フィリピンの森林減少


Mr. Dugan  熱帯林消失に関する問題認識と解決への道(フィリピンに視点をあてて)


序論

熱帯森林の消失は、世界のすべての国に関連する問題である。このプレゼンテーションは、フィリピンの森林消失に関する問題をとりあげる。フィリピンの経験に基づいて、主要な原因のうちのいくつかを強調し、問題の可能な解決策を示唆することができれば幸いである。
フィリピン共和国は群島である。3,000万ヘクタールの国土におよそ7,500万の人口が住む,人口の分布は、おおむね3つのカテゴリに分けられる。
(a)都市の人口、約2,600万(人口の35%)が主にマニラ、ダバオ、セプ、 カガヤンデオロ、イロイロおよびバコロドなどの大きい沿岸の都市に集中

b)平野部の人口、約3,400万人(人口の45%)

c)高地或いは山地人口、約1,500万人(人口の20%)
社会のすべてのセクターは、森林資源の状態によって影響される。しかし、森枠状態は山岳地帯の人々に、最も直接的な影響を与える。
彼らの人生は密接に森林に結びついている。同時に、森林状態はこれらの人々がどう森林と対話するかに主に依存する。その結果、森林関連の経済と環境に関する便益の増減は、主に総人口の20%の人々の活動によることになる。

森林消失の背景と動き

1945年第二次世界大戦の終わり、フィリピンはおよそ1800万の人口であった。当時、国土の50%、およそ1500万ヘクタールが森林で覆われていた。今日、人口は7500万、国土の500万ヘクタールおよそ19%だけが森林である。言い換えれば、人口は400%ほど増加したが、森林領域は65%ほど減少したということである。

公式の政府統計は、人口のおよそ65%が貧困ライン以下であることを示している。隔遠地域では、貧困の発生はさらに高い。山岳地域には最も窮迫している人々がおり貧困の発生はしばしば80%よりも高い。

熱帯に関する多くの研究は、人口密度と隔遠地域の貧困と森林消失の結びつきを記録している。フィリピンや多くの熱帯の国々において、森林消失の悪影響をうける山村地域の人々は、皮肉にも、しばしば森林破壊を引き起こす人々でもある。この現象を理解するために、人類学、人口統計、社会、政策或いは政治などの様々な問題を考えることが必要である。

フィリピンの山地人口は二つの主要なサブカテゴリに分割することができる。ひとつは、何千年間も森林の中か森林の近くに住んでいる土着の民族、部族のグループである。ひとつは、移住者である。人口圧力や低地に農耕地を持っていなかったことから山地に移動してきた人々である。一般に、先住民族や移住者のような人々の多くは、技術・技能をもたず適切な職を見つけることができない。通常、農耕、林産物の採取、魚穫が唯一のオプションである。

土着の民族グループは、伝統的に、ハンティング、林産物採取及び焼畑移動耕作を行うことによって、食物と他の基本的な必要物を得てきた。焼畑移動耕作は、森林消失を引き起こす。 しかし、土着民族が馴染んできた方法によれば、森林の喪失は一時的なものであった。
人口密度が低くければ、この原始的な農耕システムは生存レベルで維持できる場合がある。彼らは、1年間か2年間作物を作って、新しい森林領域に移り、伐開し火をいれる。休閑期と呼ばれる回転サイクルは20年もしくはそれ以上に長かった。通常、その土地は、休閑期間中は権利を侵害されることはなかった。長い休閑期は、森林が自然に回復し、土壌の肥沃さを回復する時間を与えた。
土着部族は、数世紀にわたり、森林の保全を確保する土地利用システムを開発してきた。このシステムの主要な特徴は長い休閑期間だった。システムの他の特徴は、伐開と焼却の季節に関する計画、樹木の伐倒方向、風向に基づく火の制御法、焼畑に適する領域の選択、特定地域の伐採と火入れの禁止等である。システムは、慣行、宗教的慣習および相互監視の組み合わせを通じて維持された。
しかしながら、まれなケースを除いて、これらのシステムは今日では、もはや効率的に機能しない。システムは様々な内外の要素のために次第に崩壊していく。

伝統的なシステムの崩壊は植民地時代に始まった。植民地政府は、すべての土地は国に属するということを基本原理とした。このため、法的には、土着部族の人々が有していた先祖伝来の土地の権利は失われた。部族の人々の大部分は植民地政府の法を無視し、焼畑移動耕作を続けたが、徐々に、政府のコントロールは、より効果的になり、部族の人々は、カスタムと伝統に従って土地と森林を使用する自由を失った。また、彼らはそれらの事実上の所有権或いは保有保証を失った。
土着部族は、政府や低地からの移住者の圧力により、しばしば先祖伝来の土地を捨てた。これは、人口の自然増によってさらに悪化した。

さらに、外部からの影響は、新規な物への所有欲、シンプルな生活からより高い生活水準への欲求、そして貨幣経済の浸透への対応などを生み出した。一人当たりの土地面積の減少につれ、長い休閑期間はもはや不可能となった。今や、休閑期間は3年末満が一般的である。土壌の肥沃度の回復や森林の再生は殆ど困難である。

低地からの移住者外グループは、焼畑耕作を実行するが、土着部族の人々が守ってきた規則、慣行および伝統とは無縁であった。
したがって、土地と森林資源の破壊的な利用や使用を防ぐ、如何なる社会的なメカニズムもコントロールもなかった。
移住者は永住地を作り、年々同じ土地で農耕作を行う傾向がある。これらの条件のもとでは、自然な森林再生はめったに起こらない。生産性は土壌の流出と土壌肥沃度の減退により低下していく。

もちろん、山地における森林の保全、持続性、永久居住地と調和した農業システムは存在する。これらはテラシングや果樹園の開発を含む。ある山地部族は、持続可能な農業を実行している。例えば、ルソン島のイフガオ族(Ifugao)の人々は、およそ2千年の間、有名なバナウエ
(Banaue)の棚田で水稲栽培を営んできている。しかしながら、他の類似例はほんのわずかである。

社会が新しいシステムを学んで、採用するには時間がかかる。また、これらのシステムを支える慣行を成熟させるためには時間と伝統を必要とする。例えば、テラス文化に習熟し、感慨によって米を栽特するためには、共同体は、運河を維持し、水を共有するためのシステムを開発する必要がある。同様に、果樹園の巧みな経営には、果物の窃盗に対応する共同体の倫理が必要となる。新しいシステムや新しい倫理の採用と進化は、人口の増と足並をそろえるというわけにはいかなかった。 

植民地時代に始まった土地と森林に関する国の所有権は、フィリピンが1946年に独立を獲得した後においても政府の方針であり続け、今日、まだ一般的である。この政策は、土地と森林資源の持続的利用方法を採用していく上で、ひとつの制約として機能する。所有権の欠如或いは保有権の保証不足は、短期的な視野しかない計画を奨めることになる。良き未来を作るための労働や投資の期間より、むしろ今日を考えるだけということがもっと論理性をもつことになる。また、それは持続性を確実にしようとする社会的なメカニズムの発展を抑制する。      ′
事実上、政府の政策は、原始的な狩猟や焼畑を行おうという心理状態を永続させる傾向がある。                   
こういった条件の下では、森林保全などは関心外である。ほとんどの山地住民は、その日その日の生活に精一杯である。
第二次世界大戦の前後にとられた他の政策は、さらに森林を保全しようとする意欲を失わせた。
数百万ヘクタールの国の林地は、私有地として開放された。土地を持たない人々は林地に移動することを奨励された。
土地の所有権の認証を得るための条件の一つは、森林を伐開し恒常的な農耕地を作るということであった。
1940年代後半に始まり、1970年代の半ばまで続いたこれらの政策は、フィリピン史上、最も大規模な森林減少を生ぜしめた。原生天然林の広大な領域が焼畑により破壊された。これには、政府の完全な承認と奨励があったということができる。
ある点で、テレビや新聞でみられるように、現在、スマトラ、カリマンタンなどで起こっていることと同様だった。

残念ながら、その数十年の間、政府は、森林の保全とその賢明な利用に関する山地住民のためのインセンティプを作り出すことに失敗した。例えば、私有権が開放された多くの土地では、移住者が、持続的に、小規模な森林を管理することは、森林を農地に変えるよりももっと有益だっただろう。  
しかし、これは不法だった。移住者が、簡単な手引き鋸を使用して丸太を製材すること、収入増のために製材を販売することは不法だった。  
しかし、樹木を切り倒してそれを焼却するのは不法ではなかった。事実、前述のように、これは土地所有権を得るひとつの条件だった。
同時に、政府は、植民地の時代から持ち越されたティンバーコンッセッション(木材伐採権)システムを実施し続けた。
材木を法的に利用する特権は、重機や資本集約的技術を駆使する私企業のために保有された。

このシステムは、肯定的、否定的、両面の影響があった。
肯定的な側面としては、政府は、生産される木材の量を制限するためにコントロールを行った。                      
木材生産は、択伐される樹木の数、25年の回帰年を規定した規則や通達に従って実行された。
さらに、ティンバーコンッセッショナーは、残存木と稚幼樹が生育し、森林被覆が回復するよう、伐採林分を保護しなければならなかった。
また、森林の回復が思わしくない場所には、植林を行うことが求められた。
マイナスの面は、ティンバーコンッセッションの実行がよく監督されなかったということである。
過剰伐採や不注意な森林管理が大きく広がった。

かつて、1960年代後半、フィリピンは世界で2番目の丸太輸出国であった。 コンセッショナーは、林内に何千キロメートルもの道路を建設した。 温帯林で用いられた技術が、脆弱な熱帯の生態系に適用された。 ブルドーザー、スキッダー、ヤーダー等の重機は大規模な環境破壊をもたらした。
土地なし移住者は、丸太搬出用に建築された道路を使って、伐採者の後に続いた。 移住者は、伐採後に残った樹木を切り倒し、陸稲、メイズ、その他の食物を栽培するために焼畑耕作を行った。理論上、進入は防がれるべきだった。
コンセッショナーは、伐採後の林分を保護し焼畑耕作を禁止すべきであった。森林として保留されたエリアでは、焼畑耕作は不法である。
法に違反する人は誰でも、捕らえられ刑務所に送られるべきである。 コンセッショナーは、政府の森林当局と提携して、この法を執行するのが義務付けられていた。

しかしながら、多くのコンセッショナーと森林官は真剣にこの責任を果たさなかった。
その上、コンセッショナーと森材官が焼畑耕作者を捕らえた時でさえも、法廷はしばしば犯罪者を許した。人口が増加するに従って、焼畑耕作者の数は数倍となった。 法廷は、犯罪者が貧民だったので寛大になる傾向があった。 選挙に勝ちたい政治家は、しばしば法の執行に干渉して、反対の運動をした。

木材伐採が進み、人口が増加するにつれて、土着部族は急峻な山岳地帯に、押し上げられた。 伝統的に、土着部族は比較的に肥沃なゆるやかな斜面を切り開いた。ゆるやかな斜面では、森林の自然な再生が起こる可能性ははるかに高い。
しかし、急斜面では、自然な再生は、より多くの時間がかかり、より長い休閑期間を必要とする。
機械化伐採、激しい土地なし貧困住民の移転、人口増の圧力、貧困、弱い法の執行体制及び山地部族による急斜面での農耕等との組み合わせは、森林の消失に大きな影響を及ぼした。木材伐採は、森林消失の主要な原因であるとしばしば言われる。

フィリピンにおいては、後述するー連の不合理な決定に導かれた誤った仮定である。
木材伐採は、確かに森林消失の主要な貢献要素であり得る。しかしながら、破壊の範囲と度合いという意味合いで、木材伐採の衝撃を過剰に強調しすぎている。
商業用選択伐採は、高価値の樹木を取り出すだけである。なぜなら、資本集約的で機械化べースの技術への投資に見合い、コンセッショナーに利益をもたらすに足る樹木が対象であったからである。

一般に、1ヘクタールの熱帯林はおよそ200−300本の樹木を含むことであろう。平均して、1ヘクタールあたり8〜10本の樹木だけが市場要求を満足させることができるくらいの大きさである。
小・中径の樹木は、木材の伐採搬出時にダメージを受けるが、多くは生き残る。その上、通常、1ヘクタールあたり数千の天然更新稚幼樹(wildlings)がある。
商業伐採後の撹乱がなければ、残存木と稚幼樹は未来の森林に成長するはずである。しかしながら、木材の伐採搬出後に残っている樹木と稚幼樹は一般に保護されることはなかった。
再度言及すれば、保護の不足の主要な理由の1つは、短期的な計画思考を促進した国の政策であった。

森林資源を使用する特権は、政府ライセンスを通して与えられた。当初は、毎年、これらは更新可能な短期的なライセンスだった。しかし期間は長くなり、1年は5年に、そして10年に、ついには25年となった。政府は、長期ライセンスの発行を通じて、長期計画を促進し、森林保護を持続することを意図したのであった。
前述のように、コンセッショナーが伐採後の森林を保護していなければならなかった。持続的かつ厳正な保護が与えられるならば、健全な森林が再生したであろう。
不幸にも、こういった適正な意図は、1970年代の半ばまで陽の目を見ることはなく、その時までに、広大な地域は既に裸地になっていた。
かつての短期ライセンスは、持続的な保護のためのインセンティプにはならなかった。さらに、良好な意図は、コンセッションシステムが政治の具となった戒厳令治世下において更なる妥協を重ねていった。

戒厳令の衝撃

1972年から1986年まで、フィリピンは戒厳令独裁によって治められた。ティンバーコンセッション問題は政府への武装反逆を奨励する反対者に利用された。叛乱徴兵者が、木材資源へのアクセスは、政治的影響力と金をもった連中に限られていると指摘するのは容易であった。
一方、米を買うために若干の小径丸太や手挽製材を売りたい貧しい山地注民はそうすることを妨げられた。
この不平等な取り扱いは、フィリピンでの反逆者運動の拡大を容易にした。

他の国も同様の間題を経験した。例えば、林業は、イギリスへのビルマの反抗における主要な事柄、ついにはミャンマーの独立に繋がっていったのである。
ここ、日本における1897年から1901年の足尾銅山に対する民衆運動は、産業による農地と森林の破壊に密接に関連しているものであった。
戒厳令治世の間、多くのティンバーライセンスが一片の通告と一切の過程なしに取り消された。
オリジナルのライセンスが取り消された後に、コンセッションは、しばしば、政治上の影響力を持つ人や会社に移し替えられた。
その上、ライセンス期間が長くなっても、官僚的環境は、まだ短期的システムの特徴の大部分を保持していた。複雑な規則と通達は、汚職の肥沃な環境を産み出した。
これらの要素のすべてが、さらなる森林消失に影響を及ぽした。しばしば、政治的影響力が、良い管理がなされているかどうかより、ライセンスの取り消しや延長を決定した。無責任な森林管理は広範囲に行われた。この状況は、人口圧と焼畑耕作と結合し、森林消失のペースと広がりを増加させた。

政治シナリオにおける劇的な変化

1986年に、戒厳令政府は民衆パワー(People's Power) 革命によって打倒された。この出来事は,林業に直接的な影響をもたらした。開かれた政治環境の下で、大衆は今や、多くの問題に対し明確な意見を開陳する自由を持った。
それらの問題の一つはコンセッションシステムであった。
前述のように、このシステムは政治と不正な行為に汚染されていた。
戒厳令時代の間、政治的影響力をもった政治屋などが、コンセッションの大部分をコントロールしていた。   
かくして、ティンバーコンセッショナーは、戒厳令時代の乱用に対する大衆の怒りの対象の主な目標の一つとなった。
政治活動家は変化を要求した。環境支持者が加わった。環境支持者の大部分は、都市に拠点を置いた非政府組織(NGO)に加わった都市の居住者だつた。
これらの環境NGOの多くが欧米にあるNGOからサポートを受けた。あいにく、ほんのわずかな地方のNGOかそれらの海外の支持者が、林業問題の複雑な本質を理解し或いは評価しただけであった。
その視点は、森林保全と森林消失の問題を扱う最も効果的な方法は、すべてのティンバーライセンスのキャンセルと木材伐採の全面禁止の賦課であった。
事実、彼らは、非常に複雑な問題に対し、簡単で、直接的な解決策のキヤンペーンを行った。それらのキャンペーンは主にメディアが使われた。
新聞とテレビ番組は、木材伐採者を環境の破壊者、社会の敵として槍玉に挙げた。
木材産業の大部分を特徴付けた悪しき森林経営のために、これらの否定的イメージを作ることは非常に容易なことであった。
外国NGOからの資金は、単純な伐採禁止だけではなく、林業問題のより包括的な解決を提唱していた役所や公務員等の評判を落とすことに使用された。

政治・環境活動家によって行われたキャンペーンは非常に効果的だった。政府はティンバーコンセッションの大部分を取り消した。また、丸太の輸出を禁止した。伐採の全面禁止と安易な解決策に反対した官僚出身候補は、選挙に落ちるか政治上の人気を失った。                                     ・
残念ながら、木材伐採におけるNGOの焦点は、より基本的な問題から注意をそらした。例えば、森林資源に関する山地住民の独自性を認識する政策を形成する緊要牲があった。伐採全面禁止は山地住民による森林の使用をも禁止する。彼らに、森林を使用する権利について否定すると、森林を保存し、持続可能な森林管理を実行するどんなインセンティブも失われるだろう。

現在まで、どんな法律も、フィリピンにおいて、伐採全面禁止を規定していなかった。しかしながら、実際には、ティンバーライセンスのキャンセルは国の大部分で伐採全面禁止を産み出した。
このことは森林消失を止めることはできなかった。事実、ライセンスのキャンセルにより木材伐採が禁止されたどこの場所でも、森林消失の速度は増加した。
このことは、森林政策の形成に関し政府にアドバイスする責任を有するアカデミックな団体によって行われた研究で記録されている。
明らかに、伐採全面禁止は解決策ではなかった。多くのティンバーコンッセッショナーは責任ある管理者ではなかったが、政府は、まだ、ある程度のコントロールを実施することができた。
理論上、ライセンスがいったん取り消されると、政府は完全なコントロールを引き継いで、森林を保存することができる。しかし、実際は、政府はコントロール実施に必要な職員と能力を持っていない。その上、政府機関における汚職は、森林保全を確実にする政府の能力を減少させた。
その間、林産物に対する需要は、人口の増大と共に増加し続けている。法的に認可された供給者の大部分は、現在、ライセンスのキャンセルのために廃業している。法的な供給者の不在、そして高い需要は、不法木材伐採を行う条件を作り出してきてい
る。

年間木材需要は、およそ250万立方メートルである。法的な供給者の生産量は50万立方メートルにすぎない。輸入量は、80万立方メートル、人工林から70万立方メートルである。需給量のギャップはおよそ50万立方メートルである。
このデータは、不法な木材伐採がより多くの材木を供給していることを示している。

森林問題解決への選択肢

要約した上述の多数の問題へのこれまでの対応策等を見ることとする。
例えば、1970年代の半ばまでには、明らかに土地の国家所有の概念は改訂されなければならなかった。
理論上、国土面積のおよそ50%、約1500万ヘクタールが国家によって所有されている。しかしながら、ほんとうは、この土地の60%以上は低地から移住者と山地部族民によって占有されている。
この状況を認識して、政府は、保有権の認証を与え、その結果、土地と森林資源の持続的利用を奨励するような新しい政策を形成した。規則と通達は改訂された。
関係政府機関は、土地を法的に保有し、使用する権利を認織する山地の人々に保有認証書を発行することを許容された。
初めは、政府は1年のみの短期許可証を支給した。山地住民は、その1年の間に、植林をするか、さもなくば持続可能な土地使用の遂行が
求められた。住民がこの条件を実現すれば、長期の許可証が発行される。
このアプローチは2つの主要な理由で失敗した。
一つは、山地住民には、樹木園やテラシングのような長期投資に必要な資金がなかったこと。二つめは、政府が信用をを失っていたことであった。住民は、自らが土地使用方法を改善しその義務を果たしたとしても、政府が長期保有セキュリティを保証することを信じなかった。

これを克服するために、政府は再び規則を変えた。
つまり25年の許可証と25年間更新可能なリースを発行することを開始したことである。このことは信用問題を部分的に解決した。   
しかし、貧困の問題を取り込んではいなかった。資金不足のために、山地住民の大部分は、樹木農園、土壌保全などに投資することは難しいか、あるいは不可能であった。

アグロフォレストリー

政府は、よりよい土地利用方法を実行する山地住民を援助する必要性を認識し、アグロフォレストリープログラムを開始した。
アグロフォレストリープログラムは、多様な土地利用システムである。食物作物と樹木の適切な混合は地勢条件による。急な地勢では、土地の大部分は樹木を植えるべきである。
より多くのゆるやかなスロ←プには食物作物を作ることができる。また、テラスが急斜面に作られ、そこで食物作物が栽培されるかもしれない。
アグロフォレストリープログラムのもとでは、資金は、山地住民のために、苗畑を作り、苗木を配布することに充てられた。
技術者は、集落共同体で援助活動をするためトレーニングを行ったり、保有許可認証ドキュメントの発行につながる調査を行うために現地に派遣された。
アグロフォレストリー実行支援は、森林部局に主として責任があったということに注意すべきである。
この部局は主として森林樹種に関係があったので、苗畑の大部分は、木材生産に適した樹木の苗木を生産した。
しかしながら、住民の大部分は果樹により興味を持っている。
徐々に、政府の森林官は、苗畑での果樹用苗木を生産し始めた。
同時に、非政府機関はアグロフォレストリーに関し、技術、保有セキュリティの両面にかかわり始めた。アグロフォレストリーは政府と非政府セクターの主要な論点に発展した。
過去25年間、政府は山地住民におよそ300万ヘクタールをカバーする様々なタイプのリースを発行している。                             
二国間、国際機関からのODAや融資の大部分は、アグロフォレストリーのコンポーネントを含んでいる。
適切な資金と有能な技術者が有効であった場所はどこでも、結果は肯定的である。
アグロフォレストリーが成功した農民は、焼畑耕作の実行を止めた。森林は回復しつつある。
バラワン島のプェルトプリンセサ市では、JOFCAがアグロフォレストリーのコンポーネントを使いながらプロジェクトを実行している場所で非常に明白である。
最近の衛星イメージデータは、プェルトプリンセサ市では、ここ8年間で、森林カバー率がおよそ6%ほど増加していることを示している。
この大きな要因は、人々が森の焼却を止めた後の自然再生のためである。
要するに、フィリピンの経験では、森林消滅を防止し、森林被覆を回復させるための戦いには、アグロフォレストリーが強力なツールであるかもしれないことを示している。
しかしながら、短期間では、何年間もの乱用によってもたらされた損害は修正することはできない。                  
アグロフォレストリーの利益が、山地住民のすべてに或いは社会に分配され得る以前に、何年もの持続的な努力と投資を必要とするだろう。
その間、山地で、実用的な技術と他の援助を繰り広げるための態力を強化する緊要性がある。                   
フィリピンの経験は、これらのサービスを提供する最も効果的なエージェントはNGOと地方自治体であることを示す。
一般に、国家の政府機関は、アグロフォレストリープロジェクトで遭遇する多くの異なったタイプの状況を扱うには柔軟性を欠いている。
国家の森林部局は、林業そのものに焦点を合わせる傾向がある。
国家の農業関連部局は農耕に集中する。
アグロフォレストリーを成功裡に実施するためには、これら2つのタイプのサービスの混合と社会、気候、物的な状況の広い箪囲に順応する能力を必要とする。
 
天然更新補助作業

また、フィリピン林業における別の比較的新しい開発は、森林回復を加速する可能性がある。
これは 天然更新補助作業の実行である。
この話題に入る前に、森林部局は伝統的にその資金の大半を植林に投じてきたということを指摘することが役に立つかもしれない。
比較的に少ない金が保護に投資された。
一般に、再植林は森林消失への標準的対応である。
何十億ペソの金が、裸地化した草原に森林を回復する企てに費やされてきた。
不幸にも、再植林プロジェクトのほとんどすべてが失敗した。

失敗の主要な原因は火災である。乾季に、フィリピンの草原は非常に火災にもろい。
ほとんど毎年、農民および牧畜業者は、彼らが占領する領域の部分かすべてに火を入れる。多くの場合、これらの火は制御しきれなくなって、隣接している領域に延焼する。数ヘクタールをクリアにするために始められた小さな炎は何千ヘクタールにも広がる。隣接している再植林プロジェクトはその過程で類焼する。
時には、山地住民が、故意に再植林プロジェクトに火をつける。

これには、いくつかの理由がある。
ある人々は、政府が火災跡地の再植林にまた雇用してくれるかもしれないと思って放火する。
他の場合では、ただ再植林プロジェクトに反対だという理由で放火を殆める。
プロジェクトが成功するともはやその地域で生活したり、耕作したりすることができなくなることを恐れる。

理由が何であれ、火災は再植林における失敗の主要な原因である。

失敗の別の理由は、植栽樹種の選択の間違いである。通常、土壌の肥沃度は裸地化した草原では非常に貧しい。
この制約にもかかわらず、ほとんどの再植林プロジェクトが、自然な森林の肥沃な土壌で何百万年間もかかって発達してきた樹種を植栽する傾向がある。
これらの種は、劣化した土地条件のもとでは、よく成長することはできない。

したがって既存の草と競争することができないので多くが死ぬ。
これらの問題を認識して、フィリピンは天然更新補助作業を強く強調し姑めた。
森林を回復するためのこの方法は主に防火に重きをおく。
火災が防がれれば、潅木、つる植物および幼樹などの多くの種が、こうもり、鳥、他の動物または風によって散布された種子から、自然に生長し始める。
これらの種の大部分には、いかなる商業的な価値もない。
しかしながら、それらは森林回復成功の前提条件である活力ある生態機能を形成していく。

まず最初に、これらの植物は披陰を提供し、その結果、土壌温度を低下させる。
これは木の活発な成長に不可欠のミミズと土壌中の微生物に好ましい状態を引き起こす。また、プッシュや潅木と小樹木は草を隠し、その結果、多少とも火の脅威を抑える。                   
自然な条件のもとでは、この過程は10〜15年かかる。
この現象に関する例は、山地部族の伝統的な焼畑農耕でみられる休閑期である。
しかし、通常、天然更新補助作業を適用することによって、この過程を3〜4年間に短縮することができる。
手段は、草の成長を妨げるために取られる。
これらの手段は、被圧板で単に草を押すことから成る。草は倒圧されたときその成長は遅い。
その上、つる植物と低木の生長を促進し地表への日光量を減少させ草の生育を抑制する。

天然更新補助作業のもう一つのコンポーネントは、鳥媒、風媒などによって発芽した野生苗の保育である。
天然更新補助作業では、野生苗は、競争を抑え、成長を促進するために雑草の下刈り作業が実施される。
適切な資金が利用可能であるならば、さらに成長を促進するために、施肥が行われる。
野生苗の密度が低い場合には、苗畑で生産された苗木を植栽することもある。
そういった作業の代わりに、劣化した土地でも生育しうる頑丈な種の種子を単、に播種することもある。
天然更新補助作業実行の数年後には、林相は、市場価値を持つ通常の樹木を植林することが好ましい条件となる。

これらの樹種は天然更新種の樹間に植栽される。天然要新樹種は、風や過度の陽光から保護するだろう。
さらに、この保護のために、通直かつ高くなる傾向がある。その結果、優れた形状をもつ樹幹の材を生産できるであろう。
時に、天然更新補助作業実行地域は、資金不足のせいで、林業用の樹種は植栽されていない。

しかし、森林回復の自然な過程は始まっている。草は、プッシュや小高木に置換され、3−4年後には火災の脅威はかなり少なくなるだろう。

これらの植物が成長し続けるにつれ、環境状態は向上し続けるだろう。
天然更新補助作業には、3つの主要な利点がある。
ひとつは、天然更新補助作業は、主として火災の脅威を抑えることにある。
ひとつは、天然更新補助作業を実行するヘクタールあたりの平均費用は、従来の再植林費用の70%以下である。
ひとつは天然更新補助作業の実行は、多様な森林被覆をもたらす。これは野生生物に有用な安定した環境をうみだす。

また、天然更新補助作業は、通常、ほんの二三の種から成る再植林プロジェクトより、水や土壌を保全することができる植生を生み出すことが出きる。
フィリピンでの天然更新補助作業の実行は1990年頃に始まった。現在のところ、主要な実行者はNGOである。彼らは非常に良い結果を獲得している。
これまでのところ、ほとんどのプロフェショナルな専門家は、伝統的な方法を実行し、失敗し続けている。
しかしながら、天然更新補助作業は、次第に、森林関係者に採用されてきている。
それらの努力の結果が明らかになり始めれば、実行地域が広がる高い可能性があろう。
これが直ちに十分に実行されれば、現在裸地化している数百万ヘクタールが、森林でもう一度覆われることになるだろう。

コミュニティフオレストリー(村落林業)

このプレゼンテーションの前の部分は、山地の人口が、森林を保全する誘因を減少させる傾向があるということについて述べた。
多くのアジア国では、植民地の時代の間に導入された戦略を転換するために様々な運動が進行中である。これらの動きは、国により異なった名前がつけられている。

Community Forestryに関する動きもそのひとつである。
これらの動きの1つの共通点は、植民地時代以前と類以する森林の所有権に戻そうという願望である。
Commnity Forestryは、住民が所有権をもっていると感じ、森林経営の利益を得ることができると感じるならば、住民は、森林を保全して、持続的に使用するであろうという概念に基づく。
この概念はインドのJoint Forestry Management Programme、ネパールのCommunity Forestry Programme、フィリピンの Community Based Resource Management Program の形成を導いた。

同様のプログラムは、ベトナム、ミャンマー、タイ、インドネシアにある。

日本の例としては、岐阜県の今須林業がある。今須では、森林の共同体管理が100年間以上実行されている。

フィリピンにおいて、Community Forestry の観念は、まず、1989年に政府方針の一部として正式に取り入れられた。
1970年代に始められた初期のAgroforestry プロジェクトは、Community Forestryのいくつかの特徴を持っていた。
しかしながら、Agroforestryプロジェクトは主に裸地化した林地に焦点を合わせていた。
Community Forestryは、裸地化した林地のリハビリテーションと共に天然林の管理を含む。
政治的見地からは、Community Forestryは、非常に貧しく、不利な立場にある山地の人々に権限を与えようとするものである。
実用的な管理の見解からは、プログラムは、森林保全は森林の近くに住んでいる人々の自発的な協力なしで達成することはできないという現実的な視点を取る。
経済的見地からは、現在貧困に生きるおよそ1500万人の人の購買力を増加させる大きな可能性である。

そして環境的見地からは、プログラムは、社会のすべてのセクターが、森林から提供される生態的サービスの享受を確実にするインセンティブを創り出すことにある。
現在、フィリピンには、およそ30万ヘクタールをカバーするおよそ150のCommunity Forestryプロジェクトがある。   
これらのプロジェクトの大きさは、数百ヘクタールから5、000ヘクタール以上の範囲にある。
これらの領域のほとんどすべてでは、山火事、焼畑耕作と不法伐採が劇的に減少した。
経験は、これまでのところ、Community Forestry は、森林減少を抑えて、劣化林地のリハビリテーションを進める上で、非常に効果的な役割を果たすことができるということを示している。
プログラムで描かれるように、村落共同体は、持続的収穫システムの下で、林産物の収穫と販売を許容されるであろう。これは、収穫率と量はコントロールされることを意味する。収穫量は成長量を決して超えてはいけない。

すべての林産物は共同体の所有である。かつて、機械化伐採によって生じたダメージは避けねばならない。共同体は、Chainsawを使用することができるだろう。しかし、手引き鋸や動物が使用されるだろう。
Community Forestryのための木材収穫技術は全くシンプルである。
ほとんどの山地住民は、既に簡単なツールを使用して丸太を製材品に変える方法を知っている。また、彼らは森林から水牛(carabaos)を使用して木材を搬出する方法を知っている。
要するに、収入の新しいソースを開発することができるくらいの伝統的な知識が既に共同体にある。   
彼らは、外部の財政的な援助なしに、この収入をAgroforestry 園の開発に使用することができる。
Community Forestry 戦略は、彼ら自身の利益のために役立つので、人々が森林を保全し、持続的に森林を管理することを予定している。
戦略は、住民に属する資源を故意に破壊しないということを仮定している。
これまでのところ獲得された好ましい結果にもかかわらず、多くの挑戦はまだ残っている。

まず最初に、コンセプトへの明白そしてひそかな抵抗に打ち勝つ必要がある。

プログラムはプロの森林官、役人、NGOおよび一般大衆のあるセクターからの抵抗に遭遇している。
多くのプロの森林官は、共同体が森林を管理することにおいて有能でないと感じるのでプログラムに反対している。
あるものは共同体に森林管理が移ることにより従来持っていた権威パワーが失われることを恐れる。
ある森林官は、不法伐採から受ける賄賂収入を失うことを恐れ抵抗している。
政府の意思決足者の間では、ある者は、権限委譲のコンセプトに公的に賛成を表明するが、実際には住民とパワーのコントロールを失うので、この考えに反対する。
多くのNGOは、林業問題の答えは、全面伐採禁を課すことであると信じている。
大衆とメディアのあるセクターは、前述のNGO主張で完全に納得し、また、全面伐採禁止の考えを支持する。
第2に、Community Forestryを信じる人々さえ、実現が簡単な過程でないと認める。
とりわけ、政府が管理を地元の人々に移すことに誠実であるということを共同体に納得させるのはしばしばかなり難しい。
信用不足のため、共同体は森林を乱用するという誘惑にかられるかもしれない。
住民は、短期的な収入を最大にするために、より速く林産物を収穫するかもしれない。これは、森林を保全する持続的な長期財政的インセンティブを創造するという意志を危険にさらすだろう。

さらに、政府の規則と通達は非常に襟雑である。政府は、共同体が境界を確定する調査を行うことを要求する。
共同体は森林資源調査を実行し、また、管理プランを準備しなければならない。

要するに、手順は古いティンバーコンセッションシステムの下で適用されたものと同様である。その上、共同体は、政府と森林管理協定を結ぶにたる、法的に認可される実体を組織化し、設立し、登録しなければならない。
ほとんどの共同体は、これらの政府条件のすべてを終了させる能力がない。その結果、彼らは組織化、計画、技術的な事項に援助を必要とする。
理論上、この援助は森林に責任がある国家の政府機関によって提供されるべきである。

しかしながら、これらの機関には、援助を提供できるような有能なスタッフがいない。
いくつかのNGOが Community Forestryにかかわって、援助を提供している。

しかし、また、それらは仕事を実行するスタッフと資金を欠く。
ある地方では、郡、州、市等の地方自治体政府が、共同体を助けるための資金NGOに提供している。
現在のところ、最も重用な挑戦の1つは、援助を提供することができる人々のトレーニングと現地派遣に必要な資金を見出すことである。
考えられる財政オプションの1つは水の使用のための料金の賦課である。

水の使用料金

数人のエコノミストと多くの森林官が、森林から提供される最も貴重なサービスは給水の維持であると主張する。
森林部局の数人の上級計画官が、この新しい21世紀の間、水は、森林管理で考え得る主要な問題になると信じる。
これらの立案者は、水料金請求のために、正しくて許容できる価格を確立するための政策と手順を形成し始めている。
その意図は、水収入により、Community Forestry、植林、Agroforestryおよび天然更新補助作業を支えることである。
これはいくつかの理由で難しいタスクである。
まず最初に、社会は、無料の商品として水を考える傾向がある。都市、地方、国家、準政府機関は、水を供給して、配布する料金を集めている。
一般に、しかしながら、集められた額は、すべてのコストをカバーすることができるわけではない。
例えば、通常、ダムの建設のための費用は計算に含まれない。
低地の地方では、国の機関が政府の灌漑プロジェクトによって供給された灌漑用水の使用料金を課す。
しかし、繰り返すが、料金は投資を取り戻すことができないくらいわずかである。                          
一般に、大衆は、総コストをカバーするレベルに料金を増加させるどんな試みにも抵抗する。
上述の問題にもかかわらず、いくばくかの進展があった。
例えば、National Power Corporationは、電力をデイストリビユータに販売する水力電気のプロジェクトを運営している。
この会社は、水源管理のためにその収入の一部を投資することを求められている。
近い将来、資金のいくばくかが、Community Forestry、Agroforestryおよび天然更新補助作業を支えるのに使用されることはありそうである。
いくつかの共同体が同様のプランを形成し始めた。
例えば、ミンダナオの部族の共同体は、この問題について低地の産米農家と交渉している。
共同体は、共同体の水源林から来る水の料金を支払うことを産米農家に求めてる。交換に、共同体は森林を保全し、裸地化した林地に再植林を行うということである。
この種の互いに有益なアレンジメントは、森林保全を確実にして、森林消失の危険を減少させるのを助長するだろう。

水は共同体収入のソースになることができる。
また、これは、産米農家が十分なそして正常な水供給をされるということである。

結 論

伐採の原因と結果は既にかなり明確である。更に、この問題を解決するための手段の実施は既に開始された。
これらの手段の成功はいくつかのキーファクターがある。まず最初に、政府機関、NGO、メディアおよび大衆のより多くの人々が、かかわっている問題を理解することが重要である。

これらのセクターは、実際は、非常に複雑な問題に対し、簡単な解決を求めることを止めなければならない。
2番目に、森林回復を加速することができる、実用的で有効な活動を展開する能力の開発が、緊急に必要である。
Community Forestry、Agroforestry、および天然更新補助作業は現在の最も有望なオプションである。
3番目に、持続的かつ信頼できる資金源の問題が解決されなければならない。

フィリピンは他国の経験の利益を得ることができる。   
それらの経験の1つは、林業セクターの問題の多くの解決策は森林の外側でのみ解決することができるということである。
例えば、産業における新しい仕事の機会とサービスの創造は森林に対する圧力を減少させて、森林の自然な再生が起こる機会を増加させることができる。
この目的を達成すると、現在暮らしのために森林と焼畑耕作にたよっている家族の子供達は、他の職業で必要な技能を開発するトレーニングと教育を必要とするようになる。
最後に、森林減少と人口圧との関係である。明らかに、人口の成長率を低下させる緊急の必要がある。
最近の統計は、人口の成長における漸減を示す。この傾向が続くことを願うものである。

(以 上)