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Dewa / デワ
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1986年にスラバヤの高校の同級生4人《ダニー・アフマッド・マナフ(Dhani "Ahmad"
Manaf)/キーボード・ボーカル)、エルウィン・プラセトヤ(Erwin Prasetya) / ベース、ワワン“アビ”ユニアルソ(Wawan
"Abi" Juniarso)/ドラムス、アンドラ“ラマダーン”ユナイディ(Andra "Ramadhan"
Junaidi)》でDewa 19というバンドが結成された。名前の“デワ(Dewa)”はメンバーの頭文字と神様のダブル・ミーニング?で19(スンビランブラス)とは彼らの当時の年齢である。 2年後ドラムスのワワンが抜け、グループ名をダウン・ビートに変更。ワワンが再びカムバックしたとき、新メンバーとしてボーカリストにアリ・ラッソを連れてきた。こうして5人揃ってのDewa19が再出発した。 92年にチーム・レコードと契約してファースト・アルバム「Dewa 19」をリリース。“Kangen”が大ヒットとなり、その2年後アクアリアス・レコードと契約して2002年までに6枚のアルバムをリリースしている(ベスト・アルバム含む)。 その間ドラムスに著しいメンバー交代があった。まずアルバム「Terbaik Terbaik」ではワワンは既にバンドを離れ、ゲスト・ドラマーにロナルド(元GIGI)とレレ(グラス・ロック)を迎え録音が行われた。アルバム「Pandawa
Lima」ではウォン・アクサンが新しいドラマーとして加入する。 その後アクサンも抜け2年以上ドラムスは空席であった。Dewa19は次第にいろいろな問題を抱えるようになり、リード・ボーカルのアリ・ラッソも追いだされる始末だった。解散の危機も叫ばれるようになってしまう。 2002年には6枚目のオリジナル・アルバムとなる「チンタイラ・チンタ」をリリース。このアルバムのヒット・チューン「アルジュナ・ムンチャリ・チンタ」が、有名な同名小説のパクリとして告訴問題となり別の話題も提供した。 2003年にはベースのエルウィンが脱退。サポート・メンバーにグルーブ(Groove)のベーシスト、ユケ(yuke)を迎え25都市を巡るツアー(ATAS NAMA CINTA)を行う。ゲストには既にソロ・アーティストとして活動しているアリ・ラッソがツアーに加わり話題となった。 リーダーのアフマッド・ダニーは、ポップス系のアーティスト達にも曲を提供しているソング・ライティングの才能が溢れたミュージシャン。インドネシアで大ヒットとなった、上田正樹とレザ(Reza)のデュエット"FOREVER PEACE" を含むレザのアルバム、「AMAZING」のサウンド・プロデュースも彼の手によるものである。 |
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Text by Osamu Yoshioka |
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Dewa Discography
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![]() Dewa 19 /1992 |
![]() Format Masa Depan/1994 |
![]() Terbaik Terbaik/1995 |
![]() Pandawa Lima/1997 |
![]() The Best of Dewa 19 /1999 |
![]() Bintang Lima/2000 |
![]() Cintailah Cinta/2002 |
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その他関連カセット
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![]() Ahmad Band/ISO 1998 |
アフマッド・バンドはアフマッド・ダニーの別プロジェクト・バンド。 メンバーはデワのギタリスト、アンドラ、ビップのボンキー/ベース、パイ/ギター、ロメオのドラマー、ビモ。軍服を着たアフマッド・ダニーのアルバム・ジャケも凝ってるが、中身もSEを効果的に使った曲やダンサブルな曲、オルタナっぽいバラードなど多彩。アフマッド・ダニーのソングライターの才能が発揮されたアルバム。 |
![]() Ahmad Dhani & Andra Ramadhn 1998 |
こちらはアフマッド・ダニーとデワのギタリスト、アンドレのコラボレーション・アルバム。アルバムといっても4曲入りのシングル・カセット。全曲アフマッド・ダニーがドラムの打ち込みとキーボードを演奏。現デワのオンチェがこのアルバムでコーラスを担当している。3曲目では現ギギのトーマス・ラマダーンがベースで参加。アフマッド・バンドのアルバムに入っていた「Distrosi」のリミックス・バージョンがカッコ良い。 |
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