神話の解読

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11.神沼河耳(綏靖天皇)

     オホクニヌシノカミ
12.大国主神

 「大国主」(オホクニヌシ)という神名は文字通り、「大きい国の主」を意味する普通名詞ですから、そのような名前を固有名詞として持った特定の人物が、かつて実在したというわけではありません。だからこそ多くの神名が、その別名としてまとめられているわけです。
 ここでは、有名な稲羽(いなば)の素兎(しろうさぎ)の物語に登場する、大穴牟遅神(オホナムヂノカミ)について考えてみましょう。

都市国

都市(トシ、十州)国

 大穴牟遅神という神名についてはすでに書きましたが、「奴(ナ)の貴(むち)」ということで、ほんらいは奴国国主を指す言葉なのです。
 ところが、物語の途中でこの大穴牟遅神は、根(ね)の堅州国(かたすのくに)に向かったうえ、またそこから逃げ出しています。根の国というのは奴(ナ、野)国のことですから、ここで大穴牟遅神とされている神のモデルは、じつは奴国の支配者などではなかったことがわかります。
 そこで、別の神名を探してみると、この大穴牟遅神は最終的には宇都志国玉神(ウツシクニタマノカミ)と名のることになっています。そしてその神名には、「都志(とし)国」つまり都市(トシ、十州)国という国名が隠されているのです。
 その国は、西暦239年に難升米(ナンシヲマエ、野の後尾前柄)とともに訪魏した、大夫(たいふ)の都市牛利(トシゴリ、十州五林)の名前から、その存在が明らかになった国です。しかし、すくなくとも西暦247年に魏国の使節が訪れたときには、その国は崩壊していました。
 ただし、都市国の名前は後の鳥栖(とす)郷の名に残されたとみなすことができるので、都市国王の一族が消滅したわけではないようです。トスも「十州」と解釈できるので、それはトシ(十州)がのちに転音しただけのことなのです。
 このように、この神話はどうやら、その都市国をかつて建設した人物をモデルにしているらしいのです。

巴利(ハリ、八林)国

 物語は、八十神(やそがみ)という従兄たちが大穴牟遅神を従者(ともびと)として引き連れ、八上比売(ヤガミヒメ)に求婚するために稲羽(いなば)に向かうところからはじまります。
 そしてすぐに、稲羽の素兎(しろうさぎ)の話になるわけですが、それはこの物語の舞台を出雲に設定するために利用されたものでしょう。ただし、「素兎」という漢字は「スト」と読むことができるので、鳥栖(とす)という地名を倒置したものになっています。
 「十の水で囲まれた土地」からなっていた都市(トシ、十州)国が成立する以前には、それぞれのシ(州)が独立していたような時代があったことでしょう。そして、それらの支配者たちが八十神であり、ここでの大穴牟遅神もその一人だったのです。
 西暦247年には、かつての都市国の西側には巴利(ハリ、八林)国がありましたから、稲「羽」「八」上比売の名前は、それを出雲近辺の地名に置き換えたものらしいのです。

石谷山

 その八上比売は八十神の求婚を断り、大穴牟遅神に嫁ぐつもりだといいます。そこで八十神が怒り、その帰路に、大穴牟遅神を殺そうとします。
 そして、伯伎(ははき)国の手前で八十神は、山から赤い猪を追い下ろすから、それを下で受け止めるようにと大穴牟遅神に言います。その赤い猪はじつは焼けた大石だったのですが、言われたとおりにした大穴牟遅神は、その石に焼きついて死んでしまいます。
 西暦247年には、巴利国の東側には支惟(キイ、城岩)国がありましたから、それが伯伎(ははき)国に置き換えられたらしいのです。そして、キイ(城岩)という国名は、その領域が基山キ(城)から石谷山イ(岩)までであることを言っています。だから、焼けた大石を落とした話はほんらい、石谷山からの連想で作られたものらしいのです。
 天(あめ)の神産巣日之神(カミムスヒノカミ)の援助により、大穴牟遅神は生き返ります。そして、また八十神に殺され、また生き返るということを繰り返します。

基山

 そこで神産巣日之神は大穴牟遅神を、木国(きのくに)大屋毘古神(オホヤビコノカミ)のもとに送ります。ところが、そこにも八十神が追ってきたので、大屋毘古神は大穴牟遅神を木の俣(また)から逃がすとともに、「須佐之男命(スサノヲノミコト)のいる根(ね)の堅州国(かたすのくに)に行きなさい」と言います。
 ここでの「木国」というのは基山(きやま)町のあたりのことで、「木の俣」つまり「キ(城、丘)のあいだ」というのは、基山と宮地岳のあいだの土地のことになります。
 つまり、ここで大穴牟遅神とされている人物の一族の誰かが、あるとき烏奴(ウナ、上野)国を経て、奴(ナ、野)国に逃れたらしいのです。

根の堅州国

 須佐之男命の家に滞在することになった大穴牟遅神は、そこであまり良い待遇を受けません。しかし、須佐之男命の娘という須世理毘売(スセリビメ)の助けにより、何度も危難から救われます。
 そしてついに、大穴牟遅神は須世理毘売を背負って、須佐之男命の家から逃げ出します。須佐之男命は二人を黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追いかけますが、そこで追跡をあきらめて、大穴牟遅神につぎのように呼びかけます。
 「・・庶兄弟(ままあにおと)を坂の御尾(みを)に追い伏せ、また河の瀬に追い払い、大国主神となり、また宇都志国玉神となって・・」
 さらに、娘の須世理毘売を妻とするようにとも言います。
 この須佐之男命がほんとうに、宮崎平野にあったかつてのイヤ(五矢)国から追放された人物だったのなら、その娘を妃とすることの意味は重大です。
 しかも、都市国が成立する以前に、九州南部の宮崎平野の国王だったイヤナキの権威が、すでに九州北部にまで及んでいたことにもなるのです。

 また物語では、八上比売とのあいだにすでに子供がいたことになっていますが、八上比売は須世理毘売に遠慮して、その子を木の俣にはさんで帰って行きます。そして、その子の名前は木俣神(キノマタノカミ)で、別名は御井神(ミヰノカミ)だというのです。木俣は支惟国を連想させますし、御井というのは後の時代にそのあたりに成立する郡名なのです。
 このように、ここでの「大国主」の物語はほんらい、筑紫平野に都市国という「大国」を建設した人物、または一族、が経験した、苦難と成功の歴史を描いたものだったと考えられるわけです。

14.2.18

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