SDFC改造について

 改造作品として完成・公開しているものは88機ある(2008年12月現在)。2000年1月から公開を開始して最終改造作品公開まで6年10ヶ月(82ヶ月間)。
ほぼ1ヶ月に1機の割合で制作、公開をしてきたことに。

 最終
改造作品は2006年10月。現在、改造作品としては、ほぼ更新停止状態となってしまった。この間、何もしていなかったわけではなく、未成作品の数
をみても、それなりに制作をしていたのであります。それにしても中途半端であれもこれも手を付けていたようだ・・・。

 その年に制作・公開した
改造作品の数は、
・2000年:27機
・2001年:14機
・2002年:8機
・2003年:14機
・2004年:16機
・2005年:4機
・2006年:4機
・2007年:0機
・2008年:0機
であります。
改造作品は(リストを見ると)、2004年11月以降で激変している。子供が産まれた時期と一致しているのだ。改造は、多くの時間と根気が必要
だ。更新が乏しくなったのは、そのほとんどを子供への時間、育児に費やしたためだ。

 さらに追い打ちをかけるように、子供が生まれる直前に、新潟県中越地震(2004年10月23日)が発生し、甚大な被害を出した事は記憶にある事だろう。
その時は石川県金沢市での勤務であり、むろん応援要請がかかり、石川県金沢市⇔新潟県長岡市を2〜3か月間往復。片道約230kmもあり、震災対応に
追われた。

 新年2005年から、期間限定の単身赴任で新潟県長岡市へ行き、主体となって震災対応業務を行った。ママ・健ちゃんは茨城のママ方の実家へ。パパは
ビジネスホテル住まいに。無論会社命令なので、宿泊費、滞在雑費は出ますが・・・。また、規定に基づいて単身赴任扱いも了承されたので、月2回まで
茨城⇔新潟の交通費も支給された。

 2005年4月からは、金沢勤務から新潟勤務となり(異動)、住居も引っ越し。2005年5月には、ママ・健ちゃんも新居(新潟)へ来て、ほぼ5カ月ぶりに家族
全員が揃って生活が開始された。
 この間の
改造作品は、アルティメットオペレーションザクとグフ飛行試験型H2のみ。両機とも2004年の夏あたりから作成して半年もかかってしまった作品。
恒例となっていたお正月特選作品として2005年1月に公開できた。

 新潟勤務となっても震災対応は変わらず、1年間毎日のように新潟⇔長岡(片道約70km)を通勤。もうほとんど専用車となってしまった社有車で毎日通勤
していた。ほとんど自分の時間がなくなり、毎月のように月の総労働時間が300時間を超え、工期最終月では420時間という超過酷な労働も経験した。
こんな状況ではとても改造を行う時間など無くなってしまい、更新がほぼ停止の状態となってしまったのだ。また、2006年と2007年の正月は2年連続で緊急
出動体制を敷いたため(自宅待機)、まともな正月は無かった。2006年は
改造作品の制作が出来、正月に公開できたが、2007年は業務の都合で出来なか
った(休みが数日しかなかった)。

 一方、未成作品でなかなか塗装→完成にならないのは、子供が小さいために、有害な臭気が発生する塗料、うすめ液は使えない環境にあるから。。。
2006年で4機の公開があるのは、ママ、健ちゃんだけで実家に帰省した時があったからだ。それでも、塗装待ちの作品も、時間はかかるかもしれないし、
今後出来るかどうかは微妙ですが、いつかは完成させたい。。。最近は、やろうと思えば出来そうな環境になりつつあるのですが・・・。

 2008年4月からは埼玉県へ。会社命令で異動に伴ってまた引っ越し。新潟県中越沖地震も経験したが、震災対応、緊急対応など災害業務の3年間が
概ね終わったから異動。。でもある。それでも4年で3回の引っ越しは辛いです。全然落ち着きません。今後もどうなることやら・・・

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