トップページへ戻る


たそがれ日記

Copyrights of these sentences belong to the author.
The reproduction of without permission reprint is prohibited.


「青春のスランプ・人生のスランプ」

以下の原稿は2004年6月1日午後5時〜午後6時よりNHKラジオ第一放送「生き生きホットライン」に出演を依頼されたに管理人が書いた草稿です。放送時のイトルは「息子のスランプ、娘のスランプ」でしたが草稿を忠実に再現したために「青春のスランプ・人生のスランプ」に改めました。NHKで現実に放送された内容とは一部異なっていますが私の言いたことはほとんど変わっていませんので草稿のまま掲載します。スランプに陥っている方はお読みください。

 イントロ

インタビューアー: 今日は群馬県高崎市で予備校講師をなさっております吉本康永先生をゲストにお迎えしました。吉本先生は予備校講師のかたわらエッセイや小説もお書きになっております。吉本先生、こんにちは。

吉本: こんにちは、吉本です。生放送であがっておりますがよろしくお願いします。

★ 我が子のスランプ

インタビューアー: さっそくですが、ご本に書かれているように、次男の方が東京大学を中退して海外でボランティア活動をしたいと突然メールを送ってきた時にはどう思われましたか。

吉本: 正直申しまして驚きました。晴天の霹靂というやつです。同時に私も昔大学を中退しておりますので親の因果が子に祟りのことわざのように私は呪われているのかと思いました。

インタビューアー: それで吉本さんも説得のためのメールを打ちまくったのですか。

吉本: ええ、ご本人は携帯電話にも出てくれませんし、私も仕事があって上京する時間もありませんし、もう必死でメールをうちまくりました。30日間近く毎日長文のメールを打ちましたからね。

インタビューアー: 吉本さんがもっとも息子さんにメールで訴えたかったことは何だったのですか。

吉本: まあ、いろいろありますが、一つは自分の人生を大切にしろってことです。それに世間を舐めるんじゃないよということでした。

インタビューアー: 世間を舐めるなというのはどういうことですか。

吉本: 私もインタネットで海外のボランティア活動のことを調べましたからね。ボランティア活動の厳しさを多少は理解したつもりでした。世間を舐めるなと言ったのは今のお前さんのように特別な技術も人間力もなくて海外にボランティア活動に行ったりすると現地の皆さんが迷惑するよという意味です。自分が今やるべきことができないで自分自身を救えない人間がどの面さげて他人様を救えるんだとはっきり書きましたよ。それに大学を中退するとその後どれほど苦労するか次男にはリアルには全然わかっていませんでしたからね。大学を卒業してからお前がボランティア活動をしたかったから好きにすればと言いました。

インタビューアー: それはご自身の体験からお言いになったのですか。

吉本: ええ、その通りです。私は大学を中退していろいろありましたから。その精神的負債というか落とし前をつけるためにそれから30年近く生きてきたようなものですからね。不思議なものでもし私が大学を普通に卒業していたら次男の中退をあっさりと許していたかもしれないとは思いますね。

インタビューアー: その中退したいと次男の方が考えたのはやはりスランプと何か関係がありましたか。

吉本: ウーン。それはスランプという言葉の定義の問題によると思いますが。私の言葉で言えば次男はコミュニケーション不全症候群という奴に陥っていたのでしょう。もともと寂しがり屋だったですから慣れない東京の下宿生活で孤独に陥っていったのではないかと思っています。

インタビューアー: それでその後どうなりましたか。

吉本: 結局一年留年しましたが今は元気で大学に通っています。

インタビューアー: その頃のことで印象に残っていることはありますか。

吉本: エエ、大学は中退しないで通うからということになって一度私が上京して東京の神田駅で息子に会いましてね、駅の近くで一緒に酒場でお酒を軽く飲んだのですが、その時、ボロッと次男が「あの時は携帯電話が鳴ると怖くて怖くて携帯をとることも出来なかったんだよ」と告白しましたのでエエッ!と思いました。私が思っていたよりも重症だったのではないかとゾッとなりました。自分の息子の心さえわからない自分が父親として情けなくなりましてね。その後、私が神田駅まで行って別れようとすると次男が「おやじ、俺は御茶ノ水と荻窪の定期券しか持っていないので御茶ノ水駅まで歩いていくよ」と言い出しましてね。「神田からお茶の水までの電車代は父さんが出すよ」と言うと「いいよ、いいよ」と言いました。酒代は私が払っているんですよ(笑)。それで仕方なく私も次男と一緒に付き合いで神田から御茶ノ水駅まで歩きましたよ。私は疲れていましたが夜のウォーキングです。ブラブラ30分近く歩きながら次男は大学を中退したいなんて何を考えていたのだろうかって思案を巡らしましたが結局いまだによくわかりません。ただ次男の中退騒動を思い出す時いつも神田から御茶ノ水駅まで親子二人で歩いたあの夜のことを思い出します。それに贔屓目かもしれませんが次男はあの中退騒動で人間が一回り大きくなったと自分は父親として信じていますから。

★ 他力本願VS自力本願

インタビューアー: 吉本先生もスランプに陥ったことはありますか。

吉本: ええ、ありますよ。私は万年スランプ男ですから(笑)。高校時代などは陰気で暗くて生きる自信がまったくありませんでしたからね。

インタビューアー: 一昔前の「ねくら」という奴ですね。

吉本: ええ、そうです。文字通り根暗です。リストカッターにはなりませんでしたが、その一歩手前の精神状態でした。

インタビューアー: どういう風にその状態を脱出なさったのですか。

吉本: いやあ、これが実に不思議なものでしてね。私は四国は香川県の丸亀高校出身です。男女共学の高校です。高校二年生の頃ですか、ある日、学校の校舎のベランダから外を見ておりますと、当時野球部でピッチャーをやっていた安藤君という友達が声をかけてきましてね。「吉本、お前、ラジオに出ていたぞ」と言われましてね。何のコッチャと思って尋ねると、当時、東京の新宿にあった「ラセーヌ」という喫茶店がスポンサーになって深夜放送で「ラセーヌヒットソングアワー」というリクエスト専門のラジオ番組がありました。そこに私宛てにリクエストした女性がいたそうなんですよ。そのリクエストの内容が「いつも下を向いて暗く歩いていないで自信を持って上を向いて歩いてください」と書かれていたそうです。それでリクエスト局が坂本九の「上を向いて歩こう」だったそうです。

インタビューアー: 面白いお話ですね。どなたがリクエストしたのかわかりましたか。

吉本: いえ、全然。調べもしませんでしたから。ただ今も時々「上を向いて歩こう」という局が流れたりするとハッとなってパッと自分が上を向いて歩いているのか、自信を持って生きているのか確認しますよ。きっとリクエストしてくれたのは私の高校の同級生の女性だと思いますが、この女性とこの事実を知らせてくれた安藤君という友人には40年近く過ぎた今も感謝しています。

インタビューアー: そのリクエストの話をお聞きになって吉本先生の中で何か変わりましたか。

吉本: ええ、自分という人間の存在を気づいて心配してくれている人がこの世の中にいるんだという確証を得た思いがしましたからね。それから下を向いて歩くことはなくなりましたし、猛然と勉強を始めましたから。

インタビューアー: 人間、スランプからの脱出はきっかけが大切なのですね。

吉本: ええ、その通りだと思います。そのきっかけも二種類あって他力本願と自力本願というのがあると思っています。

インタビューアー: 面白いご意見ですね。それはどういう意味ですか。

吉本: 別に宗教の専門用語として使っているわけではありませんが、他力本願というのは先刻の「上を向いて歩こう」のリクエストみたいなものですね。もし、私が何も悩んでいない男だったらリクエストの話を聞いても何も感じなかったかもしれません。しかし、少しでも悩んでいたり、苦しんでいたりスランプに陥っていたりすると精神的救いの手はどこかから現れるものだ思います。それが家族であるのか友人であるのか学校の先生であるのか、未知の人であるのか誰にもわかりませんがきっとそういう人が現れます。その時に自分のスランプが深いと思っている人ほど乾いた砂に水が染み込むようにその人の言葉や行動や助言が理解できるのではないですか。

インタビューアー: そうすると当然「自力本願」というのもあるわけですね。 

吉本: ええ、その通りです。ただ、私もここまである意味でエエ加減にスランプという言葉を使ってきましたが、スランプはもともと不景気という経済用語ですね。それが現在の心身の不調という意味に転じて使われるようになったわけですが、私も含めてスランプという言葉を乱用しすぎていると思いますよ。

インタビューアー: 具体的にどういうことですか。

吉本: わかりやすい例で言えば受験生なんかがよく一週間勉強を一生懸命してうまくいかなくなった時にすぐスランプだと言いますけれど、これは間違ったスランプという言葉の使い方だと思います。

インタビューアー: それはどういうことでしょうか。

吉本: まず一つは時間が短すぎるということですね。三ヶ月も半年もがんばってそれでスランプだというならまだ納得できますが、たった一週間がんばったくらいでスランプだというのはおかしいですよね。

インタビューアー: どうして、みんなそう思ってしまうのですかね。

吉本: これが現代という時代の特徴かもわかりませんが、何でも即効性を求めてしまうからですね。家庭では父親や母親から成績が伸びたかと訊かれ、職場では上司から成果が上がったかと訊かれます。仕事とか勉強なんてリゲインとかユンケル黄帝液のように即効的に効果があるものではないでしょう。何ヶ月もがんばって、その成果が出るのは数ヵ月後ということが普通ですよね。その時にそのタイムラグ、時間差に耐え切れずにスランプだと自分で思ってしまうのですね。これは今は好まれなくなった言葉ですが「じっくり勉強をする」とか「腰を据えて仕事をする」ということが耐え切れなくなった時に自分は「スランプ」だと思い込んでいるのではないでしょうか。それでいて本人は「じっくり寝ている」とか「腰を据えて遊んでいる」ことが多いのですね。現実に、じっくり物事に取り組んでいる人にスランプと言う言葉はないでしょう。

インタビューアー: なるほど、そう言われればその通りですね。

吉本: それにスランプなんて言葉は本当のプロが使う言葉でしょう。私は大リーグのマリナーズのイチローのファンですが、イチローがスランプに陥ったと言われるとわかる気がしますが、普通の受験生やサラリーマンがスランプに陥ったなんて言われるとおいおいおい、あんたは、スランプに陥るまでは凄い成果をあげていたのかとかそれまで本当にがんばったのかとか突込みを入れたくなりますね。ただ軽い精神的落ち込みをスランプと呼んでいるだけですよ。

インタビューアー: なるほど、よくわかりました。勝手にスランプだと思い込むなと言うことですね。

吉本: そうです、人間っておっかないところがあって、いったんマイナス思考に入るとフル回転で暗い方に暗い方に考えが入っていきます。これは下手をすると誰も止められなくなります。安易に自分がスランプだと暗示にかけた瞬間に精神がどんどん退行していきさえしてしまいます。

★「引きこもり」より「立てこもり」

インタビューアー: ではスランプというものがあるとしてですね。これを防ぐ方法はありますかね。

吉本: 先ほどの自力本願ということですね。私は単純明快な考えが好きですから、まず雨の日は難しいことは考えないことですね。

インタビューアー: それはまた面白い意見ですね。

吉本: 先々週ですか、土曜日、日曜日と二日続けて雨が降りましたね。私はその時、二日間家にいました。居間の座椅子にもたれて考え事をしているとどんどん自分の心が崩れていくのがわかりますよ。日曜日の午後にはまるで心がカーペットや畳に吸い込まれていくような気分になりますからね。鬱、スランプがどっと襲ってきた気分ですね。天候によって人間の気分は作用されるのですよ。

インタビューアー: 確かにそう言われればそうですね。

吉本: それに同じように深夜に難しいことを考えないことです。考えることを職業にしている哲学者や思想家なら別でしょうが、深夜に暗い部屋で難しいことを考えたりすると真っ暗闇だった原始時代の集合無意識という奴がよみがえるのか人間誰でも理性と言う奴がすっとんで、すごく情動的になって無茶苦茶なことを考えてしまいます。よく言いますよね、深夜に書いたラブレターを朝起きて読むと書いた本人がいたたまれないほど恥ずかしいことを書いているって。

インタビューアー: それはよく聞きますね。そうすると吉本先生の説によれば雨の夜にラブレターを書くなんて最悪ですね(笑)。

吉本: 本当に最悪です(笑)。深夜、考えてごとをしていて暗い方向に煮詰まったら外かベランダに出て星でも見るんですよね。それだけでも全然違いますよ。また浪人なんかが先生流れ星を見ました。俺は来年も駄目かなあなんて考えるかもしれませんがね(笑)

インタビューアー: 他に何か注意することはありませんか。

吉本: 今のは考えを暗い方向にもっていくなということでしたが、今度は視野狭窄症になるなということが大切です。人間、考えが煮詰まるとある一点からしか物や自分を見つめられなくなります。これが一番危険です。人間は実に複雑で精妙な高等動物なのにこういう時には精神が突然みみずのような単細胞生物の状態になってしまうのです。押して駄目なら引いてみなって言いますよね。自分自身を見つめる時も上から見て地べたから見て斜め上から見て斜め下から見る、出来れば人工衛星から見ているつもりで自分の姿を見れば多少の余裕が出てくるでしょう。違う角度から物や人や自分自身を見る習慣を身に付けることです。これが空間的な見方だとしたら、時間的にも見てみましょう。人間は自分の固体の歴史を持っています。今、悩んでいる人が高校生の若者なら自分の三十年後を想定すると映し出されるのは現在の父親の姿かも知れません。逆に父親が三十年前の自分の姿を思い出すと現在の自分の子どもが映し出されるかもしれません。自分を現在の一点ではなく昔の自分から、また未来の仮想した自分から、できれば1万光年後から見てみようと思うだけでまったく今の自分が違ったものに見えてくるはずです。

インタビューアー: 素朴な質問ですが人工衛星から見るとか一万光年後から見るとは具体的にはどうすればいいのですか(笑)。

吉本: いやそれはそういう風に想定してみるだけで全然違ったものが見えてくるというあくまで比喩です(笑)。

インタビューアー: 吉本先生は具体的に今までの人生で自分でスランプに陥らないように何かなさったことがありますか。

吉本: いや、先刻も申しましたように私は万年スランプ人間なのですが、一度だけ自分で不思議に思ったことがあります。

インタビューアー: ほー、それはどういうことですか。

吉本: もう24年前の32歳の頃なのですが、当時は私は長男と長女が生まれ生活も一番安定した頃でした。今のような五月の頃でしたか、ある晴れた日にふと不安を感じましてね。こんなことをしてて大丈夫かと思ったのです。それで本屋さんへ飛んでいきましてね。四百字詰め原稿用紙日記というのを買いました。

インタビューアー: エッ、日記をつけ始めたのですか。

吉本: そうです。その日から日記をつけ始めました。何が不安だったのか今でもよくわかりませんがね。小学生の頃宿題の夏休み日記を付けて以来ですからね。

インタビューアー: それで何か変わりましたか。

吉本: 何が変わったと言われても困りますが。ただ自分を客観的に見るのには役にたったような気がします。今はもう昔の日記を見返すこともほとんどありませんが、その後、起こったいろいろなスランプの時代にも日記をつけることが役に立っていると思います。

インタビューアー: するともしかすると今でも日記をお付けになっているのですか。

吉本: ええ、今でも付けています。もう24年ちかくになります。さすがに今は一週間まとめてつけるようになりましたが、誰に見せるでもない私が読み返すでもない、ただ日記をつけることによって精神的スランプの到来を防いできた感じはしています。

インタビューアー: そうですか、スランプを防ぐには日記が有効ですか。

吉本: そう言われるとリスナーの方は「日記」かよ、毎日、毎日、大変だなあってことになってしまいますが、今はパソコンもあります。携帯もあります。日、一行でもいいですから日記と言わずともパソコンの中にでも携帯の中にでも自分の記録を残しておく習慣を身に付けることが大切だと思います。友達に長いメールを打つよりよほど速く書き終わりますよ。その記録を後から見返して自己確認をしていくとスランプとかにはならない気がしますがね。これは違う言葉で言えば「引きこもり」というのはどうしてもマイナスイメージが付きまといますが、私は日記をつけることによって「立てこもり」をしているつもりです。

インタビューアー: 「立てこもり」ですか。まるで警察に追われて犯人が立てこもったみたいですが(笑)

吉本: ええ、イメージがよくありませんが、私はこの言葉を「引きこもり」に対するプラスイメージの言葉として使っています。「引きこもり」というのは具体的な空間に引きこもりますが「立てこもり」というのは精神的空間のことです。今のような情報のあふれた世の中では自分の意見をもつことは大変です。

別に思想なんておおげさなものではなく自分の生きる基準と言えばいいのか規範と言えばいいのかまたモラルとか倫理とかいかようにもいいようがありますがそういう最低のものを自分の中に構築していくことによってゆるぎないものが自分の中に出来てくるのではないでしょうか。そうなると「引きこもり」とか「スランプ」とかもなかなか起こらなくなると思います。

インタビューアー: 吉本先生は先生のホームページにも毎日、日記を公開しているそうですが。

吉本: ええ、ホームページは公開日記、個人の日記は秘密日記。二種類日記を付けています。どっちに本当のことが書かれているのか書いている本人にもよくわからなくなりますし、それに生きるために日記を書いているのか日記を書くために生きているのかよくわからなくなりますよ(笑)

  親はお釈迦様、子どもは孫悟空

インタビューアー: 先生は冒頭で次男の方はコミュニケーション不全症候群になったので大学を中退しようとしたとおっしゃいましたが、これはどういう意味なのでしょうか。私は最初からこの言葉が引っかかっていたのですが。

吉本: いやいや、深刻に受け取ってもらっては困りますが、このコミュニケーション不全症候群という言葉が私はあるのか無いのかも知りません。ただ今の時代というのは図式的に言えば地域社会も崩壊し、家族制度も崩壊し、最後は個人が崩壊していくような時代だとよく言われますね。そういう時に個人というのは孤独になっていくということです。この孤独感、孤立感がスランプをまた人生のスランプを呼び起こすことが多いのではないかと思って言っているだけです。

インタビューアー:ちょっとおっしゃっていることがよくわかりませんが。

吉本: 結局、家族が大切だということです。現段階において個人の精神的スランプを防ぐのには家族が大切だということです。プロ野球の選手がよく結婚したら成績が上がったといいますよね。あれは家族の大切さを証明しているのですよ。

インタビューアー:なるほどそうおっしゃられるとわかった感じになりますね。

吉本: 私は先刻も申しましたように単純な人間ですから、人間の悩みやスランプのほとんどは人間の関係性が救うと思っています。その関係性の根底にあるのは結局家族でしょう。

インタビューアー:それは父や母の役割が大切だということですか。

吉本: その通りです。私が自分がいい父親だったかどうか別にして、現在の若い父親、母親を見て不安になりますのは、父親、母親というのは子どもが生まれたから父親、母親になったと思っている人が多いということです。

インタビューアー: またまたおっしゃっていることがよくわかりませんが(?)

吉本: 子どもが生まれたから父親、母親になったというのはそれは法律的な問題であり、動物的な問題でしょう。それよりもいい父親になるんだとかいい母親になるんだとか決意の問題が大切だということです。

インタビューアー:なるほど。それでは吉本先生のおっしゃるいい父親、いい母親とはどういう父親、母親なのでしょうか。

吉本: 私は高校や中学などのPTAの講演に呼ばれた時によく申していますのは「親はお釈迦様、子どもは孫悟空」という言葉です。

インタビューアー: 「親はお釈迦様、子どもは孫悟空」。なるほどいい言葉ですね。

吉本: つまり親は慈悲の心で子どもを常に見ているということです。これは放任主義とは全然違うと思います。子どもは親の手のひらで踊っているのです。親も自分の手のひらを大きくするよう努力をする必要があるでしょう。最後の最後には大慈悲心でもって子どもの失敗も赦してあげるという気持ちがあれば子どもがスランプに陥ったり「引きこもり」になったりすることもないでしょう。そうすることによって親は真の親になっていくのではないでしょうか。これは私の子育て経験か ら自戒を込めて言っている言葉ですが。

インタビューアー:よくわかりました。行き着く先はやっぱり家族ですか。先生、最後にこれは是非言っておきたいという言葉はありますか。

吉本:先ほども言いましたように私はマリナーズのイチローの大ファンなのですが、先日、日米通算2000本安打を達成しましたね。その後のどこかの民放のインタビューでイチローが言っていましたが自分は70パーセントの力で三割を打つ打者よりも100パーセントの力で二割八分を打つ打者の方が好きだし尊敬すると言っていました。私はこの言葉に感動しましたね。親も子どもも真剣に生きていればスランプに陥ることも少ないでしょうし、たとえスランプに陥っても復元する力は秘めているのではないでしょうか。私の言いたいのはこれだけです。

インタビューアー: 今日は長時間ありがとうございました。


トップページへ戻る