リトル・インディア


シンガポールは、多民族国家である。
中国系が大半を占め、インド系、マレー系など
多彩な民族が狭い国土の中で暮らしている。
道を歩けば、いろいろな顔の人に出会う。
顔の色も服の様子も様々である。
でも、赤と青が混じり合って紫になる、といったことは起こらない。
赤は赤のままだし、青は青のまま、雑居している。
ヒンドゥー教の祭りがあったり、中国的な行事があったり、イスラム歴があったりする。
インドの祭りで一度見てみたいと思う祭りがタイプーサムだ。
108つの煩悩を取り払うためだかなんだか、
108本の長い針を体中に刺した勇気ある男たちが街中を練り歩く。
本国のインドでは、体に針を刺すのが残酷だということで禁止されてしまい、
実際に行われているのはシンガポールだけという貴重な祭りでもある。

そんな多民族性が実感したくて、チャイナ・タウンやアラブ・ストリート、
そしてリトル・インディアなど、その全部の街へ行ってみたかったが、
子連れの上に4泊5日の短い旅行だったため、
足を運べたのはリトル・インディアだけだった。

  

例によって、タクシーに乗った。
夫が「ズジャオ・センター」とタクシーの運転手に言った。
が、運転手は”I have no idea.”とか”Do you know spering?”とか言って、
いかにも夫の発音が悪いみたいな言い方をした。
スペルを言っても、運転手は首をかしげていた。
夫は○○通りを通って、××で曲がれとか伝え、
無事、ズジャオ・センターの前に到着した。
すると、そこのマーケットの看板”Zhujiao Centre”を見て、
運転手は、「ズジャオ・センター!!」と私たちに教えてくれた。
「だから、はじめからズジャオ・センターって言ってんだろ」って感じだった。

ズジャオ・センターの中は、いきなりインドだった。
肉屋の前に来ると、腐った肉の臭いで卒倒しそうだった。
子どもたちは、露骨に鼻をつまんで「くさい。くさい」と言った。
しまいに娘は
「お母さん、インドはすごいじゃなくて、インドはくさいに変えたら」
と言い出した。
マーケットは2階建てで、
1階が主に食べ物屋で八百屋、肉屋、カレー粉屋、食堂などがあった。
2階には、洋服屋や鞄屋が多かった。
粗末な洋服屋ではあるが、
何故か、どれも超ド派手な服が多いのに驚いた。
日本の服というのは地味だと思う。

屋台村のような食堂街で、カレーを食べた。
ヤシのはっぱに御飯やナンを乗せてくれた。カレーはおわんに入っている。
夫は「右手で食べようぜ」と言い出した。「ええーーー」と思ったが、
右手で食べたら、ちょっとは面白いかもしれないと思い、私も右手で食べてみた。
が、つかみにくくて、ちっとも食べた気がしないから、すぐにやめてスプーンに頼った。
カレー粉の色が指先に染み込んで、しばらく消えなかった。
こういう味は好きだから、どれもおいしかった。
が、子どもたちは全くダメで一口食べると
「辛い」「マズイ」「おなかいっぱい」と気分は最低の様子だった。
(彼らは、帰りにマックでハンバンガーを食べた。
子ども曰く「日本のマックより味がよかった」そうだ。)
最後に、インドのチャイを飲んだ。
香辛料入りの砂糖たっぷりのミルク・ティーだ。
大きなガラスのコップでみんなガブガブ飲んでいたので、
てっきり冷たいのだとばかり思っていたら、なんと熱かった。
フーフー冷ましながらゆっくり飲んだ。子どもたちもこれは喜んで飲んだ。
日本に帰ってから、
夫の作った香辛料入りのミルク・ティーを一口もらった下の娘が
「インド街で飲んだ」と言ったとき、夫は大変喜んだ。
娘がインドの味を覚えていたのが、嬉しかったのだ。

当然のことだが、リトル・インディアはインドではなかった。
そこの人たちはみんな常識的だし、ウソもつかなかった。
ここ2年以内に建てられた新しい店がたくさんあった。
ズジャオ・センターもその一つだ。
美しい街を目指す政府のおかげで、全国どこも美しくなった。
チャイナタウンもリトルインディアもあやうく撲滅するところだった。
が、観光資源になることに気づいた政府は「保存開発」の名のもとに
汚い家は取り壊し、きれいな街の開発を目指した。
おかげで美しい”ハリボテ街”ができあがった。
懐かしい昔の街の面影は、もう、滅多に見つけることはできないらしい。