第四話 卯月

「十三から来た男」

 

慶応三年

卯月中旬、坂本竜馬のカンパニー「亀山社中」は「土佐商会」と合併し、「海援隊」が発

足した。

 

 

商都大坂。ここには、全国から集められた諸大名の年貢米を保管する蔵屋敷が立ち並び、

活発な商いが営まれていた。藩財政と関わりが深い大商人の経済力は莫大なもので、その

一部は倒幕勢力の資金源となっていた。幕府は、反勢力に組する大商人や商都に暗躍する

異国商人の動向を調べる探索方を置いた。探索方は、十三(じゅうそう)に番所を構えた

ので、特務機関「十三」と通称された。

 

春満開の裏街道。

裸馬が大坂から京へ駆け抜けていった。

それを見た沿道の人々は、

(はて…)

その時は思ったものの、

(春やさかい…)

と、すぐに忘れられた。

 

番所、軍師部屋。

間部軍師が重たく口を開いた。

「十三で牢破りが起こった。追手の警護陣も全滅だ…。」

「承ってござる。」

「隊長の鞍馬は、友であったそうだな…」

「海軍伝習所以来の竹馬の友で、優秀な輩でした…」

霧島は、過去形で答えた。

しかし、心の中では、

(…奴が死ぬるはずはない…、きっとどこかで生きている…)

間部にもその心の叫びは通じていた。

 

深夜。

番所の木戸を叩く音がした。

当番の勝部が誰何する。

「何奴であるか。」

「…開けんか…、早よう!」

「…その声は!」

 

鞍馬を迎えた間部軍師。

「無事だったか…」

「また独りで戻りました。配下の者は奴の手にかかり…」

無念な表情の鞍馬。

霧島がやって来た。

「鞍馬、この悪党!」

「おぅ、土竜め。元気か?」

再会を喜び合う旧友の二人。

「牢抜けの囚人は極悪である。両隊長、協力して確保にあたること。」

「はっ。」

 

詰所。

総員の前で事の顛末を話す鞍馬。

「囚人の名は、吉良宗兵衛。呪術の達人だ。何でも相手の名を懐紙に書くだけで、人を殺め

る力を持つと云われている。」

「何ぃ!」

「その本当の力はわからない。生き延びた者がいないからだ。俺の部下たちも…」

赤城が沈黙を破った。

「鞍馬隊長、牢の周りには…」

赤城の質問をさえぎる鞍馬。

「もちろん懐紙はもとより、筆も墨も近くには置いていなかった。」

「…では何者かが手引きを…。許せませんね。」

「くそ、こんな屈辱は、生まれて初めてだ…」

憤懣やるせない表情の鞍馬。

「鞍馬、お主は少し休め。」

「霧島、奴は俺に任せろ。」

「京での狼藉者は我々の管轄である。」

霧島は、鞍馬がとるであろう無茶な行動に釘をさした。

「総員、囚人吉良の捜索に当たれ。」

「はっ。」

 

左京、若狭街道。

大原、朽木を抜けて京と小浜を結ぶ若狭街道は、海のない京への海産物物流路として重宝さ

れ、鯖街道とも呼ばれていた。
鯖街道の名所「山ばな平八茶屋」は、麦めしとろろで繁盛し

ていた。「拾遺都名所図会」にも「麦飯茶屋」として描かれたほどである。

 

幕臣西条某は、麦めしとろろに舌鼓を打っていた。西条は、この茶屋で異人娘と落ち合う手

はずとなっていた。そこで約定の時より早めに出張り、名物料理を楽しんでいたのである。

 

茶屋脇の茂みに、中を窺う姿があった。

脱牢囚人吉良宗兵衛である。

「この無駄飯喰らいめ、削除。」

こう言った吉良は、懐紙に西条の名を記した。

「う、ががが…。」

西条は、突如苦しみだし、やがて息果てた。

 

「スミマセン…、タレモイナイノカシラ…」

そこに異人娘が、片言の言葉をつぶやきながらやって来た。

「ふん、死神の目!」

吉良は懐紙に、かそりーぬ・くらさい、と記すと、

たちまち西条と同様に、息果てていくではないか。

「削除、削除、削除…」

茶屋の人々は、次々と吉良の手にかかっていった。

 

番所に緊急通報が入った。

「若狭街道の麦飯茶屋が大変です。」

「何ぃ。赤城、古鷹たちへ非常狼煙上げ。」

「はっ。」

 

騒ぎを聞いて駆けつけた、古鷹、利根、ダン。

「こいつは酷い…」

茶屋のあちらこちらに憤怒の形相で果てた男女が転がっている。

「まるで通り魔だな。」

「古鷹殿、これは?」

利根が遺体の握り締めた手を指差した。

ダンが、掌をこじ開ける。

「…紙切れですね…」

「利根、ダン、用心しろ。」

「古鷹殿、吉良の仕業ですか。」

利根がうわずった声で返す。

「恐らくな。しかしとんでもない呪い術だ。」

その時、山の方から銃声が鳴り響いた。

「あの音は?」

古鷹は下知した。

「行くぞ!」

 

山道で猟師が倒れていた。

利根が脈を診るが、

「…」

すぐに首を振った。

古鷹は、周囲を見渡しながら、

「気をつけろ、その辺に潜んでいるやも知れん。」

(まずい…、吉良は隠れて攻撃できるんだ…)

ダンは、古鷹と利根からそっと離れ、

(出羽奥義、隠し眼!)

と念じ、周囲を透視した。

 

すると、

(…居た。)

利根の背後、二十尺ほどの距離である。

ダンは、茂みに隠れて丸薬を取り出した。

 

超七郎は、そっと吉良の背後に回りこんだ。

吉良は、懐紙と筆を取り出している。

(やむを得ん。出羽奥義、影縛り!)

超七郎からすっと影が伸び、吉良の影と結びつく。

(な、手が、いや、身体が動かん…)

あせる吉良。

次の瞬間、懐紙に文字が記され始めた。

(な、勝手に手が動く…、こ、これは!)

懐紙には、吉良宗兵衛と記された。

超七郎が影を結んで、吉良の動きを操ったのだ。

「う、ががが…」

利根の背後の茂みから苦しむ男が飛び出してきた。

「な、何奴!」

しかし、男は断末魔の悲鳴とともに、息果てた。

「こいつ、自分の名を…」

「どうした、利根。」

「どうしました。」

古鷹とダンも集まってきた。

(吉良宗兵衛、これが自業自得というものだ。)

ダンは、正義を独りこちた。

 

番所。

赤城から情報がもたらされた。

「何ぃ!」

「ええ、異人娘は仏蘭西商人クラサイの一人娘カソリーヌ。幕臣西条が橋渡しとなって、

幕府の新式大砲の商いに関わっていたのです。」

「すると、単なる通り魔ではない、ということか。」

「はい、御公儀調達方からの報告なので…」

「こいつは、ガチだな!」

赤城の報告をさえぎる鞍馬。

「赤城、調達方だと暴れん坊の異名を持つご仁だな。」」

「は、尤も今や療養中で、看護婦に囲まれておりますが…」

「霧島、間違いない。アイロスが黒幕だ。」

「アイロスだと?」

「英吉利武器商人のアイロスだ。英吉利と仏蘭西は犬猿の仲。国同士の争いを商いにまで

持ち込んで張り合っている。十三でも目をつけていた。」

「なるほど。するとアイロスが吉良の脱牢を手引きしたのか。」

「よし!」

「待て!鞍馬。」

「何ゆえに止める。」

「お主では面が割れている。俺が行こう。」

「独りで、か…」

 

中京、烏帽子屋町。

アイロス商会の京屋敷は、室町通り六角にあった。三条から四条にかけての室町通りには

大店が連なっている。中でも「御用大黒屋」と掲げられた一軒は、ひときわ異彩を放って

いた。

 

「ご免下さいまし。」

一人の商人が大黒屋を訪れた。

「何でっしゃろ。」

丁稚の小僧が応対する。

「私は、越後の縮緬問屋光ェ門様のご紹介に預かり、お訪ねいたしました。大旦那様にお

取次ぎくださいまし。」

「越後でっか。ほな、お待ち下さい。」

奥に戻る小僧を見送りながら、隙なく周りの様子を探る。その瞬間の目配りは、一介の商

人のものではなかった。

 

やがて番頭らしき男がやってきた。

「これはこれは、光ェ門殿のご紹介と。遠いところ、お疲れですな。」

「いやいや、痛み入ります。」

「どうぞ、お上がりくださいませ。旦那様がお待ちです。」

光ェ門の紹介とは、アイロス商会出入りの符牒であった。

鞍馬の探索で判明していたことだった。

 

奥座敷。

狩野派と思われる襖絵に囲まれている。

(将軍家御用の絵師を…、傲慢な奴よ。)

「よう来られましたな。」

旦那がもったいぶって現れた。

「中山屋と申します。今後お見知りおきを…」

「書状は拝見させてもらいましたわ。お主も相当なワルのようじゃの。」

「魚心あれば水心でございます。旦那様ほどでは…。」

霧島は深々と頭を下げた。

「うむ、なかなかの悪党面よ。」

毒をもって毒を制す。霧島の潜入捜査が始まった。

 

大黒屋を出た霧島は、六角通りを東へ向かった。京の臍と云われる六角堂の前を通り過ぎ

ようとしたとき、道端から声がかかった。

「もし、旦那はん。」

占い師であった。

「うむ、ちと占ってもらおうか。」

そう云って、露店の椅子に腰掛けた。粗末な机には、薄汚れた水晶玉が置いてある。半分

開かれた葦子から漏れた光が玉に怪しく反射していた。

「旦那はん、商いはどないか、占いまひょ。」

「うむ。」

水晶玉へ差し込む光の角度を調整しながら占い師は告げた。

「…隊長、尾行が二人。宿の前にも一人張ってます。」

占い師は、古鷹の変装だった。

「ふむ、なるほど…」

どうでもいい相槌を打ちながら目配せする。

「おや、丸三倉庫。旦那はん、丸三倉庫にご縁がありまっか。ええ商いが出来まっせ。」

「そうか、そうか。ほれ見料じゃ、釣りはいらんぞ。」

「こんなに貰えまへん。半分で結構や。」

「何だ欲のない奴だな。いやいや、安い占い師だったわ。」

霧島は、露店を出つつ、尾行者を確認し、また東へ向かって歩を進め始めた。

 

大黒屋。

「旦那さま。」

「番頭さんかい、お入り。」

番頭は、襖を開けて座敷に上がる。

「旦那さま、吉良がやられました。」

「何と、あっさり捕まったものだの。」

「いえ、死にました。」

「何じゃと。あの呪い術も及ばなんだか…。」

「ちと気にかかるのですが…」

「中山屋のことか。」

「はい。時期が時期だけに…。」

「奴が霧島だ。」

「えっ…、今なんと…」

「あの土竜面は忘れん。鞍馬の悪党面も京に来ているはずだ。二人まとめて地獄に送って

やるわ。」

 

数日が過ぎた。

霧島は、麩屋町通りに面した宿屋から、大黒屋へ日参していた。

「もし、中山屋はん。」

番頭が呼びに来た。

「これは番頭さん。わざわざお越しいただかなくとも手前からお伺いいたしたものを…」

「いやいや、旦那さまがお呼びです。さっご一緒に。」

霧島を伴って、屋敷の奥へ向かう。

「どうぞこちらのお部屋です。」

番頭が襖を開けた部屋は、茶室ほどの狭い部屋だった。

霧島が畳に上がり、座布団の前まで来たとき、

ガラガラガラッと、金属音とともに、部屋の四方から鉄格子が下った。

「番頭さん、いったいこれは?」

「白を切っても無駄ですよ中山屋、いや霧島さん。」

(しまった…)

「しばらくは、ここに居てもらいますわ。」

 

番所。

霧島が連絡を絶って丸一日が過ぎた。

鞍馬は、詰所で落ち着かない。

「おい利根、霧島からの連絡はないのか。」

「は、未だ何も…。」

「鞍馬殿、何にせよ我慢が過ぎると、身体に障りますよ。」

「ん、それもそうだな。」

利根の心情を理解した鞍馬。

「よし、ちょっと行ってくるかぁ。」

その辺にでも出かけるような手軽さで詰所を出て行った。

 

馬小屋へと続く廊下。

「鞍馬、慌てていずこへ?」

間部軍師が立っていた。

「あっ…いや…」

バツが悪く、下を向く鞍馬。

「馬小屋は鍵がないと入れんぞ。」

間部はそう言うと、黙って鍵を差し出した。

「霧島を守ってもらいたい。奴は良き友を持って幸せだ。」

「は、ははぁ」

鞍馬は最敬礼をして、馬小屋へ向かった。

 

詰所にダンが飛び込んできた。

「大変です。アイロスには黒幕がいます。」

「何だって?」

「紀州白浜の没落公家、残波小路家です。」

「没落公家が何ゆえに…。」

詰所に、間部と赤城が入ってきた。

「軍師、実は…」

「うむ、赤城から聞いた。」

利根が再び問いかける。

「一体、残波小路とは何者です。」

「諸君、薩英戦争は覚えておろう。戦後補償の際、英吉利使節代表団の接待役を仰せつか

ったのが、残波小路家だった。」

「では、残波小路とアイロスは…」

「左様、この時結びつき、後に、ご禁制を破ったかどにより改易、紀州白浜に流された。」

利根は、わかったようなわからないような口調で尋ねた。

「軍師、何でまた今頃その没落公家が…」

「恐らく復讐だろう。」

「復讐ですって?」

「残波小路が狙っているのは、霧島と鞍馬の首だ。」

「えっ…」

「紀州白浜への配流使者が、霧島と鞍馬だったのだ。」

「そ、そんな…、逆恨みじゃないですか。」

「そうだ利根。しかし、捻じ曲った怨念に正論は通じない。」

「すぐに出動しましょう!」

「待て、ダン。」

「間部様、なぜ止めるのです。」

「古鷹が動いている。今しばらく様子を見るのだ。」

 

大黒屋に着いた鞍馬。

裏手に回り、人目のつかないところから塀を乗り越える。大店の奥は静まり返っていた。

人の気配に用心しながら薄暗い廊下を進む。

幾つかめの部屋の前を通りかかった時、不意に襖が開いた。

「ようこそ、鞍馬隊長。」

旦那が立っていた。

「アイロスか?」

「あの英吉利人は、とうに用済みでの。今頃は土蔵の中で冷たくなっておるわ。」

「うぬは何者だ。」

「ふん、どうやらお忘れのようだの。」

「霧島はどうした?」

「ご心配なく、まだ生かしておる。」

旦那の言葉が終わるや否や、周りの襖が一斉に開け放たれた。そこには抜刀した浪人風情

の者たちが構えていた。

「霧島をつれて来い。」

縄に縛られた霧島が鞍馬の下へ転がされた。

「霧島!」

「…鞍馬か、面目ない。この様だ。」

拷問の跡か、顔といい身体といい、青痣だらけであった。

「大黒屋、いったい何の真似だ。」

怒り心頭の鞍馬は、抜刀しつつ叫んだ。

「まだ分からんのか。番頭さんお連れしなさい。」

囲われた浪人たちの輪がわずかに開き、老人が連れてこられた。

鞍馬には見覚えがある面体であった。

「その顔は、調達方の暴れん坊…。くそっ罠だったのか!」

「霧島、鞍馬。残波小路家の恨みを忘れたか。」

旦那は、番頭を従え、胸を張った。

「残波…だと。」

霧島の戒めを刀で落としながらつぶやいた。

「く、鞍馬…。紀州白浜だ。」

記憶の糸がつながった霧島が、そう鞍馬に告げた。

「おう、あのご禁制破りか。その公家が何の真似だ。」

「貴様らに滅ぼされた我が家の恨みを晴らすのだ。」

番頭が浪人たちへ目配せる。

その時、暴れん坊が高笑いを放った。

「ハッハッハ、こいつはとんだ逆恨みだな。」

驚く一同。

暴れん坊は顔の皮をビリビリと裂いた。

「古鷹!」

「隊長、刀です。狼煙は上げときました。」

暴れん坊は、古鷹の変装だった。

「よし、鞍馬!」

「おう、いっちょやるか!」

 

遡ること、数年前。

八月十八日の政変で混乱した京をたった二人で平定した侍がいた。

その人間離れした剣力は、幾多の長州兵を押し戻し、生き延びた兵たちからは、「鬼土竜」

「悪天狗」と呼ばれて恐れられたのだった。

 

「鬼土竜」と「悪天狗」の前では、浪人連れが何人いようとお構いない。

疾風の如く、浪人どもを打ち倒し、残波小路と従者を追い詰めた。

霧島と鞍馬は、言上を述べる。

「私怨の為、無数の人を殺めた所業、断じて許さん。」

「我が部下たちへ、地獄で詫びよ。」

悪、即、斬。

「鞍馬、いい腕だ。まだまだ捨てたもんじゃないな。」

「霧島、貴様もな。」

 

その夜、番所。

詰所に残る霧島と鞍馬。

「もう帰るのか。」

「おう、十三を空けてはおけんからな…。」

「命を粗末にするなよ。」

「おう、貴様もな…」

背後で二人を見守る間部軍師。その目には光るものがあった。

 

 

 

有馬温泉。

「今回は出番がなくてラクだワ!」

湯を楽しむ安寿であった。

 

 

 

慶応三年のウルトラセブン 第四話「十三から来た男」
23/MAR/2007
初版発行
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