この日記帳は作者が日々の出来事を気の向くままに書き連ねたものです。
内容は不定期に更新されます。


2002/02/25
朝起床するとまだ熱は残っていたが体調は最悪期を脱していると判断して出勤することにした。とは言え、昨日の朝食以来、何も食べていないのでまるで力が入らず、今日の朝食も味噌汁だけで、駅まで小走りになってしまったので、電車の中では立っているだけでも辛かった。朝方は気分が悪かったものの、予想通り午後には回復した。そこで勤務終了後、日本橋の丸善へ行き、幸田真音さんのサイン会へいく。例によって写真を撮ってもらったのだが、フラッシュ禁止モードになっていたので、後で見てみるとぶれていた。

2002/02/24
午前中は下の階の父母に翔を預けて買い物に行く。いつも行っている港北東急ショッピングセンターである。久しぶりに買い物をした妻の感想は、「売り場が広くて購入商品を揃えるのが大変。」最近2カ月以上いつも私が一人で買い物をしていたので、少し大変さが判ったようで収穫だった。翔は昨日同様、初めて下の階で寝るのが目新しく、楽しかったようで、我々の部屋にいるよりも熟睡していた。
朝から体調不良で、帰宅した午後には一段と具合が悪く、昼食も食べずに寝た。午後5時に体温を計ると38.5度であった。昼の方が具合が悪かったので、38.7度くらいは出ていたようだ。今日は昼食も夕食も食べず、ただペットボトルのお茶だけを飲んでひたすら寝る。

2002/02/23
妻が翔の具合が心配だと言うので、初めて小児科医へ検診を受けに行く。症状は、悪い夢でも見るかのように始終うんうんと唸る事と、同時に首をぶんぶんと振ることである。医者が言うにはまだ小さいので鼻の穴も小さく、空気の通りが悪いからという診断で、もう少し成長すれば解消されるだろう、という見込である。(首を振るのも同じ理由)その他にも、運動機能等ひととおり観察して、極めて正常な状態で成長している、と診断してくれた。私もそうであろうとあまり心配はしていなかったのだが、お医者さんに大丈夫だとお墨付きを貰えたことで、母親は安心できた。心配過多の親にも面倒がらずに付き合ってくれて、丁寧に診断してくれたお医者さんに感謝する。
翔は生まれて初めて家を出て、外の世界に触れたわけだが、医院ではきょとんとして泣きわめくなどの事はなかった。いつもと違う環境が面白かったようだ。

2002/02/19
以前に読んで面白かった「日本国債」の著者幸田真音さんの新著「凛冽の宙」を買いに日本橋の丸善へ行く。なぜわざわざ丸善に行くのかと言えば、幸田真音さんサイン会の整理券が貰えるからである。我ながらミーハーである。しかし、積んだままで未読の本も沢山あるし、こういう事でもないと\1,800+消費税の新書本を買う気がしない、という思いもあるのである。

2002/02/14
帰宅途中にパン屋さんのKernに立ち寄った。冨川さん曰く「赤ちゃん元気かい。早く帰って奥さんの手伝いをしないといけないよ。」
丹野:「ちゃんとやっていますよ。そういう冨川さんはどうだったんですか?」
冨川:「私は(子供が小さい頃)毎週釣りに出かけていて、(子育ては)奥さんに任せきりだった。」
丹野:「それでは他人に説教できないじゃないですか。」
冨川:「私は奥さんに任せきりだったので、今でも子供に、「子育ては自分が全部やった。お父さんは何もしなかった。」と言われていて困っている。そういうふうにならないようにアドバイスしてあげているんだよ。」
丹野:「それはご親切に忠告ありがとうございます。変なアドバイスの仕方もあるんですねえ。」
実際には、もっと多くの言葉での会話だったのだが、大体こんな要旨であった。パンを買って、ついでにありがたい言葉もお土産になった。

2002/02/10
CR-Xの積算距離計が70,000kmを超えた。この車は平成5年5月22日に走行距離24,454kmの中古車を購入したものであり、9年間で平均すると1年間あたりの走行距離は5,060kmである。とても気に入っている車であるが、ほとんど乗っていない。(もったいないものだ)

2002/02/07
都庁TAIMS講習会のサブ講師として都庁舎に行った。IBMの講師が教室の前で説明し、補助講師は後ろから講習生の様子を見て、操作に手間取ったり、質問の挙手があった時に操作支援を行うものである。講習生を見ていると、動作が止まったり、とんでもないところへ画面遷移させている人は大体決まっているので、専らその人たちのための支援要員となる。ロータスノーツというグループウエアの操作手順は一般にはあまり馴染みが無く、パソコンに慣れた人でも少し習熟期間が必要である。それに加えて、あまりパソコンに慣れていない人は一般的なパソコンの操作でつまづくので、二重に苦労している。あの状態だと講習内容はあまり頭に入らないかもしれないが、それでも、少しずつ慣れていくしかないのである。
夕方帰宅するとくしゃみが連続して発生した。とうとう花粉飛散の時期が到来したようだ。

2002/02/05
霞ヶ関ビル30階のNTTデータへ行き、電子自治体ショールームのデモンストレーションを見学する。IT化社会が浸透しつつあり、何れかはパソコンとWeb経由で自宅に居ながら電子申請が出来るようになると思われる。しかし、その実現には本人認証方法の確立、高度なセキュリティ・システム、人々が電子自治体の仕組みを受け入れること、自治体側の制度改革が必要である。私が情報システムの世界に入った10年前はメインフレームか、クライアントサーバーシステムか、と言っていたのだが、現在ではそれに加えてWebベースのシステムが台頭してきた。
私の習慣ではクライアントサーバーシステムを「CSS」と略称していたが、NTTデータの社員は、「クラサバ、クラサバ」と発言していた。軽いニュアンスがあって、ちょっと違和感がある。

2002/01/25
東京国際フォーラムで開催された「21世紀の先端経営シンポジウム」を見に行く。自分の仕事とはあまり関連の無いジャンルではあるが(本当は関連が無縁である訳はないのだが)、有名なCarlos Ghosn(カルロス・ゴーン)さんが出演するので、それを見たかったのである。ゴーンさんは遠くから見ても力に満ち溢れ、背筋がしゃきっと伸びて鋭い視線がオーラを放っていた。
東京国際フォーラムの建物内部をじっくり見たのは初めてで、その豪華さ、スケールの大きさにも圧倒された。

2002/01/14
妻方の兄夫妻が訪ねて来てくれた。可愛らしい洋服と四角いいちごケーキをいただく。四角いケーキはちょっと驚いたがとてもおいしかった。ありがとうございました。
息子は、出産直後よりも表情が豊かになってきた。あやしたり、世話をする我々への認識も持ち始めてきたのだろうか?

2002/01/13
1Fにいる父母にお願いして息子の命名式を行う。「翔」。5日の出産以来、仮称であったが今後は正式名となる。

2002/01/12
私の兄弟方から3名合同でお祝が贈られてきた。メリーゴーランドと抱っこ紐である。赤ちゃんにはありがたみは解らないが、母親にとっては殊の他の喜びのようである。子供よりも大人のための贈り物か?それはさておき、どうもありがとうございました。

2002/01/10
吉祥寺に献血に行く。献血の褒美としてマクドナルド、ミスタードーナツの引換え券、折り紙教室などいろいろなオプションが用意されている。私はモノは要らないので、毎月第2、第4木曜日にやってもらえる「赤坂の母」の手相占いを受けることとした。(もう恋愛占い等には興味はないけれど)占いによれば、3年前にスランプがあって、平成14年に転機があり、これから運気上昇とのこと。現在、コンピュータ関係の仕事に就いているだろうと話は外れだが、これから就けるとするなら幸運である。始めは運勢の話だったのだが、私も適当に質問しているなどするうちに、戦前戦後の昔話、戦争観、教育論など話が広がって1時間30分位経過してしまった。占い師さんと意気投合してどうするの?と自分自身に思う。その間に隣りのブースでは3人以上の占いが成されていた。私1人でこんなに時間を使って良いのかなあ?献血のおまけなのに、大いに気分を良くして10倍も得をした。良い気分で家に帰った。

2002/01/05
病院から未明の3時30分に家に帰ると、昔の職場の知人から留守電が入っていた。何だろうと思ったが時間が時間なので一眠りした朝10時に電話をすると、昔お世話になったH.I.さんが亡くなったと言うことである。まだ若いのに・・・と思う。

2002/01/04
早朝4時に妻が陣痛だと言うので起きた。昨日も同じ時間に起きて同じ事を言い、病院へ行ったのだが、まだ前駆症状で本番の陣痛ではないと診断されて、家に帰ってきた。ところが、今日は昨日と違って症状が重いようだ。私もこれは本物であると判断して出勤前に車で病院に送り届けてから出勤した。
本来なら仕事を休みにして付き添うべきであるが、処理案件が残っていたので一旦出勤して、午後から休暇にして病院へ向かった。さて、陣痛も本番となり、いつかいつかと待つうちに夜7時を過ぎ、10時もまわって日付が5日になった。陣痛室から分娩室に移動して、5日1時15分に出産した。

2002/01/02
新年早々、と言うか、2001年が終わって切りがいいので一旦区切りをしてバックアップ作業をした。これが案外大変で、対象のひとかたまりのフォルダが600MB未満であるのに、MOだと640MBメディアで2枚になってしまうし、CDRだと650MBに1枚で収まるのだけど、BHAの書き込みソフトのCheckで,カンマとか!ビックリマークの文字は使えないと言って、はじかれてしまう。Windowsでは,や!のファイル名は平気で通ってしまうので、いつも使わないように注意はしているが、気がつかないうちにCheckではじかれるファイル名が沢山出来てしまっている。これらのファイルが深い階層に散在しているから直すのが大変で疲れてしまう。(BHAのサポートによれば、このCheckはWindowsの仕様書に忠実に作られていると言う。Microsoftが勝手にWindowsの仕様書を破っているのがいけない・・・と主張したい様だ。)いちいちCheckエラーにしないでワーニングに留めて欲しいものだ。そうこうしているうちに2台のHDD間でミラーリングしているフォルダの中をやり取りしているうちに、うっかり12月31日の古いファイルを1月2日のファイルに上書きしたので、1月1日のMailログがなくなってしまった。上書きした からゴミ箱を見ても、復帰したいファイルは全然跡形もなし。嫌になる。まあ1日だけのログだから仕方ないか。気分は悪いけど後になればどうでもよくなるから。
また、ここ1週間くらいマシンの動作音がおかしい。電気系統が劣化してきた様な感じで、起動、終了動作に時間がかかり、HDDやその他機器の動作ががちゃがちゃ言ってうるさい。HDDがクラッシュする前兆現象かもしれない。バックアップを頻繁にしなければと思う。また、スキャンディスクやでフラグを行なうことにする。これらに時間がかかり、20GBと10GBの2台のHDDで2時間かかってしまう。

2001/12/31
大晦日であるので紅白歌合戦をちょっとだけ見る。紅白歌合戦はここ20年以上、きちんと見たことは無い。18歳から大晦日には友達と夜明かしドライブをして初日の出を見に行ったり、スキー場に居たり、北海道のユースホステルに居たりした。妻は「今年の紅白歌合戦はあまり面白くなかった。」と言った。それに対して私は、「つまらないのは今年に限ってなのかい?もう紅白歌合戦はずっと前から面白いものではないのでは・・・。」と返した。私が考えるに、紅白歌合戦は昭和50年代で、その使命を終えたのだ。紅白歌合戦を楽しむには、年末からの大掃除、大晦日の年越しの準備、前座であるレコード大賞、年越蕎麦、おせち料理、みかん、おもちといったお正月を迎える儀式と舞台装置が必要である。とどめに、きちんとした家族の団欒。そうしたものが、ことごとく分解してしまった現在において、紅白歌合戦を見ると何か違和感を感じてしまうのである。この意見に妻も同意した。

2001/12/20
職場近くの本屋さんであこがれの大前研一さんのサイン会があった。大前さんには、間の抜けたことを言うと怒られそうなイメージもあるが、「写真を撮らせていただけませんか」と尋ねると、以外にも了解してもらえた。凡人にはこんな単純なことが嬉しいものだ。勇気をもって訊いてみて良かった!さすがに単なる芸能人、有名人とは異なり、サインを貰いに来る人たちにも落ち着きがあって、むやみに早い時間から行列ができて、無為な待ち時間を過ごすという現象もなかった。

2001/12/18
"大前研一サイン会整理券配布"につられて"やりたいことは全部やれ!"を買ってしまった。("やりたいことは全部やれ"と言われても、誰もがやりたいことをやって、上手くいく訳ではないと思うが・・・。)大前研一さんの著書はいくつか読んでいるので、書いている内容はなんとなく想像できるので、今すぐ買わなくてもよいのだが・・・。2001年12月3日第1刷であった。サイン会に釣られて買ったのだからサイン会開催の効果があったと言える。釣られるほうも、釣られるほうだと自分自身に呆れてしまう。

2001/12/17
休暇が残っているので消化することにして、朝からBEATで出かけた。いつもの津久井湖、奥相模湖のお手軽ワインディングロードへ走らせた。もう朝晩は冷え込みが強く、路面は白く霜が降りたままになっている。タイヤのゴムが古いせいもあってつるつると良く滑る。最初は奥相模湖から山中湖へ抜けてぐるっと走ろうと考えていたのだが、滑ることにより闘志を失って早めに帰る。
午後は時間が余ったので、出産前なのに気が早いことに保育園を4箇所見学した。。川崎市営2箇所、私立2箇所。私立には特徴がある場合もあったが、大切な事なのは園が家に近いことと思われた。早めにコンタクトをとって入園申し込みをしたほうが良いこともがわかった。ともあれ、どこの園にも入れない、ということはなさそうなので一安心た。

2001/12/14
職場で恒例のゴミ不法投棄防止のための徹夜パトロールを行なった。最低気温4度くらいの晩に車に乗ったまま一夜をひたすら監視する。T氏と私のペアは、温暖化防止のため、ずっとエンジンを止めたまま過ごした。眠気に負けそうになると体温も下がって辛くなる。常に何かしゃべっていると体温低下の度合いも少なくて済み、楽であった。ちょうど流星群の見られる夜だったが、私は確認できなくて残念であった。(寒さにめげて車内からあまり外に出なかったため。)その代わり、翌朝の朝焼けはきれいだった。

2001/12/13
ウイルス対策ソフトの新版を買ったのだが、インストールの途中でエラーになってインストールできないでいた。10日間程試行錯誤していたが、やっとインストールに成功した。原因はWindowsのユーザー権限をカスタマイズしていたためだった。権限のカスタマイズにはそれなりの理由があるのだが、こんなことでインストールができないとは思わなかった。(ウイルス対策ソフト以外では問題とならず。)

2001/11/28
職場の研修で、土浦市近郊の里山の保存活動をしている"宍塚の自然と歴史の会"会長 及川ひろみ氏の講演を聴きに行った。"里山"とは、昭和40年代以前には、日本のどこにでも普通に存在した田畑等の耕作地と雑木林、原っぱの混在した土地である。現在の50歳代以上の人ならば子供時代に誰でも遊んだ経験のある原風景のようなものである。この"里山"は今では都市化、開発の波を受けて、全国でも急速に失われている。ここ土浦市近郊の里山も都市計画の開発対象地に指定されたために開発を免れているという逆説的効果によって残っている。この"里山"は、原始の自然ではなく、かと言って全くの人工環境でもない自然と人間の活動が調和したところに存在できる。昭和40年代以前の社会経済状況が成立させたものであると、私は思う。現在では背景となる社会状況が変わり、"里山"を駆逐するものは単なる開発のみならず、過疎化、人口高齢化とそれに伴う田畑の耕作放棄など多面にわたっている。その不利を克服して"里山"を保存することは及川氏の言うように大変難しい。
研修の趣旨は非営利団体たるNPO法人と行政とのより良い関係を模索するものである。行政側の職員にとっては、NPO法人の組織運営手法、土地地権者との契約、権利関係、自治体との関係、許認可取得等が気になって、その点についての質問が多かった。このことは、重要な観点であり軽視して構わないわけではないが、"里山"保存のために地道に活動している及川氏の理念とはちょっと噛み合わない些末な問題ばかりを気に掛ける役人思考の現われのようで、ちょっと恥ずかしい。

2001/11/27
JR東日本の新型ICカード定期券"Suica"を購入。定期券を改札ラッチの読み取りゲートに挿入しなくても非接触で通過できる。また現金プリペイドチャージにより、乗り越し精算等の多機能をもったICカードである。私は小田急線とJR東日本にまたがった定期券を持っているため、JR東日本でのみ使えるSuicaにすると小田急線と定期券が2枚になってしまってデメリットになるのだが、新しい機能を使ってみたくて購入した。実際のカードは"ヨドバシポイントカード"に似た0.7mm程度の厚さである。早速、カードへの現金チャージを試みたが、既存のオレンジカードやイオカードからのチャージはできない仕様であった。

2001/11/26
サポート電話問い合わせにより、家計簿ソフトの旧versionから新versionへのDataコンバートはWindows98上で行う事がわかった。家に帰って早速実行。

2001/11/24
家計簿ソフトの新versionをインストールする。今まで、Windows95の時代からWindows98になってもそのままで3年間継続使用してきた。WindowsXPも発売されたし、Windows98を今なお使用しているのは、家計簿ソフトのみになったので、そろそろ潮時と考えて、Windows2000対応版への更新を行った。インストール自体は問題なかったが今までのDataを新ソフトにコンバートする事ができない。数回トライしたが、エラーになるので今日はここで作業中断とした。
BEATの1年間休車のことについて、さざびぃさんから返事がきた。彼のMail及び職場のBEATオーナーTさんの話によれば、いくつかポイントを押さえて保管すれば大丈夫なようだ。(そもそも劣悪な中古車業者では、売り物のブツが1年くらい露天で放置されているのは珍しくないということである。)BEATは売却してしまうと、コンディションの良い個体を探すのは難しいと思われる。売却するよりも休車するのは、ましだと考える。

2001/11/23
自宅の寝室ドアの枠が剥がれて脱落した。剥がれ落ちたところには、接着剤とネジの頭が見える。また接着すれば別段問題はない。外観は立派な造形だが、安直な構造である。別に家に限った事でないが、職人芸はどんどん駆逐され、マスプロダクションに置き換えられている事実を、ここにも確認する。

2001/11/22
2日前に実行ファイルが添付された怪しいMailが4通きたのだが、友人からあれは「ALIZ(アリザ)」という新種のウイルスだという謝りのMailをもらった。人のアドレス帳を勝手に開き、中身の無いメールを送信するというものであるという。ウイルス付きMailを貰ったのは2回目であるが、今回も即刻削除したので被害はない。ただ、こういうMailを貰って思う事は、Mailの常識として、「不審なMailは中身を見ないで削除する」という行動をとるのは意外と難しいんじゃないかと言う事。好奇心に打ち克つことは、難しい。

2001/11/21
間もなく我が家の家族が増えるので、家計の構造改革を進めなければいけない。(支出の削減)そこで、2002年1月に車検切れとなるBEATについて今回は車検取得しないこととし、1年間休車することを検討している。1年間ナンバー無しで動かさない事による車のコンディション維持に懸念がある。そこで、福岡のBEAT CRX友達のさざびぃさんと車を購入したHONDAの販売店にMail問い合わせをしてみる。

2001/11/18
向かいに住んでいるSさんに粗大ゴミとして回収してもらう予定だったローテーブルとプラスチックの衣装ケースを譲ってもらった。ローテーブルは我が家のものよりずっと上等のものである。衣装ケースも意外と高価なものなので、とても助かる。それ以外にもSさんにはいろいろとお世話してもらったな、と感謝する。

2001/11/17
知人に作業依頼されていた年賀状の作成が終わった。サービス版の写真をフラットヘッドスキャナで読み込んで、適当に住所等の文字を貼り込むんだもの。昨日から作業して150枚を2日間で印刷した。年賀状作成は、もう何年もやっているにもかかわらずプリンタの印刷設定でつまづいたりした。どうしてうまくいかないのか理由は判らないが、トラブル現象の解決はできたので、まあいいか、と思う。問題は、他人に頼まれた事は直ぐにできるのに、自分の年賀状はなかなかできない事。去年もそうだった。

2001/11/15
11日に購入した"McAfee.comインターネットセキュリティPro."は販売会社からのMailによりAdministrator権限でないと使用できない事がはっきりとした。これでは困るというのは前述したとおりだが、「製品仕様でユーザーの希望の動作をしない」という理由で返品してくれる事になった。

2001/11/11
一週間前に修理に出しておいたアイロンが仕上がったという事なので、受け取りに行く。電源コードの修理で\2,000+消費税で済んだ。格安であった。新しいものを買わなくてよかったと思う。
新しいウイルス防御、ファイヤーウォール、Webフィルタリングの3本セットのソフトを購入及びインストールする。製造元のSiteにアクセスしてダウンロード、カードの番号を打ちこんで完了する。実に便利なものだ。余計なパッケージの箱やCDなど嵩張るものが無く、すっきりしているのも良い。しかし、残念な事もあった。このアプリケーションは、WindowsNT系列のOSにおいては、Adoministrator権限アカウントでないと有効にならない仕様のようだ。これでは、私の場合には使えない。(AdoministratorはOSの機能設定時にのみ使用しているので。)困ったものだ。

2001/11/04
夜8時ごろ、家の外で「ボコッ」というオートバイが転倒したような音がした。一応確認のために外に出てみると、信号機付きの変則直角交差点でSUV同士が衝突し、一方のフロントと、相手方の左側面が小破していた。右折直進事故と思われたが、事故の瞬間を見ていた訳ではないので本当の状態は判らない。双方とも破損状態は極く軽微で、車は修理可能とも思われる位に見えたが、当事者はそんな安寧な感じにも見えなかった。(当然か)それにしても、事故なのにタイヤのスキール音が聞こえなかったのはどうしてなのか?と疑問なのと、近所の人たちが大勢見に来ていたのはちょっと驚きだった。

2001/11/02
今月から実施される職場のLANシステム(Tokyo Advanced Information Management System)操作説明会補助講師養成研修に行く。私は出先事務所に勤務しているために、このシステムはあまり利用する頻度は無いのだが、研修を受講してみて、それ程難しい事はないなと感じた。もっとも、システムは単なる仕事の道具であるので、その操作を覚えるのは「手段」であって「目的」ではない。ともあれ、この程度の難度であるならば、補助講師として何ら問題はないと安心した。
先月と同様に社会的不適合車協同組合都筑会に出席する。そろそろ夜のオープン走行は寒さが感じられるようになってきた。着衣を増やさなければと思う。今日は先月とは違って、都筑I.C.から道を間違えずに家まで帰った。真っ直ぐ帰れば近いものである。

2001/10/14
昨日と今日の2日間で家のフローリングにワックス掛けを行う。自分の部屋にはパソコンがあるので、全部配線を取り外して掃除機をかけた上でワックスを掛ける。パソコン配線はごちゃごちゃ込みいっていて、一旦外すと再結線には苦労する。ISDNルーターとDATA&FAXモデムの結線など殊に判り難いものである。しかし、全部ワックス掛けが終わり、歩いてみるとワックスがかかっている感触が足に感じられて心地よい。ついでに、読み終えた本などダンボール箱に詰めて、留萌のSさんに送ることにする。これで、相当部屋がすっきりとした。

2001/10/10
小説「日本国債」の著者 幸田真音さんの講演があったので大手町の日経ホールに行く。さすが人気作家だけのことはあり、招待者限定であるのに開場前から行列ができた。聴講者はきちんとした身なりのビジネスマンからリタイアしたご夫婦まで多様である。幸田真音さんは所謂バリバリのキャリアウーマンだと思うが、物腰にはぎすぎすしたところが無かった。言うまでもなく芯は強いはずであるが。(私が言うのはおこがましい。)

2001/10/05
先月は欠席してしまった社会的不適合車協同組合都筑会に出席する。今日は2月前と比べて出席車(者)が格段に多い。2月前に会ってBEATのファンなので是非連絡先を教えて欲しいという人と、何か知的な雰囲気を漂わせたスマートのオーナーと知り合いになれた。またミニクラブマンエステートのみやっちもやってきた。今月も欠席したら会えなかった訳だから、眠気をおして出撃してよかったよかった。都筑I.C.からの帰路は簡単な道順なのだが、曲がる方向を1回間違えてどこを走っているのか判らなくなった。夜中に走ると、1.太陽がないので方角が判らない、2.バス停の地名もよく見えない、3.よって勘もはたらかない、と云う訳で昼間なら間違えてもリカバリーできるのに、大幅に道を間違えた。綱島駅まで行ってしまい、日吉の付近まで行ってようやく道が判り、家に帰ることができた。

2001/09/28
ホテルを出てまず日勝峠へ向かう。ニッポンレンタカーで借りたTOYOTA VITZはオートマチックトランスミッションで、上り坂でエンジンを有効に使おうと思っても勝手にシフトアップしたり、シフトダウンがままならず、ドライブのリズムに乗れない。助手席の妻にも判るようで「いつものような快音がない。」と言っている。オートマチックトランスミッションは嫌いなのだが、エンジンパワーに乏しい小排気量車になると、なお一層そう思う。
日勝峠を降りて帯広方面へ向かい、グリュック王国 http://www.gluck-oukoku.co.jp/へ。中世ドイツの街並みを模したテーマパークであるが、広大な大自然のある北海道に立地する必然を感じない人工構築物である。ここもシーズンオフの平日であるためか、敷地内はがらがらで中の売り場も休みが多い。展示品にはドイツの環境問題への取り組み、東西ドイツの成立から東ドイツ消滅とベルリンの壁、またトラバントも置かれていて社会性を持つものも多いが、その社会性がテーマパークに合っているとは思わない。志を否定するわけではないが、テーマパークには不釣合いで、ちぐはぐな感じである。
グリュック王国を後にして国道236号線を南下して大樹町晩成のセキレイ館 http://www3.ocn.ne.jp/~sekirei/へ向かう。ここも3年前に泊まった所である。今回も行く積りであったのだが、私が旅行日数を数え間違えて残念なことに行けなくなった。泊まりにいった客ではないのに嫌がらずに相手をしてくれた。どうもありがとうございました。セキレイ館では猫を2匹飼っているが、子猫のほうが年上猫に構って貰いたくて寄っていくのに、年上猫は嫌がって猫パンチをくれていた。それでも相当手加減していたが。
さて、セキレイ館を出発して近くの丸山展望台で沈む夕日を眺め、「ああ、これで帰るのか。もう当分来られないだろうな、」と思うとちょっとつまらない気分になった。街灯も街明かりもない真っ暗な十勝の田舎道を激走して帯広空港へ。レンタカーを返却して飛行機に乗ると、後は羽田へ向かうだけである。

2001/09/27
朝、宿でゴム長靴を借り、ひぐまセンターで熊についてのレクチャーを受けてから歩き始める。本当は1日かけて全部の沼巡りをしたいのだが、それも時間的に無理なので土俵沼、滝見沼、緑沼だけにして引き返す。途中の紅葉はまあまあの見頃であった。それにしても、ツアーで隊列を組んで登ってくる人の数も多い。木道ですれ違う時に湿原沼に降りてしまう人もしばしば現れる。人が沼に降りると踏み固められて乾燥してしまう。すれ違いで体が触れるのが嫌なのか、または気を遣って降りてしまうと思うのだが、ここは貴重な自然が主役なのだから沼に降りるのを我慢して木道にとどまるべきなのだ。昔なら苦労を厭わない少数の人たちが入っていた秘境でも、今や交通が便利になり大勢の人が訪れている。しかし数が増えればマナーが悪くなる場合が多い。こんな所まで来なくても困らないのだから、最小限の心遣いもできない人は、踏み込むな、と思う。
さて、宿に戻って再び車を走らせる。三国峠を越えて、国道273号線をもう少し南下すると三股山荘がある。12年前からここを通る度にこのお店に寄っている。3年ぶりかそれ以上になるが、お店のかみさんは覚えていた。私は変わり者だからな・・・。ジャガイモとソーセージの「畑のランチ」を注文する。このお店に来ると大抵これをオーダーするのだが。十勝三股は林業が衰退した後、ほとんどの世帯が離村して2世帯7人が住むだけになった。周囲を観察してみると朽ち果てた「OO医院」などの看板もあってもののあわれを誘う。
更に原生林の中を南下して旧国鉄士幌線の廃線跡(橋梁など)を見ながら走る。シーズンオフで閑散とした糠平温泉、然別湖を通って今日は新得のホテルサホロに泊まる。

2001/09/26
旭岳ロープウエイに乗って山麓の沼巡りを行う。ロープウエイ姿見駅から第一展望台、第三展望台、夫婦池、噴気口(硫黄混じりの蒸気を噴出している。)、姿見の池及び展望台とまわって姿見駅に戻る2時間の行程である。とても天気が良くて旭岳の雄姿や上川、十勝の山並みをじっくりと眺めることができた。周囲の高山植物もきれいである。
旭岳温泉を後にして一旦旭川市街に戻り「あさひかわラーメン村」 http://www.runrun.net/ramenmura/でお昼とする。郊外型ハイパーストアとラーメン屋さんがひとつの敷地に同居している。ラーメン屋さんは8軒あるのだが、その中で「山頭火」だけが繁盛している。山頭火は東京でも見られるがやはり美味しいものを食べたいのでここに入ってしまった。味は・・・まあ美味しいと思う。(私にはそれ以上のラーメン批評はできないので済みません。)旭川の街並みは広い国道の両側にロードサイド店が立ち並び、神奈川県の国道16号線あたりの風景とそれほど変わらない。車で生活するのに便利なことは間違いないのだが、北海道や旭川の独自性はない。今や日本全国どこにでもある風景、いや、日本に限定されず北米大陸のどこかとも見間違えるほどである。旅行に来ても趣をそがれること甚だしい。何とかならないものか・・・。
旭川を後にして、上川、層雲峡を経由して大雪ダムへ到る。このダム湖から国道273号線三国峠方面の上流の風景は原始の自然という趣で、何度来てもいい眺めだなあと思う。三国峠への国道からちょっと中に入って銀泉台へ向かう。久しぶりのダートである。10km以上あって、オフロードバイクで走ったらさぞかし楽しいだろうと思う。終点の銀泉台は本当に山奥深いどん詰まりでここから大雪山塊を踏破するための基地なのである。3年前に留萌のSさんはここから高原温泉へ、私たち夫婦は逆のコースで緑岳を登攀することを試みたが悪天候のために引きお返してしまった。また挑戦したいものだ。銀泉台から引き返して、今日は大雪高原温泉に泊まる。ここは山に中の一軒宿で真に秘湯!大雪登山や沼巡りの基地としての好条件もさることながら、一つの温泉宿としても屈指のものである。

2001/09/25
今日から3泊4日の北海道旅行に出掛ける。今日は羽田から旭川行きの飛行機に乗り、旭川空港でレンタカーを借りた。旭川空港から南にある美瑛へはすぐである。美瑛のまちを少し走ってお昼を食べる店を探すが、3連休明けのために休業が多い。3軒目のCafe Rest BIRTH http://www.biei.ne.jp/birch/index.htmlというお店でお昼を食べる。美瑛の丘をぶらぶら歩き、ソフトクリームなども食べる。その後旭岳温泉に向かい、大雪白樺荘YH http://www.ai.wakwak.com/~shirakaba/に泊まる。旭岳温泉の集落の佇まいは、針葉樹に抱かれカナディアンロッキーを彷彿させる。

2001/09/22
家の庭で妙に臭いところがある。よくみてみると砂利敷の上に猫の糞が顔を出していた。これは、おそらく向かいの猫の仕業と考えられる。しかし、土の上ならまだしも、何も砂利の上にしなくてもいいじゃないかと思う。糞をしてちゃんと埋めないのも本能が衰えて堕落していると思う。そんな事を考えながら片づけた。

2001/09/18
夏休みがまだ余っていたので消化することにする。今日は東京ディズニーランドの隣りにできた複合商業施設「IKSPIARI」へ行く。臨海副都心お台場にあるDECKS東京ビーチを大きくしたような施設である。中に入っているテナントも全く同じだったり、似たようなものである。私はこういう施設は<あざとい感じがして好きではないが、妻は喜んでいたし、平日のために空いていたのであまりストレスにならないで良かった。帰り道は舞浜I.C.から首都高速湾岸線で東京港を横断して横浜本牧まで走破して第三京浜道路を経由して帰った。幸運にも空いていて爽快であった。平日のドライブは楽しい。

2001/09/17
職場に居着いていたキジ猫が死んでしまった。先週の金曜日は元気だったのだが・・・。生死の現実とは厳しいものである。合掌。

2001/09/15
知人のMさんの家に伺ってパソコンのOS再インストールを行う。Windows98の再インストールとターミナルアダプタの設定までは順調で通信も可能になったのに、なぜかWeb Siteにアクセスしてページを開くことができない。このような事例は経験が無く、どうやってトラブルシューティングするのか途方に暮れた。TAはNTT製だし、プロバイダはOCNなので土休日はサポート電話も休みでだめ。自分で何とかしなければ・・・。説明書を全部読んでみて、OCNの説明書にTCP-IPのプロトコルが複数インストールされているとこの症状が現れるという記述を発見した。これで解決!めでたくWebプラウジングもMailもできるようになった。無事に役目が果たせてよかった。
このトラブル解決に時間がかかったので、夕食までご馳走してもらった。海浜幕張駅から南東にあるOreajiというイタリア料理店である。(千葉市美浜区打瀬1-2-3セントラルパークウエスト1F TEL.043-296-5138)レストランだけでなく周囲の町並みの造りも統一されていてどこか欧米の街並みのようである。とてもいい雰囲気を持っていてまた行ってみたいと思った。

2001/09/11
台風15号が襲来し、午前10時頃に鎌倉市に上陸、横浜市東部、東京23区を通って土浦方面へ縦断していった。最も接近した午前11時頃には風雨波浪共に強まり、ここ日の出埠頭でも大変な荒天であった。波打ち際の土地は波に洗われ、桟橋は今まで見たことのない大揺れだった。午後4時くらいには雨も止んで真っ赤な夕暮れになった。
家の向かいに住んでいるKさん夫妻が仕事でしばらく海外に引っ越すということである。(経済発展著しい国)折角仲良くなれたのにちょっと残念。仕事が順調に行くことをお祈りします。
普段ならば日記も上段で終わりなのだが、午後10時頃にNewYorkのワールドトレードセンタービルに飛行機が衝突したというニュースが入ってきた。映画でも観ているかのような信じられない光景だった。しばらくニュースを見ていると1棟は崩壊し、ツインタワーのもう1棟もしばらくして崩壊してしまった・・・。

2001/09/09
正午前に明野村を発って家に戻ることにする。土産に付近の農場で葡萄を4房買った。これはいつもスーパーで買うもののように、洗うと実がぼろぼろ脱落するものとは違って丈夫でおいしかった。帰路の中央自動車道は曇ったり、土砂降りの雨だったりと天候が短時間で目まぐるしく変化して、10*km/hから13*km/hで走ったが、土砂降りになると10*km/hでもステアリングに路面の水の抵抗が感じられて怖い思いをする。所要所用1時間くらいの割には疲労した。
帰宅後、CO-OPに買い物に行く。今日は時折どしゃ降りなのでCR-Xで行った。CO-OPのおばさんが、いつものオープンカーはどうしたの?と言うけれど、あれ(BEAT)は雨漏りするから・・・、と私が言うと大笑いになった。

2001/09/08
山梨に北海道在住のSさんが来ているので、台風の影響による荒天が懸念されてはいるが、昼過ぎに出掛けることに決めて山梨県明野村へ向かう。いつも渋滞する矢野口から調布I.C.にかけても幸運なことに空いていて、現地まで3時間であった。Sさん、息子のT、その友人など10名で屋外バーベキューを行った。天気は予想よりも良くて夜10時くらいまで雨は降らなかった。このメンバーだといつも20年前のユースホステルの話題になり、同じ話が毎回出てくるが、今日もそんな話題などや昔のようにギターや歌を歌って盛り上がった。いつも同じ話でも、20年の時の経過を一瞬忘れてみんな満足する。私はあまりアルコールが強くないのだが、そのわりには飲んで、夜1時頃就寝した。

2001/09/07
ピーター・ハクソーゼンほか著「敵対水域」Hostile Watersを読み終えた。東西冷戦終焉直前の1986年10月大西洋バミューダ沖で起きたソヴィエト北洋艦隊原子力潜水艦K-219沈没事故に基づくノンフィクションである。冷戦末期における米ソ両国の軍事力・技術力格差、ソ連労働者の荒廃、軍部上層部の無能・教条主義と有無を言わせぬ冷酷さが臨場感にあふれて描写されて、飽きることなく一気に読み終えてしまった。米国側は恰好よく描かれ過ぎの感があるが、これは実質的にアメリカ人が主に書いたものだからであろう。これを読んで昨(2000)年8月にバレンツ海沈没したロシア原子力潜水艦クルクスのことを思い出した。

2001/09/04
元住吉の歯医者で診療を受ける予約をしていたのだが、それを失念していて、帰宅途中の中央線電車の中で手帳を見て思い出した。途中の四谷で緩行線に乗り換えて、代々木、渋谷と乗り換え、元住吉に向かう。帰宅途中に思い出すくらいだから、健康保険証、診療券、診療前の歯磨き、皆忘れてしまっている。予約無断キャンセルにならなくてラッキーであったが・・・。自分の歯は丈夫なので虫歯など異常は何もないと考えていたのだが、下犬歯に小さな虫歯と、全体的に歯石が盛大に付着していが、幸いに歯槽膿漏にはなっていなかった。。診療に来て良かった。診療を受けたのは3年ぶりで、歯に自信はあっても半年に1度くらいは点検しなければならないと反省した。