魏志倭人伝
14.卑弥呼の死

| その八年(西暦247年)に、(帯方郡の)太守の 王 倭の女王の卑弥呼(ヒミコ、一水子)は狗奴(ク ナ、九野)国の男性の国王の卑弥弓呼(ヒミキウコ、 一水城上子)と、もともと仲がよくありませんでし た。(そして、)倭の載斯烏越(サイシウヲツ、三 岩州上尾津)などを(帯方郡に)派遣したのですが、 (載斯烏越たちは)郡に着き、おたがいに攻撃しあっ ている状況を説明しました。 王 掾史(えんし)(部下)の張政(ちょうせい)などを 派遣して、詔書とともに黄色い旗をもたらしました。 難升米(ナンシヲマエ)の代理に拝謁し、いそぎの 文書を作って、その人に教えさとしました。 卑弥呼が死んだので、大きい墳丘が作られ、その直 径は約百歩(ぶ)(1歩 = 1.45m)になります。殉葬さ れた人は、召使いの男女が約百人です。 そして男性の国王を立てましたが、国の中(の人 々)がそれに同意しませんでした。さらに、おたがい に殺し合うことになり、このとき約千人を殺しまし た。 ふたたび、卑弥呼の親族で女性の壱与(イヨ、一 淀)、年齢十三歳、を立てて王にすると、国の中がよ うやく安定しました。政たちはいそぎの文書によって 壱与に教えさとしました。 壱与は、倭の大夫で率善中郎将の掖邪狗(ヱキヤ ク)など二十人に、政たちが帰還するのを送らせまし た。そしてまた、(掖邪狗たちは魏国の)都まで行き、 男女の使用人三十人を献上し、白く丸い宝石(または 真珠?)を五千孔、青く大きい勾玉(まがたま)を二 枚、いろいろな模様の各種の錦(にしき)二十匹、を 贈りました。 |