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高山右近隠棲の跡
高山右近は攝津の國,(大阪府)の城主であった。秀吉ともに明智光秀を破り,その功によって明石六万五石に転封された熱心な切支丹代名であった。
その後秀吉の怒にふれ改易となったので日頃,親交のあった小西行長はいたく心配して自分の領主内で外部と隔絶した此の島(湯島)に隠棲をすすめた。
右近は非常に感激し一家をあげて密かにこの地に移った。
時は天正十六年六月(1588年)のことである。
小西行長は此の島を切支丹大名にまかせ他の者の出入りを禁じた。
追記
湯島に高山と云う知名の個所があるが誰もその謂れを知る人が居ないので前町長,森慈秀氏が莫大なる私費で東奔西走して研究なされたのである。
高山とは當時無人島であるこの湯島に高山右近隠棲の地を以って、その場所が高山と地名となったと云う。
資料 森田則栄氏の遺稿【湯島之今昔】 |
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