左からアジス・MS(ギター/キーボード)、ヘルマン(ドラムス)、リッキー(ベース)、クリスヤント(ボーカル)、
JAMRUD PROFILE
ジャムルドは西ジャワのチマイ出身のロック・バンドで、89年頃はジャム・ロック(JAM ROCK)というアマチュア・バンドで活動していた。その当時現ギギ(GIGI)のドラマー、ブディ・ハルヨノも中心メンバーとして活動していたようだ。ジャム・ロックはディープ・パープル、メタリカ、アイアン・メイデンなどのコピーを得意としたバンドでライブ・ハウスやカフェなどで演奏していたそうである。その後、バンドゥンで行われたロック・フェスティバルでベスト・ボーカリストに選ばれたクリスヤントとサンディー( ドラムス)を正式メンバーに迎え、95年にログ・ゼレボール(ロジス・レコード)主催のロック・フェスティバルに出演し、特別賞を受賞している。その後ロジス・レコードと契約し、バンド名をジャムルド(JAMRUD)に変更してプロとしてのキャリアをスタートさせた。96年にファースト・アルバム「ネカッド」をリリース。ヒップ・ホップを盛り込んだデビュー・アルバムは20万本の好セールスを記録した。97年に発売された「プトウリ」も30万枚という好調な売れ行きを示し、99年にリリースされた「テリマ・カシ」は90万枚にも達した。そして2000年にはスロー・バラードなどバリエーションのあるアルバム「ニングラッド」でインドネシアのハード・ロック・アルバムとしては異例の190万枚という数字にまで達した。しかしその間にジャムルドに大きな悲劇が起こる。2人のメンバー、フィトラ(ギター)、サンディ(ドラムス)が相次いで薬物の大量摂取により死亡するという大打撃を受ける。しかしその後すぐにメンバーを補充、精力的なライブ活動を行いジャムルドの完全復活をファンに印象づけた。そのメンバーはアジス・MS(ギター)、リッキー・テディ(ベース)、クリスヤント(ボーカル)、ヘルマン(ドラムス)。そして都会に行った田舎の青年とそれを待ちわびる恋人をテーマ(まるで太田裕美の『木綿のハンカチーフ』?)にした曲〈スルティ・テジョ〉が大ヒット。そのウィットにとんだ歌詞が、多くの若者の共感を呼んだ。2001年のAMI SHARP AWARD(インドネシアの音楽大賞)ではロック部門で4つのカテゴリーにまたがって最優秀賞を獲得している。2002年には初のオーストラリア録音のアルバム「シドニー090102」をリリース。たばこ会社のジャルムをスポンサーに迎え、インドネシア50都市ツアーを敢行した。ジョクジャカルタでは4万人を越すファンが詰めかけたそうである。その他にも数々のライブを重ね2002年は100回以上の精力的なコンサートが予定されている。その間2002年8月にはインドネシア独立57周年記念の式典で来日し、京都(8月15日)、神戸(8月17日)にコンサートを行った。

Nekad/1996

Putri/1997

Terima kasih/1999

Ningrat/2000

Sydney 090102/2002