この日記帳は作者が日々の出来事を気の向くままに書き連ねたものです。
内容は不定期に更新されます。
2001/02/25
吉村昭 著"羆嵐"を読む。大正時代、北海道の開拓民の集落に空腹の羆(ひぐま)が現れ、主婦と少年を喰殺。更に死者を弔う通夜の席に現れ阿鼻叫喚の状態になり、別の人家を襲って5人をの殺襲いかかって喰殺したという実際にあった話である。この事件はひとつのエピソートとして訊いていたが、この小説を読むと実に恐い話である。現代からそんなに遠い昔ではないのに貧しく、熊に脅かされる開拓民の生活は想像することが難しいのに・・・。この事件については札幌のえ***さんの三毛別羆事件跡地のページや北海道苫前町のページに詳細が載っています。
2001/02/21
NHKで出版している"人類、月に立つ"を読み終えた。アポロについてはただ単に月へ行ったとか、映画の"アポロ13号"などを知っている程度だったが、この本を読んでみてその壮大な話に改めて感心した。まだ1960年代や70年代前半の当時は科学技術に明るい未来が感じられていい時代だったのではと感じられる。映画の"アポロ13号"感激が蘇ったのでDVDを注文してしまった。
2001/02/17
浦和のOさんのお宅へ遊びに行って、タイ料理の店"おーらびじょん"へ連れて行ってもらう。閑静な住宅地にあって交通至便とは言えないのに繁盛していた。わざとらしさのない、自然な"タイ家庭料理"という趣でもある。美味しくていろいろな料理をたらふく食べた。また行きたいお店である。
2001/02/12
朝起きると腰が痛い。5年ぶりにまた腰痛が出てしまった。とはいえ、今日1日で旅行の後始末などしなければならない。できることをばたばたとこなす。伸び伸びになってしまったがディーラーへ行ってBEATのブレーキパッドの交換をしてもらう。フロントパッドの残りは2mmくらいで、あと5,000kmくらい走れた模様である。まあいいか。メカニックの説明によれば、あまり走行しないのでローターが錆びたままで走ることが多い、という要因もあって、パッドの減りが早いのでは、ということである。一応納得する。そのあとイエローハットへ行ってバッテリーを交換する。工賃、消費税込みで\5,544。これでBEATは安心して走ることができる。
2001/02/11
今日は札幌発7時のスーパー北斗2号、はつかり14号、やまびこ16号、と3本の列車を乗り継いで、東京まで12時間弱の旅である。Mさんには朝早く駅まで送ってもらった。どうもありがとうございました。さて、札幌での乗り換えに備えて切符をCheckしていたところ、帰路の"留萌から東京都区内"の乗車券が"北見から札幌市内"へ変身していた。なんだこれは?原因は昨日白石駅で途中下車したときに、自動改札口で切符が詰まり、駅員に取り出してもらったときに取り違えたことにあった。間違えてくれた駅員が恨めしいが、きちんと確認しなかった自分のミスでもある。今後は気をつけよう。取り違えに気がついてからスーパー北斗への発車まで10分足らずであったが、窓口で事情を話して駅のえらい人(駅長さん?)から車掌に取り継いでもらった。スーパー北斗2号の車内で"白石駅で乗車券語回収、保管してある"旨説明した"業務連絡書"を作成してくれて、無事に東京まで旅ができた。珍しい経験であった。
2001/02/10
留萌を朝9時40分のJRで出発して、すうっと各駅停車を乗り継いで札幌まで行く。冬季で車からJRに変更する人が多いのと3連休の初日で出かける人が多いという二重の要因のために、留萌から立ち客が出るほどの混雑で地元の人達も驚いていた。列車も1両だけなのでちょっと乗客が多いとすぐに満員になるのだが、それでも混むのはめずらしい。各駅停車の乗り継ぎは道中の景色をのんびりと見ることが出来るので楽しいものだ。大きな駅で優等列車に追い抜かれる度に写真撮影などもするので退屈する暇がない。デジカメの調子が戻って本当に良かった。途中、駅舎が原因不明の火事で焼けてしまった岩見沢で下車してみる。昔の建造物の趣が見事だった旧駅舎は跡形もなく、プレハブの小さな仮駅舎に成り果てていた。また古き良き物が無くなってしまった。駅舎には地元の人達による旧駅舎への想いが綴られていた。ついでに街中も散策するが、この街を初めて訪れた19年前とそれほど変化のないように思った。ここ岩見沢も札幌都市圏に飲み込まれた感が強まり、現在ではあまり想像できないが、当時は駅弁をも売っていたものだ。
札幌駅は雪まつりの観光客で大混雑して、切符を買うのも大変だった。今日は、Mさんの家にやっかいになる。4年ぶりの再会である。2人とも初めて知り合った16年前とあまり変わっていないような感じがする。いまどき珍しく、父母の威厳をもって子供たちを育てている、という感じである。こんなお父さんお母さんならば、日本の未来は希望が持てる、と思う。
2001/02/09
昨日のデジタルカメラの不調は、寒さで電圧が下がってしまったこととカメラ内部で結露をしたか紛雪が侵入したことが原因と思われる。幸いなことに、今日は正常に動作した。ああよかった。今日でスキーも最終日なのでリフトのWさんにさようならを言って帰る。来シーズンはもう来ることはないかなあ。毎年そう思いながら帰路に就くのだが今回は本当にそう思う。
2001/02/08
昨日も今日も寒いので望洋台スキー場のナイターは止めておいて昼間だけのスキーとした。今日は午後1時頃は雪降りであったが、3時からは晴れてきた。気温は低いのでスキーも良く滑った。北海道らしいパウダースノーを存分に味わう事が出来てラッキーであった。因みに昨日7日は、最低気温マイナス8.9度、最高気温マイナス6.8度であった。あまりに寒いせいか、デジタルカメラもフリーズしてしまって、その後不調になってしまった。まだこれから帰路に沢山撮影する積もりなのに、気がかりなことだ。
2001/02/06
今日もなかなか寒い1日であった。午前中は家の裏の雪下ろし&雪片づけ。雪はまだ軽いのでましなんだけど、屋根から落ちた氷の塊には重くて閉口する。今日のスキーは午後5時からのナイターにするが、これも寒くてリフトに乗っている間、足の指先が痛くて痺れてきた。寒さに強いSさんもさすがに寒いと言っている。それで、早めに引き上げた。
2001/02/05
妻が家に帰るので留萌市内のお菓子やさん(ヒワタリ)でお土産を買って留萌バスターミナルへ行く。係員の話によれば、バスは留萌を定時には発車するものの、3時間で札幌に着くところを、5時間程度かかるとの事。それではちょっと困るのでバスはやめてJR留萌駅へ向かうが、次の列車は12時過ぎで遅すぎる。で、Sさんに深川まで送ってもらった。ちょうどいい機会だったので、ドラマ「すずらん」のロケ地である「明日萌」駅へ立ち寄った。列車から見ると明日萌駅の駅名標をちょっと見るだけだったのが、ゆっくり周囲を観察できてよかった。中村旅館も健在だった。
2001/02/04
昨日、北海道留萌支庁留萌市は最高気温マイナス7.4度、最低気温マイナス11.5度、当地の平年気温と比べても冷え込んだ。ここ数年なかった、久しぶりに北海道らしい寒さである。スキー場にいても寒い。夜も朝も寒い。最近では見られなくなっていたブリザードのような吹雪にも遭遇できた。寒いけれど、スキーコンディションとしては最高。妻もこのスキー場のよさが判ったようである。連れてきて良かったと思うが、もう明日には帰るのが残念でもある。
2001/02/03
昨日は寝台列車にもかかわらずぐっすり眠れた。爽快な朝である。ここ数年見る事の出来なかった冬らしい雪の量の車窓を楽しみながら朝食を摂りに食堂車へ。札幌からスーパーホワイトアローに乗り継いで、深川から留萌線に乗って留萌へ。
Sさんのお宅にお邪魔して、夕方から小平望洋台スキー場へ行く。結構寒くて顔や足の指先が痛くなるくらいだったがスキーのコンディションとしてはなかなか良好である。
2001/02/02
今日はカシオペアに乗って北海道へ行く事になっている。朝、大きくて重いスキーバッグを持ってラッシュ前の電車で出勤する。ラッシュ前とは言え、朝の電車に大きなバッグを持って乗り込むのは非常に疲れる事だ。新百合ヶ丘〜新宿〜東京とやっとの事で到達した。東京駅で八重洲側のコインロッカーにバッグを押し込んだ。バッグがロッカーに収納できるかどうか危惧していたが、なんとか入った。
午後3時に職場を休暇にして東京駅のコインロッカーからバッグを苦労して引き出して、上野駅に向かう。いよいよカシオペアに乗車する。今晩の部屋は1階部分のA寝台個室である。1階部分は床の位置がとても低く、部屋の窓の下辺位置が駅のホームの辺りとなる。さすがにカシオペアは新しいだけあってインテリアもモダンで清潔感がある。食堂車もシンプルで美しい。
2001/01/27
昨日の夜からまた雪降りとなった。天気予報では午後から雨なので放っておけば雪も溶けると思っていたが、大雪警報が出されて横浜17cm、箱根85cmの積雪となたった。当然、自宅前も結構な積雪となり、車も雪に埋まり、再び雪かきに勤しんだ。土日休日の降雪はこの冬3回目である。よくも土日にタイミングよく降るものだ。平日だったら出勤が大変なのでまだましかなとも思う。
2001/01/26
CR-Xの車検が終わったのでホンダクリオへ引き取りに行く。自動車税等、自賠責保険、検査手続手数料、交換部品、工賃全部込みで\193,101である。2年前の車検でも\187,403だったからこんなものかな。今回は登録後9年目であり、だいぶ古くなってきたので次回以降は費用がかさむかもしれない。走り出してみてブレーキの遊びが大きくなっていたのでちょっとびっくりした。前後のキャリパーセットも交換したからその影響かも知れないけれど、単なる気のせいかもしれない。効き自体には問題ないようだからこれでも良いか。
2001/01/23
研修で新宿へ行ったので久しぶりにNSビル30階の"PORTO"(もとBOSCO)へ行く。店長が僕を覚えてくれていて「最近(僕を)見かけないけれど、仕事を変えたのですか?」と言う。転職したわけではないけれど、長いこと新宿に居て、浜松町に移ったから転職したのと同じようなものかな。オリーブ油と塩味の"BOSCO"が好みだったけど、店の名前が変わってメニューも"BOSCO"だけ"スピナッチ"に変わっていた。ほかは店のエクステリア、インテリア、メニューも全て以前と同じである。久しぶりに美味しかった。
研修では、その内容はともかくとして、講師がスキーに例えた話をするのに、パラレルターン、シュテムターンなどをパラレル・クリスチャニア、シュテム・クリスチャニアと言うのが耳についた。"ターン"ではなく"クリスチャニア"と言うと何だかいかにも「スキーの知識がありますよ」と主張しているように聞こえるのは僕の考え過ぎなのだろうか・・・・?
2001/01/19
待望のCATVインタネット接続がなされた。公称下り速度は320Kbps(ISDNの5倍)の常時接続である。さっそく繋いでみるが、驚くほど速いという訳ではないが、Mail受信もWeb閲覧もまずまず速い。Web閲覧で空いているSiteに行ったときには、あたかも自分のマシンのキャッシュファイルを見ているように瞬時に表示される。Mail
CheckもWebも全くお金を気にしなくていい。気分がいいものである。もっとも、従来のISDN+Iプラン3000でも定額料金を超過することはほとんど無かったけれど・・・。これでIT先進国の米国家庭の環境と同じになったのだ。
2001/01/16
引越しをする前に住んでいたアパートで外猫を飼っていたのだが、新居に来てから逢えなくなっていた。ここ2,3日は最低気温が氷点下と冷え込みが厳しくひょっとしたら死んでしまったかと心配していた。今日行ってみると聞き慣れた「ふにゃにゃにゃにゃ、ふにゃにゃにゃにゃ・・・・」という可愛い声がする。ばかにゃん(猫の名前)はちゃんと生きていた。嬉しくなって頬ずりをしてえさをあげた。
2001/01/14
BEATの6ヶ月点検を行った。総走行距離が19,390kmにもかかわらず、なんとフロントブレーキパッドの残りが僅かだと言われた。MT車(マニュアルトランスミッション)で2万kmでパッドが無くなるとは驚きである。修理費見込み額\15,000。こりゃ痛い。また安全運転のためホームセンターで久しぶりにレーダー探知機を買った。ステルス、新Hシステム、X,Yツインバンド、後方取締り対応というスペックで一応新しい機能は満たしているが、最新の機器が\20,000円以上するのに対して、在庫処分価格\6,800なのはどうしてだろう。新旧機器間の機能差が気にはなる。昔だったら高価でも迷わないで最新機器を買ったものだが、今ではコストパフォーマンスも重視しなければならない。まあ安全運転に努めることにしよう。
2001/01/13
大変恥ずかしいことであるが、今の今ごろになって年賀状を書いている。やっと調子が乗ってきて何とかもらったうちの3分の2くらいの返事を発送した。受け取るほうは間抜けな人と思うかもしれないが返事を出さないよりはまし。もうひとがんばりして残りも書いてしまおう。
数日前に購入した電波時計をリビングルームに取り付ける。総務省(旧郵政省)の標準時刻電波を受信して正確な時刻を表示する。電池を入れて、窓を開けたりバルコニーに持ち出してみたりと電波受信に少々苦労したが、一応電波受信に成功すると針がくるくるくるくるっと回って12時50分になった。念のために電話で電報を聴いてみたけれどちゃんと秒まで合っている。これ以降は1日1回午前2時に自動受信して時刻を合わせることになる。
午後買い物から帰ってみると車庫部分の段差に噛ますブロックが納品されていた。これで気楽に車庫いれ出来るので気分がよい。
2001/01/12
2月3日から10日まで北海道に行く予定である。帰りの切符を北斗星にするか飛行機にするかと考えていたが、札幌から東京までJRで昼間に乗り通すことにした。行程は
1.札幌7:00−−五稜郭(函館の手前)10:07
スーパー北斗2号
2.五稜郭10:09−−青森経由−−盛岡14:14
はつかり14号
3.盛岡14:22−−東京16:52 やまびこ16号
となる。札幌から東京まで12時間を僅かに切っている。案外速いものだ。(昔は在来線で上野から青森まで8時間30分を要していた。)車窓の景色をずっと見られるし駅弁は何を食べようかと考えると、とても楽しい気分になる。
この3枚の指定券を確保した後で妻から2月2日のカシオペアに空室があり、切符を確保したと連絡があった。カシオペアの切符は1月2日発売直後でも売り切れになっていて、もう少し後にならないとキャンセルも出ないだろうと考えていた。最もベーシックな(それでもA寝台個室であるが)部屋であるがラッキーである。1室だけ空いていたということだ。これもまた楽しみが増えた。
2001/01/08
昨日の夜から雪降りとなり、朝起きたら真っ白な雪景色になっていた。景色はきれいでいいけれども雪かきをしなければならない。スコップで雪を投げていると向かいのKさんが「ママさんダンブ」を貸してくれると言うのでお言葉に甘えて使わせていただいた。雪かきをすると普段顔を会わせることの少ない近所の人とも話をしたりして恰好の社交場となる。27年前からここに住んでいるのだがみんな歳をとったなと思う。小学生だった自分も30台半ばを過ぎているのだからあたり前である。当時ニューファミリーの若い街も今ではシルバータウン、ちょっと切ない感じがする。
2001/01/07
新宿へ買い物へ行く。「人類、月に立つ」上下巻、収納goods,CATVターミナルとFMミニコンポの接続ケーブル、リビングの時計など購入。妻はそれ以外にもいろいろ買ったのでたいそうな量になった。道路も駐車場も店もいつもと違って空いていて、とても快適な買い物だった。ヨドバシカメラの前で職場のMさんに会ったが、何かパソコンgoodsを買ったのだろうか?お互い考えることは大して変わらないな。帰宅してCATVホームターミナルとFMミニコンポを接続すると、格段に音が良くなり、受信局も増えた。CATV契約のおまけの機能であるが、嬉しいものである。
2001/01/03
昨日の午後から何故かMailの送受信が出来なくなった。設定がおかしくなったのかと思って、あれこれといじくり回し、メーラーも替えて、アクセスポイントも別のものにしてみたりしたけれども、駄目だった。それが、今日の正午に突然直った。正確に言えば「直った」のではなくて、プロバイダのサーバーの方がおかしくなっていたのだ。いろいろやってみて損をした。年末年始の休みのためにサポート電話もつながらないし。
今日は妻の実家方で新年の集まりがある。夕方から開始だと思っていたが、僕の勘違いで実は午後1時開始であった。1時30分ころ、妻の兄のO君から電話があって、電話に出てみるとびっくりしている。自分で電話をかけてきてびっくりするなんて変な人だと思ったが、かけてきたO君にしてみれば、僕がもうとっくに集合場所へ向かっていて、留守番電話の応答になるだろうと予想したのに、本人が電話に出てきたので驚いたのだ。勝手に時間を間違えた僕が悪かった。すみません。
2001/01/01
21世紀が明けた。元旦の新聞は厚くて読み応えがあるので駅に行って日経新聞を買った。21世紀の展望やこれから10年間世の中はこう動く、といった記事が多くを占めているが、当たることもあるとしても未来は予想できないことが多いものだ。その都度対処しなければならない。
今や商店の元旦営業もめずらしいものではなく、新年の重みや習しも年々薄くなっているが、元旦はまだ人や車の往来が少なく、それなりに正月らしい感じがする。
午後1時過ぎに帰宅すると年賀状が配達されていた。年末の引越しでごたごたして、年賀はがきは買ってあるのに全く印刷さえしていない。紙の賀状のみならずMailもまだである。ちょっと申し訳ないので夜になってからばたばた謹賀新年Mailを打った。
2000/12/30
昨日のFTPサーバーへのアクセスが出来ない問題はダイアルアップルータの設定項目の1つをデフォルトから変更したところ、解決した。1時間も相談に格闘してくれたGatewayサポートの方、どうもありがとうございました。このNECのダイアルアップルータは、自分で設定を変更したはずがないのに、ときどき勝手に設定が消えてしまうことがある厄介なものである。やれやれ。
"13days"を観に行く。ソ連のミサイル配置によるキューバを巡って米国側の対応を描いたもので見応えがあった。
夜に数日前に住んでいたアパートへ行って、飼っていた外猫を連れて帰ろうと試みたが、段ボール箱から飛び出して逃げられてしまった。残念だけどこちらへ連れてくるのは無理なようだ。
2000/12/29
家の中の整理もついて、ダンボールでころがっていたほとんどのものが棚に収まり、きれいになった。もっとも、まだ何がどこに入っているのか判らないけれども。そろそろ人を招待しても大丈夫である。
1週間くらい前から自分のFTPサーバーへのアクセスが出来ない状態となっていた。このSiteの更新も当然出来ない。午前11時ころからGatewayの電話サポートに相談して、1時間ほど設定をあれこれ作ったり、FTP
UPLOADソフトの別の種類を試してみたり格闘するが問題解決しない。サポートからは、後日問題がわかった時点でMailにより連絡するということになった。
2000/12/25
23日の土曜日にアパートから新居に引越しした。土日、今日と3日間整理して大分荷物が片付いた。もっとも行方不明になっているものもあるけれども。きょう、リビングに置くやまとなでしこのテーブルが配達され、小田急ケーブルテレビがやってきて、ブースタを取り付けていった。CNNテレビも見られるようになった。快適である。
2000/12/16
新居引渡しが行われた。きれいで広くて満足(当然なのだが)。まだよその家か、モデルルームにきたような気がして自分の家という実感が持てない。
2000/12/14
所用で神奈川県の逗子へ行く。駅前は鎌倉や江ノ島と同じ湘南の雰囲気があって、しかも商店街は小さな個人商店が建ち並ぶ昭和30年代のよき時代の雰囲気と活気を漂わせていい感じである。帰りに古い建物の焼肉屋さんに寄る。85と78のおばあちゃん2人で切り回しているお店であった。肉とキムチが美味しい。課長はおばあちゃんと意気投合してご機嫌だったけれど、僕から見ると大人である50代前半もおばあちゃんから見ればはな垂れ小僧なのだろうと思われた。隣の席のアベックを無理やり意気投合させ、お銚子を1人5本以上空にしてご機嫌に帰る。それはいいんだけれど帰りの横須賀線では声が大きくて周囲から乗客が1人、2人と居なくなっていった。
2000/12/12
都営地下鉄大江戸線(都心環状部分)が開業した。ちょうど通勤経路に一致するので大門(浜松町)から新宿まで帰りに乗車してみる。麻布、六本木、青山1丁目を経由するなかなかおしゃれな経路であるが、カーブが多いらしくてスピードが出ず、新宿まで20分弱かかったようである。新宿駅は以前から知っているのだが、南口の京王新線&都営新宿線の新宿駅に接続して都庁第2庁舎へ行くには便利だが、小田急やJRへの乗り換えは階段が多くて想像よりも時間がかかる。通勤時間全体を通してみるとあまり時間短縮にならない。乗客の乗り具合はまずまずで、経営収支は厳しいと思われるが、この路線の存在価値は十分あると思った。
2000/12/10
最近CR-XもBEATもまともに走らせていないので、久しぶりにCR-Xで津久井湖周回コースを攻めに行く。幸い路面凍結など無かったのでまあまあ楽しめた。タイヤを取り替えた効果は確かに感じられて、経済性重視の"デジタイヤエコ"ではあるものの、以前のブリジストンのベーシックタイヤ(ユーロード)のようにあっけなくスキール音を発することは無い。
10時からは新築中の家の器具説明を受ける。ほぼ完成状態となり、苦労は少々あったものの、嬉しいものである。CATV回線によるインターネット接続も楽しみである。
2000/12/06
今日未明、インターネット接続ができなくなった。プリンタをガチャガチャ作動させながらファイル送信しようとしたら、3箇所のアクセスポイントのどこにも接続ができなくなった。その時にはとりあえずあきらめて、朝6時に起床して接続を試みたがやはりだめであった。さてはルータが壊れたかもしれないと思って症状をNECに話したが、症状から見て故障ではない可能性が高いということなので、帰宅してから、再度接続を試みた。接続は成功した。ああよかった、壊れていなくて。
2000/12/05
北海道のSさんから年賀状はがき150枚が届いた。早速、2日前にMail等で打ち合わせをしてきめたデザインで印刷を開始した。IT技術を駆使してクライアントから注文を受けて、仕事を行っているSOHOの様な気分である。実は、別に大したことはやっていないのだけど。この日記帳等もはがきの印刷をしながら、同時進行で作業をしている。