サクラの木が、芽を吹いた。
冬はもうすぐ眠る頃。
何かが、起こる気がする。
それは小さな奇跡の予感。
レオリオの様子が最近どうにもおかしい。
まず、夜の帰りが異常に遅い。深夜の2時3時なんてザラ、ともすれば5時くらいに帰ってくることもしばしばである。
逆に朝は蹴っても叩いても反応一つせず泥のように眠りつづける。昼過ぎになってようやくもっそり起きてきたかと思うと、食事を取った後ふらりと出て行ったまま、また深夜遅くまで戻ってこない、……そんな毎日なのだ。
「……オンナじゃねえの?」
ガチャン!
思わずお茶を吹き出しそうになる私。
夕食であるイカ墨パスタが巻かれたフォークを取りこぼしながら慌てるゴン。
「キ…キルア!!」
「だってさ〜、クラピカ変にケッペキだしさ、ホラ、おっさんと寝たことないっしょ?オッサンも男なんだしさ〜」
「キルアーーーー!!!」
からからと笑うキルア、更に慌てるゴン、そして、真っ白な私。
「…い…いや、その…私達はそういうつもりで同居している訳では…」
「そこだよ、そこ!見目(だけは)麗しい乙女が一つ屋根の下に5年間住んでる訳だよ。なのにその相手がその方面に無頓着なものだから、手を出すことも出来ずに毎日が悶々と過ぎ去っていく…あぁあ、辛いよなあ…男としては。同情するぜ…オッサン」
「何だ…?その(だけは)というのは…?」
「だって他はどっこも麗しくないじゃん。怪力だし、気も強いし、根性どっかり座ってるし」
…………サックリ言いたい放題である。
「き…キルアってば!いいかげんにしなよ!そりゃ、クラピカ最強だけどさ!」
…………それをトドメと言うのだ、ゴン…。
「ま、オッサンもクラピカと同居を始めて5年、ぼちぼち清い愛だけでは物足りなくなってきたということで!」
「だだだ、だから違うと言っているだろうーーーッ!!!」
慌てて否定した私の怒声は小さい家内に響きわたった。キルアはそんな私を指差し、腹を抱えて大笑いしている…。
………からかわれたか…?私……
ごつん。
「痛え!暴力反対!!!」
鉄拳制裁やむを得ず。(良い子(?)は真似をしないように。)大人をからかうものではない。
隣で騒ぐキルアを尻目に私は黙ってお茶をすするのだった。
―――――そうか、もう5年になるのだな。
お茶をすすりながら、先ほどのキルアの言葉にふと湧いてくる、深い感慨。
今から5年前、私はこの古い屋敷に居を定めた。
私なんかのために屋敷の借主であるレオリオや目の前の(当時)小さな友人たちが色々と世話を焼いてくれたのが昨日のことのように思える。
正直当時は「帰ることのできる家」が出来ようとは夢にも思っていなかったし、そんなことが許される筈も無いと心にきつく戒めていたものだ。
そんな強情な私を3人が言葉巧みに、なだめすかし、騙し騙し…まあ、とにかく紆余曲折あって此処を「家」とさせたのが5年前なのである。
5年経てば周囲の状況もかなり移ろい行くものだ。
ゴンとキルアは2人して17歳の若さでシングルハンターの栄誉を受けた。北の国の永久凍土の下から1000年前の遺跡を発掘した功績が認められたのだ。(本人たちは魚でも釣ろうとして氷を壊したら出てきた、とあっけらかんと言っていたが、それは公言しないよう厳しく言っておいた。)当時レオリオと驚きながらも呆れたことを思い出す。
そんな2人だが彼らも今では立派な20歳。ことさらキルアはその憎まれ口も見事に成長を果たしたようでレオリオはおろか私までやりこめられる最近である。
一方レオリオは無事に医科大学過程を修了し、何と先日国家試験も合格した。実に信じがたいことだか、つまりは入学からオールストレートで医師免許を手にしたのだ。試験終了後に「ヤマカン大当たり!!」という先行き不安な一言を残して。
「…カ、…クラピカ!聞いてんのか?」
キルアの不機嫌そうな声によって現実に引き戻される意識。
顔を見ると、声の調子に違わずその眉は不服そうにひそめられている。
先刻からかわれた仕返しにさらりとその不満声を流す私。
「聞いていない。」
「うわ!そうやって子供は非行に走っていくんだ!!」
誰が誰の子供だ…。
大袈裟なキルアの言葉に思わず呆れながらも苦笑してしまった。
そんな私にキルアは尚も自分の邪推を披露しようと身を乗り出してくる。
「とにかく、俺が思うにオッサンはだな」
「……その『オッサン』は俺のことではあるまいな?」
「おう、おっさんは……」
し〜〜〜〜ん……
「うわ!おっさん!!」
「遅えよ、しかも俺はおっさんじゃねえと何度言えばええんじゃい…」
噂をすればなんとやら。この古屋敷の家主…ならぬ借主であるレオリオのお帰りだ。
戻った早々キルアに今更効くはずも無い呼称指導を施している。
「おかえり、レオリオ!」
「おう、ただいま、また暫く見ない間にでかくなりやがって。」
「まだまだ、レオリオには追いつかないと!」
ゴンの迎えに笑顔で答えるレオリオにちょっと驚きの色を含めて声をかける。
「おかえり、今日は早かったのだな。」
只今の時刻は10時ちょっと前。最近の彼からいうと、こんなに早い帰宅は久しぶりだ。
当のレオリオ、私の声に振り返り、親指と人差し指とで丸を作って見せる。
…呆れた台詞を吐きながら。
「まあな、ひさびさにシングルハンターズが来るから合格祝いでもせびろうかと思ってな」
「うわ!ケチくさ!!」
「俺はいつだってケチくさいわい。」
「威張れないよ…レオリオ…」
下らないことに胸を張るレオリオにゴンが苦笑する。
本当に下らない…しかもゴンの言う通りあまりにも威張れない…
「…はぁ、…合格祝いは貰ってないが、夕食を作るのを手伝ってもらった。まだ冷めていないから早く食べろ」
私は溜息をついて食卓に着くよう促す。 それを受けてレオリオは椅子に腰掛け、机に並ぶ料理を見渡してしみじみと呟いた。
「そうか〜、有難うな、ゴン、キルア、すまなかったな、大変だったろ」
「ああ、料理がっつーよりクラピカの所業を見てるのが大変だった…」
「…そうだろうな…」
「うん…パスタに墨入れる所だった…」
「イカ墨じゃ…ないんだな」
「うん…墨汁。」
……何だか面白くない話をしている…。3人で肩を組んでしみじみと。
何だか悔しいのでちょっと睨んでやる。
「うるさい、早く食べろと言っているだろう」
「はーーーい…」
3人の大きな子供たちは声を揃えて返事を返し、いそいそとフォークを手に取るのだった。
…まったく、男のくせに(差別発言。)細かいことを気にする輩だ。 いいではないか、黒くなれば墨パスタだ。(※食べられません。)
「そういえば…」
「食べかけのフォークの先を人に向けるな。」
言いかける俺の台詞をクラピカの声が塞ぐ。むっとする俺に追い討ちをかけるようにくどくどと続けるその声。
「全く行儀の悪い、子供たちの前で。教育に悪いと思わないのか?年長者としての自覚はないのか?そんなことでいいと思っているのか?」
「へえへえへえ、悪うございました」
「返事は『はい』1回でいい。」
呆れ顔のクラピカ。苦笑するゴン。にやにや笑いののキルア。そして渋い表情を浮かべる俺。
「で、でさ、レオリオ、どうしたの?さ…さっき何か言いかけてたでしょ?」
ゴン、険悪になりそうな雰囲気をかき消そうと慌てて話を元に戻す。大袈裟に手を振るその仕草が悪いが何とも可笑しくて、自然こみあげてくる笑いをかみ殺しながら俺も話を戻した。
「ああ、そうそう、クラピカ、お前がいつ此処を出て行くのかって話をしたかったんだよ」
「ああ、その話か。明日、お前が帰ってきたときにはもういないと思う。昼か…3時過ぎあたりだろうな」
し〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん……
俺たちのその会話に静まるかえるゴンとキルア。
ゴンはぽかんと口を開けたまま、キルアはパスタの滝を口にくわえたまま石化していた。 「ハンター・食事中に驚愕の像」とか思わず名づけてみたり。
やがて、石化の効果が切れたのか、二人は機関銃のように喋りだした。
「ちちち…ちょっと待って!まずは落ち着いて話しあおうよ!」
「な…何もそこまで追い詰められんでも!!何かあったのか!?」
「そそそ…そうだよ!何があったの!?」
「う…浮気疑惑かッ!?さっきの浮気疑惑なのかッ!!?」
「…お前ら、何を勘違いしてんだ?」
…どうやら、妙な誤解を招いたようだ…。
それに何のことだ?『さっきの浮気疑惑』って。
「…え?レオリオとクラピカがケンカしてクラピカ出て行っちゃうって話じゃないの?」
「…それで最期に顔を合わせるのが辛いから、妻は夫がいない隙にそっと家を出る…。可愛い二人の子供に後ろ髪をひかれながら…つづく。」
「違う。全然。」
キルア創作の物語にツッコむ俺。
もはやどれにツッコんでよいやら解らなかったのでとりあえず全部にツッコんでおいた。
何だか激しく誤解されていたようだ…。まあ、確かによく考えてみれば先ほどの会話では無理もないか…。 思わず、クラピカと顔を見合わせて苦笑する。
訳がわからずに怪訝そうな表情を浮かべている2人にクラピカがおもむろに向き直る。
「…最後の一対が見つかったから回収に行くのだよ。」
「……『最後の一対』……って、あ!緋の眼!?最後のがやっと見つかったの!?」
彼女の口から伝えられた嬉しい報告に、ゴンがぱあっと表情を輝かせて身を乗り出す。
笑って頷いてみせるクラピカ。
キルアもそれを聞いてほっと溜息をつきながら、どっかとイスに腰を下ろす。
「やったー!やったね!クラピカ!!おめでとう!」
「そうならそうで早く言えよ。ったく、水臭せえなあ」
「いや、まだ在り処が解っただけで手に入れたわけではなかったからな。」
言いながらも、2人に笑顔を向けられて奴もまんざらではなさそうだ。
そう、この世界に残された緋の眼はたった2対。
ひとつはクラピカ自身の。そしてもう一つが亡き同朋の最後のひとつ。
ここ数年で世界中からその姿を消していく比類なき緋色の美しさを誇る禁断の宝石。
そのためか一層希少価値が高まり、取引される価格も尋常ではなくなって来ている。 それでも世の物好きな成金どもは飽くことなく金を積み、怒りに染まる瞳を我が物にせんと欲を振りまいていた。
そして勿論、その価格に比例して警備も厳重さを増しているらしいのだ。現に近年ではプロハンターまでが雇われている状況も決して珍しくはないと以前クラピカも漏らしていた。
今回はこの世に現存する最後の秘宝。警備も生易しいものではないだろう。 それでも、それでもこいつを止めることは出来ないから、
俺が出来るのは待っててやることだけだから…、
「最後の最後にドジ踏んで捕まるんじゃねえぞ。」
からかうような口調とは裏腹に、つい真剣な表情を浮かべてしまっていたのだろう、クラピカはそんな俺を真っ直ぐに見て、静かに首を縦に振った。
そんなクラピカの顔をゴンが覗き込む。
「クラピカ、どの位でここに帰ってこれそう?」
「そうだな…1ヶ月ちょっと…警備状況が厳しければ2ヶ月行くか…。3ヶ月にはならないと思うが…、何故だ?」
「勿論、おめでとうパーティするためだよ!俺たちクラピカが帰ってくるまで待ってるから!『おかえり』って出迎えるから!…ね、キルア、いいでしょ?」
「あ〜?いいんじゃねえの?てな訳でおっさん、しばらく厄介になるぜ」
満面の笑みでクラピカの疑問に答えるゴン。パスタを頬張りながら俺に宣言するキルア。
…何だかぽんぽんと話が決まっていっている…。俺の意見はないんかい…。
まあ、いいけどさ。一応念は押しておこう。
「…俺、しばらく遅くなるけどいいのか?」
「ああ、いいよ。勝手にさせてもらうから。おっさんはクラピカがいない隙に浮気に励んでくれい。」
ぶーーーーーっ!!
がっちゃん!
俺が飲んでいたお茶を噴出したのとクラピカが重ねた皿を落とした音が同時に響いた。(幸い持ち上げたばかりだったので割れなかったが。)
慌ててキルアに詰め寄る俺。
「だっだっだっ誰が浮気じゃ!!」
「おっさん。」
「ししし、しとらん!断固しとらんわい!!」
「むきになるところがまた怪しい、怪しいのですよ、目暮警部」
誰やねん。
…にやにやしながら俺を指差すキルア。
くそ〜〜、こいつ身体だけじゃなくて、意地と口の悪さもでっかくなりやがって…。
「大丈夫だよ、クラピカ」
ゴンが笑って助け舟を出してくれた。
おお!有難い!!流石はゴンだなあ…、体だけじゃなくて心もでっかくなって…
「レオリオはクラピカのことちゃんと待っているから。」
有難かったが…ちょっとこっぱずかしいぞ、でっかい心…。
「そーそー、安心しなって。浮気するったって相手がいなきゃ出来ねえよ。」
そう言って、相変らずからからと笑ってみせるキルア。ゴンが隣で『もー!』と軽く睨んでいる。
「ま、アレだ。おっさんは絶対アンタをうらぎらねえって。そこんとこ信用して緋の眼の方に集中しなよ」
「そう、だな」
俺たちをからかってやっとスッキリしたのか、キルア、最後の最後にフォロー挿入。 クラピカもそれに頷いてみせる。
「それじゃ、クラピカ。いってらっしゃい!気をつけてね」
ゴンが見送りの言葉をかける。
いつしか、当たり前になったその言葉。
以前は頑なにこの言葉を拒んでいたクラピカも今ではこんなにも当たり前にそれを受け取ってくれる。
そして、答える。いつものように。
「ああ、行ってくる」
幸せそうな、笑顔を浮かべて、
そして次の日、クラピカは最後の旅に出立したのだった。
サクラの木が蕾をつける、春はもうすぐ傍に。
奇跡の足音も耳を澄ませば、
其処に。
この町に潜んではや一月半、
下調べは充分。屋敷の間取りも、警備状況も、そして緋の眼の保管場所も全て掴んだ。
いつもは緋の眼は幾重ものセキュリティシステム下で厳重に囲われている。
だが、資産家というのはなんとも不思議なもので、顕示欲とでもいおうか、とかく自らの資産を他人にひけらかしたがるようだ。 それが、いまや世界にたった一つと謳われる秘宝なのだから尚の事。
明日はまさにその傲慢の場。
屋敷の主人が世界に名だたる資産家たちを一同に集め、パーティを開催するというのだ。勿論その目的は緋の眼の所持を披露することによって、自らの富を誇示するため。
明日しか無い。
無論警備人数も普段の比ではないだろうが、網膜や声音・指紋による厄介なセキュリティロックシステムに比べればまだましだ。
…そう、明日で終わるのだ。
逸る気を何とか鎮める。
眼を閉じて、深呼吸をして、身体の力を抜いて…
もう少し、もう少しだから。
冷静に、いつもどおり、確実に
私のこの手で全てを終わらせて
そして、帰るんだ、あの家へ
帰ろう、
大切な人たちの許へ
『…氏は犯人に盗まれた宝石について詳細の公言を避けておられますが、1兆は下らない逸品であるとまことしやかに囁かれています。犯人は氏開催のパーティに客を装って潜入し、大胆にもパーティの最中に飾られていた宝石を奪い逃走したとの情報です。警察は現在町を全封鎖しての検問を続けており……』
「大丈夫かなあ…」
「そだな、ま、あの人のことだから何とかしてんじゃねえの?」
言いながら、呑気にピカタを頬張るキルア。
目の前の古いテレビ(レオリオがどっかから拾ってくたらしい)では思いっっきり心当たりのある事件が報道されていた。
画面には警察が通行者ひとりひとりに職務質問をかけている様が映しだされている。警察でこの様子なら裏から回されている追っ手はもっと厳しいだろう。
「…そうだね、大丈夫だよね」
それでも、クラピカはきっと無事に帰ってくると信じているから、俺はキルアの台詞にそう返した。
呑気を装いながらも落ち着かずに貧乏ゆすりをしている目の前の天邪鬼に笑いを堪えながら。
「あ゛〜…はよー…」
「…あ、レオリオ、おはよー」
眠そうなその声に振り返ると、レオリオが立っていた。髪はボサボサ、髭も剃っていないという何ともワイルドないでだちで。…クラピカが見たら雷落としそうな姿だなあ…。
「よう、おっさん、おそよー」
「…イヤミかい…」
……しかし、キルアのイヤミも否めない。時計の針は既に13:40を示している。
テレビはタイミングよくCMに入り、レオリオに先ほどのニュースは聞かれなかったようだ。
当のレオリオは欠伸をかみ殺してどっこらしょと腰掛ける。『オヤジくせーぞ』とキルアすかさずにつっこまれながら。
その隣からお盆を差し出す俺。
「はい、レオリオ、お昼ご飯。あんまり大した物できなくてごめんね」
今日のブランチ(俺たちはランチ)はコーンスープに野菜サラダ、キャロットグラッセを添えたポークピカタそしてライス。
はっきり言って宣言どおり全然手が込んでいない。俺とキルアのレパートリーなんてそんなものだし。
でもレオリオは喜んでくれた。
「おお…、今日も普通のメシだ…。人間の食べ物だ…。」
…しかもかなり本気で感動している…。
いただきます、と言うが早いかぱくりと食事を口に含む。
「……美味しい…」
…何だか感慨に浸っている…。
そういえば、最近レオリオが遅いからクラピカが台所に立ち始めたって聞いたけど…。
だったら、この感動も解るかも知れない…。クラピカの料理ってかなり…その、個性的だから。
「レオリオ、お代わりあるからね〜」
「がっつくなよ、おっさん…、ま、これだけはクラピカに望めねえからなあ…」
苦笑するキルアの声も耳に入らないのか、レオリオは必死に数ヶ月ぶりの平和なブランチを満喫していた…。
「ごっそーさん!」
「どーいたしまして!」
食後の挨拶を交わし、お茶で口を潤しているレオリオにキルアが思い出したように声を掛けた。
「…そういえばさ、おっさん、毎晩遅くまで何やってんだ?…まさかホントに浮気してるとか?」
「ちげーよ、只のバイトだよ」
「…ホスト…?」
レオリオ、キルアにデコピン攻撃。
「ってーな!何すんだよ!」
「健全な青少年育成のための教育的指導。」
キルアは口を尖らせて抗議を続ける。
「だって深夜のバイトだろー?」
「工事現場とかコンビニとか思いつかんのか?」
「…あ、そっか。そうだよな、おっさんをホストで雇うチャレンジャーなんていねえよなあ!」
――――再びデコピン。『青年虐待』というキルアの激しい抗議は無視される。
その状況に苦笑しながら今度は俺がレオリオの顔を覗き込んだ。
「何でそんなに働いているの?お金、そんなに足りないの?」
「…う〜〜〜ん、ゴンに生活の心配をされるとは…年をとるのは早いもんだ…。ま、お前らもハタチだし、こういうことをボヤいてもいい年かねえ…。」
ちょっとノスタルジックな感じで呟きながら頷くレオリオ。
キルアが「いくつだ、お前…」と小さくツッコんでいた。
「ホラ、医者の免許取っても実際病院がねえとどうしようもねえし。この土地を買い上げてって考えてんだけど不動産ってのはどうにも高くていけねえやな。医療に携わるだけなら、国立や市立の病院に入るって手があるんだが、俺の場合は無料治療って夢があるし。こればっかりは雇われじゃ出来ないんでね、結局自分の城ってやつが必要不可欠ってな訳。医療道具にしてもバカ高いし。ま、そっちはリースで何とか出来るけどな」
「そっかあ、そうだよね…」
…医者になれたからおめでとう、という単純な問題ではなかったようだ…。やっぱ現実は厳しいんだなあ…
キルアも同じ事を考えているのか、隣で神妙な顔をしている。
「ライセンス売る事も考えたんだが…どうもな」
「レオリオ…俺、仕事の報酬で銀行入れっぱなしのお金あるから貸そうか?」
「う〜ん、それも悪いしな。」
「悪くなんてないよ、俺も力になりたいし…何より俺も沢山世話になるし」
「はは…、ま、いざとなったら頼むよ」
レオリオはそう言って苦笑いを浮かべた。
そうは言っているけど、こう見えてレオリオも頑固だし、自分の力でやりたがるからなあ…。
だから「あげる」じゃなくて「貸す」って言ったのに。本当に力になりたいんだけど…。
「…まあ、ひとつ医療関係以外でどうしても緊急に買わなきゃいけねえもんもあるしな…あ、そうだ!その件でお前らに頼み事があったんだった。ちょっと耳かせ」
そういわれて、俺たちは頭を寄せ合った。
…よく考えてみたらこそこそ話さなくても他に誰もいなかったんだけど…。
サクラの木が、花吹雪を纏う。
春は、此処に。
奇跡は、傍らに。
どん…っ
「…あ、すみません…」
「いえ、こちらこそ」
軽く会釈をして、ぶつかってしまったご婦人が立ち去る。 溜息をついて頭を振る私。
慌てているなあ、
そう思うと無性に可笑しくなる。
数年前まで忘れていたこの気持ち。
帰るべき場所があるという歓び、
誰かが待ってくれているという温もり、
「おかえり」と笑顔で言ってもらえるというしあわせ…
その幸せを思うと、
胸の奥が溢れんばかりに高揚する。
その倖せを想うと、
泣きそうなくらい暖かい気持ちになる。
一分でも、一秒でも早くその幸せに辿り付きたくて、私はいつしか走り出していた。
視界の端に流れていく景色が懐かしい。 この数年で知り合った人が笑いかけてくれる。
一歩、一歩、あの家に近づくたびに、
ひとつ、ひとつ、喜びが増えていく。
それが、また尚更足を急がせる。
……見えてきた。
あの古い屋根、
傾いた門、
小さい庭に不釣合いな程大きなサクラの木…
…ああ、サクラの木がもう花を纏っている。きっと狭い庭はサクラの雪で埋まってしまっているだろう。
ゴンとキルアはどうしているだろうか。
サクラの雪に埋もれてはしゃいでいるかもしれない。20にもなってそれはないだろうか…。でもあの2人のことだ、少なくとも縁側でお茶を飲みながらのんびりはしていないだろう。
降りしきる淡桃色の中で走り回る2人の姿を想像して、少し笑ってしまった。
…何にせよ、この門を潜ったら、
きっと誰かが此処に居て
、
「おかえり」と迎えてくれる、
いつものように、
いっぱいの笑顔を浮かべて…
私は揺ぎ無い期待を胸に門をくぐった。
「ただいま」
――――――――――………シ…ン……
……其処は鎮まりかえっていた。
庭には予想通りサクラの花びらが降り積もっていたけれども、その美しさを愛でる者は誰も居らず、ただただ自然の営みを果たすかのようにサクラは淡々とその花を散らしつづけていた。
「…ゴン?…キルア…?」
待っていると言ってくれた人たちの名を、呼んでみた。 私をびっくりさせようと物陰に隠れているのではないか、そう願って。
だが、還ってくるものは何もなく、私の声が静寂に吸い込まれるだけ。
暖かい筈のその場所は、哀しい程に、静かだった…。
「…レオ、リオ…?」
この家の主の名を、呼んでみる。
私なんかと一緒に居たいと言ってくれた、暖かい声の主の名を。
ずっと待っていると真っ直ぐ私を見つめてくれた、優しい眼差しの主の名を。
逃げ出した私を抱いてくれた、大きな腕の主の名を…。
庭を、
玄関を、
居間を、
部屋を、
ひとつひとつ回りながら彼らの名を求めつづけた。
あわよくば、私自身を飲み込もうかとするかのような静けさの中、彼らの姿を探しつづけた。
「俺はこっちがいいと思うけど…」
「バカ、こっちの方がいいんだよ」
「バカって何だよ〜」
「…いや、俺はやっぱそっちも捨てきれねえなあ…」
「オッサン、何言ってんだよ。モノは絶対コレだろ?」
………俺たちは、目立っていた。
いまや店中の瞳がいぶかしげな色で俺たちを見ていた。
まあ、無理もあるまい。
ここは宝飾店。
そしてああでもないこうでもないとショウウインドウの前で騒ぎ立てる大きな男約3名。
それもかれこれ既に5時間経過。
何をどう考えても奇妙極まりない光景だ…。
とりあえず真剣な所がまたことさらに奇妙オーラを醸し出している…。
「キルア!プレゼントはモノじゃないよ、心だよ!」
ゴンがしつこく食い下がる。出会いから10年目にして最大の友情崩壊危機に直面中。
俺は溜息をついてビシッとその額に指を突きつけた。
「アホ、そういう意味じゃねえ、しっかりしたモンじゃねえと壊れちまうだろうが。あのヒトの日常、すげえハードなんだから」
「う…」
…俺の言葉に怯むゴン。俺はこの機にたたみかける。ボクシングで言うならワンツーパンチ。(謎)
「それに考えてもみろ、日課の様にオッサンとケンカするんだぜ。あのヒトのことだから手加減ヌキで。ヤワなモン買ったらすぐに壊れちまわあ」
「…うう…っ」
更に怯むゴン!どうだ、この翻し様のない見事な事実!!
「…フォロー入れろ〜…、ゴン…」
レオリオが切な〜い声でほろりと涙を零す。
「…ううう…」
…入れられる筈もあるまいて…。それが現実じゃけんのう…。(何ゆえ広島。)
「…お客様、右の商品も左のほどではございませんがこう見えて強度はかなりございますが…」
綺麗な女店員さんがゴンの代わりにやんわりとフォローを入れる。 それを受けて、ぱあっと顔を輝かせながら身を乗り出すゴン。
「岩をも破壊する力の持ち主なんですけどOKですか!?」
「申し訳ございません。」
「早ッ!!」
お姉さん、速攻でお詫び。そりゃそうだろうよ。 …まあ、それを言っちゃ、どの指輪も耐えられる筈ねえんだけど。
ゴンが選んだ指輪は細工の細かい品。
波を形どったリングに護られる様に中央のダイアモンドが淡い輝きを湛えている。
確かにデザイン的には俺の目から見てもそれが1番だった。ただ、繊細な波型の細工がリングの部分を細くしてしまっていることさえ無ければ俺だってこれに即断だ。
だが、これはクラピカへの贈り物。
どうひいき目に考えても普通の女性の力を大きく凌駕する彼女。 っつーか怒り爆発時には俺の力も凌駕しちゃうかもしれない恐ろしい相手。 そんな彼女に贈ろうというのであれば、まず何よりも頑丈さを優先させるべきであろう。
その点こっちの指輪はリングの部分が厚めに設計されており、先ほどの程ではないがデザインもなかなかのセンスだ。飾り気のないリングにしっかりと固定された宝石台は金属とは思えない滑らかさでダイアモンドを抱いている。細いシルバーが2,3本ダイアモンドに絡みつくことでその間から零れる光がまるで木漏れ日のような優しさを滲ませていた。
「うん…そうだよね、やっぱり何と言っても頑丈さだよね!」
ゴンがやっと首を縦に振った。不承不承ではなく、にっこりと笑って。
「こっちならレオリオを全力で殴っても壊れないね!」
「おう、そういうことだ!!」
「えッ!そういうことなのかッ!!?」
思わずツッコむレオリオ。
…そういうことだよ、
こっくりと頷く俺とゴン。
「…そうか、そういうことなのか…。じゃあ2人とも、これでいいな?」
レオリオの微妙そうな念押しに頷く俺たち。
――――かくして俺たちは約6時間をかけてようやく買い物を終えたのだった。
「あー、しんどー」
店を出た途端大きく伸びる俺に『年寄りくせえなあ』とからかうレオリオ。 悪戦苦闘の末、俺たちが選んだ指輪はゴンが大事そうに胸に抱いている。
「クラピカ、喜んでくれるかなあ…」
「そりゃ、まあ、オッサンの今までの積み重ね次第だろ。最悪受け取って貰えねえかもしれねえし」
「痛いこと言うなあああ〜〜!!」
自信なさげに唸るレオリオ。
…そんなに身に覚えがある同居生活送っとったんかい。
「大丈夫だよ、レオリオ。きっと喜んでもらえるよ」
「そう、かな…そうだよな…」
「そうだな、同情かもしれねえけどな。」
「キ〜ル〜ア〜」
ゴンの言葉に盛り上がりかけたオッサンの心意気、大転落。これが楽しくてやめられない。
ま、100%OK確実なんだから、せいぜい今のうちにうろたえといてもらおうじゃねえか。
ゴンは大事そうに包みを見ながら、そわそわしてる。
「あーあ、クラピカ、早く帰ってこないかなあ、これ見たらびっくりするよ」
「…いや、俺はもうちょっと心の準備をする時間が…」
「…5年も一緒に住んどいて今更何を言うとるんじゃい。ま、案外すれ違いで今帰ってたりしてな」
「そ…それは困るよ!俺出迎えるって言ったんだから!!」
早く帰ってきたらいいとついさっきのたまったゴンさん、矛盾の一言。
「お…俺も困る!そんないきなり!!」
「ええい!買うと決めた次点でしとけ!心の準備!!」
――――――こういう時に限って起きて欲しくないことが実現しちまうってのが人生って奴で。
――――――――…………
サクラの花びらが一枚また一枚と静かに舞い降りる。
屋根に、
庭に、
そして私に…。
相変らず、周囲は静寂に包まれていた。
塀の向こう側にあるはずの町の喧騒も不思議なほどに遠い。
まるで、この世に私一人なのではないかと錯覚させるほどの、静けさ。
久しぶりの孤独感。
久しぶりの物寂しさ…
―――この2ヶ月間、確かに私は1人だった。
最後の緋の眼奪還のために慎重に事を進め、1人で町の中を駆け回った。 毎日毎日がたった1人の戦いであった。
それでも、 胸の中にはいつもこの家が在った。
大切な人達が笑っている、そんなこの家がいつでも傍に在った。
彼らが待っていてくれる、
あの古い家で私を待っている…
そう考えるだけで、孤独感は拭い去られた。
そう思うだけで、優しいぬくもりに満たされた。
そう、想うだけで、力が湧いてきたのだ……
… それなのに、
帰って、きたのに…
「…きっと、すぐそこまで買い物にでも行っているのだ…」
「すぐ、戻ってくる。すぐに戻ってきてくれる…」
「そう言ってくれたから、約束、したのだから……」
言葉が、零れた。
痛いばかりの沈黙に耐えられなくなった唇が、次々と想いを吐き出した。
多分、それは事実。
きっと2人は近所の店まで買出しに出ているのであろう。
レオリオも相変らず何をしているのかふらふらと出歩いているのであろう。
解っている、
そんなことは百も承知しているのだ。
それでも、なお、私は寂しさに押しつぶされそうになっている。
…私はいつからこんなにも弱くなったのか
私はいつからこんなにもわがままになったのか…
「やー、ついでに晩御飯の買出ししたらすっかり遅くなっちゃったねー」
「ゴン…こっちの野菜持てよ…、お前指輪だけなんてズルイぞ」
「えー、キルアがじゃんけんに負けたんじゃないか。それに重さはこっちの方がずっと重いんだからね」
「バカヤロウ、気持ちの重さじゃねえや!実質の重さじゃい!!」
…仮にもシングルハンターともあろう御方のお言葉とは思えんぞ、キルア。そのくらいお前にとって音をあげる重さでもないだろうに。
そうは思いながらもツッコむ心の余裕はない。
何と言ってクラピカにこの指輪を渡せばいいのか、俺の頭は人生最大の問題でいっぱいいっぱいだったからだ。
キルアにさっき言われたとおり、確かに心は随分前から決まっていた。
そう、随分前から。
俺が医師免許を無事に取って、クラピカがその目的を達した暁には求婚しようと。
そして、この家を本当のあいつの「家」にしようと
11年前、あいつが捨ててしまった「家庭」という幸せをを2人でもういちど作っていこうと…
だけど、それを伝える「言葉」がどうしても思いつかない。
思いつく限りのどの言葉も、軽い気がして、 思いつく限りのどの言葉も、伝えきれない気がして…
「…レオリオ、何処行くの…?」
「…へ?」
…考え込んでいたら家の前を通り過ぎていた…。その距離50メートル。
…ゴン、もっと早くに止めてくれ…。
すごすごと門の前まで引き返し、2人の後について傾いた門を潜る。
その時、
ドアに伸びたゴンの手がピタリ、とその動きを止めた。
同時にキルアも鋭い眼差しで庭を向く。
「誰か……いる」
「…コソドロか…?」
…だとしたらそいつはすごいアホかモーレツな冒険者に違いない…。
見るからにボロ屋なこの家に何を期待しようか…。 しかも今はハンターが3人も居ちゃったりするというのに…。その冒険心に乾杯…。
俺が妙なことに感心していたその時、気配を探っていたゴンが弾かれるように庭に飛び出した。
あいつの名を、呼びながら。
「クラピカ!!」
どくん、
胸が大きく脈打つ。
同時に、
広がる罪悪感。
まるで心臓から飛び出した血に含まれていたかのように身体中に染み渡る、それ。
誰もいないこの家に帰ってきて、あいつはどんな気持ちでいたのだろう…
動けない俺の背をどん、とやや強めの力が押す。
振り返ると、キルアが苦笑していた。
「タイミングが悪かっただけだって、ほら、行ってやろうぜ」
促されて、ゆっくりと庭へと歩を進める。
果たして、咲き誇るサクラの木の下に、あいつは居た。
目の前に立つゴンの言葉に頷きながら、其処に立っていた。
「クラピカ…」
呼ばれて、ゆっくりと俺を映す深いエメラルドの瞳。
その宝石の深奥に瞬く、寂しい色。 ずきん、と胸に刺さるそれ。
立ち尽くす俺を押しのけるようにキルアが身を乗り出す。
「悪ぃ悪ぃ、ちょっくら買出しに出ててな、ホラ見ろよこの荷物、3人がかりでやっとだぜ」
そして大袈裟に荷物を両手に肩を落としてみせる。
「ゴンは意地悪して持ってくれないしよぅ…」
…キルア、リベンジだ。ゴンは勿論大慌てである。
「キ…キルア、ズルいよ!じゃんけんで負けた奴が持とうって言ったのキルアじゃないか!」
「はあ〜、重い重い…」
わざとらしい……
演技がかった動作で大袈裟に溜息をつくキルアに呆れていると、笑いを含んだクラピカの声が言葉を発した。
「キルア、そのへんで許してやってくれ」
その口元に微笑みを浮かべて、
その瞳に安らぎの色を灯して、クラピカはそう言った。
その笑顔に周囲の空気がようやく和やかになる。
「クラピカ、ホントにごめんね!俺、約束したのに…」
「…いいんだ、ゴン、気にしないでくれ。そうだろうと思っていたから、お前たちの食欲では買い物も大変だろうしな。」
「うわ、さりげなく刺してるよ、この人…」
謝るゴンにいつもどおりの返答を返すクラピカ。キルアの反応もいつもどおりのそれ。
2ヶ月ぶりの空気が辺りを包み込みこんだ。
やがて、ゴンがその身を翻して屋内に向かう。
「ね、クラピカ、お腹すいたでしょ!すぐに晩御飯作るから、待ってて、緋の眼の回収が終わったお祝いに凄いご馳走作るからね!」
「あ、俺も…」
「何言ってんだよ!オッサンは別にやることあるだろ!」
「そうだよ、はい!!お祝いの準備、しとくからね!!」
2人にキツ〜ク睨まれてしまった……。
ゴンがその胸に抱いていた箱を俺の手に乗せる。
「頑張ってね!レオリオ!!」
「骨は拾ってやるからな!玉砕してこい!!」
…砕けるんかい…。
凹むナイーブな俺を残して、二人は笑いながら建物のなかに姿を消したのだった。
…くす…
かみ殺したような笑い声に振り向くと、其処にはクラピカの笑顔。
「…笑うなよ…」
「すまない、お前たちが変わっていなくて、懐かしくて、ついな…」
「たった2ヶ月だ、変わるわけないだろうが」
「それはそうなのだが…何と言うか…安心してな。緊張の糸が切れてしまったみたいだ」
そしてまたクスクスと笑う。
ま、いいけどな、と俺もつられて笑う。
「悪かったな、ホント。俺約束していたのにな」
「ゴンにも言ったが気にするな。買出しでは不可抗力だろう?」
「…それでも、させちまったんだろ?寂しい思い」
「ふふ…おまえには敵わないな…」
その柔らかい声を最後に俺たちの会話は途切れた。
辺りを包むは心地よい沈黙
そして薄桃の雪
ふわり、と風が舞うたびにサクラの花びらが踊る。
俺とクラピカの間を、優しく撫でる。
クラピカは艶やかな金糸の髪を手で掻きあげて、その光景を瞳に映していた。
綺麗、だった。
今更ながらにそう思った。
指輪を意識しているせいかもしれない。
サクラの薄桃色と風にそよぐ金色が淡く交差し、深翠の瞳だけが動くことなく其処に佇んでいる。
それは、とても幻想的で、
まるで夢のようで、
目を覚ましたら消えてしまうのではないか、とそう思うほどに、儚くて……
彼女を繋ぎとめるために、
彼女を逃がさないために、
俺は敢えてその心地よい沈黙を破った。
「…終わったんだよ、な?」
「……ああ、」
「全部、終わったんだな?」
「終わった、全て」
「もう何処にも行かねえんだよな?」
「…レオリオ…?」
深翠の宝石が、動いた。
訝しげな色を乗せて、俺を映した。
俺も真っ直ぐにその宝石を見詰める。
自然に、
心の臓が大きく跳ねる。
煩い程に大きく脈打つ。
俺は大きく息を吸った。
言葉を乗せるための空気を、胸いっぱいに吸った。
「いや、何処に行ったっていい。帰ってきてくれ、此処に。」
「…はぁ…?」
少し間の抜けた声と共にクラピカの形のよい眉が眉間に寄せられる。
……解ってないようだ…。何を今更って顔をしている…。 ま…まあ、確かに今のは少し遠まわしだったかもしれない。
コホン。
咳払いを一つして仕切りなおす俺。もう一度深く深呼吸。
「…あ〜、つまりその、ずっと一緒に居たいってことで…」
「…はあ…」
ノーリアクション。 まさかここまでニブいとは……。
「ああ〜、もう!ほら!!」
何だか妙に緊張しちまっている俺の一人相撲みたいで悔しくなる。その悔しさでつい勢いあまって先刻買ってきた指輪をその眼前に押し付けてしまった。
だが、クラピカ、
「…こんな立派なものどうしたんだ?質に入れるのか?」
思わずズッコケそうになる。
ボケだ…、こいつとんでもない天然だ…。 解っていたつもりだったが、まさかここまでとは…。
「〜〜〜〜っ、何て言えばいいんだよ〜〜」
「ハッキリ言え。ハッキリと」
ええい、人の気も知らずにこの天然がッ!!
「ケッコンしてくれって言ってんだよ!!!」
「…血痕………?」
「何でそっちに変換するんじゃいーーーーーッ!!!」
全身の力が抜けた。
何だかこれではこんなに盛り上がっている俺がバカみたいではないか…。
「変換…?ケッコン…ケ…え…?あ…まさか……」
どうやらようやく気付いていただけたようだ…。みるみるうちにその頬には紅が差し、その眼は指輪と俺とを代わる代わるに見比べている。
「…それを買うためにバイト頑張ったんだからな」
「…………レオリオ…」
…ややあって、
クラピカは俯いて小さく俺の名を呼んだ。
そして指輪を大切そうに胸に一度抱くと、そっと俺の手の中に戻す。
「…クラピカ…」
「レオリオ、聞いてくれ」
ダメなのかと問おうとする俺の声を塞いで、クラピカが言葉を紡ぐ。
「…私は何も出来ない。私はお前に何もしてやれない。」
「………」
「それに私は穢れている。この手も、この身も血に染まっているのだ」
「………」
「お前のように、夢を追いつづけてこれた男に私のような復讐者は相応しくない…」
「………」
「…それでも…」
其処で一旦言葉が途切れる。
吐き捨てるように紡がれた自虐の言葉が。
そして、クラピカの瞳が、揺らぐ。
迷うように、祈るように…
「レオリオ、それでも、それでも私を選んでくれると言うならば、それをもう一度、私に…」
「…………いいも悪いもないだろう?」
皆まで言わせなかった。
俺は迷わずクラピカの左手を取り、その薬指に指輪を填め込んだのだ。
「…お前は穢れてなどいない。それでも血で汚れていると言うなら拭えばいい、時間は沢山あるのだから。それに相応しいかどうか決めるのは他人じゃない、俺とお前じゃないか。」
「…レオリオ…、いいのか?もう絶対に返してやらないぞ?」
「さっきも言ったろ」
クラピカの細い身体を両腕に抱く。
俺の中のこの想いが偽りでないことを伝えるために
精一杯の、想いをこめて、抱く
「何時だって、此処に帰ってきてくれって」
流れる、沈黙。
花びらが、舞う。
空に、
大地に、
俺の身体に、
お前の髪に、
花びらが、舞う。
時間が止まってしまったのではないかという不安を
優しくかき消しながら
花びらが、舞う。
俺たちを、見守るように、包み込んで……
「………ま…」
永遠に近い沈黙を破ったのはクラピカ。
小さな小さな声で何かを呟いた。
「クラピカ?」
そっと、その身体を開放する。少し名残惜しげに。
クラピカは俯いていた。
俯いて、微かに震えていた。
俺は、待った。
もう一度、その唇が先刻の言葉を紡いでくれるのを。
「……ただい、ま…」
クラピカが顔を上げた。
涙に潤むその瞳に、奇跡のような緋色を、灯して。
「ただいま、レオリオ…」
「…お帰り、クラピカ……」
そう告げて、サクラの色より淡いその唇に触れる。
柔らかく、
そして深く…
何処か古の儀式のように
俺たちは永遠と刹那の誓いを交わした
サクラの雪が、降っていた
そんな春の夜の小さな奇跡
「おめでとー!!!」
ガコン。
乾杯というにはちょっと鈍い音が部屋に木霊した。…安物のプラスチックグラスだからまあ、無理も無い。
机の上にはゴンとキルアが腕によりをかけて作ったご馳走。 ご馳走、と言っても2人のレパートリーの中からなので並ぶものは全て見慣れたものばかり。
でも、一流料理店の豪勢な料理にも負けない二人の「一生懸命」が詰まった暖かいご馳走だった。
そして机の周りには、皆の笑顔。
それが、わたしたちにとって何よりのお祝いだった。
「いや〜ホント良かったな、オッサン!残念パーティにならなくてよ!!」
「うっさいわい!さんざん不安にさせてくれやがって!本当に寿命縮んじまったぞ!」
「まあまあ、レオリオ、結果オーライだよ!!」
「そうそう、ギリギリセーフだってセーフってな。」
「キルゥア〜〜!覚悟しとけ!今夜は潰してやるからな!!」
「受けてたつぜ!言っとくが俺は強えぜ!」
「キ…キルア、ダメだよ!酒癖悪いんだから!クラピカも止めてよう!……クラピカ…?」
「……え?あ…何だ?ゴン」
「どうしたの…?クラピカ…」
「何だ?やっぱ考え直したのか?」
「そ…そうなのか!?クラピカ!!」
「あ、いや、違う、そうではないんだ」
キルアの言葉に真っ青になるレオリオに慌てて首を横に振って見せる。 考え込んでしまっていたのが不安にさせてしまったらしい。
「指輪を、見ていたんだ。」
少し照れながら、左手の薬指を指してみせる。
ダイアモンドを抱いた、シルバーリングが光に反射する。
「あまり宝飾物に縁が無かったから…何だか嬉しくて」
「気にいってくれた?」
目を輝かせなが覗き込んでくるゴンに頷いてみせる。
ゴンとキルアが嬉しそうに、顔を見合わせた。
「俺たちが選んだんだ、それ。俺たちが選んでレオリオが買ったの。」
「…変だけどさ、何だかどうしてもそうしたくてさ。ホラ、一生モンだろ?だったらやっぱゴンとキルアも混じったらどうかなって思って。」
レオリオがそう言った、照れくさそうに。
それに対して、やれやれと言うように肩をすくめてみせるキルア
「俺は言ったんだよ。そういうのはオッサン1人で選ぶべきだろって、なのにオッサンがしつこくてさー」
「嘘付け、店で一番エキサイトしてたのお前じゃねえか」
「そうだよ〜、この指輪がいいって絶対譲らなかったくせにー」
「ばっ…な、何言って…っ!!」
2人がかりでツッコまれては流石のキルアもどもりっぱなし。 その様子に3人で大笑いをした。
「…有難う、ホントに嬉しい…、大切にするから」
そう、伝えられたのは10分位笑い倒した後だったりする。
――――あの日から、戦いつづけてきた私。
女であることも、子供であることも捨てて、
ただひたすらに戦いつづけてきた私。
その戦いが終わる日なんて考えてもいなかった。
戦いの向こうにあるものなんて無いと思っていた。
命すら落としているだろう、と…
そして、長かった戦いは幕を閉じた。
考えていたよりも、ずっと早くに
その向こうには、
無だった筈のその向こうには、
信じられない程のぬくもりが、在った
奇跡のような歓びが、居た。
夢にだって見たことのない幸福が、待っていた。
そこは小さな家と小さな庭
そこに在るのは、大切な人たち
そして、そこに咲いた小さな奇跡
彼等がくれた、かけがえのない、奇跡。
それは、
小さな「我が家」と暖かい「家族」だったのです。
fin
→HOME・WINTER
AGAINへ / →ハンター部屋へ