『最高の日にしよう。』
お前が言った。
電話口の向こうで、
興奮のかった声色で、
『何処へ行こうか、何をしようか、実はもう色々と考えているんだ』
私は答えた。
気を使わなくてもいい、
病院が忙しいのではないか、と。
お前は答えた。
『お前の誕生日だ。その日は絶対に空けてみせる』
答えて、くれた。
『産まれてきて良かったと、お前が笑える日にしたいから。』
見渡す限りの碧空。
天空に広がる海にたゆたう白雲。
大地に萌ゆる春華たちは今ぞ盛りととりどりの色にて咲き誇る。
これ以上無いほど祝福されたこの日、 私は公園に据えられた真新しい木のベンチに腰を掛けて、呟いた。
「…最悪だ…」
…頭痛が酷い。 手足を動かすその度に節々は悲鳴を上げる。 そして身体の中で常に鬩ぎ(せめぎ)合う火照りと冷え。
…やはり昨夜、風雨の中を強行突破したのが祟ったのか…。
だがあの仕事を片付けておかない事には今日こうして休日を得ることは許されなかっただろう。
全身に不協和音を響かせているこの鈍痛だけでも充分気分が悪いというのに、目の前では輪をかけて最悪な現状が繰り広げられていた…。
「かーのじょ♪1人?誰か待ってんの?」
「さっきからずっとそこに座ってるよねぇ。…すっぽかされちゃった?」
……煩い。
只でさえ痛い頭が怒りと苛立ちできりきりと締上げられる。
目の前でへらへらと笑顔を浮かべているのは10代後半くらいのちゃらちゃらした男2人。 ついぞ先程からこうして私に絡んできているのだ。
一撃喰らわせておくべきか、とも考えたがそれもおっくうで、結局こうして全面無視を決め込んでいる次第。
「ねえ、無視しないでよ〜」
…無視していると解っているならさっさと諦めろ、心の中で悪態を吐く。
−−−−−− 大体あいつが悪い。 確かに約束の時間までにはまだ少し余裕が有るが5分前には待ち合わせ場所に来るのが礼儀というものだろう。
だというのにあのちゃらんぽらんめ、未だ姿を見せないとは。 だから私がこのような面倒な輩に絡まれる羽目になるのだ。
「ホラホラ、機嫌治して。ちゃらんぽらんな彼氏のことなんかほっといて俺たちと遊ばねえ?」
ぴくり。
…自分で思っておいて何だが、今日初対面の相手にあの男をちゃらんぽらん呼ばわりする謂れはなかろう。
ふーーーーー…
長い溜息を吐く私。
生憎と今日は身体の調子が頗る(すこぶる)良くない。力の加減が出来なくても知らないからな。
心の奥で忠告して、ゆっくりと木のベンチから腰を浮かせる私。
そんな私の酷く荒んだ心中など露とも知らぬのだろう、愛想笑いを浮べたその男は『話せるねえ』などと言いながら、馴れ馴れしくも私の肩に手を伸ばそうとする。
その手を掴んで背負い投げてやろうと私が動いたその時、
「そこまで。」
「…へ?いっ…いて…ッ!!!」
「だ…誰だ…このっ!!」
私の肩に伸びた右手がぎり、と捻り上げられている。
苦痛に顔を歪ませながら、男は己に痛みを与える者の正体を見極めようと首を回して背後を見上げた。
其処に立つのは、紺色のスーツに身を包み、サングラスの奥から自分を見下ろす長身の男。
その視線に、威圧的な空気を纏って男は低く告げた。
「…ちゃらんぽらんな彼氏だよ。」
腕を捻り上げた相手の顔が青ざめたのをを見止めて、長身の男が捕らえていたその手を離してやる。
解放されるや否や、ナンパ男は足を縺れさせながら脱兎の如く逃げ出していった。もう1人も慌ててその後を追って姿を消す。
奴等が公園から出て行ったのを確認して、長身の男はへらり、と見慣れた笑顔を見せる。
「大丈夫ですか?お姫様。」
「…余計なことをするな、レオリオ」
先ほどまでの威圧感は何処へやら、からかうような口調で陽気に話し掛けてくるのはレオリオ。
そんな彼に一睨くれながら厳しく言い放つが、奴は怯むことすら無く、ひょいと軽く肩を竦めてみせるのみ。
「だってああでもしなきゃ、お前あの男を殺しかねない雰囲気だったじゃねえか」
「殺すつもりなど無い。ただちょっと痛めつけてやろうと…」
「お前の場合、それが洒落になんないんだよ。」
そういって私を指差すレオリオ。
…結局痛めつけるどころか、こいつは無傷であの無礼者を逃がしてしまった。
−−−− レオリオは医者だ。
ちゃらんぽらんで一見柄も悪そうに見えるが間違いなく医師免許を所持している。
勿論まだ駆け出しだが、その腕には私も一応信頼を置いているつもりだ。
その医者の心得が人を傷つける事は許さないとでも言うのだろうか。
だがそれでは私の気がおさまらない。
しかし、だからといって彼を責める要因も思い当たらない。
約束の時間もピッタリで遅刻したわけでも無いし、無礼者を追い払ってくれたことは紛れも無い現実だ。
だが、それで喜べるほど私の心中が穏やかである筈も無く…私は不機嫌を露にした仏頂面のまま再びベンチに腰を下ろした。
そんな私にレオリオが向けたのは、苦笑と言葉。
「機嫌治せよ、折角のお前の誕生日じゃねえか。」
「…誕生日だからこそ余計に不機嫌にもなる。昼間からこんな目に会って…」
「まま、そんなこと直ぐに忘れちまえばいいって、それよりさっさと行こうぜ。お互いスケジュール調整してやっとこさこの日にヒマを空けたんだからさ。」
そう言って、不意にレオリオがぐいと私の手を引く。
不意に引き上げられる身体に、一瞬ぐるりと回る視界。
咄嗟に足を踏み出してよろける身体を支えた。
「クラピカ?」
低い声にぎくり、とする。
バレなかったとは思うが…
慌てていつもの様に強気な口調で彼を責める。
「バカ者、突然引っ張るな。危うく転ぶ所だったではないか!」
「……悪イ、久しぶりに会えて、何だか嬉しくてさ。」
私の誤魔化しに照れ笑いをを浮かべるレオリオ。
久しぶりに目にしたその暖かい表情に、身体の不調を気付かれなかったという安堵感と胸の奥に込み上げるぬくもりが全身に染み渡る。
…勿論そんな態度は表に出してやらないが。
「んじゃ、そろそろ出発するか」
「…ああ。あとこの手を離してくれればな。」
くい、と右手を上に持ち上げてみせる。
其処には未だに私の手を掴みつづける大きな体温。
「何だよ、別にいいだろ。虫除けだと思えよ」
「虫除けって…こ…こら!」
拒む私の意見も無視して、レオリオは楽しげに私の手を引いて歩く。
決して強引ではなく、私の歩調に合わせて、
まるで私を導くように、ゆるりと手を引く。
人前でこのような光景を晒して、恥も外聞もこいつには無いのか。
心底で悪態を吐く。
だけど、心のそのまた奥底では、それを喜んでいたのかもしれない…
「…レオリオ、何処へ向かっているのだ?」
いつも2人で歩くときに見るそれとは明らかに違う風景が流れている。
「 いつも」なら繁華街や公園などレオリオ曰くの『絶好のデートスポット』とやらに案内されるのに、今日私たちの周りに在るのは何処をどう見ても平穏な住宅街。
なだらかに立ち並んだ木造家屋に煉瓦敷きの路、
歩道では女たちが朗らかに笑い、その周りで子供たちが跳ねる。
そんな、平和な、街の風景。
レオリオの意図が掴みきれず思わず口にしたのが先程の科白。
だがレオリオは『ついてからのお楽しみ』と曖昧に誤魔化すのみ。
その顔に笑顔を浮かべて、
その瞳に悪戯っぽい光を乗せて、
…どうやら本当に教えてくれるつもりは無いらしい…。
私はふらつきそうになる身体を悟られることの無い様、細心の注意を以って導かれるままに身体を動かすしかなかった。
やがて、
「着いたぜ、クラピカ」
「え?」
不意に止まる、風景。
目前に佇むは小さな木造の建物。
ペンキか何かで無理やり染められたのだろう、所々下の色が漏れ出す白い外壁が持ち主の不器用な性格をそのまま体現しているようで笑いを誘う。
ああ、そういうことか…、
此処が今日の終点なのだ。
そう、きっと、此処は…
「俺の城だ」
不器用な小さな家を誇らしげにレオリオが紹介してくれた。
まるで秘密の宝物を自慢する少年のようにその瞳を輝かせて。
その表情はやはり眩しくて、私はそっと目を細める。
「…そうだと思った。」
「何だ、お見通しかよ。」
ちょっとつまらなそうな顔を浮かべて振り返るレオリオ。
「あの建物とお前の顔を見れば一目瞭然だ。」
「ちぇ…ま、いいや。とにかく入った入った」
小さく舌を打って、再び大きな手が私を導く。
私はいざなわれるままに彼の城へと足を踏み入れた。
「…なかなか綺麗にしているではないか」
「まあな。やっぱ病院である以上清潔でなきゃヤバイだろ?」
「確かに」
案内された部屋は診療室、
ぐるり見渡す限りきちんと整頓されているようだ。 薬品の芳香が微かに鼻腔を擽る静かな空間が不思議と心地よい。
「……さて、と」
レオリオの眼がすっと細められる。
そしてするり、と寝台へと押し遣られる私の身体。
「寝ておけ。」
「………え?」
突然の命令に一瞬何を言われたのか理解できず、呆けた声で返してしまった。
「…医者をバカにしてんのか?この病人は。」
「…あ…」
「低温なお前にしては掌が熱過ぎる。そのくせ真っ青な顔しやがって…」
「こ…このくらい…」
「そんなら測ってみろ。」
反論しかける私の口を塞ぐのは冷たい体温計。
レオリオはやむなく黙る私の脈や眼底を真剣な眼差しで診る。
「…腹は痛くないな?…そんじゃインフルエンザの心配はねえな…。うん、風邪だ、おとなしく養生してやがれ」
言いながら、ひょいと棚から点滴液を引っ張り出し、傍に置かれた点滴台に引っ掛けた。そのまま慣れた手付きで点滴管を繋いで私の左腕に針を刺し、点滴量を調節する。
「ブドウ糖入れとくぞ。過労も入ってるだろうからそっちの方が治りがいい。」
ピピピ…
まるで点滴作業の終了を待っていたかのように、タイミングよく電子音を奏でる体温計。 その示す数値を診止めて、レオリオが大きく溜息を吐いた。
「…39度6分。…お前なあ…」
「問題無い。たかが風邪だ」
「されど風邪、だ。まさかクラピカ様ともあろう者が『風邪は万病の元』って言葉を知らねえ訳ねえよな」
熱のせいで頭が回らないのか。言い返す言葉すら思いつかずに口を噤む私。
そんな私に布団を掛け直しながら『まあ、観念するこった』とレオリオが笑いかける。
「抗生剤取って来るから大人しくしてな」
「…点滴まで刺されて逃げられるものか」
「いーや、お前なら逃げかねん。」
疑いの眼差しで私を一瞥しながら耳に痛い台詞を残して、レオリオはゆっくりと部屋を出て行った。
「…余計に悪くなった気がする…。」
…観念したせいか、気が緩んだせいか、 しばらくすると先ほどまで耐えていられた頭痛と冷えが身体を苛み始めた。
思わず舌を打たずにはいられない。
解っている、 抗体がウイルスを撲滅するべく引き起こされる症状だということくらい。
だが、病は人の心を弱くさせるとはよく言ったもの。
一人取り残された不安感が、 そして彼に対する後ろめたい感情が、 私の胸を徐々に侵し始める。
『最高の日にしよう。』
…お前が、言ってくれた言葉
『何処へ行こうか、何をしようか、実はもう色々と考えているんだ』
……とても、とても嬉しかった言葉
『お前の誕生日だ。その日は絶対に空けてみせる』
私も、会いたかった。 今日のこの日をお前と過ごしたかった。
だから昨日も無理をしたのだ。
だというのに、何と滑稽なことか、
それが裏目に出て、こうしてお前の手を煩わせる結果となっているではないか。
そんな私自身が堪らなく腹立たしい。
胸に溢れるは後悔の念
それなのに、口を吐いて出るのは悪態めいた可愛くない言葉
「何をしているのだ。あのヤブ医者は。患者を一人残して…」
ガチャ、
「…今何か俺の悪口言っていただろ?お前」
…地獄耳が戻ってきた。
タイミングの悪さにバツの悪い表情を浮かべて見せながらも胸に染み広がるのは、確かな安堵感。
今の今まで私を覆いつくさんとしていた重い感情が霧散していくのを、感じた。
そんな私にレオリオは飲料水が満ちるペットボトルと粉薬をサイドテーブルに置いて、器用に持っていた丼皿を突き出してくる。
「食欲無いだろうが、少し食べろ。薬が飲めん」
丼の中を覗き込むと湯気立つ粥が心ばかりの若菜を抱いてそこに佇んでいた。
…どうやらやたらと時間が掛かっていたのはこれを作っていたせいらしい。
確かに食欲は無かったが、これなら食べられるだろう。素直に差し出された器を受け取って一口含む。
「どうだー?それなりに薄味にしたけど口に合うか?」
「………熱い」
「…そりゃ、作りたてだからな…」
苦笑しながらレオリオが飲料水をコップに注ぎ込む。受け取ったそれを一気に煽ると、喉の奥の熱が一瞬すう、と引いていく。
その飲みっぷりをを見たせいか、レオリオが軽く首を傾げた。
「水、もうちょっと取ってきた方がいいかな…」
よっこらしょと立ち上がろうとするレオリオ。
ぞくり、
途端、胸に走るのは、悪寒。
ぐい。
「………クラピカ…?」
レオリオの眼差しに浮かぶ色は、驚き。
私の手の中には、レオリオのカッターシャツの隅端。
その状況を「見て」、戸惑ったのは、他でもない私自身。
考えるよりも、生来の強がりで己を諌めるよりも早く、身体は彼の不在を、拒んでいたのだ。
しばしの沈黙の後、レオリオがその頬を緩ませた。
すとん、とベットの端に再び腰掛けて、優しく微笑む。
「…行かねえよ、何処にも。ずっとここに居る。」
そして、そっと私の手を包んだ。
「他でもない。お前の産まれた日だ。今日はずっと傍に居るから。」
「…伝染るぞ…バカ医者」
「自分で治すからいいさ」
それ以上は何も言わず、黙って私は目を閉じた。
静かに降ってくる、唇の感触。
尋常でない熱のせいか、
溢れる幸福感のせいか…
どこか夢のような心地よさの中、私はゆるりと意識を手放した。
薄れ行く意識の最後まで私を包んでいたのは、貴方の体温。
優しく、暖かく、そして強く……
その安らぎの中、私は思った。
伝えられるだろうか、目がさめたら、お前に
貴方への、言葉を……
「産まれてきて、…お前と出遭えて良かった…」
ただ、その産まれたての一言を、
伝えたい…
目が覚めたら、
貴方だけに……
終