦という理由で、役所でバカにされて相手にしてもらえなかったという女性の話を聞いたこともあります。
>  私が思うに「家事労働の換算」という考えは、売り言葉に買い言葉だと思います。
これは、第2期主婦論争のころフェミニストの間で起こった論争のひとつです。
なにも一般主婦がああ言えばこう言う式に思いついた言葉ではありません。
> そういう発想があること自体、やっぱり肩身の狭い見られ方をしてきたのだと言うことが分かると思います。
いいところに行き着きました。くるみさん、最高です!!
専業主婦は「肩身の狭い」見られ方をして来たのです!!
それは「男社会に呑み込まれた」状況から発生したものです。
で、付け足しますが、
「私は肩身の狭い思いなんかしていないわ。肩身の狭い思いをしたことのあるのは、かずみさんだけでしょ。あなたが一人で肩身が狭いからって、みんなに経済的自立がどうこうって言って欲しくないわ」という誤解をしないでほしいです。
>  ・・・専業主婦の存在意義について思いました。彼女達は、家庭の中での
> 存在意義はもちろん、ギスギスと目に見えないものを犠牲にして働き詰めの
> 人間だらけだったら世の中救われない、彼女達の存在を思うとなんだかほっと
> していたというか、潤いだよなあ…って思っていました。

私は、オイリュトミーという踊りのようなものを習っています。
オイリュトミーをしていると、心と体の悪いものが取り払われて、自分の体を自分で感じ、自分の体を自分で動かすことができる喜びを感じます。
17歳の危機にあっている少年の話を聞いたとき、子どもたちの全員にこのオイリュトミーを経験させてあげたら、こんな危機をもっと上手に乗り越えていくだろうに・・・とつくづく思いました。そのあと、新聞に「49歳の男たちの危機」の話が載っていました。自殺者の中で「49歳の自殺が多い」というのは聞いたことがありましたが、その記事は「17歳の犯罪より何倍もの多さで49歳の男たちの残忍な犯罪が増えている」というものでした。なにを悠長なことを言ってるんだと笑われるかもしれませんが、私は、それを見たとき、仕事に追われて仕事に生きているお父さんたちにも、オイリュトミーをさせてあげたい(お父さんたちはやりたくないって言うかもしれない・・・が、ともかく)と思いました。私が、なにを言いたいのかと言うと、つまり、「専業主婦だけが潤いのある生活」をしていてはダメで、(専業主婦が潤いのある生活をしてはいけないと言っているのではないぞ)働く女性、働く男性たちにも潤いのある生活をする権利があるのです。なのに、働いていると、そういう権利さえ行使できない状況が、この国にはあるのです。そう感じるのは偏屈な私だけでしょうか。
>  こういう理想もありますよね。
理想はもたないと、現実にはなりません。そんな無理なこと言って理想を追いかけるなというふうに考えていたら理想には近づいてきません。それに、私が言った理想は、なにも私が考えついたことではなく、スウェーデンやノルウェーでは、すでに実現している現実の話です。
さらに、くるみさんを混乱させたら、ごめんなさい。専業主婦への思いはいっぱいあるのです。が、うまく一口では書けず、混沌としていました。でも、くるみさんの質問のおかげで思いを一つ一つ言葉にすることができ、とても嬉しいです。
No.8 くるみ投稿日時: 2001年7月14日 10時40分

かずみさん、ちょっとご無沙汰をしておりました。
> ”男女役割分業を受け入れた”とは、どういうことか?
> ”男社会に呑み込まれた”ということです。
> 一人の女性が一人の力で専業主婦から逃れることは不可能に近いくらい国家的に作られた女性の地位なのです。

 うんうん、なるほど、なるほど。
> 私は「弱い身分を認めなさい」とは思っていません。が、「専業主婦になった」ということは、社会的に「弱い立場」に立たされたということです。くるみさんは感じませんか?
 まだ自覚が足りないのかもしれませんね。あと、一時的なことだとどうしても思ってしまっています。でも、これって私個人の一時的なことでは済まされないことなんだということを、かずみさんとお話(?)させていただいて強く感じます。主婦になりたてのときは全く抵抗感で一杯でしたが、さっさとここから(専業主婦から)抜け出そう、という発想になってしまいました。それまでは、没頭することもあるし、と。
> 専業主婦という理由で、役所でバカにされて相手にしてもらえなかったという女性の話を聞いたこともあります。
 ううっ、まったく!!<激怒
> で、付け足しますが、
> 「私は肩身の狭い思いなんかしていないわ。肩身の狭い思いをしたことのあるのは、かずみさんだけでしょ。あなたが一人で肩身が狭いからって、みんなに経済的自立がどうこうって言って欲しくないわ」
> という誤解をしないでほしいです。

 大了解!です。
> 私が、なにを言いたいのかと言うと、つまり、「専業主婦だけが潤いのある生活」をしていてはダメで、(専業主婦が潤いのある生活をしてはいけないと言っているのではないぞ)働く女性、働く男性たちにも潤いのある生活をする権利があるのです。
 私が言いたかったのは、外で働くものにとって専業主婦の「労働」が、彼らを癒す部分があるのでは?ということです。働いていたときよく女性でも「私だってお嫁さんが欲しいわよ」というのを聴きませんか?私も思っていました。無駄と言ってしまえばそれまでですが、手つくりのもので迎えたり、生活文化を次世代へ伝えたりということはとても大切なことだと思います。専業主婦が他からどう思われても、担う重要なものもあると思います。これはまた別の論点になってしまうかもしれませんが。
> さらに、くるみさんを混乱させたら、ごめんなさい。
 とんでもありません。混乱したのではなく、かずみさんのおっしゃることの主旨を、できるだけ正確に理解して、私の思うことを書かせていただきたかったので沢山質問させて頂いてしまいました。お答えいただいて、また、くどいようなお話に付き合ってくださって、本当にありがとうございました。本意を知りたい、と思って言葉を重ねるとどうしても重苦しかったり、くどくなってしまいますけど、ピタリピタリと的確にお答えくださって、さすがと思ったりとても興味深かったです。
>いつか、この掲示板に書いた自分の言葉をきちんとまとめて、会報第○号として発表できたらいいなと思います。
是非とも。楽しみにしています。
No.9 かずみ 投稿日時: 2001年7月15日 00時05分

くるみさん、お返事どうもありがとう。
「専業主婦」というお題をReiさんからいただいたとき、私は、その課題の大きさに、どこからどう焦点をあてようかと随分迷いました。そして、できあがったのが第44号でした。できあがったとはいっても言い足りないことだらけで不満でした。でも、私の思いの全てをどうやって書いたらいいのかわかりませんでした。
くるみさんは、私がいい足りないでくすぶっていた部分をそれはうまく引き出していってくれました。きっと、くるみさんには、私がどう言ったらいいのかわからないでぐずぐずしている部分が見えたのだと思います。
もし、この掲示板がなかったら、第44号はあれっきりでおしまいでした。でも、ここで、みんなの意見がうかがえ、また、くるみさんから、私の思いを引き出していただくことができ、本当にうれしいです。
このスレッドに参加してくださったみなさん、そして、読んでくださったみなさん、どうもありがとうございました。
これからも、また、身近な話題で語り合っていきましょう。